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あれから  作者: さき太
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 朝起きて、いつも通りランニングに行く支度をして一階に降りると、玄関にジャージ姿の香坂光(こうさかひかる)が立っていて、篠宮(しのみや)花月(かづき)は疑問符を浮かべつつ、おはようと声を掛けた。

 「おはよう。花月ちゃん。ランニング、僕も付き合って良い?」

 そう柔らかい笑顔を向けられて、花月はいいよと応えた。

 一緒に準備運動をして、一緒に走り出して、とても不思議な気持ちがする。こうして光とランニングするのは初めてだ。健人(けんと)とランニングしていた頃、彼に光も同じ演劇部なのに一緒に走らないのときいて、声を掛けても断られるんだと言われたのを思いだして変な気分になる。

 「僕が一緒は嫌?」

 「嫌じゃないけど。なんか変な感じ。健人も光もまだ学生だった頃。健人が誘っても光はランニング断ってたって。光とこうやって一緒に走ったことなかったし。」

 「あー。僕はそこまで朝得意じゃないし。サクラハイムに来た当初は健人とちょっとぎくしゃくしてたからね。ぎくしゃく解消してからは、たまに休日の昼間とか付き合ってたよ。僕も久しぶりに出番の多い役やらなきゃいけなくて、体力つけなきゃいけなかったのもあるけど。」

 「そうなんだ。」

 「懐かしいね。あの頃はよく、花月ちゃんも一緒に芝居の練習したり色々話ししたよね。僕も演じる方からはすっかり遠のいちゃったから、昔みたいに演劇の話ししなくなっちゃったし、今は健人がいないから、あんな風に賑やかに稽古するなんてなくなっちゃって。アレが日常だったのにね。やっぱ、健人がいないと寂しい?」

 「うん。寂しい。」

 「そっか。連絡はしないの?」

 「うん。用事ないから。」

 「用事がないと連絡しないって。そういうとこ、花月ちゃんと健人って似てるよね。健人も自分からは事務連絡みたいな連絡しかしてこないから。じゃあすっかり疎遠なんだ。今、健人がどんなことしてるのか全然知らないの?」

 「うん。時々テレビ出てるの見るくらい?あと、このあいだ、部活の買い物するのに出掛けたとき、大きな駅に健人が写ってるポスターが張ってあるの見た。」

 「あー、駅ビルのアレね。アレ見ると、健人も有名人になったなって思うよね。ああいうの見るとちょっと、健人は自分達とは別世界の人間になっちゃったんだなみたいな気がして、僕も寂しく感じるときあるよ。」

 「そうなの?」

 「そうだよ。幼馴染みって言っても、僕らは結構すれ違ってた時期も長いし、お互い違う道に進んで、今は全然会わなくなって。なんていっても健人は昔からそっけないからね。自分からは全然連絡してこないし。姿を見るのは画面越しばっかで、遠く感じるよ。でも、最近どう?とか連絡すると、普通に返ってくるし、全然変わんないんだけどね。」

 そう言って笑う光を見て、花月はそうなんだと呟いた。光の話しを聞いて、健人や光と過ごした日々を思い出して懐かしく思い、あの頃は楽しかったなと少し胸が締め付けられて。でも、光も寂しいって思うんだと思ったら、少しだけホッとした様な気がした。そして、久しぶりに誰かと一緒にこうして走っていることに、誰かが隣にいると言うことに、ちょっと安心感を覚え。光も自分と同じ思いを抱えてるんだと思ったら、独りぼっちじゃないんだと思えて、なんだか胸が暖かくなった。

 「花月ちゃん。ごめん。僕、運動不足で、このペース、ちょっときついかも。ちょっと、休んで良い?」

 暫く走った先で、光が息をあげてそう言ってきて、花月はペースを落として立ち止まった。膝に手をついてゼイゼイいう光の姿に、大丈夫?と声を掛ける。そして、周りを見回して、自販機を見付けて、飲み物を二本買って一本彼に渡した。

 「ありがとう。お金持ってきてたんだ。」

 「うん。健人が、何があるか解らないから、小銭とスマホは持ってった方が良いって言ってたから。いつもポシェットに、小銭入れとスマホとタオルを入れて持ってきてるの。」

 「そうなんだ。流石だね。」

 そう言いながら光はその場にしゃがみ込んで、受け取った飲み物を口にした。

 「はー。社会人になってから全然運動してなかったから。体力落ちたな。僕も少しまた運動するようにしようかな。こんなんじゃ、生徒達の元気についていけないや。少し体力つけないと。」

 「じゃあ、今度から光も一緒に毎日早朝ランニングする?」

 「うーん。毎日はちょっと遠慮しとこうかな。仕事行く前に疲れ果てちゃいそうだし。でも、休日たまにで僕のペースに合わせてくれるなら、付き合ってもらえると嬉しいかも。」

