公儀の隠密
「ありていに申せば……葛とそなたは、仲が良くなりすぎてしまったのだ」
都の御所、その南門前にある凝華洞屋敷の奥まった私室にて、平伏した斎藤の頭に、少し困ったようなやわらかい声がかけられた。
昼下がりの、六畳二間続きの書院造。上品ながらも斎藤には甘すぎるように感じる香の匂いは、しかし現在の部屋の主である容保には、やはりよく合っていると思う。
――かつて葛が『死』を迎えたと同時に愁介が『生まれた』。その事実確認に訪れた斎藤を、容保は眉ひとつしかめることなく受け入れ、むしろどこか肩の力が抜けたかのように改めての種明かしをしてくれた。
「今のそなたには釈迦に説法であろうが、山口家は代々、ご公儀の隠密たる家柄で……そのことは余も、先代たる容敬様より口酸く聞かされていた。であるが故に、そなたを只人のように扱うことは許されぬ、とも」
どこか苦みを帯びた声に、斎藤は下げ続けていた頭をそっと上げた。
こちらを真っ直ぐ見つめる瞳と視線が重なれば、途端に生真面目を形にしたような容保の眉尻が、ふっと苦笑交じりに下がる。
「只人のように扱うな、という言葉にはふたつの意味があった。そなたの想像しているであろう通りの、『徹底して、物や駒として扱え』という意。それから……ご公儀から下賜される臣下であるからこそ、適切に、丁重に、無駄遣いをするな、との意だ」
言って、容保は片頬だけをつり上げるような、少し歪な笑みを浮かべた。あまり見ない、容保にはあまり似合わない表情だった。だからこそ余計、その苦悩が垣間見える気もした。
「……そなたも知っているだろうが、余は当主としては諸々、考えが甘い自覚がある。それこそ、人を物と扱うことの必要性と重要性を認識している反面、そのように人を扱うことを負担に感じる己もいる」
斎藤が口を閉ざしたままひとつ瞬きをすると、容保は自嘲めいた視線を横手に流し、「すまない」とささめくように続けた。
「それでも、甘くもなり切れなかった。斎藤が仕える相手は葛ではなくこの会津であり、葛の世話役は、単にその『手始め』に過ぎなかったのだと……そう言った先代や、山口殿の――そなたの父の言葉に抗えるほどの深い考えも、余は、持ち合わせていなかった」
「……悪しざまにおっしゃるのは、お止めください」
部屋に二人しかいないことを良いことに、斎藤は容保の言葉を否定し、ゆるりと首を横に振った。そうして、再び目を向けた容保の瞳を、正面から受け止める。ともすればまた平伏したくなる衝動を堪えながら、改めてゆっくりと口を開く。
「私がこのような性根であることを、殿が見極め、理解してくださったからこそ……殿は愁介殿のことを明言せず、私自身の目と耳と、足で、前へ進むよう促してくださったことは、理解しているつもりでございます」
「……そうだな。抗えなかったのも本音だが、そのようにしようと判断をしたのも確かに、余の意志で間違いはなかった」
容保はあごを引き、何かを思い返すように目を細める。
「『主』に対し一徹に尽くすそなたの性分は、果てなく尊い忠義であると考える。が、そなたの立場が立場である以上、その忠義心は本来、葛に向けられるべきものではなかった。もしあの当時、葛の生存を知れば、そなたはきっと『会津』ではなく葛に仕えたであろう」
「……おっしゃる通りであったと考えます」
「ああ。しかし、それではならぬのだ。葛を想うことが、必ずしも会津のためになるとは限らない。もしも土壇場でそなたが葛と会津を秤にかけ、葛を選んでしまっては……その時は、余がそなた自身を罰せねばならなくなる。余は……それだけは、避けたいと考えた。そなたのためにも、会津のためにも……それこそ、葛のためにもだ」