7.変化
「で、どうだった? 何とかなりそう?」
「畑のほうは無理だな、でも育苗の種まきなら手伝ってもらえそうだ」
「育苗か……でもそれだと常に仕事がある訳じゃないでしょ?」
「ああ、もうじき種まきも終わるからな」
農家の娘だけあって、初美もそれなりに知識がある。初美の言う通り、育苗の仕事は通年ある訳じゃない。花の苗なら別かもしれないが、野菜の苗は夏には出荷しない。というのも夏に苗を植えても暑さに耐えきれずに枯れてしまうことが多いからだ。作物によっては夏でも植えるための設備を使って栽培することもあるが、基本的に夏用の苗は作らない。うちも春植えと秋植えを主体にしてるので、育苗は早春から初夏までと晩夏から初秋までにしてる。つまりその間は手伝ってもらう必要がない。
「でもあの様子じゃ毎日手伝ってもらうのは気が引けるんだよ」
「確かにね」
初美とともに目を向けるのは、居間で丸くなる茶々とふわふわの毛に埋もれるようにして眠っているシェリー。昼食後、しばらくうとうとしていたが、ついに睡魔に負けてしまったようだ。初美はその姿を収めるべく、カメラを構えている。匍匐前進しながら進む姿は戦場カメラマンかパパラッチのようだ。
「慣れないことして疲れたんだろ。しばらく寝かしておいてやろう」
「そうだね。あ、虫が来るといけないから蚊取り線香焚くから」
「ああ、頼む」
まだ春とはいえ、暖かい日も多くなりつつあるこの頃だ。蚊や虻の姿もちらほら見受けられるので、念のために使っておいたほうがいいかもしれない。俺たちが刺されてもちょっと痒い程度で済むが、シェリーの小さな体にどんな影響があるかわからないからな。
「アタシもそろそろ東京に戻るね。仕事の引継ぎもあるし、得意先に挨拶もしとかないと。それに引っ越しの準備もあるし……出来るだけ早く済ませて戻るつもりだけど」
「本当にいいのか?」
「いいのいいの、今の会社にいても先は望めないし、それなら独立して自由に仕事したほうが楽しいしね。自分のパソコンで十分仕事はこなせるし、打ち合わせもネット経由でいくらでもできるから不便さもないし、何よりシェリーちゃんが傍にいるだけで日々の生活に潤いが出るわ」
「お、おう……」
俺としてはシェリーのことで頼れる人間がいてくれるのは素直に嬉しい。初美の仕事のことについても、自分なりの考えを持っているようで、その点については俺が口出ししていいことじゃない。自分の夢を追いたいと相談された時は戸惑ったが、その真摯な姿勢に負けて両親を説得する後押しもした。今でもその姿勢は変わっていないことに少し安心した。少々その熱が予想外の方向に行きかけてるような気もするが……
「あ、あと明日電気のアンペア変更の工事が入るからね。今の契約だとアタシの機材使ったらすぐブレーカー落ちちゃうから。作業中にデータが飛ぶなんて大惨事は勘弁してほしいからさ。それに契約も色々と見直すつもりだから。まあその辺は任せて」
「あ、そうか。今まで俺だけだったからな。わかった、その時間帯はシェリーと茶々連れて畑に出てるよ」
データが飛ぶという悲劇は俺も経験したことがあるので口を挟むつもりはない。一人暮らしなのでそんなに電気を使っていなかったために契約アンペアを落としたのを忘れていた。それに携帯電話の料金やら何やらの見直しもしてくれるらしいので素直に任せることにしよう。こういう細々としたことは初美の得意分野でもあるし。
「引っ越しするなら部屋を片付けないとな。今のままじゃ機材が入らないんじゃないか?」
「うん、だからって訳じゃないけど隣の部屋も使っていい? 作業部屋にしたいんだ」
「好きに使っていいぞ。俺は寝室があればいい」
「ありがとう、それじゃ遠慮なく使わせてもらうね」
元々は初美の部屋の隣は俺の部屋だったが、今は両親の使っていた寝室が俺の部屋になってるので何もない部屋になっている。大概のものは納屋にしまってあるし、そもそも俺はそんなに荷物が多い訳でもない。滅多に使わない道具類の置き場になるくらいなら、初美の仕事に役立ててもらったほうがいい。
「アタシが東京に行ってる間、シェリーちゃんに無茶させないでよ? 彼女、何とかここでの居場所を作ろうと必死なんだから。その気持ちは分からなくはないんだけど、なにぶんあの身体でしょ? アタシたちの基準で考えてたら保たないのは当然だからアタシたちがそこを汲み取ってあげないとね」
「ああ、そうだな」
「それにさ、最初は可愛い生き物だなー、くらいに考えてたんだ。でも一生懸命悩んで、苦しんで、笑って、泣いて……そんなの見てたらさ、なんかこう……妹がいたらこんな感じなのかなって。あ、可愛いのはもちろんだけどね」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う初美。そういえば小さい頃、いつも弟か妹が欲しいってお袋にねだってたな。ただその頃のうちは家計が苦しく、三人目を作る余裕が無かったから初美の願いが叶うことはなかったが。
「心がある人間なら苦しいとか悲しいとかいう感情があるのは当然なのはわかってる。でもさ、そんな感情だけじゃ心が傷つくだけでしょ? お兄ちゃんはそれをよく知ってるじゃない」
初美が強い意思の宿る目で俺を見据える。確かに俺はそういった感情に押しつぶされて自分を見失い、そして苦しみ続けた。その結果紆余曲折あって仕事が出来なくなった。初美がいてくれなかったら、茶々がいなかったらどうなっていたかわからない。シェリーの可愛らしい顔が苦しみに歪み、悲しみに涙するようなことがあってはいけない。その苦しさを隠すために偽りの仮面を被らせてはいけない。その行き着く先に幸せなんてあるはずがない。それは俺がよく知っている。
「だからさ、出来るだけたくさんの嬉しいとか楽しいとか、そういう気持ちを持ってもらえばいいかなって思う。苦しい気持ちなんか忘れちゃうくらいに。もし妹がいたらそう思うのは間違ってないと思うよ、シェリーちゃんには子供扱いしないでって怒られちゃうかもしれないけどね」
「うん、そうだな。ここで俺たちに出会ったことを良かったと思ってもらえるようにしないとな」
シェリーがこの家に来てから明らかに変わった。以前は初美と俺がこんなに言葉を交わすことは無く、連絡も最低限の事務的なものばかり。お互いに改善したいとは思っていても、それを行動に移せずにいた。だからこそ今のこの状態が少々恥ずかしくもあり、そして嬉しくもある。
「そうだよ、だって一時的なものとはいえシェリーちゃんは家族なんだから」
「家族か……」
初美の言う通り、今はシェリーもこの家の一員だ。だがシェリーは元の世界に戻らなければならない。それがいつになるのかは誰にもわからない。果たして明日なのか、それとも十年後なのか、もしかしたらこのままなのか。だがもしその時が来たら、俺たちは彼女を送り出せるだろうか。
そんなことを考えてしまうあたり、既にシェリーの存在は俺たちにとって大きなものになっている証だろう。なら今は予測できない未来のことよりも、今この時を家族として過ごすことを優先するべきだ。それが俺たちに変わるきっかけをくれたシェリーに対して出来ることなのだから。
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