 そう言われ、花月はちょっと嬉しくなった。

 「うん。じゃあ、光がお仕事お休みの日、一緒に走る。早朝ランニングじゃなくても、光の体力作りにわたし付き合う。」

 そう言うと、ありがとうと微笑まれて、花月は小さく笑った。

 「光。生徒についていけないから体力作りって、学校の先生ってそんなに大変なの?勉強教えるだけじゃなくて、生徒と一緒に何かしたりするの?」

 「うーん。まぁ、色々。学生達の活気に揉まれるだけでも結構体力いるよ。あと、最近部活の顧問頼まれちゃってさ。まだ受けるかは考え中なんだけど。放課後も生徒に付き合うなら、今より体力つけとかないと。あまり情けない姿はみせたくないしね。」

 「部活の顧問?」

 「うん。演劇部の。僕の勤めてる学校、今は演劇部ないんだけど、昔は演劇部があったみたいで。今年の新入生の子で演劇部を復活させたいって意気こんでる子がいてね。その子に、僕が市ヶ谷(いちがや)学園(がくえん)大学(だいがく)演劇部出身で、しかも引退公演で主役の一人(ジュリエット)やったのがバレちゃって。部員集めるから是非顧問やってくれって頼み込まれててさ。」

 困ったような顔でそう言う光を見て、花月は、顧問したくないの?と首を傾げた。

 「したくない、訳ではないんだ。学生時代、演じることから逃げてた頃、僕はずっと他の部員の演技指導とか、演出の口出しとかばっかしてて。役者というより、監督みたいな、そんな立ち位置にいたから。そういうのが嫌いじゃないというか、そういう風に演劇に関わるのもけっこう好きなんだ。でも、なんだろうね。役者としての自分を知っている人に、役者としての自分を評価されて指導してくれって言われるとさ。なんか照れくさいというか、気恥ずかしいというか。ちゃんと期待に応えられるのかななんて思ったり。それに役者としての僕ってさ、後ろ向きで臆病で、全然ダメだったし。引退してからもっぱら観るの専門で、今は全然演技なんかしてないしね。あと、現役時代、演じることから逃げるためにそういうことしてた自分が、人に教えて良いのかなって。生徒達にちゃんと向き合えるのかななんて思ったり。昔よりはずっと色んな事を開き直って前向きになれてると思うけど、でも、今でもやっぱ僕は臆病者だなって思うよ。やっぱ、怖いんだ。向き合うことがさ。」

 そう遠くを眺めてぼやく光の視線を追って、花月も遠くを見た。遠く、その先に何があるのか解らない。解らないから怖い。不安になる。そう考えて、光もわたしと同じなんだなと思って不思議な気持ちになった。そして花月は飲み物を一口口にして、口を開いた。

 「光は。大丈夫だと思う。わたし、知ってるよ。光が演劇が大好きだって。光が人に物を教えるのが上手だって。演じることに後ろ向きになってたとき、それでも光は逃げなかった。健人とぎくしゃくしてすれ違い続けててもずっと、逃げなかった。そして、最後はちゃんと舞台に立って、キラキラ輝いてた。引退公演の時の光、凄くキラキラしてた。光達の引退公演、最後まで目が離せなかったよ。光の演技に引っ張られて、わたし、舞台の上の光と同じようにワクワクして、ドキドキして、最後は胸が押しつぶされそうなほどぎゅうって苦しくなって、泣いちゃったんだ。皆凄かった。凄く面白かった。終わった後、健人も光も凄くいい顔してて、満足したような顔してて、あぁこれが二人がずっとしたかったことだったんだなってわたし思った。そんな二人の顔見たとき、なんかね、凄く嬉しかった。本当に良かったねって思った。だから、光は大丈夫だって思う。光は逃げ腰になってもちゃんと逃げないで向き合える人だって、わたし知ってる。光は強いってわたし知ってる。だから、大丈夫。光は絶対、大丈夫。」

 そう言って花月は真っ直ぐ光の目を見つめた。そうすると、彼がスッと目を細めて、ありがとうと微笑んで見つめ返してきて、花月は疑問符を浮かべた。

 「向き合う勇気を持てなかったあの頃、立ちすくんで前に進めなかった僕に勇気をくれて背中を押してくれたのは、君なんだよ。」

 そう言って光が自分の胸に手を当てる。

 「君が、勇気を出すのは今だって、僕のここを押したんだ。あれからいつも弱気になりそうになると、君がくれた勇気を思い出すよ。あの時のことを思い出すとここが暖かくなって、熱くなって、あの時に比べたら怖い物なんてないって思える。君の言葉はいつだって素直で嘘偽りがなくて。だから真っ直ぐ心に入ってくる。僕は君に助けられたんだ。今も、君に支えられてるんだ。だからね・・・。」

 そう言って、光は自分の胸に当てていた手をぎゅっと握って、その拳を花月に向かって突き出した。

 「今度は僕が、君に勇気をあげるよ。さぁ、花月ちゃん。君はいったい何を怖がってるの?今まで怖い物知らずだった君が、いったい何を恐れてるの?君が勇気を出すのは今だよ。立ち上がれないなら、ほら。まずは、吐き出すところから始めてみようか。君が何を怖がっているのかを。ね。」

