出した答え
大学の構内のベンチに腰掛けながら、篠宮花月はスマートフォンの画面を眺めていた。ストリートパフォーマンス研究部に顔を出なくなって三週間。パフォーマンスの練習さえしていない。こんなに何もしなかったのは初めてかもしれなかった。大学に入る前、当時この大学に通っていた三島健人に誘われて文化祭に遊びに来て、そこで当時はストリートパフォーマンス研究会という名の同好会だった、現在自分が所属する部活の出し物を見た。当時のスト研は今ほど部員数もおらず、文化祭の出し物も、部員がメインでパフォーマンスを披露するのではなく、パフォーマンスで使用する道具を実演をしながら紹介し、実際に見学者がそれをやってみるような、参加型の出し物だった。パフォーマンスを見るのも、実際に自分でやってみるのも楽しかった。当時の自分は全然上手くできなくて、浩太がジャグリングなら俺も得意だよってひょいひょいやって見せる姿に凄いと思った。それで、部員の人達と話が盛り上がって、浩太がどんどんならこれとかどう?とか言われて他のやつもやってみたりして。帰ってからも、楽しかったねって二人で盛り上がった。それで、浩太とジャグリングの練習するようになって、浩太がいなくても一人で練習して。新しい技を一つできるようになる度、それを見せたときの浩太の反応が楽しかった。より難易度の高い技をできるように、二人で競うように練習した。でも、ただ難易度高い技できるだけじゃあの人達に勝てないんだよねなんて浩太が言って、やっぱ、どうせ練習するならあんな風に人を楽しませられるようにしたいよねって。どうしたらあんな風にできるのかなって、じゃあ実際にお客さん集めてみる?なんて言いながら、二人で公園でそこにいた人達相手にパフォーマンスをしたこともあった。拍手をもらったり、声を掛けてもらったり。嬉しかった。楽しかった。だから、この市ヶ谷学園大学に進学して、ストリートパフォーマンス研究会に入りたいって思ったんだ。あんな時間をもっと続けたかったから。もっとより高いところに行きたかったから。でも・・・。そう考えて、花月は溜め息を吐いた。
「こんなのは無視しな。半分以上やっかみだから。」
そんな声が聞こえて、ひょいと誰かにスマートフォンを取り上げられて、花月はうろたえた。
「心配するフリして、こういう嫌なこと言ってくる奴は本当性格悪いから。皆って誰って感じじゃない?ようはあんたがもう部活に戻ってくんなって思ってるって事でしょって。無視しな、無視。こんなの信じちゃダメ。逆にこういうこと言ってくるような奴は切っちゃいなよ。害にしかならないから。あ、今のメール勝手に消しちゃった。ごめんね。」
そんなことを言いながら隣に座ってスマートフォンを返してくる女性を眺め、花月は誰?と呟いた。
「あー。やっぱり分かんないか。同じ学部で同期の、相良智子だよ。うちの大学、同じ学部だけでも学生数多いし、そりゃいちいち覚えてらんないよね。わたし、そんな目立つ何かしてないし。絶対、篠宮さんわたしのこと分かんないよって言ったんだけどさ、うちのお兄が、お前同じ学部で同期だろ、ちょっと様子見て来いってうるさくてさ。」
そう言われて、お兄さんって誰だろう、なんでお兄さんがわたしの様子を見てこいって言うんだろうと思って花月は訳がわからなくなった。
「あー。相良って名字でピンとこない?お兄の名前、相良裕也。ストリートパフォーマンス研究部の現部長。」
そう言われて、一気に視界が開けたような気になってあーと声を上げる。
「やっと解った?篠宮さんって、案外抜けてるって言うか、鈍くさいんだね。あんなメールガン見して、固まっちゃってるし。もしかして、部活で虐められてたりして。」
そう言われて、花月は虐めってなんだろうと思って黙り込んだ。よく解らない。ただ、気が付いたら、自分と同期の女子部員達との間に壁ができていた。何を話しても軽く流されるというか、ちゃんと聞いてもらえないというか。そして、自分がいないところで悪口を言われるようになっていた。何が悪かったのか解らない。でも、わたしの何かが彼女たちの癇に障って、そしてわたしは嫌われた。もう部活に来ないで欲しいと思われるほど。
「うちらの代のスト研の女子って、チア部出身者とか、某有名マーチングバンド部のカラーガード出身者とか、高校時代からその道で名実共に実力つけてきたような子ばっかなんでしょ?しかも美人揃い。気が強くて、そのくせ女の子女の子した子ばっかで扱いずらいってお兄が言ってたよ。篠宮さん、女子社会で生きてくの苦手そうだよね。あんなメール送りつけられるくらいだし、他にもなんかされたんでしょ。そういう子達とやってくのキツかったんじゃない?」
「そういうのよく解らない。元々わたし、ちゃんと集団生活送れるのか心配されるほど常識がないし。自分がおかしいって、普通じゃないって解ってるし。普通じゃない人は、普通の人にはなかなか受け入れてもらえないんだって、そういうことも解ってる。だから、人から変な風に見られるのはしかたがないことだって。変な風に見られても、これがわたしなんだって認めてもらって、一緒に楽しめたら良いなって。解らないから変な風に見られるなら、解ってもらえれば大丈夫なんだって。解ってもらうには、自分がどうしたいのか、どう思ってるのか、ちゃんと話して、伝えて。相手の話も聞かないとって。でも、あまりなんでどうして聞きすぎるのは良くないから、相手が嫌がってるなら掘り下げちゃダメだって。よく解らないこと多いけど、そういうこと頑張ってきたつもりだった。それで、前は皆と仲良くできてると思ってた。でも、気が付いたら壁ができてて、皆の輪に入れなくなってて。普段はわたしに凄いねとか自分も負けないように頑張らなきゃって笑って言ってた人も、わたしのいないところでわたしの悪口言ってて。わたしは皆を見下してるって。わたしが皆の輪を乱してるんだって。わたしがいない方が良いんだって・・・。言われたときは、ちょっと苛々したけど。でも、考えてみれば、わたし最近自分が上手くなることばっか考えてて、全然みんなのこと見てなかったかなって。そういうこと言われるの、自分の足を引っ張らないでって思って、わたしは努力してるからできるんだって、自分よりできないのは自分ほど努力してないからだって決めつけてた。そういうのがいけなかったのかな。だから嫌われたのかな。なんでそういうこと言われるのかよく解らなくて辛かったけど、でも、そうなら、ごめんなさいって思う。」
そう口にして、それが真実のような気がして。花月はそっか、サクラハイムの皆にだけじゃなくて、わたし部活の皆にも当たっちゃってたんだと思って罪悪感に苛まされた。
「それって本音?」
そうきかれて、花月は疑問符を浮かべた。
「篠宮さんが虐められる理由わかったわ。良い子ちゃん過ぎ。向こうがハブって悪口言ってきたから苛ついてたのも、今、本気で自分が悪かったとか思ってる?ってか、凄くそういうの嘘くさいし。そういう顔してそういうこと言えばコロッと篠宮さんの味方になるの多そうだけど。ってか、男なら確実に味方につけられるだろうけど。そうやって男共が篠宮さんのことちやほやしてでれでれしてたら、周りから見てる女子的には苛つくよ。篠宮さん、女子から嫌われるタイプだね。特に、自分がちやほやされるのが当たり前だったような女子からは目の敵にされそう。で、女子の間で根回しされて追い詰められて。うわー。本当、女子社会怖い。わたし、無理。」
そう言いながら、智子がやめちゃやめちゃえそんな部活と言ってきて、花月は余計訳がわからなくなった。
「お兄は戻ってきてもらいたいみたいだけど。やめときな。そんなとこいても良いことないよ。ってか、それが素なら、篠宮さんみたいなタイプ、絶対生き残れないから。」
「部長、わたしに戻ってきてもらいたいの?部長が来るなって、わたしはパフォーマー失格だって言ったのに。」
「あー。お兄は、篠宮さんの事逃がしたんだよ。一回部活から離してリフレッシュさせたかったんだって。」
「逃がす?」
「うんと。篠宮さんが入部した当初の頃と部活の雰囲気変わったでしょ?お兄、そのこと結構悩んでてさ。元が研究会で、ストリートパフォーマンスについて研究して、広く知ってもらえるように人に発表することを目的に発足されたのに、今は完全運動部みたいになってパフォーマンスをすることが主になっちゃって。部員数が増えて、チアダンス、マーチングバンド、新体操、そういうの経験者の人数が多くなって、変わらざるをえない感じだったししかたがないんだろうけどとかぼやいてたよ。でも、本当は違うんだよなって。もっと、世界中の色んなパフォーマーを見て、研究して、ストリートパフォーマンスの魅力を語り合って。そういう部活だったはずなのに、そういうことするのが面倒がられたり、うざがられたり。まじやってらんねーって、お酒吞みながら家でよく愚痴ってたよ。それで、お兄、部活辞めようか悩んだらしいんだけど。先輩から部長に任命されて、部の今後を任されて、一念発起して立て直そうとしたらしいんだよね。でもうまくいかなくて、結果的に篠宮さんのこと追い詰めちゃったって、結構気にしてたよ。篠宮さん、パフォーマンスの練習以外の、本来のスト研の活動内容も嫌がらずにすごく楽しそうに参加してくれて、良くも悪くも空気読まないで後ろ向きな雰囲気もぶち壊してくれるし、思いっきり怒ってもついてきてくれるし。篠宮さんなら、新しい世代の人たちも本来のスト研の活動に前向きにさせて、まとめられるんじゃないかって、期待してたんだってさ。でも結局それが、篠宮さんのことばっか贔屓してるみたいになっちゃって、やっかみ買わせることになって、篠宮さんを余計浮かせることになっちゃって。なんか篠宮さんの雰囲気がおかしいっていうか、切羽詰まってる感じになって、前はすごく楽しそうにパフォーマンスするこだったのに、なんか息が詰まりそうな雰囲気醸し出してパフォーマンスしてて。必死さが空回りっていうか、どんどん危うい感じになってって。これは一回離して頭冷やさせたほうがいいって思ったんだってさ。で、篠宮さんなら、すぐ戻ってくるって思ってたし、戻ってこなくても、何がいけなかったのか、どうすればいいのかきいてきたり、研究するために部活覗きに来たりすると思ってたのに、まさかの全くの音沙汰なし。ああ言った手前、自分からは連絡できないし、でも実際どうだか様子気になるし。だからお前ちょっとどんな感じか聞きだしてこいって、わたしが派遣された感じ。」
「そうなんだ。そっか、部長、そうやって思ってくれてたんだ。わたし、期待に応えられなくて見限られちゃったのかと思ってた。」
