複雑な胸懐
愁介の何でもないようなひと言に、斎藤は肺腑の奥底を爪先で引っかかれたようなむず痒さを感じた。舌の中で、言葉にならない空気を転がす。
「……ええ、まあ……」
しばらくして、ようやく口から出たのは、そんなどうしようもない相槌だけだった。
斎藤自身、これがどういう感情から来るものなのか把握しきれていない。が、愁介は、斎藤が沖田の前で昔話をすることに抵抗があるとでも感じたのか、誤魔化すようにへらりと曖昧な笑みを浮かべた。
そんな愁介の口の中へ、沖田が自分の手でつまんだ干菓子をぽいっと放り込む。
もご、と口を閉じて菓子を咀嚼する愁介に微笑み、沖田は「何だか相変わらずですねえ」と生ぬるいような笑みに頬をゆるめた。
「お二人、腹を割ってお話しなさったんでしょう? お互い、大切だった幼馴染だって確認し合ったその割に、前とあまり変わらないのって、何か理由でもあるんですか?」
何気ないようで、妙に鋭いところを突いた問いかけだった。
斎藤が閉口すると、菓子を飲み込んだ愁介がすかさず「そこは仕方ないかなぁ」と、今度は自分が沖田の口に菓子をひとつ放り込む。
「だって、斎藤とはお互い、再会の仕方とその後のゴタゴタが、何かこう……ううん」
「……まあ、そうですね。かつてはかつて、今は今、というところが互いの落としどころになったというか」
愁介の言葉を継いで斎藤も続けば、沖田はひとまず菓子を飲み込んで、納得したようにふむ、とあごを引く。
「まあ、時が経ちすぎるとそういうこともあるんですかね。急に関係性が変わるほうが、確かに不自然なのかもしれませんけど」
「うん。それに前より仲が悪くなったわけでもないしね」
愁介が笑って「ね」と斎藤に小首をかしげてくる。
「それは……そう、ですね。あなた方お二人ほどではありませんが」
斎藤はゆるく頷いた。そうして、何故かそのまま今度は自分のではなく互いの手で菓子を食べ始めた二人に、改めて心底呆れた目を向けた。
「ふっふふ、まあ確かに、以前の斎藤さんならそんな目、愁介さんには向けませんでしたね」
「複雑だけど、その遠慮がない感じはオレも望むところだね!」
沖田も愁介も、斎藤の視線など些かも気に留めず、そのまま互いの口にぽいぽい菓子を運び続けている。
「そうだ。愁介さん、せっかくですし屯所へ行く前に壬生寺に寄りません? 屯所に着いちゃったら挨拶回りでゆっくり食べられないでしょうし」
「そうだね、せっかくだしもうちょっと一緒に話してからお邪魔しようかな」
まったく、どういう関係を構築しようとしているのか、愁介と沖田のそれらは斎藤の理解の範疇からは随分と逸れていた。
が、肺の病に侵されている沖田と、心の臓の病を抱えたままの愁介のことだ。互いに他では共有できない何かがあって、だからこそあらゆる意味で遠慮のない言動を互いに取れることは、二人にとって重要なものであるのだろう。
――……本音を言えば、人に感染する可能性の高い肺病を抱えた沖田に、愁介が一定以上距離を縮めることに、思うところがないわけでもない、のだが。
しかしそれを言えば斎藤とて沖田とは同室での生活を続けているし、何より沖田自身が、どれほど距離を詰めようと周りにうつさぬよう気遣っていることを知っているものだから。
「……先に屯所に戻ります」
向かうのは結果として同じ方角になるのだが、斎藤は二人に声をかけて先に歩き出した。
「あれっ、斎藤さん。先帰っちゃうんですか。一緒にお菓子食べません?」
「だから甘いものは苦手だと何度も言ってるだろう……」
「甘いの食べると寒いのも気にならなくなるのにな」
「確かに少し寒いですね! 雪、まだ積もりますかねぇ」
後ろから聞こえる沖田の声につられるように、斎藤も視線を頭上へ向けた。今は降っていないからこそ散歩していたのだが、朝の晴れ間からは少し薄雲がかかり始め、ただでさえ青の薄い冬空が、また色褪せつつある。
「……お二人とも、風邪を引かないよう、菓子も屯所に帰って食べればいいのではないですか。愁介殿が部屋を出なければ挨拶回りだって始まらないでしょうし」
斎藤は一旦足を止め、後ろを振り返った。
愁介と沖田は、おしくらまんじゅうでもするようにぴったり身を寄せ合って歩いていた。それにまた呆れた目を向けると、しかし二人はおかしそうに「ふはっ」と揃って笑い出す。
「斎藤、過保護だなぁ」
「ですねえ」
「…………」
仕方ないだろう、という言葉は寸でのところで呑み込んだ。
そうしてから、過保護になるのも仕方ない、と思うほどの二人なのだと改めて認識させられ、また何とも言えない感情が肺腑の底でふつふつと波打ち始める。
「……はあ。好きにしてください」
結局、諦めて再び踵を返し、斎藤は二人より先に帰路についた。
――二人が。特に、愁介が。
楽しそうに笑っているのだから、本当に仕方ない。
沖田の言葉ではないが、我ながら「相変わらず」だという自覚はあって、人知れずため息を零すしかなかった。