 そう言われて、花月は胸が熱くなって、拳を作ってそれをそっと彼の拳にぶつけた。

 「あのね。光・・・。」

 そうやって話し出す。自分らしくができなくなって、自分らしくが解らなくなって、頑張ろうとすれば頑張ろうとするほど息苦しくなっていく今の自分を。人から良く思われていないと知って辛かった。部活で上手くいかなくて辛かった。パフォーマー失格だと言われて辛かった。来なくて良いと言われて辛かった。浩太(こうた)との約束を守りたいのに、今の自分じゃ浩太との約束を守れない。こんな自分を浩太に知られたくない。でも、寂しくて、辛くて、浩太に会いたい。浩太が帰ってくるって嬉しいのに、今の自分を見られたくなくて、それで・・・。

 「世界がキラキラして見えなくなっちゃったんだ。昔は何でも楽しかったのに、今はなにしてても楽しくない。苦しくて、辛くて、訳がわからない。わたし、昔に戻りたい。皆が一緒にいた頃に戻りたい。そんなの無理だって解ってるけど。でも・・・。」

 「じゃあさ、いっそのこと、目の前のこと全部投げ出して逃げてみたらいいんじゃない?たまには逃げてもいいと思うよ。本当に何もかも全部投げ出して、逃げ出しても。花月ちゃんは今までずっと、何からも逃げ出さずに真っ直ぐ頑張り続けて来たんだから。ほら、思い出してごらんよ。浩太君なら、そんな時はすぐ全部投げ出して逃げちゃってたよ。あー。こんなん解らない。もう無理。俺、できないから。」

 そう言って光は、両手をぱっと投げ出すと、ふて腐れたように突っ伏すような動作をして、こんな感じでさと悪戯っぽく笑った。それを見て花月は、光、浩太そっくりと言って笑った。

 「逃げること、投げ出すことは悪いことじゃないよ。進むことができなくなったら、立ち止まって、考えて。それでもどうすればいいのか解らなくなったときは、一回、全部投げ出して、全然違う方向に行ってみたりして、仕切り直しして。それで、それでもやっぱこれがしたいなって思ったら、その時、戻ってくるでも良いんじゃないかな。浩太君なんていつもそうだったでしょ?投げ出して、ふて腐れて、暫くすると戻ってきて。勉強はずっとそんな感じだったし。大学進学は一回受験失敗したらすっぱり諦めちゃって、その代わりにこっち頑張るって言ったら、それをとことん頑張ってる。浩太君の諦めのよさと、切り替えの早さは本当凄いよね。浩太君なら、進んだ先でムリできないって思ったら、そのまま無理に進もうとするんじゃなくてパッと違う道を見付けちゃうんじゃないかな?花月ちゃんは真面目だし、今まで頑張ってきたこと全部上手くいってきたから、途中で諦めるなんて選択肢を考えた事すらないかもしれないけど。でもね。誰でも皆、少しは逃げたり何かを諦めたりしてる物だよ。頑張り続けられなくなったとき、無理に頑張らなくても良いんだよ。浩太君はああいう人だから、自分自身もそうだけど、人に無理強いするような人じゃないから。花月ちゃんがもう頑張るの辛い、頑張りたくないって言ったら、じゃあしょうがないねって笑って許してくれるんじゃないかな?今の花月ちゃんを見ても、浩太君なら笑って受け入れてくれると思うよ。」

 そう言われて、花月は少し考えて、一緒にいた頃の浩太の姿を思い起こして、そうだねと相槌を打った。そうだった。浩太は逃げ出すことは悪いことじゃないって言ってた。できないことややりたくないことを無理に頑張る必要は無いって。そのかわり、自分が楽しいと思えることを一生懸命頑張るんだって。逃げちゃいけない事はある。頑張らなきゃいけないことも。でも、楽しいのが一番だから。楽しくなるための努力を、幸せになるための努力はしても、辛いだけの努力はしなくてもいいと思うって。そんなことを言っていた浩太を思い出して、花月は胸が暖かくなってはにかんで笑った。

 「ありがとう。光。わたし、少し、今が怖くなくなったよ。光のおかげで、怖がらなくても大丈夫って思えたよ。」

 「どういたしまして。弱気になった君に、少しでも勇気があげられたなら、僕は嬉しいよ。」

 そう言うと光は立ち上がって、飲み終わった缶を自販機の横のゴミ箱に捨てた。

 「じゃあ、そろそろ続き行こうか?あまり遅くなると、朝ご飯に間に合わなくなっちゃうしね。」

 振り向いた光にそう言われ、花月は一つ頷いて残った飲み物を一気に飲み干すと、缶を捨てて彼に並んでまた走り出した。

 「僕、もうへとへとだから、今日はここら辺で折り返しでも良いかな?」

 「うん。いいよ。」

 「今日は片岡(かたおか)君も休みだから、久しぶりに片岡君の作る朝食が食べれるね。社会人になってから彼も忙しいからなかなか食事作り入らなくなったけど。でも、やっぱサクラハイムの料理番は片岡君って感じだよね。花月ちゃん知ってる?片岡君の喫茶店に唐揚げ定食あるの。」

