第一章 3
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「光国が、落ちた……?」
男は半ば呆然と呟く。
「そんな、まさか……救援要請はなかったのか。我が国のみならず、他の国々にも」
「はい……おそらく、出す間もなかったのだろうと……」
「……なんてことだ」
暗い表情で言う使者へ、彼は信じられない思いでかぶりを振った。
「光国アルドラには、リュングダール陛下がおわすのだぞ。魔法障壁はどうした」
「障壁は、なんらかの手段で破壊されたとのこと。そうなれば帝国は銃や機械を使えますので……」
「なんらかの手段とは?」
「詳細は、未だ……確実なのは、光国アルドラの魔法障壁が破壊され、王城が落ちたということだけです。セギン将軍」
「将軍はよせ。もう引退した身だ」
顔を顰めると、使者は律儀に頭を下げた。
「失礼いたしました」
「しかし……信じられん。リュングダール陛下はご無事なのか。アルクス殿下は」
「申し訳ありません、そちらの情報も、未だ」
「……そうか」
銃などに代表される火器や、帝国の扱う機械は、魔法を使うことのできない帝国人が作り出したものだ。それゆえか、精霊は火器や機械を嫌う。おかげで、七精の加護を受ける国々の、魔法障壁の内側では、それらは作動しない。そして、魔法障壁は外側から破る手段はない――はずだった。
(よもや、今回も闇国の手引きか……?)
十五年前、炎国ミルザムが侵攻されたときは、帝国の奇襲だった。一方的に不可侵条約を破棄し、宣戦布告も何もなく突然攻め込んできた帝国になすすべもなく、ミルザムは落ちた。当時は条約の下、魔法障壁を展開していなかったのだ。
そして十年前、帝国は、今度はセギンの祖国――雷国ノールレイに侵攻してきた。このときは闇国玄耀が帝国を引き入れ、まさか闇国が裏切ると思っていなかった雷国は、帝国を退けるも島嶼部の悉くを焼く惨事となった。
「ダウジルス陛下には、セギンが感謝していたとお伝えしてくれ」
「承りました」
他に二、三、言葉を交わすと、使者は去っていった。
軍に復帰しろと勅命を携えてきたのかと内心警戒していたセギンは、安堵しつつ少々拍子抜けした。ノールレイ国王ダウジルスは本当に、光国が落ちたと知らせてくれただけらしい。セギンが光国アルドラ国王リュングダールと旧知で、昔、アルドラの王子アルクスの剣術指南役をしていたのを知っての計らいだろう。
(今更、復帰しろと言われても、さすがにこの目では無理だ)
セギンは首筋に手を遣って息をつく。
十年前の帝国侵攻時、セギンは最前線にいた。雷の「継承者」であるセギンは、その力を以て帝国を押し返すのと引き換えに、左目を喪うこととなった。同時に負った火傷の痕は、今も左半身に残っている。おそらく一生消えないだろう。
その時の怪我が原因でセギンは将軍を退き、今は田舎で、引退してから結婚した妻と共に農家を営んでいる。
(リュングダール陛下はご無事だろうか。アルクス殿下は……)
「どうぞ、お茶を……あら?」
声をかけられて我に返り、振り返ると、お茶を運んできた妻が首を傾げていた。
「お客様、もうお帰りになってしまったの?」
「ああ。ついさっき」
「そう……せめて少しお休みして行かれればよかったのに」
「国王陛下の使者殿だ、忙しいのだろう。せっかくだからお茶をもらおうか。一緒にどうだ」
「そうね。いただくわ」
頷き、妻はテーブルにトレイを下ろした。席に着いたセギンにお茶を出して、眉を顰める。
「あなた……なんだか、お顔の色が優れないわ。悪い知らせだったの?」
妻は聡い。余計な心配をかけぬようにと、セギンはおどけて見せた。
「そうか? 腹が減っているからかもしれないな」
「まあ。さっきお昼を食べたばかりじゃないの」
可笑しそうに笑う妻に、セギンも笑みを返す。アルドラ陥落の知らせは、いずれ妻の耳にも入るだろう。それまでは積極的に知らせることもない。
(そうだ……俺はもう、将軍ではない……)
