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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
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誰かの言葉

「――何故、それほどまでに前を向けるんです」

「え?」

「何故、それほどまでに堂々と『生きる』ことができるのですか」


 迷いのような疑問が、口からこぼれ出る。


 愁介は目を丸くして、それからようやく自身の言葉が、斎藤の生き様に物申す意味合いを含んでいたことに気付いた様子で、「ああ」と申し訳なさげに眉尻を下げた。


「それはまあ、すごい単純な話だけど」


 ゆるりとかぶりを振って、愁介が懐かしげに目をたわめる。


「前にも言ったでしょ。『生きるって、前を向くことだと思う』ってさ。これって元々は、オレ自身の言葉じゃなくて……」


 鼓動が、不穏な音を立てる。


 大切なものを見るような遠い目をする愁介に、つい、斎藤自身が見た夢の光景がよみがえる。


「昔、オレに生きろって言ってくれた人がいたんだよね。諦めず投げ出さず、前を向くことこそ生きることなんじゃないかって、教えてくれた人がいてさ。だからだよ」


 頭痛がする。


 夢と、記憶と、現実の境が曖昧で、わからなくなる。


 実に馬鹿らしい話だと、散々思い知らされているのに。山崎も、土方も、愁介が女であるはずがないと断言したし、斎藤自身、それはないのだろうとわかっているのに――……


 それでも、まだ、考えてしまう。


 何故この人に、(かづら)の姿が重なるのだろうか、と。


「愁介殿にそのように言った相手は……今、どこで何をなさっているのですか」


 胸中のざわめきとは裏腹に、感情をすべて削ぎ落したような抑揚のない声が口から出て行く。


 愁介が唇を引き結び、改めて真っ直ぐに斎藤を見上げた。


 答えはない。


 そもそも、答える気がないように見える。


「愁介殿。あなたは、葛様の居場所を知っているとおっしゃいましたよね」

「うん……それに似たようなことは、言ったね」

「改めてお願い申し上げます。その『居場所』を、教えてくださいませんか」


 平坦な声のまま、しかし斎藤は無意識に、まだわずかに幼さの残る愁介の頬へ手を伸べた。触れるのが恐ろしいような気がして、触れられず、しかし手を下げることもできず、わずかな温もりを感じられる距離で、動きを止めて、


「頼みます。答えてください。もしかしたら葛様は、今、私の――……」


 言いかけた瞬間、不意に部屋の外を誰かが近付いてくる足音が聞こえた。


 障子が開け放たれたままだったことに気付き、ハッとして互いに一歩引いた瞬間、「斎藤、いるか」と掠れ気味の艶のある低音が室内に届く。


 顔を振り向けると、直後にのそりと顔を覗かせた土方が、ぎこちない部屋の空気を目聡く読み取った様子でおかしな顔をした。


「……何やってんだ、お前ら」

「ああ、いえ――」

「話聞いてもらって、ちょっと自分の中でも整理がついたよ。ありがと、斎藤。じゃあ、またね」


 まさに逃げるが勝ちと踏んだのか、愁介は無邪気にも見える笑みを浮かべると、軽くひらりと手を振って斎藤に背を向けた。


 止める隙も口実も見つからず、斎藤は言葉も返せずに見送ってしまう。


 土方は、部屋を後にする愁介の姿を横目で胡乱に眺めてから、入れ替わるように部屋の中へ足を踏み入れて来た。


「何だよ。総司もいないってぇのに、どういう話をしてたんだ」


 当然と言えば当然の問いかけに、斎藤は軽く髪をかき上げながらひとつ溜息を吐いた。


「どういう、というほどのこともないのですが……先ほど、沖田さんが『優先順位』の話をなさっていたでしょう」

「ああ」

「愁介殿にとっては、判断基準が沖田さんとは異なっていたようで、そのことについてつらつらと。ついでに『下心』を探れないかとも思い、話に付き合っていたのですが」

「おう」


 相槌と見せかけ、土方がゆるくあごを上げて先を促す。


 斎藤は誤魔化さず、嘘を言わず、しかし真実は伏せて端的に答えた。


「最終的に、すべて誤魔化されてしまいましたね」

「来た間が悪かったか」

「いえ、土方さんが来ても来なくても、煙に巻かれていたと思います」


 斎藤が軽く肩をすくめれば、土方は小さな舌打ちをして睨むように愁介の去ったほうへ視線を流しやる。


「それより、土方さん。何か私に仕事でも?」


 ひとつ目を瞬かせて切り返す。と、土方も切り替えるように「気晴らしついでの報告だ」と斎藤に視線を戻した。


「例の、河上彦斎(げんさい)の件だが」

「新しい動きでもありましたか」

「いや。どうやらお前らの負わせた傷のこともあって、京を離れたらしい」


 渋い顔をした土方に、斎藤は小さな息をついて軽く頭を下げた。


「申し訳ありません、完全に取り逃がしてしまいましたね」

「いや。こっちに敵わず撤退させたってぇ解釈をするなら、幕府方も最低限の面目は保てただろ。この上で逃亡の責任追及なんざしてくるほど暇でもねぇだろうしな」


 土方は「だから、まぁ、よくやった」と何かを払うように手を振る。


 斎藤は言葉を返せず、ただそっと頭を上げ、あごを引いた。


 奇妙な沈黙が落ちる。


 改めて見やれば、土方は再び何かを考えるような様子で、愁介の去った部屋の外へ視線を流していた。


「――土方さん?」


 声をかけると、土方は「ああ」と返事とも相槌とも取れない曖昧な声を上げる。


「邪魔したな。戻る」


 何かまだ言い残したことか、あるいは聞きたいことでもあるのかと思いきや、存外あっさり、土方は踵を返して退室していった。


 遠ざかる足音を聞きながら、ふ、と肩を下ろす。


 思っていたより体が強張っていたのだとそこで自覚し、斎藤はぎゅっと目頭を揉んだ。


 ――『「生きる」って、前を向くことじゃないのかなあと、ちょっと思うんです』


 夢の言葉が、また脳裏によみがえる。


 ――『昔、オレに生きろって言ってくれた人がいたんだよね』


 同時に、先ほどの愁介の困ったような笑みが、浮かんで、消える。


 ……本当に、誰の言葉だっただろう。以前、愁介から聞いた同じ言葉が夢に影響したのか、それとも。


 判然とせず、また溜息がこぼれ出る。


 形にならない心情を胸の内に持て余し、結局その日は、何も手につかなかった。

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