 「え?唐揚げ定食はメニューにないよ?わたし、湊人(みなと)のお店にもバイト入ったことあるけど注文されたこともないし。」

 「うん。だから、裏メニュー。健人が勝手に、サクラハイムおかん食堂とか名前つけてたけど。片岡君がお店に入ってるときに、直接頼むと作ってくれるらしいよ。なんでも、片岡君の作ったアレが食べたいなって言えば、材料さえ揃ってれば出してくれるんだって。で、唐揚げ頼んだときに、他のお客さんも良いなー、自分もそれ食べたいみたいになって提供したら、リピーターが増えて裏メニューで定着しちゃったらしいよ。」

 「そうなんだ。知らなかった。」

 「サクラハイムがなくなったら、片岡君のお店が僕らのたまり場になりそうだよね。待ち合わせしなくても、皆、片岡君のご飯が食べたくなってふらっとお店に行って、ばったり鉢合わせして。なにしてる?とか、どうしてる?とか近況報告しあって、思い出話しに花を咲かせて。そういう姿、僕は結構普通に想像できるな。バッタリ鉢合わせは難しくても、片岡君が色々皆のこと教えてくれそうだなとか。今だって、健人の近況報告、本人からじゃなくて、片岡君から、この前、三島(みしま)さんが店に来て、それで・・・、なんて聞く方が多いくらいだからね。」

 そんな光の話をききながら、花月もサクラハイムがなくなってから湊人の店に集まる皆を想像して、なんだか胸が暖かくなった。想像したその景色は、自分が大好きな皆が集まる日常と重なって、そっか、サクラハイムがなくなっても変わらないんだなと感じた。そして、お姉ちゃんが言っていたことってこういうことなんだと思う。それぞれ違う道を歩いて行ったって、一緒にはいられなくなったって、ちゃんと皆いる。皆がついてる。お姉ちゃんからそう言ってもらえたとき、嬉しかった。でも、寂しいという気持ちが拭えなくて、不安を消し去ることはできなくて、苦しかった。でも、今は、その言葉がすっと自分の中に入ってくる。皆と離ればなれになっても、わたしは独りぼっちじゃない。ずっと。これからも。そう思えて、花月は気持ちが少し軽くなって、少し気分が明るくなった。

 サクラハイムに戻ると、お前宛に郵便が届いてるぞと小包を渡され、花月は受け取って疑問符を浮かべた。送り主は、今語学留学で海外に行っている風間祐二(かざまゆうじ)。皆にじゃなくて、わたしに?祐二からなんだろう?そう思いつつ、花月は小包を持って自室に向かった。

 祐二からの小包を机に置き、とりあえず汗を拭いて私服に着替えるためクローゼットを開ける。そして今日着ようと思っていた服に手を掛けて、花月は少し気持ちが重くなった。今日は本当は部活に行く予定だったから、着替えがしやすくて動きやすい服装でって考えて用意してたんだよな、そう思うと、部活に来なくていいと言われた事を思い出して苦しくなる。そして、部活に行かないから他の洋服にしようかなと思って、考えて、でも結局、今日の自分に合う服装が思いつかなくて、解らなくて、花月はそのまま部活に行く用の服に着替えた。

 仕切り直し、仕切り直し。部活行かないんだから、今日は何しよう。部活だと思ってたから、今日はバイトも入れてない。でも、部屋に籠もってるとまた気持ちが落ち込んできそうだから、なにか、他のこと。前は何してたっけ?ずっと前、まだ自分がサクラハイムに来たばかりの頃。一人でいるときはいつも、掃除をしたり、勉強をしたり。本を読んで。外を眺めて。外に出て、歌いながらくるくる回る。それが楽しかった。でも、皆といることが当たり前になって、皆がいない昼間が寂しくなった。でもその分、皆が帰ってくると嬉しくて、皆の話しを聞くのが楽しくて、わたしといない時間に皆が何をしていたのか聞くだけで、ワクワクしてとても楽しかった時もあった。でもそれも、そのうち羨ましいになった。わたしも皆みたいに学校行きたいな。皆みたいに・・・。そう思って、自分が皆とは違うことにまた寂しくなった。でも、あの頃はその寂しいも辛くなかった。わたしもいつか皆みたいに、そう思って、そう夢を見て、楽しかった。何もかもが楽しかった。少しの辛いも寂しいも、いつだってそれよりもっと大きな嬉しいや楽しいでかき消された。いつも誰かが傍にいてくれた。わたしの名前を呼んで、一緒に楽しい事に誘ってくれた。わたしを連れ出してくれて、色んな事をやらせてくれた。そっか、わたしが何もしなくても、いつも誰かが声を掛けてくれてたんだ。一緒にやらないか誘ってくれたんだ。寂しいとき、辛いとき、いつも皆が傍にいてくれた。わたしが何も言わなくても、いつだって皆がいてくれて、そして、いつだってお姉ちゃんが手を差し伸べてくれた。こうすればいいよって、心配しなくても大丈夫って言ってくれた。それは今も。そっか、わたし、自分が思っていたよりずっと、甘やかされてたんだ。今も凄く甘やかしてもらってるんだ。そう考えて、花月は佐々木(ささき)(すばる)に赤の他人に甘えすぎじゃないか指摘されたことを思い出した。言われたときは意味が良く解らなかった自立した方が良いという昴の言葉が、今ようやく自分の中に入ってくる。