「まさか。お兄が篠宮さんのこと見限るとかありえない。ってか、篠宮さんに辞めてほしくないって一番思ってるのたぶんお兄だよ。お兄が部活辞めないで続けてきたの、篠宮さんがいたからだし。」
「え?部長が部活辞めなかったのわたしがいたからなの?なんで?」
そう聞き返して、智子にため息をつかれ、花月はまた訳が分からなくなった。そして、頭をなでられて、変な感じがする。
「なんて言うかさ。篠宮さんって・・・。まぁいいや。それが素なんだろうし。言うだけ無駄そう。ってか、ここまでノー眼中ってお兄かわいそう。ってか、笑える。ねぇ、良かったら友達になろうよ。アドレス教えて。」
そう本当におかしそうに笑いながら智子が言ってきて、花月は促されるままアドレス交換をした。そして、もう友達なんだから名字にさん付けはいいよ。友達にはトモちゃんって呼ばれてるからシノッチもそう呼んでなんて言われて、花月はシノッチとか初めて呼ばれたと思って、妙に感動した気分になった。
「本当、お兄のことは気にせず部活辞めちゃいなよ。シノッチなら、演劇部とかもいいんじゃない?演劇部なら、昔なんかあったみたいで部員間のいざこざとかに超厳しいから、そういう煩わしいことないと思うよ。それにシノッチ、去年のミスコン、特別賞受賞者だし。それも、うちの大学ミスコンの前座の美人図鑑動画の一人に選ばれて、本選参加してなかったのに投票数集めて特別賞受賞。本選にエントリーしてたら入賞間違いなしだったって評判だったんだし。そんなシノッチが入部したら、絶対、部の宣伝になるじゃん。ってか、美人図鑑への協力もさ、部の宣伝になるからってお兄に言われてやったんでしょ?演劇部も稽古がかなりきつくて部員確保しても辞める人が多いって評判だし、昔ほど部員数集められなくて運営が厳しいって噂だし。シノッチならウェルカムだと思うな。良いと思うな、演劇部。今から演劇部入らない?」
「え?演劇部?なんで?トモちゃん演劇部なの?」
「うーうん。入ろうと思ってここに入学したんだけど、見学しただけでついてくの無理だって思ってやめちゃった。」
あっけらかんとそう答えられて、花月は意味が分からなくて疑問符を浮かべた。
「じゃあ、なんでわたしに演劇部勧めるの?」
「だって、友達が演劇部にいれば顔出せるじゃん。」
「え?演劇部入りたくないけど、演劇部には行きたいの?」
「そりゃ行きたいよ。だって、ここの演劇部のOB有名人多いじゃん。実際部活にOBが顔出すこともあるみたいだし、演劇部にいれば会える可能性あるんだよ?まだそこまで有名じゃないけど、わたし三島健人のファンでさ。まだ、そこまで忙しくないみたいだし、顔出す率高めかなって。特に、今度念願の舞台初主演が決定したし、わたしのよみではその報告もかねて近々現れる可能性が・・・。」
「え?健人。舞台の主演決まったの?」
「シノッチ、三島健人知ってるの?もしかしてシノッチも三島健人のファンとか?わたし、たまたまあの代の引退公演観にきて。笑えるところは笑えるし、最後は思わず泣いちゃって。本当すごく感動しちゃってさ。あそこからファンになったんだよね。ロミオ、本当に恰好良かった。」
「うん。健人達の引退公演凄かったよね。わたしも、すごく感動した。」
「シノッチもあの舞台観に来てたんだ。」
「うん。わたしは、光の演技がすごいなって思った。最初は本当ふわふわしてて、ロミオが深刻に自分たちの境遇や立場のことで悩んでるのに、ジュリエットは口だけで全然深刻じゃなくて、ロミオを窮地に追い込んたりして。でも、それでロミオに怒られても、だってあなたと一緒にいたいんだもんってケロッとしてて。内緒で結婚した時は本当幸せの絶頂みたいな感じで。ロミオが追放されたときは、一瞬これでもかってくらい気落ちしたけど、すぐじゃあ駆け落ちしちゃえばいいじゃないって、その瞬間的な沈んで浮いての表現がすごいなって思った。ラストの仮死から目が覚めた時、連絡の行き違いでロミオが死んでしまったことを目の当たりにして絶望して自殺するシーンは本当にこの世の終わりみたいな雰囲気で。あの時の光、本当凄かった。それまで色々教えてもらったり、舞台を観に連れてってもらったけど、あの時の光が一番、わたしは凄いと思った。」
「そっか、シノッチは香坂光ファンなのか。主演の二人、輝いてたよね。でも、香坂光は卒業後に芸能活動してないんでしょ?折角ファンになっても応援できないとか残念じゃない?わたしは断然、三島健人派だからな。やっぱイケメンだし。去年、大学オケ部を題材にしたドラマがあったの覚えてる?あのドラマでバイオリニストの本条キセキが一話だけのゲスト出演した回があったんだけど。あの時、テレビ初出演で本条キセキの執事役やってて、本当格好良かったんだよ。あれからちょこちょこドラマに出るようになって、テレビで姿拝見できる事が増えて本当嬉しいんだけど。でも、せっっかく仕事軌道に乗ってきたみたいでこっちが喜んでるのに、演技が大げさだとか、テレビに合ってないとか叩いてる人が結構いて、ちょっと嫌な感じなんだよね。元々舞台出身で舞台俳優志望なんだからしょうがないじゃんね。」
「健人、叩かれてるんだ。」
「うん。でも、本人はそういうのを受けても謙虚でさ、爽やかな笑顔浮かべて、そう言ってる人達にも認めてもらえるように努力し続けていくから、役者としての自分の生長を見守って欲しいって。そういう所も本当格好いいよね。ちょっとしたインタビュー記事とかも全部チェックしてファイリングしてるんだ。本当、何もかもが格好いい。駅ビルに貼ってあるジーンスのCMのポスター、格好良すぎておもわず写メ撮っちゃったよ。初主演の舞台、絶対観に行って、ポスターとパンフレットを絶対手に入れるんだ。もっと仕事増えてバンバン出てほしいな。」
そう熱を入れて話す智子を眺め、花月はなんだか嬉しくなって胸が温かくなった。悪く言う人がいても、こうやって応援してくれてる人もいる。健人はいつも、ファンは大切にしないといけないって言ってたな。応援してくれてるファンがいるから、その人たちの気持ちに応えるためにより良い演技をしないとって思えるって、人の思いを背負ってると思えば自然と背筋がしゃんとするって。ファンになって良かったって思ってもらえるような俳優でありたいって言ってたっけ。健人はきっと、今でも頑張ってるんだろうな。台本と睨めっこして、すごく研究して、演じながらいろいろ考えて。健人の初主演の舞台、わたしも観に行きたいな。きっと、舞台の上でキラキラしてるんだろうな。そう思って、花月は久しぶりに健人に連絡してみようかなと思った。
智子と別れ、花月は何となく演劇部の部室のある棟の裏にあるベンチに向かった。部員たちと対立して平行線が続いたとき、思うように演じられなくて切羽詰まったとき、一人で考えたいときや頭を冷やしたいとき、健人はいつもそこに行くんだと昔光が言っていた。だからそこにいると思うよって言われて、健人を探しに行った、数年前の文化祭公演に健人の要請を受けて、別の役をやることになった光の代役として、二人と同じ舞台に立った日のことを思い出す。懐かしいな。あの日、公演の後、光に教えてもらって健人に会いにそこに来た。そして健人から、凄く切羽詰まった様子で、引退公演のジュリエットをやらないかと言われた。絶対後悔させないと、自分も後悔しないと、そんなことしたら絶対心残りすることになるって解りきってるのに、健人はわたしにそう言った。あの時、断って良かったと思う。あの時、光に絶対二人とも後悔するから、勇気を出してって、光が勇気を出すのは今だって言って。それで光が勇気を出してくれて、ジュリエットをやるって言ってくれて、良かったと思う。トモちゃんに会って、アレで本当に良かったんだと余計に実感した。だから懐かしくて、その思い出の場所に足を向けて、花月はそこに人の姿を見つけて立ち止まった。
「健人・・・?」
そう声をかけて、顔を上げたその人物を見て嬉しくなって駆け寄る。
「健人。久しぶり。今ちょうど、健人のこと思い出してたの。久しぶりに連絡しようかなって思ってたところだったんだよ。」
「久しぶりだな。花月。相変わらず元気そうで何よりだ。」
そう健人に微笑で返されて、花月は彼の隣に座った。
「健人が眼鏡かけてる。祐二のと違って縁が厚いね。なんか格好いい。健人が違う人みたい。」
「格好いいか?黒縁、ダサいって言われるんだがな。一応、俺も顔が売れてきたから、変装のつもりだ。まぁ、こんなもの一つで気付かれない程度だから、顔が売れてきたって言ってもまだまだだけどな。」
「大学に来たなら、サクラハイムにも寄ってく?今、遙も帰ってきてるんだよ。祐二と耀介はもうしばらく留守だけど。」
「サクラハイムか。去年まで住んでたのに、なんか懐かしいな。顔を出したい気持ちはあるが、俺が出入りしてるって思われるとまた厄介事が起こるかもしれないし、気軽に顔出すのはな。まったく、ファンを名乗って常識をわきまえない輩がいるから面倒だ。キセキが礼だって言って、一過性のものかもしれないけどあんたがいるとあの人達の迷惑になるから引っ越しなさいって、セキュリティレベルの高いマンションの一室を俺名義にして渡してきたときは、大げさだと思ったが、実際住居侵入されて騒がれてみると、大げさじゃなかったのかもなと思うな。それにしても、あいつのワガママに付き合った礼としてはやり過ぎだと思うけどな。本当、金持ちのすることは解らない。」
「懐かしいね。あの時、キセキが急に健人の事務所に連絡してきたんだっけ?」
「あの時はなんか、今度ドラマにゲスト出演することになったから、わたしの執事役を貴方の事務所の三島健人にやらせてあげるわって社長宛に連絡が入ったらしい。社長からすると、あいつの金に物言わせた依頼は是が非でも受けたかったんだと。儲けにもなれば俺を売り出すきっかけにもできるしな。うちは弱小だからって、マネージャーだけじゃなく社長にまで泣きつかれたら断れなかった。」
「あの頃は健人、キセキのこと嫌いって言ってたんだよね。いくら実力があっても客を蔑ろにするような奴は気に入らないって。お遊びで役者の真似事をして本気で取り組もうとすらしない奴に付き合ってられるかって言ってたっけ。」
