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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章八話 紫苑の病 * 元治元年 十月
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わかっていた独り言

「どうして笑っていられる。死にたいわけもないだろうに……あんたの行動はゆるやかな自害だと言えるほどのものなのに、それでも何故そうも強く、前を向ける」

「強いわけでは、ありませんよ。私の笑顔なんていつだって自嘲ばかりで、弱いです。本当に、弱くて……」


 沖田はうつむきかけて、しかしぐっと堪えるように天井を仰ぐと、やはり明るく言う。


「散々人様を斬っておいて何ですが、私だってやっぱり、死ぬのは怖いです。でも、だからこそ『生きて』いたいんですよ。生きられる間は前を向いて、生きていたいんです」

「……『前を向いて生きる』、か」

「ええ、そうです。ですから、安心して下さい! 最低でも二、三年はまだ動き回れる自信があるんです!」


 沖田は拳を握り締め、改めて斎藤を真っ直ぐ見据えてくる。


 自身は弱いと自嘲しながらも、そう断言してしまえることこそ強さなのではなかろうかと、斎藤は目を細めた。


「二、三年、か……そうだな、最低でもそれくらいは動き回っていてくれ。俺に勝つくらいだ、それくらいでないと困る」


 薄く口の端を上げて答えると、沖田は力強くうなずいた。


「じゃあ、そういうわけですので、病人扱いなどはしていただかずとも結構ですから」

「しないさ。人の腕と首を盛大に刎ねておいて、よく言う。頼まれたってしてやらない」


 言って、斎藤は片方の肩をすくめるようにゆるく首を傾けた。


「……斎藤さん、少し変わりましたね」


 取り留めもなく返される。


 唐突な言葉に訝って目をすがめれば、沖田はすっかり落ち着いた、妙に穏やかな視線を斎藤に向けていた。


「いえ、池田屋の前頃の斎藤さんだったら……私が労咳だと知れた時点で、こんな決闘だ仕合だなんて受けてくれることもなく、問答無用で私を追い出したんじゃないかなぁって」

「……どうだろうな」


 相槌のように答えたが、しかし直後、胸中では「そうかもしれないな」と納得した。


「正直、俺自身もよくわからない。ただ……」


 言いかけて、口をつぐむ。


 けれどそのまま蓋はせず、言葉がこぼれるままぽつりと、


「たぶん、あんたが『死ぬ』のは嫌だと……思ったような気はする」


 己がことだというのに、曖昧な言い回しになった。


 それでも沖田はくしゃりと笑い、まなじりを下げてふやけたような顔をする。


「……ねえ、斎藤さん。共犯になってくれる、お礼……じゃないですけど」


 人差し指を口元に当て、沖田は、周囲に誰もいない道場の中でもかろうじて聞こえる程度に声を潜めて、そっと言った。


「約束は約束ですから、私が知っている(かづら)さんのことは、お教えできません」

「ああ、それは――……」

「なので、これは独り言なんです」


 わかっている、と自嘲に返しかけた斎藤の言葉を遮って、沖田は人差し指を添えたまま、本当に静かに、か細く、ぽつりと、ささめいた。


「私自身は、『葛さん』にお会いしたことは、一度もないんですよ。でも……土方さんは、会っていたそうです。多摩にいた頃。斎藤さんがまだ、試衛館にいらっしゃる前に」


 斎藤は瞬きも忘れて、呼吸を詰めた。


 ――『あの顔は腹が立つ。似すぎだ、うざってぇ』


 いつぞや言っていた、土方の吐き捨てた文句が鼓膜に反響する。


 幾度か思い浮かべてはかき消し、かき消しては何度も表れては揺れる『想像』が、ぐらぐらと頭の中を掻き回す。


 欠片を失くした積み木玩具のようだ。


 ひとつ欠けているだけで、永遠に仕上がらない。


 しかし、失くしていたひと欠片を見つければ、あっという間に全容が見えてくる。


 似ている二人。


 何故、似ているのか、なんて――……考えるまでもない。どちらも会津者で、どちらも松平家の身内で、その上での『似ていること』が偶然だなんて、あり得ないのだから。


 本当は、わかっていた。


 でも、きっと、わかりたくなかった部分もあった。


 現実離れしていたし、斎藤の願望でしかなかったし、あり得ないと思う部分だって、やはり多い。それでも。


 今となって思い返せば、いくつも、いくつも、思い当ってしまうのだ。


 ――『あー、何なら一緒に来る? 山口家(ヽヽヽ)()次男坊(ヽヽヽ)殿」


 ――『つーか父上に聞かなかったの? 斎藤、お前さぁ……』


 ――『別に慰めて欲しいとか、そういうんじゃないよ。オレはただ、お前に……』


 ――『葛はお前に後追いして欲しいなんて、これっぽっちも思っちゃいなかった。葛に「生きろ」って言ったのが、お前だったから』


 ――『ずるいのはわかってる。でも、たぶん、今の斎藤に葛のことを話したって、本当に何も変わらない気がするから……それは、ダメだから』


 本当は何度も、きっと、告げようとしてくれていた。


 けれど、それを拒んだのは。


 いつだって、斎藤自身だった。


「……斎藤さん、そろそろ休みましょうか」


 沖田の声に、意識を引き戻される。


 立ち上がる沖田を言葉なく見上げ、それがどうにも頼りなく見えたのか、沖田のほうから手を差し伸べられ、無意識にそれを掴んで斎藤も立ち上がる。


 これでは本当に、どちらが『病人』か、わかったものではない。


「……なあ、沖田さん」

「あっ、さっきのは本当に独り言ですので。何か訊かれても答えられませんし、独り言を聞かれて恥ずかしいので、可能であれば聞かなかったことにしてくださいね!」


 白々しく言って、沖田はそそくさと転がった木刀を片し、「ほら早く寝ましょう!」と道場から出て行ってしまう。


 聞かなかったことになど、できるわけもないのに。


 斎藤は緩慢に歩き出し、己も道場を後にした。


 風が吹き、冷たいそれが髪をかき混ぜて離れていく。


 離れていく。


 ――わかっている。


 わかっていた。


 だから知った以上、知らなかったふりはもうできないとも、わかっていた。

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