 『花月ちゃん、今日は何する?』

 『花月。今度あそこ行ってみるか?』

 そう言って自分に笑いかけてくる浩太と一臣(かずおみ)の姿が目に浮かんで、花月はハッとした。そっか、わたし、お姉ちゃんだけじゃない。浩太や一臣にもずっと甘えてた。辛くて、浩太助けてって思うのも、辛いときいつだって浩太がわたしを連れ出して元気にしてくれたから。一臣に友達でいてくれなかったくせになんて言っちゃたのも、友達だった頃の一臣が、いつだってわたしの味方でいてくれて、気晴らしに色々連れてってくれたから、それができないのが苦しくて。二人ともいつだって、わたしが元気で笑顔でいられるようにって、傍にいて色々してくれた。

 『自分の特別で大好きな大切な女性(ひと)にいつも笑顔でいてほしいって思うのは、男として当然でしょ。君を笑顔にできるなら俺はなんだってするよ。君のためだったら俺、何でもできるよ。だから見てて。俺は奇跡だって起こして、絶対に君に最高の笑顔をプレゼントしてみせるから。』

 そう言って自分を抱き寄せてそっと額にキスをした浩太を思い出して、花月は胸がぎゅっとなった。あの時、結局奇跡は起こせなかった。浩太は大学に合格できなくて、その約束は果たされなかった。だけど、それでも浩太は本当に頑張ってくれた。奇跡でもおきないと合格は難しいっていわれてたところから、合格するのが現実に手が届きそうなところまで浩太は頑張ってくれた。それが嬉しくて、それが叶わなくても、目標が変わっても、変わらず自分を想って頑張ってくれる姿が嬉しくて、だから約束破りはどうでも良く思えたんだ。そうだった。浩太はいつだって、自分が頑張れるのはわたしの笑顔のためだって言ってた。浩太がわたしのために頑張ってくれたのは、今も頑張ってくれているのは、浩太にとってわたしが特別だから。そう実感して、ふと一臣の姿が頭を過ぎる。浩太がそうなように、もしかするとずっと、一臣がわたしに色々してくれてたのも、一臣にとってわたしが特別だったからなのかもしれない。友達だった頃、友達だと思っていたのはわたしだけで、本当はずっとそうじゃなかったのかもしれない。だから、一臣とはもう前みたいに一緒にいられないのかもしれない。いちゃいけないのかもしれない。彼氏がいるのに自分に気がある男と仲良くするとかありえないからって、(はるか)は言ってた。俺はお前と一臣が一緒にいるだけでムカつくし、気にくわないから。万が一あいつの前で気抜いて、あいつとなんかあったら、俺、お前の事許さないからねって言われたっけ。一臣がわたしと距離をとるのは当たり前で、仲良くするなんて言語道断だって、お前の方から寄ってってフッた相手に気を持たせるようなことするなバカとかも言われたな。それってきっと、そういうことなんだ。一臣がわたしに優しくしてくれるのは、わたしのことが好きだから。だから、付き合うつもりもないのにそれに甘えちゃいけないってことなんだ。それっていけないことなんだ。友達でいたいなんて、本当は言っちゃいけないことだったんだ。だからあの時一臣は、フッた相手にそういうこというのは酷だぞってわたしに言ったんだ。わたしと仲良くすることはきっと、一臣にとって辛いことなんだ。なのに、わたし・・・。わたし、凄く酷いことしてたんだな。浩太が女の人に抱きつかれてる写真を見ただけで、浮気してるなんて遙の嘘だって解ってても胸がぎゅって苦しくなったのに。大好きな人と一緒にいられないって。大好きな人が違う誰かとって、凄く凄く辛いことだったのに。なのに、わたし。全然解ってなかった。なにも、解ってなかった。浩太と付き合い始めたばかりの頃、浩太と一緒にいると、時々、湊人がほどほどにするっすよってやんわり言ってきたけど、その時の湊人、口調や表情ははいつも通りだったけど、なんか怒ってるみたいな感じがしてた。好きな奴と付き合えて嬉しいのはわかるけど、ちょっと浮かれ過ぎっすって、少しは自重しろって、なんか苛々してる感じがしてた。遙が怒るのとは違うけど、あの頃の湊人はきっと本当にわたしに怒ってたんだ。でも、きっと、いつもよく言われてる通り、わたしは子供だからしょうがないって、わたしには解らないからしょうがないって許してくれてた。本当はもう子供でいていい年じゃないのに、子供扱いされて許されるのが当たり前になっていた。そんなの、本当は許されない。許されないから、昴君はわたしにああ言ったんだろうな。大学で関わる人達は、子供なわたしが嫌いなんだ。だからわたしは嫌われるんだ。無自覚に人に酷いことをしてしまって、そのまま平然と過ごしてきたから。きっと今自分がこうなってるのは、今まで皆に甘えすぎていたわたしへの罰なんだ。そう思い至って、花月は泣きたくなった。