「今思うと、あの頃は俺も世間の評判に流されてたな。キセキのこと、気分屋で、自身のコンサートを度々ボイコットしては遊び回ってる道楽者だってな。その尻ぬぐいのために親が多額の金払って代役にいつも有名なバイオリニストを用意していて、客はキセキ自身よりその代役目当てでチケットを買うって噂まであったしな。実際は、親にステージに立つことを妨害されて、勝手に代わりを用意されてて。あの時ドラマの出演を決めたのも、ドラマなら代役を立てることなんてできないから、自分がステージに立って演奏するにはそれしかないと思ってだったからな。ドラマの撮影なんて、ほんの少しの時間でもあいつにとったら恐ろしいほど過酷だったはずなのに、あいつは常に世間の噂通りの、気分屋でワガママで扱い辛いお嬢様を演じきって周りを振り回して。あれがあいつの本当なんだと、俺もすっかり思い込んでた。あいつの体調不良にお前が気付かなかったらきっと、俺はずっとあいつのこと勘違いしたままだったな。」
「わたし、キセキのバイオリン凄く好きなんだ。」
「そうだったな。お前、俺があいつと共演することになった時に、本条キセキって誰?って言ってきて、管理人さんがあいつのコンサートのCD聴かせたら、暫くそればっか聴いてたもんな。」
「うん。だからね、知ってたの。キセキがバイオリンを弾くことに命を懸けてるんだって。バイオリンを弾くためならなんだってする人だって。だって、バイオリンを弾いているときだけがキセキが生きている時間だった。誰よりも生きる事を全力でしてた。生きる事に命を懸けてた。野生の生き物と同じ。わたし、小さい頃からずっと見てきた。そうやって生きる動物たちを。だからキセキに会った時わたしには解ったんだ。キセキは気力だけで動いてるって。」
「流石だな。俺はお前みたいに野生の勘は働かん。それに、確かにあいつの演奏は凄いと思うが、聴いただけであいつがそれに命を懸けてるって解るものなのか?でも、実際にあいつは命を懸けて演奏し続けてたな。今、この舞台でバイオリンを弾くことができるなら、この場で死んでも構わない。逆にバイオリンが弾けないのなら生きている意味はない。長生きするよりも、一回でも多く演奏し続けていたい。それが、あいつのたった一つの願いだったんだからな。」
そう言って懐かしそうに目を細める健人を見て、花月も思い出にふけった。本条キセキは、生きていることが奇跡だから、そして奇跡が起きて長生きができるように、そんな理由でキセキと名前をつけられたと言っていた。生まれてすぐに疾患が見つかり、医者に手術ができるようになる年まで生きられないと言われて、親には生きていること以外何も期待されず、弟からは疎まれて育ったのだと。ずっと孤独だった。生きていることが苦痛だった。でも、バイオリンと出会って世界が変わった。バイオリンが自分の全て。バイオリン以外は何もいらない。バイオリンがないと生きていけない。だから、わたしからバイオリンを取り上げようとするあの人達は、わたしに生きて欲しいと願いながら、わたしに死ねと言っているのよ。そう言ってキセキは泣いていた。バイオリンと出会って、キセキは生きる事に希望を持った。バイオリンを弾くためにキセキは生き続けた。そして手術ができる年になって、もっと長生きができる道が拓かれた。でも、キセキはバイオリンを弾き続けるために手術をすることを拒んだ。そして両親は手術を受けさせるためにキセキからバイオリンを奪おうとした。キセキは手術が成功して健康になって演奏をし続けられることよりも、手術が失敗してバイオリンが弾けなくなることを恐れた。一番怖かったのは、生きているのに弾けなくなることだった。弾けないのに生き続けなくてはいけないことだった。自分には手術に耐えられるだけの体力がないと認識していたから。手術を受けること自体がとても危険なことなのだと解っていたから。そんなキセキのことを、健人は案外臆病なんだなと鼻で笑ったらしい。二人の間にどんなやりとりがあったのか、わたしは知らない。でも、ドラマの撮影を終えたキセキは手術を受けることを決めた。あれからどうなったんだろう。わたしはキセキの連絡先を知らないから、本人に様子をきくことはできない。わたしの顔が大っ嫌いだった人にそっくりだから、わたしとも仲良くしないって言って、キセキは連絡先を教えてくれなかった。でも、わたしのことは嫌いじゃないって。だから、動けるようになって戻ってきたら生で演奏を聴かせてあげるって言ってた。楽しみにしてなさいって。だからきっと、その時が来たら向こうから連絡をくれるんだと思う。そう考えて、花月はその時が来るのが楽しみになってなんだかワクワクした。
『わたしに憧れても絶対に、あの女みたいに、本気で羨むようにわたしのことを羨ましいなんて言わないで。そんなこと言われたら、わたし、あなたのことも大っ嫌いになるわ。これしかなくてこれにしか縋れなかったわたしと違って、麗子はなんでも選べたはずなのに。あんな顔であんなことを言って、本当、大っ嫌いだった。わたしは賭けに負けたからこうなったのよって、とても残念そうに全部を諦めたような顔をして、自分の死を受け入れて、ただ静かに死んでいって。本当、いけ好かない女だった。あなたは精々自由に生きて、人生を謳歌しなさい。みっともなくても足掻いて生きて行きなさい。それが生きている人間の、自分自身で歩くことができる人間の使命よ。』
そう言ったキセキの姿がふと頭に浮かんで、花月は少しだけ胸がざわついた。きっとキセキは本当は麗子に言いたかったんだと思う。わたしのことを羨ましいなんて言わないで。もっと必死に生きようとしなさいって。でも死を目前にしたその人に言う事ができなかったから、代わりにきっとわたしにああ言ったんだと思う。キセキは知らない。キセキの言う大っ嫌いだった女、霧島麗子が、わたしの血を分けた双子の妹だと。一緒に過ごしたことはない。それどころか会ったことすらない。生まれた時の検査で遺伝子に異常が見つかったわたしは、生まれなかったことにされてしまったから。なのに、わたしは健康に育ち、何も異常がなかったはずのその人の方が若くして亡くなってしまった。そして、政略結婚が決まっていたその人の代わりにわたしはさせられそうになった。その話しも、実の父という人が亡くなって、実の兄と言う人が霧島家の当主に収まったことでどうでも良くなって、わたしが霧島麗子になりたくないと言ったら勝手にしろと言われて終わってしまった。だから全然わたしは自分の本当の家族のことを知らない。家族と思えないと自分自身が拒絶し、向こうから縁を切られ、縁者を名乗るなと言われている今、知る必要も無いと思う。でも、キセキからその人の事をきいた時、少しだけ興味が湧いた。いったいその人は死ぬ前に何を考えていたんだろう。いったいどんな賭けをして、何に負けたんだろう。そして、なにを諦めたんだろう。そんな興味。ただそれだけ。それ以外、なんの感情も湧かなかった。自分と一緒に生まれた人の話をされていたのに、本当に他人事のようにしか感じられなかった。そして、やっぱりわたしはその人達の家族ではありえないんだなと思って、なんだか虚しくなった。そしてちょっとだけ、生前のその人の想いを知れたなら、少しだけ家族に近づくことができるのかななんて考えた。でも必要ない。わたしが本当の家族に近づく必要なんて。わたしは麗子にならなかった。わたしと麗子は違う。姿形はどんなに似ていても、絶対にその人と同じようには生きない。わたしはわたし。わたしは篠宮花月だから。もう霧島家とは無縁の全く関係のない人なのだから。もうそれは求める必要がないものだ。求めてはいけないものなんだ。だから、その人が生前どんな想いを抱えていたかなんてわたしが知る必要は無い。そう思った。わたしはキセキのことが好きだ。生きる事に命を懸けるキセキはとても格好良くて、憧れた。だから、キセキに大っ嫌いになられないようにしなきゃなって、あの当時、それだけ考えれば良いって自分に言い聞かせたのは、自分の中に本当は本当の家族への憧れのようなものがあったからかもしれない。普通を知れば知るほど、普通に憧れる自分がいたからかもしれない。もしも自分が正常に生まれてきていたらと考えたり、いなくなった誰かの代わりではなくて普通に自分自身として家族に迎え入れられていた自分を少しだけ想像してしまうくらいには、家族が恋しいと思うようになっていたからかもしれない。でも、当時のそんな思いも今はなんだか懐かしい気がする。今は本当にどうでも良い気がする。本当の家族なんかいなくてもわたしには皆がいる。大好きで大切な皆がいて、そんなみんなに大切にしてもらって、優しくしてもらって。血が繋がってなくても、他の誰が何と言っても、皆がわたしの家族だから。そんな皆と離れたって、きっとこれからも大丈夫。今はそう思える。そう思えるのはきっと、皆との繋がりを強く感じたからだ。わたし達の間には、確かな絆があるんだって皆が教えてくれたからだ。わたしには皆がいる。だから大丈夫。そう思うとなんだかとても心強い気がして、花月は笑った。
「そうだ。あいつ、近々こっちに戻ってくるらしい。術後の容態も安定してて、リハビリも順調なのに、相変わらず親が過保護で退院できない状態が続いてたそうだが、医者からの太鼓判も出てようやく自由になれそうだと。そういえば、お前に会ったら伝えとけって。戻ったら、生まれ変わったわたしの魂の叫びを見せつけてあげるわ。今ここだけじゃない。未来を描くわたしの、新しい新世界を。楽しみにしておきなさい。だそうだ。」
そう身振り手振りをつけて言う健人を見て、花月は目を輝かせた。
「健人、キセキそっくり。格好いい。」
「お前は本当にあいつのこと好きだよな。この態度がでかくて偉そうな感じは格好いいのか?」
「うん。キセキ格好いい。わたし、キセキのこと好き。」
「俺には理解できない。柏木も似たようなもんだろ。あいつとは何か違うのか?」
「うーん。遙はなんていうか、ちょっと違う。どちらかって言うと、健人の方がキセキに似てると思う。」
そう答えると、健人が嫌そうに顔を顰めてそうか?と言ってきて、花月は首を傾げた。
「健人は、今もキセキのこと嫌い?」
そうきくと、健人はいやとそれを否定した。
「嫌いじゃない。ただ、ちょっと面倒だと思うことはあるが。あいつみたいな生き方は悪くないと思うよ。」
そう言う健人が小さく笑って、良かったと思う。健人の嫌いじゃないは結構好きってことだ。そう思うとなんだかおかしくて、花月は思わず笑ってしまった。
「そういえば、なんで健人ここにいるの?」
「あぁ、舞台で主演することが決まったからな。学生時代世話になった先生に報告に。ついでに部活に顔出して、後輩達の様子を見てきた。」
「おー。トモちゃんの言ったとおりだ。凄い。」
「トモちゃん?」
