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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章九話 葛の命 * 元治元年 十月
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日常の秋晴れ

「何だか随分すっきりした顔、なさってますねえ」


 夕暮れ前、新選組の屯所に戻れば、部屋に入った途端に沖田にそんな声をかけられた。


 それほど顔に表情が出ているのか、と眉根を寄せながら沖田の斜め前あたりに腰を下ろせば、沖田は拗ねた子供でも見るような生ぬるい表情に目をたわめ、くすくすと喉を震わせた。


「まあ……先刻、偶然、街中で愁介殿と鉢合わせたものだから」

「ああ。お話しできたんですね」


 これまでの答え合わせ(ヽヽヽヽヽ)ができたのだろうと察した沖田が、まるで我がことのように安堵の息を吐き、肩を下ろす。


「良かったですね」

「……そう、だな。憑き物でも落ちたような心地がする」


 毒気のない沖田の空気に絆されて、思わず斎藤も本音を吐露した。表情がゆるむことはなかったが、それでも、眉間に寄っていたしわが消えただけで、沖田もやはりすべて知ったような顔で微笑み、満足げにうなずいていた。


 ふと風が吹き、開いたままの障子から少し冷たい風が入ってきた。色づき始めた草木の乾いた葉擦れがさあっと流れ、つられるように中庭へ目を向ける。


 その視線の先、庭の奥を何やら賑やかしく談笑しながら屯所の出口へ向かっていく永倉と原田の姿が見えた。この時刻であれば、恐らく夕餉は外へ摂りに出かけるのだろう。


 その奥でまた別の人影が揺れ、目をやれば、近藤と山南が穏やかに会話しながら離れへ向かう姿も見えた。習慣じみた思考が働き、土方の部屋にあの三人が集まるとなれば、何か事でも生じたのか――……と考えかけるが。