 泣きたくなって花月が最初に思ったのは、お兄ちゃんごめんなさい、ということだった。外にいたいなんてワガママ言って。困らせて。籠の中の小鳥が野生で生きていけないなんて誰が決めたのなんて、小鳥はちゃんと野生でも生きていけるかもしれないよなんて、何も解ってなかったから言えたことだって今なら解る。わたしは入る籠を変えただけで、野生でなんか生きていけてなかった。ずっと、誰かに守られて、餌をもらって、かわいがられて、そうやって飼われることが当たり前に生きてきただけだったんだ。昔も今も。そして、この居心地の良い籠が失われそうになって始めて、本当に野生で生きるということに直面して、それが辛くて、皆に酷い態度をとって、酷いこと言って。そんなこと本当は許されないことなのに。わたしは、本当に何も解ってなかった。わたしには頼る実家もなく家族はいない。身を寄せられる親戚もいない。そうなったのは、わたしが自分の生まれを否定した結果なのに。自分で選んで独りぼっちになったのに。その意味をわたしは全く理解していなかった。お姉ちゃんやここの皆は、自分とは無縁の赤の他人で、ここがなくなったら離れてしまう、ただ一時一緒に暮らしているだけの人達で、わたしの家族じゃない。皆はわたしの家族じゃない。家族じゃないのに。わたしはずっと、皆のことを家族みたいに思っていた。こうやって皆と過ごす日々がまるで永遠のように感じていた。いつかは離ればなれになると解っていたはずなのに、それでも、ずっと一緒だと思っていた。関係は変わらないって思ってた。それはただの幻想で、きっと自分以外の皆は最初から理解していた事なんだ。だから、ここを継続するかどうかの話し合いになった時、皆とわたしの間には明確な温度差があって、それがわたしには酷くショックに感じた。建て替えをしたら、どうせその時点でみんなバラバラになる。戻ってこなくなる。だから新しくしないで終わりにしよう。元々ここはなくなる予定だったのを、祐二の事情で、祐二が高校卒業するまでなんとか継続させようってシェアハウスとして始めただけの場所で、ここにはもうどうしてもここがないと困るって事情があるような人はいないから。建て替えたからって新しい人が入ってくれるとも限らないし、新しい人が入って、今みたいに上手くいくとは限らないし。このメンバーだったから、今まで上手くやれたんだと思う。自分達だって何もなしに今のいい関係を築けたわけじゃないし、今の住人がほとんどいなくなって、新しい人達とまた新しく関係性を作って、それってかなり大変だと思うから。そんな言葉を聞きながら、皆はここを終わりにしたいんだなと思った。それに、ここを継続することになったらお姉ちゃんが凄く大変だっていうのに、わたしはここを残して欲しいなんて言えなかった。ただ、それならしょうがないねって言うしかできなかった。本当は、この場所があってそこにお姉ちゃんがいてくれれば、それだけで良いのになんて、皆がいなくなってもお姉ちゃんさえここにいてくれれば、ここが皆の帰ってくる場所で、ずっとわたし達の家のままじゃないのって思ってたのに、言えなかった。でも、きっと言わなくて良かった。言ってもきっと、いくら管理人さんがここにいたって新しい住人が暮らし始めたらそう気軽に遊びにこれるもんでもないって言われたんだと思う。過去の住人があまり出しゃばったら、新しい人達が居心地悪いっしょって。だから、新しい人を入れるんじゃなくて、ここを自分達の家のままで終わりにしよう。きっとその言葉は、そういうことなんだ。ここが継続してもしなくても、ここはもうわたし達の家じゃなくなる。だから、わたし達の家のまま終わりにして想い出にする。

 『この場所がなくなっても、皆との繋がりがなくなるわけじゃないんだよ。』

 そんなサクラハイムの管理人の西口和実(にしぐちかずみ)の言葉がふと頭の中に浮かんできて、そしてさっきランニング中に光が、サクラハイムがなくなったら片岡君のお店が僕らのたまり場になりそうだよねと言っていたのを思い出して、花月は不思議な気持ちになった。繋がりってなんだろう。どっから何処までが甘えで、ダメなことで。何処までは良いんだろう。解らない。離ればなれになっても繋がってるって、どうやったら解ることなんだろう。それが解ったら、わたしは寂しくなくなるのかな。大丈夫になれるのかな。そんなことを思って、花月は以前和実からもらった絵本を手に取った。