「友達。健人のファンなんだって。念願の舞台初主演が決まったから、近々健人が演劇部に顔出すんじゃないかって言ってた。テレビでの演技叩かれてるけど、そういうの受けても前向きに頑張ってる姿が格好いいって言ってたよ。もっと健人の仕事が増えるといなって応援してた。」
「そうか、そう思ってもらえるのはありがたいな。それにしても、友達か。お前から友達の話しをきくなんて、始めてな気がする。ようやくサクラハイムの面々以外に仲良くできる奴ができたか、良かったな。」
そう言われて、花月はなんだかくすぐったいような気がした。言われてみればそうかもしれない。バイトや部活の仲間ができても、友達って今までなかったかもしれない。そもそも友達の定義が解らない。なんとなく友達とか友達じゃないとか線引きしてたけど、普通の生活をするようになって、サクラハイムの外で友達って思える人は今までいなかった。大学でできた初めての友達。その響きがなんだか特別な気がして、花月は妙に嬉しくなった。
「そうだ。その友達も誘って俺の舞台観に来るか?どうせお前の事も誘おうと思っていたんだ。その子は俺のファンらしいし、お前にできた貴重な友達だしな。良ければ友達の分もチケット用意してやるぞ。」
そう言われて、本当?と目を輝かせ、花月はありがとうと満面の笑みを浮かべた。
「それにしても、今日ここに来ると連絡してたわけでもないのに、ここでお前に会うことになるとは奇遇だな。ここにはよく来るのか?」
「うーうん。今日はたまたま。懐かしくなってここに来てみたら健人がいてビックリしちゃった。」
「そうか。俺も懐かしくなってここで想い出に浸ってた。学生時代、俺はよくここに居たからな。」
「うん、知ってる。光がそう言ってた。」
そう言うと、健人が目を細めてそうかと呟いて、花月はふと健人にも人生について聞いてみようかなと思った。健人の生き方はよく知っている。役者になるという夢を追い続け、努力し続け、今に至った。よそ見をしたこともなく、自分に妥協も許さない。そんな健人が唯一妥協したことといえば、スカウトのしつこさに負けて入るつもりがなかった芸能事務所に所属したことぐらい。舞台俳優以外の仕事をすることは、色んな経験を積むことができて舞台に生かせるとむしろ積極的で、昔も色んな事にチャレンジしていた。光曰く、それは子供の頃からとのことで。だから、健人にききたいのは、どうして役者になったのかじゃない。役者になるまでの道のりでもない。健人にききたいのは・・・
「ねぇ、健人。健人は役者をやりたくなくなったことある?」
役者になること以外に目を向けたことがないように思える健人が、進む道に迷ったことがあるのかどうか。
「ないな。」
そう簡潔に答えられて、やっぱそうかと思う。健人が役者やりたくないなんて思うわけがないよね。そう思う。
「でも、自分には才能がないと思って落ち込むことは多かった。」
そう健人の声が続いて、花月はそれがとても意外で、思わず彼の顔を見上げた。
「正直、今も似たようなものだ。お前の友達の言った通り、俺の演技は叩かれてるしな。キセキの執事役をしたときは、執事っていう非日常的なキャラクターだったおかげで舞台仕様の大げさな演技がうまく嵌まったが、でも、それ以外ではやっぱ浮く。テレビの演技は舞台と求められるものが全然違ってなかなか慣れない。まぁ、テレビ出演し始めたばかりの頃に比べたらだいぶ改善してると思うが。声の出し方にしろ身振り手振りにしろ、まだまだ指導されることが多いし、自分自身全然納得できる演技はできていないんだ。それが悔しくて悔しくて堪らない。自分には才能がないと思って落ち込んで、努力し続けても結局自分が思い描く所までたどり着けないんじゃないかと思って怖くなるときもある。叩かれてるのはテレビでの演技だし、自分がしたいのは舞台だからと舞台一本に仕事を絞ることが頭を過ぎることもある。でもな、舞台一本に絞るのは結局逃げだと思うんだ。そうやって逃げるのは簡単だ。でも、テレビだろうと舞台だろうと演技は演技だ。演技をすることからは逃げたくない。目を背けたくない。それに、逃げたところで結局、俺は絶対そのことが引っ掛かってどうせ舞台も上手くできないんだと思う。だから俺は舞台一本には絞らない。そして観客に、こいつはこういう演技もできるのかと驚かれるようになりたいし、認められたい。それにテレビを通して俺を知ってもらって、俺に興味を持たれることで、舞台に関心を向ける人が増えてくれればとも考えている。あと何より、自分を応援してくれる人をがっかりさせたくない。幸い、自分にはできない領域に憧れて、それに近づくために努力し続ける事には慣れてるしな。子供の頃からずっと光の背中を追ってたんだ。しかも光の奴、勝ち逃げしやがったからな。あいつの演技に苛ついたこともあったが、結局最後には俺が完敗だと言うしかないような演技をして、自分はすっかり満足しきって完全に引退しやがって。おかげで俺は、今もあいつの幻を追い続けてる。光ならこういう演技もさらっとこなしてみせるんだろうな。上手く対応するんだろうな。そんなことを考えて悔しくなったり腹が立ったり。やっぱりムカつくな。だから、いつか俺の舞台を観て、あいつに悔しいと言わせたい。自分もあんな風に演じたい、役者を続けていれば良かったって思わせたい。それも、俺のモチベーションの一つだ。俺はまだ役者としてやりたいことがある。目指したい場所がある。満足するには全然足りない。まだまだなんだ。まだまだだから、これから先を思ってワクワクする。だから役者をやめたいなんて思わない。結局、多少辛いことや苦しいことがあっても楽しいんだ。好きなことを全力でできることが。」
そう心底楽しそうに話す健人を見て、花月はそっかと呟いた。健人はやっぱ健人だな。全然変わらない。だから安心する。健人にきけばいつだって、すぱっと迷いない答えが返ってくるから。
「お前は違うのか?」
そう水を向けられて、花月は疑問符を浮かべた。
「お前もそういう奴だと思ってた。ただ楽しいことが多すぎて一本に選べないだけで、楽しいからどんな苦難も逆境も笑って乗り越えていける奴なんだと。お前は目につくもの何でもかんでもに手を広げてたが、その広げたものを絞らなきゃいけない時は絶対にやってくるだろ。自分は一人しかいないし、時間は限られてる。でも、だからといって無理に切り捨てる必要はないと思うぞ。どれが一番やりたいことなのか順序つけて、それらとの関わり方を精査して。趣味で終わらすのか仕事にするのか、どの程度の所を目指すのか。何が正解かなんて、結局は自分が死ぬ間際にならなきゃ解らない。死ぬ間際になって、自分の人生はこれで良かったとそう思えたら、そこまでの過程がどんなものだったとしてもそれがそいつの正解なんだろ。だからその時まで、俺達は精々好きに生きるしかないんだと思うぞ。」
健人にそう目を真っ直ぐ見つめながら言われ、花月はハッとした。
「健人。もしかして健人も湊人から何か言われた?」
そうきくと健人が小さく笑って、俺は光からだなと返ってくる。
「だから、ここに来たついでにお前に会ってこうとは思ってたんだ。連絡する前にお前がここに来たから、正直少し驚いた。予定が合わなきゃ帰るつもりだったから、こうやって話ができたのは運が良かったな。」
そう言われて、花月はなんだか暖かいもので胸が満たされた気がした。
「まぁ、何かあれば相談くらい乗る。気軽に連絡しろ。」
そう言われて、うんと元気よく返事する。
「じゃあ行くか。」
そう言って健人が立ち上がって、花月は思わずつられて立ち上がって何処に?ときいた。
「お前の部活。見に行くぞ。」
「え?わたし、今、来るなって・・・。」
「それは練習に参加するなって事で、見学に来るなとは言われてないだろ。自分がどうしたいのか解らないなら、一回外から眺めてみろ。今まで見えなかったものが見えるかもしれないぞ。」
そう言うと健人が体育館の方へ向かって歩き出して、花月はその後を追いかけた。
一回外から眺めてみる。それだけのことなのに、体育館へ向かう足が酷く重く感じる。なんか怖い。行けばそこに自分の居場所がないと実感してしまいそうで。そう考えて花月は、あぁ自分は部活をやめたくないんだと思った。やめたくない。でも、やめて欲しいと思われている。だから行くのが怖い。でも、自分の足取りが重くても健人はずんずん行ってしまうから、花月は置いていかれないように彼の背中を追った。目の前の背中が頼もしく見える。健人が先に行ってくれるから、歩みを止めずにいられる。そういえば、わたし、熱に浮かされながら目が覚めたとき、一人で置いていかれる不安に駆られて飛び出した先で健人の背中を見付けて、健人をお兄ちゃんと間違えてこの後ろ姿を追いかけてサクラハイムに来たんだった。なんか不思議。こうやって健人に付いていけば、大丈夫な気がする。怖くても、怖くなくなる気がする。健人がお兄ちゃんに似てるから安心するのかな。実際はお兄ちゃんの方が年は上だし、背は健人の方が高い。でも、やっぱ、後ろ姿はそっくりだと思う。お兄ちゃんと過ごしていた頃の自分が小さかったから、大きくなった今、実際のお兄ちゃんより大きな健人の後ろ姿がそっくりに見えるのかもしれないけど。そう、小さい頃はずっとお兄ちゃんについて回っていた。その背中をいつも追いかけてた。お兄ちゃんの傍にいれば大丈夫だと思ってた。でも、ある日突然、お兄ちゃんはいなくなってしまった。再会したお兄ちゃんは、わたしの知っているお兄ちゃんとは違う人みたいだった。なんだか遠い存在になっていた。健人の背中を眺めながらそうやって物思いにふけっていると急に、花月の中に、小さい頃、自分が兄だと思い込んでいた人が自分達の暮らす場所からいなくなった時の事が蘇った。ずっと忘れていた。何故か思い出すことができなかった、幼い頃の記憶。
