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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
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踏み込めない喧嘩

 ごろりと気だるく寝返りを打つ。


 腕の中に夢で見た(かづら)の姿があるわけもなく、斎藤は深く溜息を吐いた。


 夜勤明けの昼近い時刻、また久々に夢を見たな、と明るい障子の外を眺めやる。沖田はおらず、室内は斎藤一人きりだ。


 寝転がったまま、軽く髪をかき上げてあくびを噛み殺す。


 ――『「生きる」って、前を向くことじゃないのかなあと、ちょっと思うんです』


 夢の中、賢しらに語った己の言葉に自嘲を浮かべる。


 まったく、何という懐かしい夢を見たものか。あの頃に己が口にしていたはずの言葉を、今は己が真っ向から否定しているのだから世話がない。


 と、そこまで考えて、ふとゆるく首をひねる。


 ……本当に、あれは斎藤自身が口にした言葉だっただろうか。


 こと葛の夢に関してはいつも、過去の記憶を繰り返し辿ることが多い。が、あの言葉だけは、最近どこかで誰かの口から耳にしなかっただろうか。気のせい、だろうか。


 ああ、わからなくなるほどには、葛との大切な思い出も、やはり年数を重ねるごとに薄れているのか――……。


 執着心は人一倍の癖に、何という薄情か。つくづく己のことが嫌になり、斎藤は舌打ちをこぼしながら気だるく身を起こした。


 そこで不意にどこからか、かすかに怒声めいた毛羽立つ声が聞こえて来た。


 誰が何を言っているかまでは聞き取れなかったが、明らかに険を感じる声だったことだけは間違いなく、屯所内が妙な騒がしさに包まれていることを察して、目をすがめる。


 斎藤はもう一度深い溜息を吐き、手早く身なりを整えて部屋を後にした、




「命捧げさせりゃ、それで全部済むのかよ!」


 騒がしさの発生源は土方の副長室で、高くも低くもない澄んだ、しかし鋭く刺すような険を含んだ怒声が繰り返し響いていた。先日の河上彦斎(彦斎)の一件から四半月ぶりに訊く声である。


 隊士でもないのに、何故あの人はこうも毎度屯所を騒がせるのかと呆れながら離れへ向かえば、渡り廊下の前で平隊士達が野次馬の群れを成していた。そして廊下を渡った先、障子が開け放たれたままの副長室の前には、沖田と原田が部屋の外から中を眺めては困ったように苦笑を交わし合っている。


「今日は何事なんですか……」

「あ、斎藤さん。お疲れ様です」


 歩み寄って声をかければ、夜勤明けの斎藤を見て、沖田が苦笑いを浮かべながら手をひらめかせた。次いで原田も「おう」と手を上げ、何ともむず痒そうな半笑いで肩をすくめて見せる。


「何事っつーか、まあ」

「何のために父上が仲裁してくださったと思ってんだ!」


 説明しかけた原田の声を食うように、愁介の、横面を張り倒すような鋭い声が届く。


「はあ、なるほど。葛山(かつらやま)の切腹の件ですか」


 理解してうなずけば、沖田が「さすが斎藤さん」と苦笑のままあごを引いた。


 例の、建白書の責任を取らされ腹を切らされた葛山武八郎(たけはちろう)の件。葛山は、斎藤らが河上を逃がした二日後に既に切腹し終えているのだが、要は今になりそれを知った愁介が腹に据えかねているということらしい。


「せっかく穏便にまとめたものを、蒸し返してまで命を奪う必要なんてなかっただろ!」

「会津にゃ迷惑かけてねぇだろうが!」


 斎藤らの会話も埋もれるほどの怒声を、土方までもが愁介に負けじと張り上げる。


「第一、葛山の件は話が別なんだよ!」

「何が別だ、同じ命だ! 奪う必要のない命を奪って偉ぶるなよ!」

「うるっせぇ、必要なことだっただけの話だ!」


 片や座ったままの土方と、片やそれに立ったまま言い募る愁介と。


 賑やか極まる応酬に、斎藤は思わず沖田に目を向けた。いつぞや、池田屋後に猿回しをして喧嘩両成敗して見せた沖田なら、今回も収められるのではという期待を込めた視線だ。


 が、気付いた沖田は、今回は話が違うとばかりに即座に首を横に振った。


 その間にも、土方も愁介も、己らのやり取りが人を集めていることも忘れて応酬する。


「必要な死なんてこの世に存在するもんか!」

「綺麗事ぬかすな、ガキが!」

「ガキで結構、話のわからん唐変木になるよりはね!」

「んだとコラ! 大体手前(てめ)ェ、部外者のクセにいちいち口出すんじゃねぇよ!」

「部外者じゃないっての! あの件にはオレもがっつり関わりましたあ!」


 いや、これはやはり猿回しが必要な(たち)の喧嘩では。


 思って斎藤が再び沖田を促そうとした瞬間、


「わからずや! ハゲろ!」


 立ったままの愁介が、土方の頭を無遠慮に平手打ちした。


 ぺちんっ、と妙に小気味よい音が室内に響く。


 途端に沖田が「ん、ふっ」と噴き出して笑った。


「いや、沖田さん、笑ってる場合か……」

「すみません、つい」

「いやあ、すげぇなあ松平」


 原田まで感心の声を上げ、あごを撫でる。


 沖田は「あはは」と明るく笑って、


「愁介さんって、口より手が先に出る(たち)ですからね」

手前(てめ)ェ、いい加減にしねぇとマジに叩っ斬るぞ……!」


 やはりこちらの会話を食うように、土方がひと際剣呑な、地の底から轟く声を出す。


 それでも愁介はやはり欠片も引くことなく、「ハ!」と嘲笑するように口の端を上げた。


「誰が土方さんごときに斬られるか! ナメんなよ」

「……沖田さんが収めないなら、他に誰が収拾つけられるというんだ」


 火花を散らす二人の蚊帳の外で、斎藤は改めて沖田を促した。


 しかし沖田は、「ううん、今回はなぁ」とやはり首を横に振る。


「ちょっと、私も今は中立には立てないと申しますか……あと正直、この喧嘩はいい喧嘩だと思うんですよねえ。止める必要性を感じないと言いますか」

「これだけ屯所内を騒がせておいて、どこに必要性がないというんだ」


 斎藤が呆れ交じりに首をひねると、沖田は困り半分まなじりを下げて視線を返してくる。


「いえ、土方さんのやることって、間違ってはいませんけど、割と極端だとは私も思ってるんですよ。なので、ああして正論叩きつけてくれる方がいると、土方さんも色々考えて今後に活かしていくんじゃないかなぁって思うんですよね」

「人を馬鹿にすんのも大概にしろ、クソガキ!」

「そっちこそ都合が悪くなったら斬るだの殺すだの、大概にしろよ、クソハゲ!」


 言っている傍から、次第に二人の言い合いが子供の喧嘩のようになってきて、斎藤は胡乱な目を沖田に流す。


「あれも活かせるのか?」

「んんん……少なくとも、一刻後には省みて、自分の言動の幼稚さを悔いて頭を抱えていると思いますけど」


 苦悶の返答に、頭痛を感じて額を押さえるしかない。


「でもよお」


 不意に原田が、ゆるく首をひねって事もなげに口を挟んだ。


「土方さんに正論を叩き付けて落ち着かせるのって、本来は山南さんの役目じゃねえのか」

「あはは、私にはあそこまで言えないよ、さすがにね」


 後ろからヌッと現れた気配に、斎藤だけでなく沖田と原田までもが弾かれたように振り返った。

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