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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
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葛藤と綺麗ごと

 眉間を押さえていた腕を下げ、視線を戻せば、愁介は変わらず困ったように微笑んで斎藤を真っ直ぐに見据えていた。


「ごめん。その様子だと、土方さん辺りにオレのことで突っつかれたっぽいね」

「さすがにお答えしかねます」

「いいよ。でもとりあえず、面倒かけて申し訳ない」

「ともかく、いよいよもって、わかりませんね。わざわざ殿に許可までいただくほど、沖田さんの傍らにいることが愁介殿にとって意義のあることならば……何故そこに私が比較対象として含まれるのです」


 怪訝に声を低めれば、対して愁介はむしろ表情をゆるませて笑みを深めた。


「そこはオレの都合だから、まあ、あんまり考えてもらわなくていいよ」

「――……では敢えて話を戻しますが、そもそもの話として、愁介殿にとって最も大切と思われる方は、どなたなのですか」


 話を持ち掛けてきたのが愁介自身であることを免罪符に、斎藤はさらに踏み込んで問いを重ねた。


 愁介は思案げに、わずかに視線を斜めに上げた。かと思えば、言葉なく、不意に何かを諦めたような物憂い笑みに、ふ、と吐息を震わせる。


 ――正直、驚いた。


 いっそ突出して大切な相手というものが存在しないと言われたほうが、納得できたかもしれない。しかし愁介のその視線の先には、間違いなく、思い浮かぶ相手がいるのだと思わされた。それほどに愁介は今、胸懐のこもった眼差しをしていたのだ。


「……いらっしゃるなら」


 抑揚を抑えた声で、斎藤はどうにか言葉を継いだ。


「その相手と、沖田さんを比べても、まだ選べないのですか」

「選べないなあ」


 またも驚かされる。


 初めて見るような、苦みと親しみを混ぜ込んだ苦笑を浮かべながら、それでも愁介は迷いなく答えた。


「何故です」


 斎藤は、ただただ純粋な疑問を口にした。


「それでも選べないとおっしゃるなら、つまり……片方を選べば片方の命は必ず助けられるのに、双方を見殺しにするということに、なりませんか。それでも選べませんか」

「いや、うーん」


 愁介は深々と溜息を吐くと、自身の髪をかき混ぜて、それから改めて斎藤を見やる。


「本気でそういう状況になったと想定して、オレが真っ先に取る行動としては……たぶん、斎藤を呼ぶかなあ」

「はい?」

「本当に選ばなきゃならなくなったら、オレ、間違いなくお前のこと呼ぶなあって」

「は?」


 言葉を失い、ただただ疑問符を返す。


 しかし愁介は冗談を言っている様子もなく、真っ直ぐな瞳にわずかな苦笑を交え、ひたすら斎藤を迷いなく見据え続けていた。


「いや、そんな都合良くいくわけないって、わかってるけどさ。そもそも呼んだところで斎藤が来てくれるとも限らないし」

「それは……そう、ですね」

「うん。でも、来てくれるかもしれないでしょ。だからオレは、まずお前を呼ぶかなって」

「それでもし、結果的に二人とも死んでしまったら、どうなさるのです」


 意地が悪いことを承知で、斎藤は尚も問いかけた。


 愁介は目を瞬かせ、視線を下げて笑みを深めると、そこでようやく、ひとつの答えを明確に出す。


「……そうなる直前に、総司のほうを助けるかな」

「は――最も大切な相手のほうではなく?」

「うん。オレが大事だと思う人は、そうしろって言うと思うから」

「それは……とんだ綺麗ごとですね」


 思わず、悪態めいた言葉を返してしまう。


 が、それでも愁介は「そうかもね」とうなずきながらも、答えを曲げることはなかった。


「とは言えまあ、その後は……オレも、ものっすごい号泣するだろうなあ」


 状況を想像してしまったのか、愁介は口元にだけ笑みを残したまま、深く目を閉じ、苦悶に眉根を寄せて深く顔を歪ませた。


「号泣して、しまくって……でも、泣くのに疲れたら、後はもう自分が生きられるだけ生きると思うよ。その人の分まで」


 本当に、とんだ綺麗ごとだった。


 己の最も大切な相手が死ぬ。二度と手の届かない場所へ逝く。そのことの息苦しさを、苦悶を、葛藤を、絶望を、知らないからこそ言えることではないのかと、わずかに腹の底が煮えるような心地がした。


 しかし同時に、本当に愁介は知らずに言っているのか、と――妙に真に迫ったその表情に、斎藤はすぐには言葉を返せなかった。


「……後を追おうとは、思われないのですか」

「思わないよ。それこそ、相手はそんなこと望んでないってわかってるからね」


 迷いのない返答に、これには斎藤まで苦く顔を歪ませてしまう。


 それは恐らく、斎藤の現状を否定する、当てつけのような言葉であったのに――……同時に愁介にとっては、そのつもりが一切なく、ただ本当にそう思っているだけなのだと思わされるだけの、真摯な響きが含まれていたからだ。


「――何故、それほどまでに前を向けるんです」

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