「……今日、久々に三人で一杯やるらしいですよ」


 斎藤の視線の先を覗いた沖田が、内緒話でもするみたいにささめいて、猪口を傾けるような仕草をして見せた。


 それでまた毒気を抜かれ、斎藤はゆるく口の端を引き上げて沖田に視線を返した。


「そうか。それは――」


 結構なことだ、と答えかけたところで、今度はあまり馴染みのない気配が部屋に近付くのを感じ、無意識に口をつぐむ。


 と、「おや、これは……失礼を」と爽やかな秋晴れの下にはあまりそぐわない艶やかな声と共に、伊東が部屋の前に姿を現した。


「おや、伊東さん。どうかなさったんですか?」


 沖田がにこりと穏やかに笑み、ぼんぼり髪を揺らして小首をかしげる。


「いえ、まだ慣れぬもので……屯所内の散策をしていたところなのですが」

「そうでしたか。結構ですが、今はまだご用がない限り、離れには近づかれないほうが良いと思いますよ。鬼がいますから」


 沖田は両手の人差し指で角を作ると、ぺろりと舌を出して茶化すように言った。

『鬼』の示す相手が誰かなど伊東も心得ているようで、「おや」と袖口で口元を覆い、笑みを含んで眉尻を下げる。


「なるほど、ありがとうございます。心得ておきましょう」


 伊東はあごを引くと、慇懃に一礼して元来た廊下を戻っていく。


 そうして、足音が遠く離れていったのを確認してから、沖田がぽつりと付け加えた。


「……邪魔はさせませんよー、だ」


 まさに悪戯をする子供のような言い草に、齋藤も思わず口元を薄くゆるめてしまう。


「あんたは本当に食えないな」

「おいしくいただかれても困るのです」


 しれっと肩をすくめる様が、いっそ小気味良いほどだった。


「――先生方、失礼致します」


 そこへ、今度は神妙な声が割って入って来る。


「山崎さん、どうしたんですか?」


 沖田と揃って振り向けば、困惑気味に眉尻を下げた山崎の姿がそこにあった。


「お休みのところ、申し訳ありません……」


 沖田の問いかけに、山崎は恐縮した様子で肩を小さくして、ぺこりを頭を下げる。


「島田さんを見かけませんでしたか? ご存知の通りの、監察の島田魁です」

「私は見かけていませんが」


 斎藤が答えれば、山崎はいよいよ困ったような様子で顔をしかめる。


「うわ、ほんまですか……あとこの辺だけなんですけど……」

「いらっしゃらないんですか? お仕事です?」

「そうですね……今回新入された隊士の中にも、新しく監察方に配属された方がおられますんで……島田さんに今日、昼から説明を頼んでたんですけど」


 山崎の返答に、沖田がふと思い出したように「あれっ」と頓狂な声を上げた。


「お昼ですか? お昼なら私、島田さんがお出かけになるところお見かけましたけど」

「うわ何でやねん! ほんまですか、すみません。ありがとうございます!」


 山崎は何か思い当たることがあったのか、鋭い言葉と共に頭を下げて、即座に踵を返して行った。


「……今日はまた一段と賑やかだな」

「うーん、そうでしょうかね? いつも大体こんな感じのような気もしますけど」


 バタバタと走り去っていく足音を聞きながら斎藤が言葉を零せば、沖田はくすくす肩を震わせてあっけらかんと言う。否定はできない気もして、斎藤もつい、口元をふっとゆるめて笑った。


「……史上稀に見る穏やかさですね」

「は? 何がだ」


 脈絡のない言葉に首を捻れば、沖田は「ああ消えちゃった、もったいない」などと笑いながら斎藤の顔を無遠慮に指差す。


「斎藤さんの、今の笑顔ですよ。今、本当にとても、やわらかかったので」


 面と向かって言われれば、どう返すべきかもわからず、斎藤は口をへの字に曲げた。


 沖田はおかしそうに声を転がして笑うと、ひょいと斎藤の顔を覗き込むように前傾姿勢になる。


「敢えて今、お訊ねしたいんですけど。……まだ、歩き方は思い出せませんか?」


 斎藤は口をつぐみ、静かに目を瞬かせた。


 晒した醜態を思い返して羞恥が湧くが、しかし、沖田の前ではこれに関して今さらかと思わないでもない。


「……正直を言えば、よくわからない」


 少しの間を置いた後、結局はありのままを答えた。


「ただ、少なくとも今は、このまま立ち止まっていたいとは思ってはいない……と、思う。俺も存外、単純だったのかもしれないな」

「おや、そうですか? 私から見ると、齋藤さんって土方さんと同じくらい頑固そうな気がしてるんですけどね」


 その言葉をどう受け止めて良いものか図りかね、思わず眉根を寄せると、沖田はカラカラとおかしそうに声を立てて笑った。


「あっは、齋藤さん、それどういう顔――っ、けほ、こほ」


 思わずむせた様子で咳までし出すので、齋藤も思わずため息を吐いて「笑ってむせるなんて、子供みたいなことはするな」と敢えてずれた(ヽヽヽ)言葉をかける。


 ――病人扱いしないと、約束をしたのだから。


「……大丈夫か」


 咳はすぐ落ち着いて、改めて声をかければ「大丈夫です、問題ありません」と悪戯っぽい笑みが返される。


 斎藤の懸念や気遣いはすべてお見通しだといわんばかりの笑みに、また無意識にため息が零れ出てしまった。


「……やっぱりあんたは食えない」

「お褒めに預かり光栄です」


 まったく暖簾に腕押しだ。が、それだけ沖田がいつも通りということで、ならばそれで良いのだろうと思ってしまうあたり、斎藤は恐らくこういう我儘(ヽヽ)には昔と変わらず弱いままらしい。


 しかし結局、それとて良くも悪くも仕方のないことなのだろう。こういう己だからこその過去があり、そこから至る今がある以上、否定したって仕方がない。


 また、心地の良い秋風が吹き込んでくる。


 障子の外に広がる空は茜が滲み始めていたが、実に清々しい秋晴れの空だった。

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