胸中の葛藤から目を背け、セギンは香りのよいお茶を口に運んだ。
* * *
村の広場を目指して歩いていると、顔見知りの少女と、その祖母と行き会った。
「あら、フィーアちゃん。早いわね、おはよう」
「おはよう、ライラちゃん。おはようございます、ユノアさん」
「はい、おはよう」
「これから畑ですか?」
これにはユノアが答える。
「ええ。今日も天気がよさそうだから、暑くならないうちにと思ってねえ」
「夏も終わりですのに、なかなか涼しくならないですね」
フィアルカの顔をじっと見て、ライラは眉を顰めた。
「フィーアちゃん、なんだか顔が怖いわ」
「え?」
指摘されたフィアルカは思わず片手で頬を押さえた。――たしかに今、自分はとても焦っているが、顔に出てしまうほどだったかと内省する。意識して笑顔を作り、二人に尋ねた。
「あの、ライラちゃん、ユノアさん。アルを見ませんでしたか?」
ライラは首を傾げる。
「アルくん? ううん、見てないわ。どうしたの?」
「姿が見えなくて……行き先もわからないの」
「だから怖い顔をしていたのね。何も言って行かなかったの?」
「ええ。書置きなんかも残ってなかったわ」
フィアルカが首肯すると、ライラとユノアは揃って心配そうな顔になった。
「それは心配ね……どこ行っちゃったのかな」
フィアルカは心配そうにするライラへ、もう一度頷いた。
「もし見かけたら、家に戻るように言ってくれる?」
「わかった。早く見つかるといいわね」
「わたしも気にしておくわ。アルくんのことだから、お散歩でもしてるんじゃないかねえ」
「そうですね、きっと。帰ったら、黙って出て行くなって叱ってやらなくちゃ。――それじゃあ」
挨拶をして踵を返そうとすると、ライラに呼び止められた。
「そうだ、フィーアちゃん。今日、エミリアもこられるって。四人で行きましょ」
「こられるようになったのね、よかった」
「じゃあ、午後にね」
「ええ、また後で」
二人と別れ、周囲を見回しながらフィアルカは足を速めた。
アルクスが明け方に目を覚まし、退屈で散歩に出たのであればいい。しかし、万一のことがあったらと思うと、いてもたってもいられない。――ここの近くには、南に水国シェリアーク、東に炎国ミルザムと、二国と接している国境がある。
この村は街道から随分と外れているので集落の規模は小さく、のんびりしているが、帝国の支配下に入って長いミルザムには至る所に帝国の要塞が建てられており、国境を監視する砦も必ずある。そして、今の帝国が最も欲しているのは、アルドラ王子アルクスの身柄だ。
(見つかるわけには行かないわ……ようやくここまできたのだもの)
ディゼルトを置いていくことは、アルクスが承服しなかった。フィアルカとしては、深い銃創を受けて発熱しているディゼルトに動いて欲しくはなかったのだが、ディゼルトは留まることをよしとしなかった。
王都から逃げる人々に紛れたり、敢えて旧道を進んだりと、帝国兵の目を避けながら南を目指し、あと少しで水国シェリアークとの国境ということろで、ディゼルトが動けなくなってしまった。
無理もないとフィアルカは思う。ここまでもったのが奇跡だったのだ。本当ならば、動くこともできない怪我だった。最も深く大きかったのは左肩だが、アルクスとフィアルカを庇って、他にも大小の傷を負っていた。ディゼルトの体調を鑑み、フィアルカの稚拙な治癒術で治すことができたのは一部だけだ。
ディゼルトは倒れてしまったことに多大な責任を感じているようで、意識を取り戻してからはアルクスとフィアルカだけでもシェリアークへ行かせたがったが、やはりアルクスが首を縦に振らなかった。アルクスはアルクスで、ディゼルトの負傷に負い目を感じている。
双方の気持ちがわかるだけに、フィアルカはどちらにも強く言うことができず、この村に留まって一月と半分になる。三人がアルドラ王城を落ちてから二月が経過しようとしていた。
(アルったら、どこへ行ってしまったのかしら。あまり行くところはないと思うのだけれど)