 『わたしのかえるばしょ』それは和実が描いた絵本。マックロクロスケのお城で、マックロクロスケに大切に大切にされて過ごしていたマックロクロスケの女の子。ある日、女の子は絶対に近づいてはいけないと言われていた部屋に入ってしまい、キラキラ輝く扉を見付けてしまう。そしてキラキラ輝く扉に目を奪われた女の子は、そのまま扉の外に飛び出してしまう。外の世界は眩しくて、光に照らされた女の子は真っ白になっていた。自分もマックロクロスケだと思っていた女の子は本当は真っ白な女の子だった。どこもかしこも真っ暗で、マックロで、そこにいる人達も全員マックロだったお城の中と違って、外の世界は色鮮やかで何もかもが明るくキラキラしていて、女の子は外の世界に夢中になった。そして、気が付くとマックロクロスケのお城が見えないくらい遠くまで来ていて、女の子は知らない世界にぽつんと独りぼっちな事に気が付いて、急に怖くなってしまう。そこへ犬がやって来て、女に子に声を掛ける。泣いてないで楽しい事しようよ。大丈夫、怖くないよ。そう言う犬に誘われて、女の子は犬と一緒に旅に出る。そして旅の中で女の子は色んな動物に出会う。ニワトリの癖に目覚ましになるのが嫌なんてお前はニワトリ失格だと、家族に夢を認めてもらえず、責められているニワトリ。昔は仲が良かったのにちょっとした行き違いで喧嘩ばかりするようになってしまった、イタチとアナグマ。本当は皆と仲良くしたいのに、何もしていなくても皆から怖がられ、自分は誰とも仲良くなれないと諦めているオオカミ。いなくなってしまった(ともだち)の代わりに、羊の着ぐるみを着て生活する山羊。帰ってこない両親の代わりに兄弟の面倒を見ていた熊は、兄弟が全員独り立ちして自分がやるべき事、やりたいことが解らなくなって悩んでいる。そんな動物たちの事情に女の子は犬と一緒に立ち会って、女の子は今まで知らなかったことを沢山知り、今まで知らなかった感情を芽生えさせていく。そして、犬と出会った場所に戻ってきて、女の子は犬と楽しかったね、今度は何処に行こうかとワクワクしながら次の旅へと思いを膨らませる。でも、そこに犬の友達の猫が現れて、犬にいったい今までどこでフラフラ遊んでいたの?家族が心配してるんだから帰るよと、犬を叱りつける。そして犬は女の子に、また遊ぼうね、絶対また一緒に旅に出ようね、ここで待ってるからと約束をし、猫と一緒に帰って行く。そして女の子はまたぽつんと独りぼっち。そして女の子は、自分もお家に帰らないとと思ってマックロクロスケのお城に帰っていく。でもお城には入り口がなく、女の子はそこに入れない。途方に暮れているとマックロクロスケが現れて、ここにはマックロクロスケしか入れないと言う。前は何も色のない真っ白な女の子だったから、マックロの中にいればマックロになれた。でも、女の子は入っちゃいけないと言った部屋に入って、キラキラ輝く扉を出てしまった。そして旅をしている間に女の子は色んな事を知り、色がついた普通の女の子になっていた。色がついていてはマックロに染まることができない。だから、マックロクロスケのお城には戻れない。マックロクロスケのお城に戻るには、ついてしまった色を綺麗に洗い流しさなきゃいけない。入ってはいけないと言われていた部屋に入って、勝手に外に出て行ってしまった女の子に怒ったマックロクロスケは、戻ってくるなら色を洗い流すだけじゃダメだと、もう二度と他の色がつかないようにマックロに染まらないと戻ってきてはいけないと女の子に言う。さあ、お城に戻りたかったら、本当のマックロクロスケになるんだ。そう言われて女の子は困ってしまう。なぜならそれは、皆との思い出を全部忘れて、このキラキラした世界にさようならをしないといけないと言うことだったから。そして、また遊ぼうねと約束した犬ともう遊びにいけないということだから。それは嫌だなと思った女の子は、マックロクロスケに、マックロクロスケのお城で暮らしながら皆と一緒に過ごせないのかきいてみる。でも、それはできないと言われて途方に暮れてしまう。途方に暮れた女の子は、マックロクロスケのお城に戻ることを諦めて、また犬と出会った場所に戻ってくる。でも、ここで待ってると言っていた犬もまだそこにはいない。そして女の子は、ここは遊ぶところで犬の帰ってくる場所ではないんだなと思う。でも犬と違って、女の子は一度帰ってから遊ぶ時間になったらここにくるなんてことはできない。このままここで待っていて犬がやって来ても、帰る時間になれば犬は自分の家に帰ってしまう。そんなことを考えて、女の子は寂しくなって、膝を抱えて座り込む。自分には帰る場所がない。どこに行けば良いのか解らない。そうやって女の子が落ち込んでいると、そこに犬がやって来て、また女の子に声を掛ける。帰る場所がないという女の子に、犬はじゃあ君も自分の帰る場所を作ればいいよと言って、女の子の手を引いて行く。犬に手を引かれていった先では、旅の途中で出会った動物たちがそれぞれ自分達の居場所を作って暮らしていた。そして、動物たちに迎え入れられて、女の子もそこに自分の帰る場所を作って、皆と仲良く暮らしました。ちゃんちゃん。そんなお話し。

