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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章九話 葛の命 * 元治元年 十月
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誓いの指切り

「……そのお言葉は、光栄の至りですが」


 斎藤は柄にもなく零れ落ちそうになる、零れ落ちてしまえばどうなるかわからない己の感情を呑み込んで、わずかばかり眉間に皺を寄せた。


「しかし、それならば何故、『(かづら)様を殺す』という選択をなさったのですか? 土方さんでさえ、葛様は死んだものだと信じ込んでおられるようでした」

「ああ……うん、それはね……」


 愁介は少し困ったように目を伏せ、不意にそっと、自身の下腹に手を触れた。


「実は四年前、数日生死をさ迷うくらいの発作と熱に襲われて……その時、俺、子が産めない体になっちゃったんだよね」


 愁介はわずかに寂しげに、けれど声音としては随分あっさり、とんでもないことを告げた。


 斎藤は言葉どころか呼吸まで詰めて、とっさに何も返せなかった。


「不思議なもんだよね。子が産めない、ってなった後は、それこそ一気に体が成長し始めてさ。男にしては華奢だろうけど、それでも女にしては骨が太くなるし、やわさが減って筋肉めちゃくちゃ付きやすくなるし。背丈もこの通り。ああ、『女』じゃなくなったんだなあって、自覚せざるを得なかったんだよね」


 愁介は笑って袖をまくり、確かに華奢ながらも、それこそ『葛』であればあり得ないほど逞しく育った腕を斎藤に見せた。


 言葉にならない、できないほどの重みを肺腑に食らった心地がした。


 が、同時に、頭の隅で納得できてしまうものもあった。


 そう、この、『女らしさのない、成長した少年らしい体』が……斎藤自身はもちろん、土方、そして山崎の目を誤魔化し、『愁介は女ではない』『だから葛ではない』という結論に至らしめたのだ。


「まあ俺の考え方としては、『子が産めなければ女じゃない』とは思わないけど、ただ……俺にとっては、その辺ってやっぱり大事でさ。武家の生まれ育ちとしては、子が産めない女はどうしても役に立てない、っていう自責が抜けなかったんだよね」

「そ、れは……」

「土方さんには、これをどう説明すればいいか、当時の俺にはわからなかった。だから『葛』を殺して、侍になろうって決めたんだよ。それこそ『生きる』ために。自分が自分を許すために。幸い、男みたいに成長していったお陰で、体も少し強くなってさ。完治したわけじゃないけど、前みたいに発作はほとんど起こさなくなったんだ。医者いわく、病がなりを潜めてるだけだから、無理は禁物とは言われてるけどね」


 そこまで言って、愁介は改めて斎藤の顔を見て、少し驚いたように目を見開いた。


 然もあろう、きっと酷い顔色をしているに違いない。やはり言葉が見つからず、おこがましくも苦しいような息詰まりが止まなかった。


 けれど愁介は、そんな斎藤の内心に気付いたであろう上で、ふわりと明るく微笑んだ。


「並べ立てると悲惨な話みたいだけど、俺は幸せだと思ってるんだよ」

「幸せ……?」

「『葛を殺す』っていう裏切りをしたことは、斎藤にも、土方さんにも申し訳なく思ってる。でも、このお陰で俺は……二人に、また会えたんだから」


 まるで本当に悔いのない様子で、愁介は深くうなずいた。


「俺が『生きる』には必要なことだったから、ごめん」

「そのような……」

「あと、この際だから、もうひとつ謝っておきたい! 何ていうか、俺、鈍くてさぁ。柴さんの一件の時、俺、すぐにはお前の言った『理不尽に失くした大切なもの』が俺自身だってことに気付けなかったんだ」


 愁介は背筋を伸ばすと、ぐっとおもむろに頭を下げて言った。


 斎藤が慌てて制止しようとしても、それを先んじて手を上げて、「ごめん、自己満足かもしれないけど、言わせて」と制される。


「俺、何でお前が死にたいなんて言ったか……後で落ち着いて考えられるまで、その原因が俺だったってことに本当に気付けなかった。ただ、それでも突き放したのは……お前に、自分の意思で『生きよう』って思って欲しかったからなんだよ」


 先に容保(かたもり)から告げられたことを、改めて当人の口から聞くと、いっそ胸を刺し貫かれたような痛みを覚えた。居たたまれない、を越した己の情けなさを改めて突きつけられたようで、何も言えなくなる。


 ただ、それほどに……己の存在が愁介にとって軽いものではなかったのだと知らされるようでもなって、そこに、どこか、仄暗い愉悦のようなものまで感じてしまう。


 ああ、本当にどうしようもない人間だと、この面倒極まりない己の性分を苦々しく思えた。


「ごめん、これだって押し付けだったのかもしれないけど……でも、俺が『生きられる』ようになったのはお前と土方さんのお陰だから……お前にも『生きて』欲しかったんだよ」

「あなたが、謝られることでは……ありません。鈍いのは私のほうです」


 かろうじて言葉を絞り出すと、あらゆる衝撃に一周回って落ち着いたのか、口から出たのは普段と何ら変わりない、抑揚の少ない平坦な声だった。


「今まで気付けずにいて、申し訳ありませんでした。挙句、あなたから逃げてしまって……本当に、申し訳」


 言いかけたところで、愁介がそっと自身の口元に人差し指を添えた。


 思わず言葉を止めると、愁介は「そういうとこ、ほんと変わらない」と――何に対してのものか、懐古を交えた照れくさそうな笑みを浮かべた。


「俺が言うのも卑怯かもしれないけど、お互い様ってことにしようよ。じゃないとたぶん、謝罪合戦が一生終わらない気がしてきた」

「ですが……」

「お前の謝罪は、全部受け取る。その代わり、俺の謝罪も全部受け取ってよ」


 言って、愁介はすっと膝を前に進め、互いの膝が触れそうになるほど斎藤と距離を詰めた。


「お前の言う通り、『以前と同じように』とは望まない。お前の立場もあるし、前にも言ったけど俺は、お前の邪魔がしたいわけじゃない。でもお前の立場における『共犯』にはなれる」


 驚き目を瞠った斎藤の目の前に、幼さを残した小指が、そっと差し出される。


「それで、どう?」


 ――かつて守れなかった指切り(やくそく)


 躊躇がないかと問われれば、ないと答えれば嘘になる。


 それでも、これほどの機会を与えられる僥倖など、きっと――あるものではないと、その確信も、ある。


「……ずるい方ですね」

(おまえ)が甘やかして育てた結果だよ」


 悪戯っぽく笑う愁介に苦笑を返し、斎藤は、差し出された小指にそっと己の指を絡めて応えた。

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