そういえば、わたしはお兄ちゃんのこと、昔は周と呼んでいた。お婆ちゃんがお兄ちゃんを周と呼んでいたから。そして、周がお婆ちゃんと呼んでいたから、お婆ちゃんのことをお婆ちゃんと呼んでいた。ただそれだけ。二人を自分の家族だと思い込んだのは、ずっと後。家出をして始めて色々なことを知ってから。あの頃のわたしは、家族というものの意味だけでなく、その言葉自体も知らなかった。お婆ちゃんと周とわたし、その三人だけの世界で、その言葉を知る必要もなく、その言葉が使われることもなかったから。周をお兄ちゃんと呼び始めたのは、周がこっそりお祭りに連れて行ってくれたときから。お婆ちゃんに内緒で、こっそり。あまり人に顔を見られちゃいけないからって、渡されたお面を被って、周に手を引かれて。屋台の人に声を掛けられるとわたしは周の後ろに隠れた。当時のわたしには周と屋台の人が話している会話の意味が解らなかったけど、その雰囲気がとても心地よくて嬉しくて、屋台の人の言うお兄ちゃんという言葉が周を指しているのだとわかって、その響きがなんだか特別に感じて、周をお兄ちゃんと呼ぶようになった。そうだった、わたしは家出の前に一度だけ、山を下りたことがあったんだ。なんで今まで思い出せなかったんだろう。凄く楽しくて、夢見たいな時間だったのに・・・。そうだ、周が忘れろって言ったんだ。今はまだアレは手の届かない夢だから忘れるんだって言われたんだった。そして何故かわたしは本当にそれが夢だった気がして、楽しい夢を見た気がして。寝て起きたら、なんだか凄く良い夢をみた気がするという幸福感だけが自分の中にあった。だから、起きてすぐ、報告しに行ったんだ。昨日凄く楽しい夢を見たんだよ。どんな夢か覚えてないんだけど、凄く、凄く楽しくて、とても良い夢だった気がするんだ。そしてわたしは、周に話しをふるとき、彼をお兄ちゃんって呼んだんだ。そしたら、お婆ちゃんが何故か凄く怒りだして、それで・・・。
『ダメだと言われていたけれど、俺はお前に本当の世界を見せたかったんだ。本当はこんなにも沢山の人がいて、あんな風に暮らしてるって。この山の中だけが全てじゃないって。ここで暮らすこと以外何一つ教えずに、カヅキを一生ここに閉じ込めておくことが、本当に正しいことだとは俺には思えないから。でも、俺がどう考えようと、今はまだ、俺にお婆ちゃんをどうにかする力がない。お前の護手は俺なのに、俺の権限はまだ現当主であるお婆ちゃんには敵わない。だからすまない、カヅキ。今はお婆ちゃんの言うことをきいて、俺は一度お前の元を離れるよ。でも、どこにいたって、姿は見せなくたって、どんなときもお前の為に全力を尽くす。だから大丈夫だ。カヅキ。今はダメでもいずれ、お前をここから連れ出してやる。だからその時まで、ちゃんとお婆ちゃんの言うことをきいて良い子にしてるんだよ。』
そう言ってお兄ちゃんが視線を向けた指先に綺麗なチョウチョがとまっていた。綺麗なチョウチョと呟くとお兄ちゃんは、お前にはこれが蝶に見えるのかと言ってわたしの方を見た。じゃあこの蝶を見付けたら、これを追いかけておいで。これがお前を外に連れ出してくれるから。そんなお兄ちゃんが言った言葉が蘇る。そうだった。あのチョウチョ。あのチョウチョをわたしは見たんだ。始めて家出をしたときも、二回目の家出のときも。チョウチョを追いかけて、気が付いたら山から下りて街中に出ていた。チョウチョを追いかけて、ふと気付いたら開いた窓の前に立っていた。あのチョウチョはお兄ちゃんだったんだ。お兄ちゃんがいつもわたしを外に連れてってくれてたんだ。そう思って、花月はなんか変な感じがした。なんだ、お兄ちゃんはやっぱずっと変わってないのかもしれない。子供の頃一緒に暮らしていた頃と、今も変わらないのかもしれない。ただ、わたしとの関わり方が変わっただけ。関係はきっと変わってない。その想いも。お兄ちゃんもお婆ちゃんも同じ篠ノ宮に仕える宮守の人間で、わたしを正式な篠ノ宮の当主だと思ってた。だけどわたしの扱いをどうするか、二人の意見は違ってたんだ。二人は喧嘩してたんだ。二人ともよく役目がどうとか役割がどうとか言ってたけど、なんだ、結局二人とも自分の好きにしてたんだ。したいようにしてたんだ。わたしにお前はカヅキだからうんたらかんたら言っていたけれど、結局二人が求めてたカヅキは違う物で、こうじゃなきゃいけないって訳じゃなかったんだ。あの頃はよく解らなくて言われた通りにしてたけど、本当はどうだってよかったんだ。なんだ、わたしはわたしで良かったんだ。初めから、わたしはわたしだったんだ。今だって、誰になんて言われたって、わたしはわたしのしたいようにしていいんだ。だから、怖がらなくて良い。意見が合わないなら喧嘩すれば良い。喧嘩に負けたら退くしかないけど、負けたら負けたで次どうするか考えればいいんだ。だって、お兄ちゃんはきっと、あの時はお婆ちゃんに勝てなかったけど、最後にはお婆ちゃんに勝ったんだ。だから今、わたしはこうしてここにいる。お兄ちゃんが望んだ形ではないかもしれないけど、わたしは今、広い世界の中にいる。
「なんだ、急に笑い出して。」
そう怪訝そうな声で言って健人が振り向く。
「なんでもない。でも、なんか、最近落ち込んでて色々考えることが多くて。そしたら、皆が色々気に掛けてくれて、皆に色々話しを聞いて。今まで皆と過ごした時間、皆と出会う前に過ごした時間、忘れてた小さい頃のこととか、色々なこと思い出して。なんか、今、そういうの色々全部急に自分の中で繋がって。久しぶりに凄く、凄く、気分が良いんだ。気持ちが軽くて、今ならなんだってできる気がする。なんでも大丈夫な気がする。わたし、最近ずっと自分のこの先が見付けられなかった。解らなくなってた。前はずっと、先なんて解らなくても、先にあるものがキラキラしてるって思えたのに、最近はずっと解らないことが怖くて、先が真っ暗な気がしてた。でも今はまた先がキラキラしてる気がする。この先に何があっても大丈夫って思える。健人、なんかわたし、凄くワクワクする。なんか、楽しい。」
そう言うと健人がそれは良かったなと言って小さく笑いかけてくる。そして、体育館に着いたのに、正面入り口とは違う方に健人が向かって行って花月は首を傾げ、またどこに行くのと声を掛けた。
「部活に参加しないのに、堂々と真正面で見学する気か?」
そう言われて、疑問符を浮かべる。
「知ってるか、花月。体育館にもステージはあるんだぞ。そしてステージには裏口から入れる。」
そう言って裏口から中に入っていく健人を追って、花月は知ってるよと答えた。
「わたしだってここの学生だし。」
「そうか。なら、ステージ裏に梯子があって、そこからキャットウォークに上がれるのは知ってるか?そこから見るぞ。」
「キャットウォーク?」
「体育館の上部にあるだろ?格子が付いた狭いスペース。体育館で舞台やるとき、照明をそこに設置して照射したりするんだが。」
「あーあそこ。あそこ、どうやって上るのかなって思ってたんだ。舞台裏に梯子なんかあったっけ?」
「専用の機具を使って降ろすんだよ。」
そう言いながら、健人が手慣れた様子で機具を使って梯子を降ろして、二人はキャットウォークに上った。
初めて上ったその場所から見る景色はなんだか新鮮で、花月はわーっと声を上げた。
「凄い、凄い、皆が普通に見渡せる。なんか不思議。上から見るとこんな感じなんだ。」
「あまりはしゃぐなよ。一応、お前、謹慎中だろ。謹慎中の奴がそんな脳天気にはしゃいでどうする。向こうからだってこっちは見えるんだ。真面目に練習している奴に失礼だぞ。」
そうたしなめられて、花月はごめんなさいと呟いた。
「で?お前にはどう見えるんだ?今のお前の部活のことが。」
そう言われて、視線を練習している部活の仲間達に向ける。皆一生懸命やってるな。凄く真剣に、同じ事ができるように何回も。でも、なんか・・・。
「腑に落ちないって顔してるな。」
「うーん。なんていうかさ。今のスト研の活動って、ストリートパフォーマンスって感じがしないんだよね。」
「ストリートパフォーマンスって感じがしない?」
「うん。なんていうか。窮屈。決められた形があって、それにそって練習して。ストリートパフォーマンスってさ、もっと自由な物だと思うんだ。極端な話し、自分とお客さんがいればそこがステージで、何をやっても良い物だと思うんだ。浩太もそんなこと言って、色んな事、これも見せ方考えればパフォーマンスとしてお客さんを楽しませれそうだよねって、どうやったらもっと楽しくなるのか考えながら練習してた。わたし、そういうのが楽しかった。一回生の時はさ、スト研の活動もそんな感じだったんだ。こうやって練習する時間より、皆で話してる時間の方が多くて。色々映像見たり、気になるパフォーマーの演技実際に見に行ったり。アレやってみたいとか、今度これに挑戦しないかとか言って盛り上がって。どうやったらもっとお客さんを湧かせられるのか、ディスカッションしたりして。それで、色々技を練習したり、新しい出し物考えたりして練習して、文化祭とか、そこら辺の公園とかで実演したりして。スト研が同好会から部活に変わった頃からかな。なんかだんだん方向性が変わってきて、部として実績を残さなきゃいけないから、大会に出て上位を目指すようになって。それが活動の中心になって。なんか、点数稼ぐためにはこう言う技を入れた方が良いとか、こういう組み合わせでパフォーマンス構成した方が良いとか、そんな話しばっかするようになって。なんか違うなって。でも、皆がそう言うから、それが正しいんだって言うから、そうしなきゃいけないって言うから。難易度の高い技がこなせるわたしは、失敗しちゃいけないし、勝たなきゃいけないって。でもそういうの求められると、どんどん楽しくなくなって。でも、これをお仕事にしたいなら、楽しいだけ考えてたらダメなんだって、実績を残してより高いところに行かなきゃいけないんだって思った。楽しくなくても笑えって。どんな状態でも笑えって。楽しそうに演技することも点数に繋がるからって。なんか、そういうのモヤモヤして。嫌だった。でも、そういうモノなのかなって。皆がそう言うなら、皆の方が正しいんだろうなって。我慢して、頑張ってた。でも、こうやって外から眺めてみると、やっぱ違うなって。これは、ストリートパフォーマンスじゃないよ。」
そう言って、花月は唸った。
「部活として存続するためには、実績を残さなきゃいけないのは解る。規定があるし、それによって部費の支給額も変わるし。でもさ、そのためにこんなに変わる必要ってあったのかな?今やってるのは、夏休み中に参加予定のイベント用のパフォーマンスなんだけど。イベントは点数競うわけじゃないし、イベントまでこんな画一的にしなくても、そういうところはもっと嵌め外しても良いんじゃないかなって思っちゃうんだ。こんなの、楽しくないよ。楽しくない物無理に楽しそうにやったって、やっぱそんなの楽しくないよ。それに、そんな楽しくない物お客さんに見せても、お客さんに楽しいが伝わらないと思うんだ。難易度の高い技を見せれば凄いとは思ってくれると思う。綺麗に技が揃えば凄いと思ってもらえるとは思う。でも、楽しいは伝わらないと思うんだ。浩太、初めてここの文化祭に遊びに来てスト研の出し物見て、悔しがってたんだよ。自分の方がジャグリングの技術は上だけど、見せ方があっちの方が上手いって。技術じゃなくて、どれだけお客さんを楽しませられるかの方が重要なんだって。上手にやるより、お客さんを湧かせられる方が格好いいんだって。そういうことなんだよ。わたしも、浩太と同じなの。わたしが求めてるストリートパフォーマンスは、上手に技を決めることじゃなくて、皆に楽しいを届けることなんだよ。」
