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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
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理解し得ない選択

 部屋に入り、斎藤は敷きっぱなしになっていた布団を片し、息を吐いた。


 先に戻ったはずの沖田はいない。そういえばこの後は稽古番だったか、と思い出す。


 斎藤自身は夜勤明けの非番であるので、ここからどう過ごそうかと無作為に視線を開けたままだった障子の向こうへ移す。


 と、不意に静かな気配が近付いてきて、その開け放たれたままの障子の前でぴたりと足を止めた。


「……愁介殿、お帰りになったのではなかったのですか」


 沖田がいなくなってそのまま屯所を出たと思っていただけに、想定外の訪問者だった。


 愁介は「ああ、うん」と曖昧にあごを引くと、随分神妙な顔付きで「少し話していい?」と上目に斎藤を見返す。


「構いませんが……私で話し相手になりますか」

「総司には話せないなあ、と思って一度屯所を出たんだけどさ。それこそ会津本陣に帰ったら、余計に話せる相手がいないなあと思って」


 煮え切らない物言いに斎藤が首を捻れば、愁介は音を立てず部屋に足を踏み入れた。そのまま斎藤の前で足を止め、怒るのとは違う落ち着いた様子で、しかし眉根を寄せた小難しい表情で口を開く。


「オレさ。選べないな、と思ったんだよ」


 脈絡のない切り口に、斎藤は一層深く首をかしげた。


 愁介はただ表情を変えず、視線を逸らすこともせず、言葉を続ける。


「さっき、総司が言ったでしょう。父上か総司か選べって言われたらどうする、って」

「ああ」


 ようやく理解が追いついて相槌を打つ。が、直後に斎藤はつい眉根を寄せて、


「……殿か沖田さんかを、選べない?」


 信じられない、という想いが、つい返した言葉尻から滲み出た。


「愁介殿、それは考えるまでもない話ではないですか?」

「いや、理屈ではわかるよ。一国の主と一介の浪士の一人っていう比べ方をすれば、そりゃ一国の主が優先されるべきで、仕方ないってことはわかってる。ただ、そういう身分だなんだを度外視して、オレ個人で選べって言われたら……選べないな、と思うんだよね」


 オレっておかしいのかな、と愁介は視線を横に流しながら眉間のしわを深くした。


「……名も知らぬ町人と、殿であれば選べますか」

「ああ、まあ、そこまで極端になれば、オレだって父上を選ぶけど」

「愁介殿にとって、然程に沖田さんは大切な立ち位置にあるとおっしゃるのですか」


 父と呼び慕うほどの、一国の主と並ぶほどに。


 愕然と問うてから、ふと、これはこれで、いつぞや土方と話した『愁介の下心』を探る良い機会なのではと、頭の隅で冷静な思考が働く。


 が、愁介はとんでもなく思いがけないことに、


「オレ、お前でも選べないよ」

「は?」

「だから、父上と斎藤でも選べないし、総司と斎藤でも選べないよって」

「正気の沙汰ではないですね」


 つい遠慮の欠片もなく愕然と呟いてしまった。


「そう言うと思ったよ」


 愁介は、相変わらず斎藤の無礼に憤るでもなく、ただ苦笑にまなじりを下げる。


「愁介殿。殿と比較されることも畏れ多すぎてとんでもない話ですが、そもそも私と沖田さんでさえ、比べるべくもない話ではないですか」

「それも言うだろうなと思ったけど、あくまでその辺は斎藤側の視点の話でしょ?」


 まるで斎藤のほうがおかしなことを言ったかのように、愁介は仕方なさそうに肩をすくめて見せる。


 まったく意味がわからず、いっそ頭痛がして、斎藤は指先で己の眉間を押さえた。


「申し訳ありません。真面目に理解が及びませんので直接伺いますが、愁介殿は何のために沖田さんと交流を深め、新選組に立ち入ってくるのですか」

「あー……その辺は個人的な動機だけど、父上から最低限の許可は得てるよ」


 ひくりと、我知らずこめかみが引きつる。


「つまりそれは、私には話せないということですか」

「まあ、そうだね。ただ言えるのは、政治的な意図はまったくないってことだけかな」


 その口ぶりは、良くも悪くも、やはり愁介にとっても何かしらの『下心』は存在していたのだ、という確信をもたらす意味合いが強かった。


 反面、そこで容保(かたもり)の許可はあるのだと一線を引かれれば、斎藤からはどうあがいても踏み込めなくなってしまい、重い溜息が零れ落ちてしまう。

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