重なった傷
二手に分かれ、離れへ向かう面々を見送ってから、斎藤と愁介は屯所の奥にある山南の部屋へ向かった。
濡れ縁に出た時、風が吹いてキンと耳が痛くなる。顔を上げれば、軒の向こうに見える空から、ちょうどちらほらとまた雪が降り始めたところだった。
「うえー、冷えるね」
愁介も雪に気付いたようで、羽織の袖の中に腕を入れ込み、肩を小さくする。
「襟巻などは持って来られなかったのですか?」
「んや、今朝は結構晴れてたから、今日は降るとは思わなくて」
愁介は後悔が混じったような表情で眉尻を下げた。会話の傍から、口元に白く淡い色が乗る。
身体のことを考えれば、合う合わないはともかく、帰りに自分の防寒具を渡して見送るのがいいだろうか――と斎藤は真面目に思案した。
だからこそ、気付くのが愁介よりも、わずかに遅くなってしまった。
「……ねえ。血のにおいがする」
「はい?」
つい間の抜けた言葉を返してしまった時には、愁介は足を大きく踏み出してにおいの元にたどり着いていた。何しろそこは、すぐ目の前に迫っていた、自分達の目的地でもあったものだから。
「愁介殿、待っ――……」
「失礼します」
最低限の声はかけつつも。愁介は斎藤の制止も、部屋の主の返事すら待たず、一切の表情を失くした真顔で遠慮なく目の前の襖を開け放った。
途端、今さらながら、まざまざと斎藤自身も『血のにおい』を濃く感じ取る。さっと、頭から血の気が下がる。
薄暗い室内から、かすかに息を呑む音が聞こえる。
斎藤の視線の先にいる愁介は、無表情のまま、固まるようにその場に立ち尽くしていた。
斎藤は状況を確認するより先に、本能的に留まっていた愁介の背を押し込み、後ろ手に襖を素早く閉じた。
悪天候に明かりも灯さず締め切られている六畳間の中は、陰鬱な薄暗さが漂っていた。二度ほどの瞬きでようやく視界が慣れ、その薄暗さに溶け漂う鉄くささに、無意識に鼻の頭に皺が寄る。
視線がかち合った部屋の主――山南は、かすかに唇をわななかせ、酷くばつ悪そうに顔を伏せた。
その、手元には――……
着物が軽くくつろげられて露わになった脇腹を斬り付ける、山南自身の小柄が握られていた。
言葉がとっさに出てこなかった。
折々、具合が悪そうに脇腹を押さえていた、これまでの山南の姿が脳裏をよぎっていく。
単なる不調ではなかったのか。傷があったから押さえていたのか。だからこそ不調だったのか。いつからなのか。元からなのか。何故、なのか。
けれど何ひとつ喉から出ていくことはなく、斎藤は無意識に懐から手拭いを取り出して傷を押さえにかかろうとした。が、次の瞬間「オレがやる」と、愁介にその手拭いを取り去られた。
「ごめん。場所。知らないから、消毒」
短く端的に、ささめくような呟きに、斎藤もようやく「はい」とかすかな声を絞り返す。
愁介が、山南の傍らに膝をつき、傷を押さえにかかる。いつも以上に顔を青ざめさせ、微動だにしなくなった山南の手から小柄を優しく取り上げる。
傷が手拭いに隠れる直前、いくつもの似たような古傷があるのを横目で見て、斎藤は「失礼」とひと言置いて部屋の押し入れや天袋を探りにかかった。
――繰り返し、密かにしていたことならば、必ず後始末も密やかにおこなわれていたはず。
その読みは辺り、天袋の奥から簡易の治療具と薬を見つけ、それを手に斎藤も山南の元へ戻って傍らに跪いた。
「……縫いますか」
「そこまでじゃない」
当人を置き去りに交わされる会話が滑稽だった。
愁介の言葉通り、手拭いを退ければ傷はさほど深くなく、一日二日で瘡蓋になるだろうという程度のものだった。
が、浅い傷でも、繰り返せば、治る前にまた傷付ければ、引きつれた痕が残る。
そんな傷跡がいくつもある山南の腹を、斎藤と愁介は無言のまま消毒し、布を当て、包帯を強めに巻き付けて止血した。
山南は終始、目を伏せたまま、されるがままで何も言わなかった。