そう口にして、花月は視界が開けた気がした。
「部長!」
そう大きな声で叫ぶ。
「わたし、解った。パフォーマーとしての自分。思い出しました。だから、見て下さい。わたしのパフォーマンス。」
自分の声に振り向いた部長に向かって、大きな声でそう告げる。そして、花月は格子の上に立つと、そこから思い切って飛んだ。
戸惑いを含む驚きの声で自分の名前が叫ばれたのが聞こえる。宙に浮かぶ自分に視線が集まって皆がどよめきざわつく。その反応がなんか楽しい。感じる風が気持ちよくて、楽しくて、花月は笑って宙返りをして着地した。そしてそのまま跳んで跳ねて、くるくる回って、スト研の皆の元に向かう。思い切り身体を動かすのは楽しい。好きなように、思うままに。そして、花月は思い切り飛んで、空中でくるくる回って、部長の目の前に着地した。そして驚いた顔で固まる部長に向かって満面の笑みを浮かべる。
「部長。どうでした?わたし凄い?楽しい?ワクワクした?」
「って、危ねーだろーが。何してんだ、お前。ワクワクどころじゃねーよ。心臓止まるかと思ったわ、ボケ。」
褒められると思ったのに、そう思いっきり怒られて、花月は小さくなってごめんなさいと呟いた。そして、怪我したらどうするだとか、バカじゃないかとか、暫く怒られ続け、花月はひたすらごめんなさいとすみませんでしたを繰り返した。そして説教が一段落したところで口を開く。
「でも、部長。パフォーマーとしてのわたしの一番の強みは、このずば抜けた身体能力だと思うんです。得意なことを思いっきりやるのって楽しいし、自分が何処までできるのか挑戦するのも楽しい。わたし、今の凄く楽しかったよ?」
「お前はパフォーマーとしての自分を見つめ直していったい何を再発見したんだ。ってか、途中から敬語抜けてんぞ、敬語。年はお前の方が上でも、俺の方が立場上だからな。」
「ごめんなさい。でも、部長。わたし、ストリートパフォーマンスは楽しいものだと思うんです。楽しいを人に届けるものだと思うんです。皆で同じことする必要は無いと思うんです。苦手なことができなくたって、皆と同じようにはできなくたって良いと思うんです。皆も自分の得意なこと、やりたいことを思いっきりやれば良いと思うんです。皆が同じように同じ事をやってる今のスト研の活動は、全然ストリートパフォーマンスしてないと思います。わたし、こんなのやりたくない。」
「だから退部するって言いに来たのか?」
「違います。わたしは皆ともっと楽しみたい。競い合うなら点数じゃなくて、どれだけ楽しめるのか、人を楽しませられるのかで勝負したい。部活だから、実績を残さなきゃいけないのは解ります。大会に出て、大会に勝つためには明確に決められた点数を稼ぐために、好きなようにだけするわけにはいけないって解ってます。でも、大会以外の所まで枠にはめ込む必要はないんじゃないでしょか。イベントは、はめを外して皆で楽しみたい。ここの皆と、そしてお客さんと、思いっきり楽しみたい。ただ完成させた物を見せるんじゃない。その場にいる人達を巻き込んで、一体になって、心から皆と楽しいを満喫したい。その方が絶対、今よりずっと楽しいです。今よりずっと、お客さんも喜んでくれるはずです。だって、自分が好きな物、楽しい物の方が、人に伝えるときだってそれがよく伝わるでしょ。これは凄く素敵な物だって思ってもらえるでしょ。だからやめちゃいましょ。こんなこと。今度のイベントに向けたパフォーマンス。一から考え直しましょう。チームでのパフォーマンスだからって個性を潰すことはない。綺麗に纏めることはない。もっと自由に、自分達がどうやったら楽しめるのか、どうしたらお客さんに楽しんでもらえるのか、もっと話し合って、皆で自分達だけの、自分達にしかできないパフォーマンスを作りあげましょう。わたしは、それがしたいです。」
そう言って、花月は自分が一緒に出場する予定だったメンバーの元へ行った。
「ダメかな?皆で同じ事しないと。綺麗に演技しないと。わたし、もっともっと皆の得意なこと見たい。教えて欲しい。ほら、バンドとかでもさ、楽器の担当者紹介しながら一人ずつ演奏してって最後に合奏になるやつとかあるじゃん。あんな感じで、一人一人が得意なこと披露していって、最後に一つのまとまりになるみたいな。そういうのも楽しいと思うの。あとね、わたし、大勢でやるなら、二つの縄跳び回してる間をアクロバットしながら抜けてくやつとかやってみたい。ああいうのは人数いないとできないじゃん。せっかくこんなに人がいるんだから、色々さ、色々できることってあると思うの。今は想像つかないことだってきっと、いっぱいできることがあるよ。パフォーマンスの可能性は無限大だよ。一人で挑戦したいこと、皆でやってみたいこと、想像したら楽しくない?そしてそれを実現できたら、絶対、凄く楽しいよ。だから、お願い。皆も一緒に楽しもうよ。お願いします。」
そう言って頭を下げて、そして、ぼそっと何一人で盛り上がってるのと声が聞こえて、花月は胸が苦しくなった。でも、その後に、なんだかそれ楽しそうだね、わたしもやってみたいなと声が聞こえて、花月は期待に胸を膨らませて顔を上げた。冷たい視線を向ける人、温かい視線を向ける人、否定的な人、肯定的な人、積極的な人、消極的な人、どうでも良さそうな人、どっち付かずな人。色んな人の姿が見える。それを見て、あぁ、何でもありなんだ。皆バラバラ、それでいいんだ。そう思ってなんだかホッとする。
「なんか色々意見があるみたいだし、チーム編成からちょっと考え直すか。価値観は人それぞれだしな。決まった枠通りの足並み揃ったのがいいって奴もいるだろうし。もうチームとして完成してるから今回はこれで行きたいって奴らもいるだろうし。ただ、この大所帯、皆が皆画一的に同じようにしなくても良いだろ。アレだな。いくつかグループ分けて、それぞれグループリーダーつけて纏めさせるか。そもそもこの大所帯をひとくくりで纏めようって言うのが無理があったのかもな。」
そんな部長の声が頭上から降ってくる。
「良く戻ってきた、篠宮。合格だ。今日から部活復帰しろ。」
そう言われて、花月は元気よくはいと答えた。そして、キャットウォークの健人を仰ぎ見る。
「健人。わたし、無事に部活復帰できたよ。連れてきてくれてありがとう。わたし、頑張るから。頑張って、皆に元気と笑顔をあげられるパフォーマーになる。これがわたしのやりたいことで、わたしのなりたいものだよ。もう迷わないよ。今度、健人にもわたしのパフォーマンスみせてあげるね。」
そう大きな声で伝えて、花月は大きく手を振った。遠くて顔は良く見えないけど、健人が苦笑した気がする。でも、頑張れよと言ってくれた気がする。
「何、アレ。お前の彼氏?部活に彼氏同伴でくんなよ。そして人前でいちゃつくな。ってか、お前の彼氏ってもっとちびで派手な金パのチャラ男だったろ。あいつはどうしたんだよ。別れたのか?」
そう不機嫌そうな部長の声が聞こえて、花月は疑問符を浮かべた。
「健人は彼氏じゃないですよ。金パのチャラ男?それって、浩太のことですか?浩太なら今イタリアでストリートパフォーマーしてますよ。そして別れてないです。ん?あれ?部長、浩太に会ったことありましたっけ?あれ?写真見せたことあったっけ?浩太のこと何で知ってるの?」
「お前、入学前に彼氏と文化祭遊びに来てただろうが。俺もいたよ。あそこに。髪の毛ド派手なキンパに染めたチャラそうな男子高校生が美人の彼女連れて遊びに来て。人前でいちゃつかれたのだけでも苛ついたのに、更に俺よりパフォーマンスの腕が良くて先輩達にちやほやされててくそムカつくなって、めちゃくちゃ印象に残ってるよ、お前の彼氏。二人してこの大学受けて入部予定だって言ってたから、入ってきたら絶対しばいてやろうと思ってたら、結局お前だけしか来なかったから、あいつ落ちたのか、面目丸つぶれでざまーみろとか思ってたのに。新歓の時興味本位でお前にそいつの話しふったら、お前めちゃくちゃのろけ話ししてきて。おかげさまで、知りたくなくてもお前の彼氏のことよく知ってるわ、ボケ。しかも、その時お前の話し聞いて、適当な言い訳して逃げたなそいつとか思って、そのうちお前に愛想尽かされて別れるんじゃねーのとか思ってたのに、本当にイタリアでパフォーマーになってて、しかもまだ続いてたとか。お前の彼氏、マジでムカつく。」
そう半ギレ気味で部長にまくしたてられて、花月はなんで浩太こんなに悪態つかれてるの?と混乱して、浩太の金髪は地毛だよとかよくわからない突っ込みが頭をよぎりつつ、その勢いに押されて訳がわからないままとりあえず、ごめんなさいと呟いていた。
一つ大きなため息をついた部長が、部員たちに向かって今日は練習切り上げてミーティングにするぞと声をかける。そして振り向いて、お前が言い出しっぺみたいなもんなんだから、責任取ってお前一グループまとめろよ、お前の意見に賛同した奴ら集めてグループ作ってやるからと言われて、花月は背筋を伸ばして、はい解りましたと返事した。
○ ○
部活に復帰して初めての休日、花月は真田一臣を誘って近所の公園にやってきた。遥は一臣と仲良くするなっていうし、今日もなんか一臣に声を掛けたら怖い顔して色々言ってたけど、スルーすることにした。前ならこんなことをしたら、遥に悪いことしちゃったなって気になって、落ち込んで、どうしたらわかってもらえただろうって悩んでいたかもしれない。でも、今はこんなことしてしまっても案外平気な自分がいて、花月は不思議な感じがした。わたしと遥は別の人間だから、分かり合えないこともある。自分の意思を通すために、相手の意見を撥ね退けて傷つけてしまうことも当たり前にある。でもそれはお互いさまで、そういうことがあっても関係は続けられる。遥とわたしの絆はこれくらいで壊れるようなものじゃない。そう信じられるから、今はそんなに不安にならなかった。
「良かったのか?遥をあんな怒らせたまま置いてきて。」
そうきかれてうんと答える。