畑にも姿が見えなかったので、フィアルカは村の中心部へ引き返すことにした。小さな村とは言え、一人で探し回るとなると骨が折れる。相当な無理をさせてしまったディゼルトの回復は遅く、先日ようやく完治と呼べる状態になった。そんな相手を早朝に叩き起こすのは忍びなく、書き置きだけ残して出てきたのだ。ディゼルトは怒るだろうが、甘んじて受けようと思う。
(アルも、ディゼルト様も、責任を感じることはないのに……いえ、アルは少し自重すべきね)
心配を怒りに変えながらフィアルカが歩いていくと、広場の端の方に数人が固まっていた。見れば、ディゼルトが数人の少女たちに囲まれている。
「あたし、アルくん捜すの手伝います!」
「わたしも!」
「遠慮しないでください!」
「そうです、ゼロさん一人じゃ大変ですもの!」
どうやら、目を覚ましたディゼルトがフィアルカの書き置きを発見し、アルクスを捜しに出てきてしまったらしい。そして、村の女の子たちに捉まっていまったのだろう。
「いや……気持ちはありがたいんだが、見かけていないならそれで……」
言葉を濁して離れようとするディゼルトを、女の子たちは逃がすものかとばかりに囲い込む。彼女たちはさながら熟練の狩人か、歴戦の兵士だ。
ディゼルトは、フィアルカの目から見ても端正な容姿をしている。不思議な色合いの黒髪に、黄玉のような金の瞳。白磁の肌と整った鼻梁、形の良い唇。それに均整の取れた長身とくれば、女の子たちが放っておかないのもわかるが、本人は辟易しているらしい。城にいたころの癖だろう、フードを目深に被ってやや俯きがちでいるのも、影があって素敵だと噂されているのを聞いた。
もう城の外なのだからフードを外せばいいのにとフィアルカは思うが――アルクスは実際にディゼルトに言っていたが、フードを被っていないと落ち着かないのだという。
少女たちの邪魔をしない方がいいだろうかと迷いながら近付くと、フィアルカに気づいたディゼルトが縋るような表情になる。無視できず、フィアルカは声をかけた。
「ディ……、ゼロさ……兄様」
全員が一斉に振り返り、フィアルカは内心慄く。侍女の身ゆえ、女の怖さは骨身に染みている。ディゼルトの「妹」ということにしてあるから敵視こそされないが、血縁でないことが露見したら目の敵にされそうだ。
ディゼルトは安堵した様子で言う。
「アルは?」
「まだ見つかりません」
「そうか。どこを捜したか教えてくれ。――君たち、すまないが、これで」
残念そうにする少女たちの間を縫って、足早に広場を離れるディゼルトを、フィアルカは追いかける。
「……悪い、助かった」
「いいえ。災難でしたね」
ディゼルトは肯定も否定もせず、ただ深い溜息をついた。その胸中は察して余りある。
「お身体は大丈夫ですか? ディゼルト様はお戻りになっては……アルが戻っているかもしれませんし」
「フィーア、俺のことはゼロと。言葉も」
「あ……はい、気を付けます。ゼロ……兄様」
気休め程度だが、きょうだいを装うために三人はお互いを愛称で呼ぶことにした。とはいえ、アルクスは元々ディゼルトを「ゼロ兄」と呼んでいるし、ディゼルトとフィアルカはアルクスの意向で公の場でなけれ畏まることをしないので、問題はフィアルカだ。長年の習慣を急に変えるのは難しい。
ディゼルトは苦笑いのような困ったような複雑な笑みを浮かべて言う。
「俺は大丈夫だ。――アルは西側には行かなかったようだ。フィーアは?」
「南側を見て回りましたが、どこにも……本当に、どこへ行ってしまったのでしょう」
「村の中にいてくれるといいんだが。俺はこのまま北を捜すから、東側を頼めるか」
「承りました。どうか、ご無理はなさらないでくださいませ」
「ああ」
軽く手を上げて、ディゼルトは村の北へ向かった。無理をするなと言っても無理をするのだろうなと、半ば諦めの境地でそれを見送り、フィアルカも東へ足を向ける。
(アルったら、朝ご飯抜きにしてやろうかしら)




