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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章八話 紫苑の病 * 元治元年 十月
108/203

帰京の宴

 三味線の音に、時折上がる嬌声。羽目を外した、新選組幹部陣の笑い声。


 下京にある西本願寺からほど近い、幕府後任の花街・島原。その一角にある輪違屋の宴会席の片隅で、斎藤はちびちび酒を嘗めながら室内の様子を眺めていた。


「いやあ、実に嬉しいことです! 伊東さん、改めてこれからはよろしく頼みます!」


 上座で芸妓の酌を受けながら、近藤が大きな口を開けて上機嫌に笑う。


 肌寒さも増してきた十月の半ば、江戸へ発っていた近藤が、かねてより藤堂の勧誘を受けていた伊東()()太郎(たろう)を引きつれて帰京した。今日はその慰労と歓迎を兼ねた宴というわけだ。


「こちらこそ、これほどの歓迎の席を設けていただけるなど……ふふっ、まことにありがとう存じます」


 近藤の隣で、受けた杯を軽く掲げた伊東は、笑みを湛えながらそれを軽く飲み干した。低く馴染みの良い穏やかな声をしているが、妙に湿度の高い話しかたをするので、滞留した霧がまとわりつくかのごとく耳の奥に残る。中にはそれが心地良いのか、うっとり聞き入っている者もいるが、斎藤からすると少し癖がありすぎて好めそうになかった。


 ――確か藤堂が江戸へ発つ前に言っていたな、としみじみ思い出す。『割とまとわりつくような物の言いかたするけど、慣れると面白い』と。


 果たして慣れるのか、という疑問は残るが、まぁこれから仲間になるというなら、慣れるしかないのだろう。


「江戸で噂を聞く限り、都は随分と物騒だというお話でしたが……想像より落ち着いた様子に感じ入りました。これもひとえに、近藤殿ら新選組が日々の治安維持をお勤めになられているがこそなのでしょうね」

「何の。日々油断はなりませぬ。だからこそ伊東さんのお力添えを賜りたく」

「もちろん、微力ながら力を尽くしますよ、ふふっ。剣術においては皆々様にとても敵うものではございませんが、その分、思議は得意です。大勢を抱えてこそ生じる厄介ごとなども、これまでの日々の道場経営を思えばお役に立てましょう」


 言ってから、伊東ははたと気付いた様子で「ああ」と口元に指を揃えた手を添える。


「もちろん、近藤殿とて元はご立派な道場主でいらしたわけですから、私のできることなど知れたことやもしれませんが……ふふっ」


 伊東は恥じ入り、照れたように小さく首をすくめて笑った。総髪の癖のない艶やかな髪が濃紫の紬の肩先にかかり、妙な色香を滲ませる。


 言葉尻だけを聞けば、内弟子も多く賑わっていた伊東道場に比べ、元近藤道場が閑古鳥も鳴くほどの貧乏道場だったことを揶揄しているかのようだった。が、妙に婀娜っぽく、しかし相反しあどけなくもある仕草で微笑む伊東の表情と合わせれば、不思議と嫌味なく聞こえるのだから感心する。だからこそ近藤も何ひとつ気にした様子はなく、「いやいや、ご謙遜を」とただ明るく笑って流しただけだった。


 とはいえ、そんな伊東の手練に一切下らない男も、もちろんいた。次席についていた土方が眉根を寄せたことだけは、斎藤からもしっかり見えていたわけだ。


「……まあ、いくら頭が良かろうと、ウチじゃ結局腕っぷしの強さがなければ浪士どもに斬られて終わりだ。伊東先生(ヽヽ)も、せいぜいお気を付けください」


 土方がぶっきらぼうに抑揚なく口を挟む。


 隣に座っていた山南が、「土方くん」とたしなめるように小さく呼んだ。


「もちろん、武士の本分も忘れず励みますよ。ただ、これからの時代、それだけではならぬことを、藤堂くんはしっかりとわかっておられたわけですから……ふふふ」


 伊東は土方の嫌味を微笑んでかわし、逆に深く頷いて土方に目を向けた。


「土方さん、ご貴殿も知恵の働く御仁であること、藤堂くんから伺っておりましたよ。これまでずっと近藤殿をお支えになって来られたことも」

「いいや、俺の頭なんざ知れたもんです。いかんせん、べらべらと語るばかりなのが嫌いなもんで」


 山南にたしなめられた故に取り繕ったのか、あるいはさらに嫌味を上乗せするためか、土方が滅多に見ない朗らかさで目をたわめて伊東に微笑み返した。伊東も艶やかな男であるが、土方の整った精悍な顔に笑みが浮かべば、やはり誰も及ばぬ圧倒するような魅力が滲む。土方を見慣れない相手には尚更効果があったようで、さすがの伊東も少し気圧されたように、一瞬ばかり口をつぐんでいた。


 とは言え、口にしたことはどうあがいても、ただの当てつけだ。


 山南がもう一度「土方くん」と静かに呼んで、取りなすように土方の杯に軽く酌をした。

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