「追いかけてまで止めないってことは、遥もそこまで本気で一臣と仲良くしちゃいけないって言ってるわけじゃないんだよ。それに、これはすごく大切なことなの。わたしにとって、とてもとても大切なことなの。だから、誰がなんて言ったって、わたしは一臣をここに連れてきたし。これからしようとしてることをやめたりしないよ。一臣が嫌だっていうなら諦めるけど。付き合ってくれる?」
そう言って花月が一臣を見上げると、付き合うつもりがないならそもそもここまでついてきてないと彼が笑う。それを見て、花月は良かったと思って笑った。
「じゃあ、一臣。ここにいてね。」
そう言うと、花月は一臣から小走りで離れ、彼のほうに向きなおった。
「市ヶ谷学園大学ストリートパフォーマンス研究部、二回生。篠宮花月。将来の夢は、ストリートパフォーマーになって、みんなに笑顔と元気を届けることです。今日はその第一歩として、わたしの大切な友達に笑顔と元気を届けたいと思います。だから、一臣。わたしの最初のお客さんとして、今のわたしの全力のパフォーマンスを見てください。」
そう宣言すると、花月は一呼吸付いて一番の笑顔を彼に向けた。そして動き出す。
飛んで跳ねて、階段や手すりや、ベンチや外灯、そういうモノを利用して全身でパフォーマンスをする。高く飛んで宙を舞う。楽しい。凄く。わたしは嘘が下手だ。だから、嘘をついて楽しいを届けようとしても届かない。でも、嘘のないわたしの感情は、真っ直ぐ誰かに届くから。だから、わたしはパフォーマンスをするとき、どんなときでもそれを楽しむって決めたんだ。楽しむことしか考えない。楽しいだけを考えて、楽しいでしょって皆に伝える。例えそこを離れたら全然違う感情の自分がいたとしても、パフォーマンスをしているこの時だけはいつだって、全力で楽しいだけを追求するんだ。だから、一臣。一臣も。今、この時を楽しんで。一臣にわたしの楽しいが伝わりますように。一臣が笑顔になりますように。そう思って笑う。笑いかけながらそこにいる人に手を伸ばすようにパフォーマンスを続ける。そして目が合った一臣が、スッと目を細めて笑って、花月は胸がいっぱいになった。一臣が見たことのない顔で笑ってる。楽しいって笑い方じゃない、でも自分に嘘をついて笑ってる顔でもない。一臣の中から出てきた自然な笑顔。何が伝わったのかわからない、でも、確かに一臣は、わたしから何かを受け取ってくれた。そして笑ってくれた。そう思って、花月は満足した気持ちになった。そしてアクロバットをしながら元の位置に戻って、大仰な仕草で深々とお辞儀をする。ぱちぱちと拍手の音が聞こえて、花月は満面の笑みを浮かべ顔を上げた。
「ブラボー。スゲー良かったよ。なんか、なんて言ったら良いのかよく解らないんだが。凄く綺麗だった。」
そう言われて、ありがとうと返す。
「あのね、一臣。今日のこと忘れないで。これから先、サクラハイムがなくなったら、わたし達はもう連絡をとらなくなるのかもしれない。もう会わなくなるのかもしれない。でもね。わたしはいつだって一臣に笑ってて欲しいと思う。元気でいて欲しいと思う。わたしは、これからストリートパフォーマーになって、浩太と一緒に世界中の人達に元気と笑顔を届ける仕事をする。そしてパフォーマンスをする時、いつだってわたしは今みたいに、わたしの楽しいが皆に伝わるように、そして皆が元気が出るように、皆が笑顔になれりようにって、そう思いながら全力でパフォーマンスをするんだ。その皆の中にはいつだって一臣もいるって忘れないで。遠く離れて会わなくなっても、わたしはいつだって応援してるよ。元気が出ないとき、辛くなったとき、わたしがいつだって一臣が元気になれるように、笑顔になれるように、そう思ってパフォーマンスしてるって思って欲しい。」
そう言って、花月は一つ深呼吸をした。
「一臣。いままでありがとう。ずっと、ずっと、ありがとう。たくさん、たくさん、本当にありがとう。わたしと友達になってくれてありがとう。友達でいてくれてありがとう。一臣にとってのわたしが夏樹と同じような存在になるように、わたしにとっての一臣も夏樹と一緒だよ。一臣と友達だったこと、わたし、絶対忘れない。一臣もずっと、夏樹と一緒にわたしの中に生き続けるよ。あのね、わたし。今を想い出にして、ちゃんと自分の未来に向かって歩いて行くって決めたんだ。皆がそれぞれの未来を歩き出したように、わたしも、自分の道を歩いて行くんだって。もう、皆と離れたって寂しくない。解ったんだわたし。皆はちゃんとわたしの中にいるって、どんなに離れたってわたしの中にいるって。そして、わたしもちゃんと皆の中にいるんだって。皆ちゃんと繋がってるって、わたし解ったから。これから先、どんなに孤独に苛まれそうになっても、絶対に独りぼっちにはならないよ。わたし達は絶対、独りぼっちにならない。だから、一臣も大丈夫だよ。わたし達はちゃんとこれからを生きていける。」
そう伝えると、一臣が一瞬ハッとしてから妙にスッキリした顔をして、まいったなと呟いた。
「やっぱ、お前には敵わなねぇよ。本当、敵わない。花月。こちらこそ色々とありがとな。お前があいつの所に戻ってきてくれて良かった。お前と再会できて、本当に良かった。」
そう言うと、一臣は花月を真っ直ぐ見つめた。
「なぁ、花月。俺からも一言いいか?」
そう問われ、何かを返す前に一臣が次の言葉を紡ぐ。
「愛してる。」
そう言ってニッと笑う一臣を見て、花月はさようならと言われたような気がした。そして、自然とそれに対する言葉が口から出てくる。
「うん、ありがとう。わたしも大好きだよ。」
そう笑い返して、花月は一臣の方へ一歩を踏み出した。ありがとう。さようなら。わたしの大切な友達だった人。その想いを乗せた拳を彼ぶつけるために。その瞬間、
「ダメ!」
そんな声がして花月は誰かに腕をぐいっと力強く引っ張られた。そして後ろに倒れ込み、ぽすっと誰かの胸に受け止められて、そのまま強く抱きしめられる。
「花月ちゃんは俺のだから。俺の彼女だから。真田さんには絶対渡さない!」
そんな楠城浩太の怒声が頭上で響いて、花月は浩太?と自分を捕まえている人物を見上げた。なんか浩太、凄く息があがってる。心臓がバクバクいってて凄い汗で。なんか、怒ってる?怒って一臣の方見てる?そう思って浩太の視線をなぞって花月は一臣の方を見た。すると何故か一臣が酷く満足そうな顔をしていて、そしてとても可笑しそうに笑ってきて、花月は疑問符を浮かべた。一臣がカメラを構えるのが見える。そして、パシャリと写真を撮られて、花月は心底意味が解らなくて、状況が全く理解できなくて、混乱した。なんか浩太は怒ってるし、一臣は楽しそうに笑ってるし、写真撮ってくるし、なんだろう。浩太、なんで怒ってるの?なんで一臣は楽しそうなの?
「俺は先戻るから。二人はゆっくりつもる話でもしてきたらどうだ?」
撮った写真を画面で確認しながら一臣がそんなことを言う。自分を抱きしめてる浩太が怒気を含んだままの雰囲気で戸惑うのが解る。
「じゃあ、末永くお幸せにな。」
一臣が爽やかな笑顔でそう言って踵を返す。意味が解らない。何が起きてるの?なんで?え?どうなってるの?どうすればいいの?浩太も一臣も何がしたいの?そんな風に頭の中が大混乱になりながら、花月は小さくなっていく一臣の背中を見送った。そして、一臣の姿が見えなくなると、今度は自分を抱きしめたままの浩太の存在を強く感じてなんだか恥ずかしくなる。浩太の存在が凄く近い。なんか、なんだろう。よく解らないけど、久しぶりに浩太をこんなに近くに感じて、ドキドキする。こうやって抱きしめられるとなんか安心する。浩太が怒ってるって思うのに、わたし・・・。あれ?そういえば浩太、怒ってる?もう怒ってない?よく解らない。何が起きてるんだろう。
「浩太。ゼイゼイ言ってるけど大丈夫?」
よく解らないまま花月の口から最初に出たのはそんな言葉だった。
「大丈夫。大丈夫だけど・・・。」
「だけど?」
「いや。サクラハイム付いたら遙ちゃんが凄い勢いで・・・。だから俺、慌てて走ってきて。二人の姿見付けたら、色々。もう、色々こみ上げてくるものが・・・。だって、ここで花月ちゃん真田さんにさ。あの時、俺、マジでショックで。あの時のことがバッて頭ん中いっぱいになって。あの時はしかたがないって諦めようとしたけど、でも、今はさ。俺は・・・。」
そう唸って、浩太は花月を更にぎゅうっと抱きしめた。浩太が何を言っているのか解らない。解らないけど、なんか必死なことだけは解る。なんだろう、この気持ち。解らない。でもなんだろう。何かがわたしの中からこみ上げてくる。
「花月ちゃん、大好き。絶対、離したくない。花月ちゃんは俺の太陽だよ。陰ってるときだって、その姿が見えないときだって、厚い雲の先に君の笑顔があるってそう思えればそれだけで俺は大丈夫なんだ。花月ちゃんが元気が出ないなら、俺が元気にする。花月ちゃんが笑顔になれないなら、俺が笑顔にする。君を笑顔にできるなら、それ以外何もできなくていい。君と笑い合っていられるなら、他に何も俺はいらない。花月ちゃんといられるなら俺はそれでいいんだ。心から君と笑い合っていたいんだ。そのためだったら俺はなんだってできるし、なににでもなれるよ。悪いとこがあるならなおすし、して欲しいことがあるならなんだってするし、我慢とか無理とかしないでいいから。俺は、君の心からの笑顔を見ていたい。君を心から笑顔にしてあげたい。そして俺の傍でずっと笑ってて欲しい。他の誰のでもなくて、俺の隣で。俺の望みはそれだけだから。他の誰かの所になんて行かないで。」
絞り出すように放たれたその言葉が、花月の胸の中にすっと入り込んできた。今の浩太は、遙からの悪戯メッセージを受け取ったときのわたしと同じような気持ちなのかな。大好きな人が誰かにとられる。それが嘘や勘違いだと解っていても、自分じゃない誰かが大切な人の隣にいる。それだけで胸が締め付けられる。自分はそこにいられないのに、本当は自分がそこにいたいのに。羨ましいなのか、悲しいなのか、辛いのかなんなのか、とりあえず色んな暗い物が頭の中をぐるぐるして、胸が締め付けられて苦しくなって。あの時、遙の悪戯だって解ってるからって、押し込めたその気持ち。今の浩太が同じように感じてるのなら、なんか嬉しい。そう思って、花月は浩太の腕をぎゅっと握った。
「花月ちゃん?」
戸惑った浩太の声が聞こえる。
