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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章八話 紫苑の病 * 元治元年 十月
111/203

望まぬ違和

 屯所に戻ると、山南は微笑んで礼を言いながら真っ直ぐに自室へ入っていった。


 斎藤もその後は特にすることもなく、幹部陣の不在により普段より物静かな廊下を伝って自室へ戻る。眠るというには少々早く、かと言って刀の手入れや書物を紐解くような気分にもなれず、障子を閉め切ってただ壁際に腰を下ろし、深く息を吐いた。


 ……愁介と、きちんと話がしたい。誰かに遮られることもなく、愁介にも誤魔化される余地もないほど、落ち着いて、ひざを突き合わせて。


 そう思うが、しかしそれは本当に難しい話だった。


 愁介が屯所に来た時には、その目的が沖田か、あるいは良くても会津の遣いとしての役目ばかりであるがゆえ、意図的に斎藤のために手間を取らせることは非常に難しい。かと言って斎藤が会津本陣へ行く折には愁介と顔を合わせる機会などなく、斎藤自身にも役目があるがゆえ仮に機会があっても暇が取れない。しかし、だからと言って用もなく会津本陣を訪ねるなど、間者としての立場を危うくしかねない行動は取れるはずもない。


 ままならない。


 ずっとそうだ。葛と引き離されてから、延々とそうだ。


 だからこそ、どれほど馬鹿らしい仮説であろうが、せめて今抱えている疑問だけはもう解消してしまいたい。わからないことが、とにかく多すぎて、このままでは前進することも後退することもできない。


 ――前進したいのか、という心情はさて置いても。


 だが、もう楽になりたいのだ。本当に、いい加減にして欲しいのだ。絶望するのも、妙な希望に胸を揺すぶられるのも、既に疲れ切っているのだ。


 余計なことなど考えず、己の役目にだけ集中できれば、どれほど――……。


 堂々巡りで考えている内に如何ほどの時が経ったのか、ふと気付けば外にざわざわと人の流れを感じた。思いの外早く宴が解散となったのか、あるいは斎藤が思案に耽りすぎたのかは知れないが、しばらくしてこの部屋にも真っ直ぐ向かってくる気配がある。


 忍ぶようにコホコホと小さな空咳が聞こえ、斎藤は軽く眉を挙げた。


「……沖田さん、また風邪か?」

「うわっ、びっくりした! 起きてたんなら灯りくらい点けておいてくださいよ!」


 障子が開くと同時に声をかければ、沖田は完全に不意を衝かれた様子で肩を跳ね上げた。


 そういえばそうだったと気が付いて、「ああ、すまない」と抑揚なく返しかけたところで、沖田がまた空咳を繰り返す。


 驚いた時に冷たい空気を吸い込みすぎてしまったのか、なかなか収まる様子のない咳に、さすがに眉根にしわが寄る。


「平気か?」

「コホ、大、じょ……ケホッ、コホ」

「大丈夫じゃないだろう。嫌に渇いた咳だな」


 やれやれと立ち上がり、責任の一端を感じて斎藤は沖田の背でもさすってやろうかと歩みを寄せた。


 ところがその瞬間、わずかに――……本当に、ほんのわずかに。沖田が、逆に斎藤から離れようとするように足を引きかけたのが目の端に引っかかった。


 些細なことだった。


 だが、実に些細な、沖田にとっても無意識に近いような動きに見えたからこそ、引っかかった。


 斎藤と沖田はずっと同室だ。試衛館にいた頃も、京で斎藤が新選組に合流してからも、歳が近いからとまとめられていたため、間に数年の抜けがあるにしたって付き合いは長い。その間、折々本人の言う通り沖田は咳風邪を引くことが少なくなかったため、都度看病をしていたのは斎藤だったし、沖田がそんなでも風邪が斎藤にうつることは滅多になかった。お互いとっくにそれに慣れて理解している上で、何故、何を今さら避けるのか――……。


 腹の底から滲むように感じた違和に、斎藤はゆるく首を傾けて目をすがめた。


「……なあ。沖田さん、それは風邪か?」

「え……それ以外に、何があるって――、っ、こほ」


 普段と変わらないような苦笑いを浮かべた沖田の喉が、ひゅ、と隙間風のような音を鳴らす。


 合間にもまだ咳は止まず、斎藤は反射的に止めていた歩みを再開し、再び沖田に大きく近付いた。


「っ、斎藤さ、ん、ケホ、ちょっと待っ――っ、コホ、ゴホ、うつ……っ」

「今さら? 何がだ」


 足を引きかけた沖田の腕を掴み、意図してずいと顔を近付ける。


 今度こそ明確に、沖田は止まらない咳の出る口元を普段より強く押さえ、斎藤から大きく顔を背けて顔をしかめた。


「――……まさか、あんた」

「……ッ!」


 言いかけた瞬間、突然ゴッ、と頭で鈍い音が反響した。

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