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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月
133/203

和か不和か

 屯所に戻り、玄関を上がって部屋に向かい始めてすぐ、向かいからやってくる気配と鉢合わせた。


「おや、斎藤くん。お戻りになったんですね、ふふ。ちょうど良かった」

「伊東さん……」


 艶やかに頬を傾け微笑んでいるその人の名を呼ぶと、伊東は楚々とした身運びで、足を止めた斎藤の元まで歩み寄ってくる。


「これから皆さんと、これからの国の情勢について議論をすることになったのですが……斎藤くんもご一緒に、如何です?」


 低く甘ったるいような声で小首をかしげられ、その着物に焚き染められた沈香のにおいに軽く酔いそうになった。忌避するような類のものではなく、例えるなら、己が花に誘われる蝶か蜂にでもなったような、そんな心地だ。


 こういう時、改めて伊東は実に不思議な魅力のある人間だと感じる。いつもまったりとした笑顔を絶やさず、何を考えているのかわかりづらいが……そう思って尚、この声と香りの甘さに惹かれる者がいるのは理解できる程度には魅力があると思う。斎藤自身、伊東と土方の相性問題で新選組内に不和が生じないか、という点において警戒心こそ抱いているが、それがなければまた抱く印象も違っていたかもしれない。


 恐らくだが――……己は誘われている。気にかけられている。そう思わせるような伊東の声音と仕草が、少なからず自尊心をくすぐるからだろう。


 入隊後、すぐさま二番隊の組頭として幹部入りした伊東は、平隊士らにとってどうしたって注目の的だった。そんな中、特に偉ぶるでもなく折々気さくに周囲に話しかける好漢ぶりを見せていたのだ。そんな男に、今のように誘われ(ヽヽヽ)れば……惚れる人間が出てくるのも、わかる気はするのだ。


 ……気がする、だけで、斎藤自身はそのように右に倣えをしているわけではないのだが。


「ありがとうございます、伊東さん。しかし出先で少々、人の揉めごとに巻き込まれてしまいまして……疲れが出ておりますので、私は辞退させていただきます」


 薄く口の端を上げ、できるだけ柔和な言葉で断ると、伊東は袖を口元に当てて「おや、それは災難でしたねえ」と寂しげに眉尻を下げた。


 芝居がかった仕草に気付かぬふりで軽く一礼すると、伊東は特段しつこく誘うこともなく、朗らかに目をたわめて頷く。


「残念ですが、承知しました。ではまた機会があれば是非」

「そうですね……何ぶん不勉強でご迷惑をおかけするやもしれませんが、機会があれば、お願いします」


 己に可能な限りの当たり障りなさで答えれば、伊東は改めて満足げにあごを引いてから去っていく。どこで議論するのかは知らないが、斎藤の自室からは離れた場所でおこなわれるようだ。


 思わず、ふっと安堵の息が漏れた。


 ――伊東が入隊するまでの新選組は、隊内で人が集まって情勢を議論する場など設けられることはそうそうなかった。近藤や土方が、『芯は持って結構だが、ぐだぐだ論じる前に行動しろ』という類の気質だったからだ。


 それが、伊東の入隊で変わりつつある。


 良い変化なのか否かは、まだ何も判断できない。伊東に他意がなく、単に腕っぷしに傾きすぎていた組の頭脳をもう少し育てようと言うなら、別段それは望むところである気はする。それこそ、江戸に行ったまま未だ帰還しない藤堂の意図するところで、近藤や土方もそれに納得したからこその伊東入隊だったわけなのだから。


 ただ、想定以上に馬が合わなかったのか何なのか、土方は割とあからさまに伊東に苦い顔をしているし、それによって沖田も言わずもがな。近藤は弁の立つ伊東に敬意を抱いているようだが、永倉や原田も忌避こそしないまでも伊東に積極的に近付こうとはしていない。その他、試衛館組や新選組立ち上げ当時からの古参であればあるほど、伊東への対応はおおよそ永倉や原田と変わらない空気感がある。


 だからこそ、伊東の存在を歓迎して良いものか、斎藤としても読み切れない。藤堂が帰っていれば、双方の橋渡しと緩衝材となっただろうが。そうであれば斎藤も、伊東の正確な意図などをもう少し窺えたかもしれないと思う。


 ――ああ、そういえば。


「……山南さんは……」


 どう思っているのだろうか。


 思わず小さく独り言ちた時、伊東を見送っていた斎藤の背に、思いがけずやわらかな声がかかった。


「私がどうかしたかい?」

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