「ちょっ、花月ちゃん。急にどうしたの?え?ごめん。俺・・・。あの。本当、ごめん。別に花月ちゃんのこと責めてないよ?責めてないからね。それより、俺、花月ちゃんが悩んでたのとか全然気が付かなくて悔しいとか、俺マジでバカとか自分の事は責めてるけど。なんか俺がいない間色々あったみたいだし、全然そういうの俺気が付かなくて。で、俺が脳天気に過ごしてる間、花月ちゃんの傍には別の人がよりそってて。遠くにいたって本当は一番に気が付いて、俺がさ・・・。ってか、本当、ごめん。俺、本当バカで。いつもスゲー、遙ちゃんに怒られるんだけどさ。遙ちゃんの言うこと右から左にして、そこまで深刻に考えたことなくて。俺のこういうとこ、ずっと怒られてたのに。ごめん。だから、花月ちゃん。あの。泣かないで。」
焦ったように浩太がおどおどしながらそんなことを言う。抱きしめられていた腕をほどかれて、正面に向き合うように身体を回される。そして改めて抱きしめ直されて、浩太の胸に顔を埋めながら頭を優しく撫でられて。
「本当、ごめん。」
そう言う浩太の声を耳にして、花月は涙が溢れた。違うんだ。浩太。浩太は謝らなくて良いんだ。浩太は悪くない。何も。ただ、わたしは。ただ、わたしが・・・。
「浩太。浩太。大好き。ずっと、会いたかった。寂しかった。本当は凄く凄く会いたかったの。なんかずっと辛かった。でも、自分がどうして辛いのか解らなかったの。浩太が頑張ってる、そう思うだけで、わたしも大丈夫だと思ってたの。会えなくても全然平気って思ってたの。わたしの辛いは浩太と全然関係ないところにあって、浩太の声をきけば元気になれるから、浩太からのメッセージを見れば嬉しくなれたから、わたしのこういうのは浩太に伝えることじゃないって、そう思ってたの。でも。本当は、色んな事が不安で、怖くて、浩太が傍にいてくれたらなって、一緒にいられたらなって思ってた。辛いから浩太に会いたいんだと思ってた。でも本当は、浩太に会えないのが辛かったって今思った。わたしはただ寂しかったんだって思う。浩太が傍にいないのが辛くて、凄く寂しかったんだって、わたし、今解った。会いたかった。浩太。大好き。ずっとこうして欲しかった。こうやって浩太を傍に感じたかった。」
そう自分の感情をぶつけて、花月は浩太にしがみついて泣きじゃくった。ごめんと浩太の声がふってきて、優しく背中を擦られる。寂しい思いさせてごめんね。辛い思いさせてごめんね。そんな言葉がふってきて、違うんだと思う。ごめんなんていらない。ごめんって言われると、なんか・・・。そうじゃなくて、そうじゃないんだけど。解らない。わたし、浩太にどうして欲しいんだろう。
「あのさ、花月ちゃん。花月ちゃんのことならなんだって俺に関係なくないよ。俺に関わりのないことだって、俺のいないところでのことだって、花月ちゃんに起きたこと全部、なんだって俺に関係あることだよ。どんなことでも俺とは関係ないなんて思わないで。ちょっとでも何かあるのに大丈夫だなんて言わないで。なんだって全部、俺に話してよ。嬉しいも楽しいも、悲しいや辛いだって。ちょっとでもこうしたいとかこうして欲しいとか。良いも悪いも全部、包み隠さずに教えて。俺、言われたこと鵜呑みにしちゃうし、その裏とか読めないから。前はそうだったけど今は違うんだよっていうのも、言ってくれないと俺、何も解らないから。気づけるように努力はするけど、でも、何でもそのまま、感じたときに感じたまま伝えてもらった方が俺は嬉しい。纏まってなくても、言葉にならなくたって全部。花月ちゃん自身が解らないことだって。解らないままでいい。ただありのままの花月ちゃんを全部を教えて欲しい。だって、俺、花月ちゃんの全部を受け止めたいもん。花月ちゃんの全部を俺のものにしたいから。俺が気づかなくても花月ちゃんが教えてくれたなら、俺は凄く嬉しい。だってそれって花月ちゃんが、俺の知らない花月ちゃんを俺にくれたってことでしょ。それって、俺にとったら最高のプレゼントだよ。だからさ。」
そう言われて、花月は心の底から嬉しいがこみ上げてきて、浩太をぎゅうっと抱きしめた。
「浩太。ありがとう。大好き。」
「うん。俺も。花月ちゃんのこと大好きだよ。」
「浩太とずっと一緒にいたい。」
「俺も、花月ちゃんとずっと一緒にいたい。ってか、マジ久しぶりすぎて、もう離れたくないんだけど。花月ちゃんも寂しいなら、もう遠恋やめる?俺、イタリアに戻りたくない。日本で就活して、こっちで花月ちゃんとずっといられるようにしようかな。」
「うーん。会えないのは寂しいけど。ずっと一緒にいたいけど。でも、わたし、やっぱ浩太とストリートパフォーマーになって世界中飛び回るって夢、諦めたくない。わたし解ったんだ。浩太と一緒にスリートパフォーマーとして世界中の皆に笑顔と元気を届けることが、わたしが一番やりたいことで、仕事にしたいことなんだって。そのために頑張ろうって、決心したばかりなの。ずっと浩太に憧れてた。浩太みたいになりたいなって。だから、浩太が見せてくれた夢をそうなったら良いなって、わたしずっと夢想してた。わたしはずっとちゃんと自分で考えてなかった。ただ夢を見させてもらってただけだった。でもね。自分の好きなこと、やりたいことってなんだろうって真剣に考えて、本当に仕事にしたいこと、将来の夢ってなんだろうって真剣に悩んで。わたし、やっぱこれがしたいって思ったの。誰かに示されたわたしじゃなくて、わたしが成りたいわたしになろうって。わたしの成りたい形のストリートパフォーマーにわたしは成りたい。そして、浩太と一緒に世界中を公演して回りたい。やっぱ浩太は凄いなじゃなくて、わたしも一緒に浩太と並んで、浩太と一緒にステージで思いっきり楽しみたい。そして、わたしの楽しいを、嬉しいを、皆に届けて、見てくれた皆を元気にしたい。笑顔にしたい。だから、頑張りたいんだ。もうちょっと。ここからまた始めようって思ったの。だから、浩太も頑張って欲しいな。わたし達の夢の土台作り。これからも一緒に頑張ってくれる?」
そう言うと浩太が笑った気配がして、花月は彼の胸に埋めていた顔をあげ彼を見上げた。笑っている浩太の顔が凄く近くにあって目が合う。
「もちろん。花月ちゃんがそう言うなら、俺ももっともっと頑張って、ちゃんと二人の夢の土台を作っておくよ。それに、俺、サラリーマンとか絶対向いてないし。花月ちゃんと二人でパフォーマーする方が絶対楽しいし。仕事もようやく軌道に乗ってきて、夢が現実に届きそうな所に確実に近づいてると思うしさ。二人の夢が叶うその時まで、遠恋だって頑張るよ。二人で頑張っていこう。ずっと。これからも。」
そう言った浩太にそっとキスをされる。
「大好きだよ。花月ちゃん。これからもずっと。ずっと一緒にいようね。」
浩太の声が胸の奥に響く。嬉しくて、嬉しくて、花月はうんと言って笑った。すると浩太も嬉しそうに笑い返してきて。そして、照れたように、あのさと口を開く。
「花月ちゃん。今日はサクラハイムに帰らないでこのまま二人で過ごさない?つのる話し?っていうのとかも色々あるし。やっぱ、二人きりの時間過ごしたいなって。こうやって一緒に過ごせるの本当久しぶりだし、また遠恋続けるんだし。だから、できるだけ長くさ、花月ちゃんを独り占めしてたいっていうか。だから、その。このまま二人でどっか行って、そのままどっかに泊まっちゃう、とか。俺ももう二十歳だし。外泊したって・・・。というか、花月ちゃんと二人でお泊りしたいです。」
何故か顔を赤くしてしどろもどろにそう言う浩太を見て花月は、うん、わたしも浩太と二人でもっといたいと返した。
「浩太とお泊まり。二人だけで。そういうの初めてだね。なんか、ドキドキする。今日はずっと浩太と一緒にいれるって、なんか、凄く嬉しい。」
そう口にすると浩太にぎゅうっと抱きしめられて、花月ちゃんその顔マジでやばい、なんていうか本当やばいんだけどと呟かれて、花月は疑問符を浮かべた。浩太がそのまま固まって動かなくなる。なんか浩太の身体がさっきまでより熱い気がする。ドキドキを通り越して心臓がバクバクなって、ちょっと訳がわからなくなる。暫くそのままでいて、少し心臓の音がおさまってきた頃、浩太は抱きしめていた腕をほどいて花月を離した。そして、何故か俯き気味に目を逸らす。
「花月ちゃんあのさ。その、俺と二人で泊まるって、それ・・・。」
そうもごもご口にして、口籠もって、いや何でもないですと浩太が深く俯く。そして顔を上げた浩太は笑顔で、じゃあ行こうかと手を差し伸べてきて、花月は笑って彼の手を取った。
「花月ちゃんはどこ行きたい?」
「どこでも。浩太と一緒なら。」
「俺も、花月ちゃんと一緒ならどこでもいい。」
そんなやりとりをして歩き出す。繋いだ手から感じる温もりが嬉しくて、幸せだなと思う。
「あのさ、花月ちゃん。結局、真田さん公園に連れ出して何してたの?」
浩太が何気ない様子を繕ってそう口にする。
「うーん。友達でいてくれてありがとうって伝えてた?」
「なにそれ。」
「えっと。なんだろう。一臣とはきっともう会わなくなるからさ。まだ一年くらいあるけど。でも。サクラハイムがなくなったら、一臣はもう一緒にいる人じゃなくて、想い出の中の人になるんだと思うから。だから伝えたかったんだ。今、伝えたかった。本当にわたしがしたいことが何か解ったよって。わたしはもう大丈夫だよって。今までありがとうって。それに、一臣はサクラハイムがなくなったら、独りぼっちになっちゃいそうだから。だから、一臣にも教えてあげたかったの。離ればなれになったって皆一緒だって。独りぼっちにはならないよって。結局友達でいられなかったけど、でも、やっぱ、わたしにとって一臣は本当に大切な友達だったから。だから伝えたかったんだ、わたしが気が付いた大切なこと。」
そう言うと浩太がスッと目を細めて、それは花月ちゃんにとってとても大切なことだったんだねと言ってきて、花月はうんと頷いた。
「ちゃんと真田さんに花月ちゃんの気持ちが伝わると良いね。」
「うん。今日のこと、一臣がずっと覚えててくれたら良いと思う。わたしの想いがちゃんと伝わってるかどうか、本当に解るのはこれか先のいつかどこかで。その答えは一臣にしかわからない。でも、答えを知れなくても良いんだ。伝えたいことは全部、もう全部伝えたから。あとはもう大丈夫って、わたし信じてる。」
それを聞いた浩太が、なんていうか凄く花月ちゃんらしいねと言って笑う。そして、全然違う話しを始めて、それにつられて花月も気持ちが他の話題に移っていった。そして浩太との会話が弾んで、胸が躍って、どんどん彼との時間に夢中になっていく。
手を繋ぎ並んで歩く。他愛のない会話を沢山交わし、笑い合う。この時間が本当に幸せで、花月は胸がいっぱいだった。これからもずっと、こうして浩太と一緒にいたい。浩太と並んで歩いて行きたい。わたしの未来は浩太と一緒に、これからもずっと・・・。