 読み終えて、花月はそっかこのお話し、皆それぞれに自分の帰る場所を作ってたんだと思った。一つの家で皆仲良くずっと過ごしましたってお話じゃなかったんだ。皆別々の場所に帰る場所があって、それぞれにやりたいことや居場所があって、それでもずっと皆で仲良く過ごしました。そういう話しなんだ。最後のページ。それからずっと皆で仲良く過ごしましたって、仲良く過ごす皆が描かれているページの皆の中に、ちゃんとマックロクロスケもいるのを見つけて、花月はそれを指でなぞった。皆の輪には入ってないけど、隅っこにそっとマックロクロスケも描かれている。マックロクロスケだから、表情は解らない。何を考えているのかも解らない。でも、マックロクロスケは女の子を見守ってる、そんな感じがする。お姉ちゃんの描く絵は暖かい。とても、暖かくて優しいからそう見えるのかもしれない。でも、ここにマックロクロスケがいることが嬉しく思う。これはわたしの物語だ。そう思っていた。それはきっと間違いじゃないんだと思う。でも、これはただわたしを描いた物語じゃないんだ。改めてそう思う。コレをくれたとき、誕生日でもなんでもないのにお姉ちゃんはコレを作ってわたしにくれた。これはきっとお姉ちゃんからわたしへのメッセージだと思う。わたしは一人じゃないんだよって、大丈夫だよって、これからもずっと皆一緒だよって、お姉ちゃんの気持ちが伝わってくる。離れて会えなくなったって、一緒に暮らしていなくたって、想いはきっと変わらない。わたしは自分の生まれを拒絶して、お兄ちゃんは街中で一緒に暮らすことを拒絶した。でも、わたしとお兄ちゃんの絆がなくなったわけじゃない。お兄ちゃんは今でも見守ってくれている。離れていてもちゃんと傍にいるんだよ。このマックロクロスケからそんなことが伝わってくる。そう感じて、花月は胸が暖かくなって、心の中でお姉ちゃんありがとうと呟いた。わたしがこんな風になる前からずっと、お姉ちゃんはずっとわたしに大丈夫って伝えてくれていた。わたしが楽しいで胸が一杯で、周りが見えていなくても、お姉ちゃんはずっとこうやってわたしに大丈夫だよって言ってくれてた。だから、お姉ちゃんの気持ちは、一時の同情や軽い想いじゃない。お姉ちゃんはいつだって、大きな愛情でわたしのことを包んでくれてるんだ。そう思って花月は、お姉ちゃん大好きと思って笑った。

 ノックの音が聞こえて、花月いつまで部屋籠もってんの?朝ご飯食べないの?と柏木(かしわぎ)(はるか)の声がして、花月はハッとした。

 「ごめん。今行く。」

 そう言って、慌てて出した絵本を片付けて、ふと机に置いたままの祐二から届いた小包が目に入って、花月はそういえば開けてなかったと思った。それに手を伸ばして開けようとし、

 「ねぇ、花月。まだ怒ってる?」

 とドア越しに遙の声がして、花月は手を止めた。

 「あのさ。本当、悪かった。ごめん。冗談でもやっていいことと悪いことがあるし。アレは本当やるべきじゃなかったなって思ってる。お前だって色々辛いのに、一方的にお前の事責めたてるようなこと言って。それも、ごめん。俺さ、甘えてたんだと思う。お前なら、許してくれるって。何言ったって、何したって謝れば許してくれる、解ってくれるってさ。謝られたって許せないことだってあるのにね。自分が辛いとき、人のことまで気にする余裕ないなんて当たり前なのにな。なのに、俺・・・。」

 「大丈夫だよ。遙。わたしこそごめんね。遙に酷いこと言っちゃって。昴君と一緒にいたときの事は、遙は悪くないって解ってるよ。遙がわたしのために怒ってくれたんだって、わたしのこと心配してくれたんだって解ってる。なのに、わたし当たっちゃって。自分が苦しいからって、遙に八つ当たりして。ごめんね。」

 ドア越しにそんなことを言い合って、少しの間変な沈黙が続く。

 「あのさ、遙。わたし、皆に甘えすぎてたんだと思う。それで、ワガママになってたんだと思う。皆のこと、ちゃんと考えてなかったなって。遙、あれからずっとごめんって言ってくれてたのに、ずっと無視して、返事しないでごめんね。」

 「別に良いよ。それは、俺が悪かったんだし。今、こうして話してくれてるし。それに、俺はお前のことワガママなんて思ったことないから。甘えすぎとも思ったことない。むしろ、お前と湊人は管理人さんの事甘やかしすぎって思うくらいだから。うちの姉さん達なんて、人に迷惑掛けるの当たり前って言うか、そんな謙虚なこと絶対言わないからね。甘える相手さえ間違えなければ、お前はもっとワガママになって良いと思うよ。八つ当たりされたのは、ちょっと腹立ったけど、でも、火に油注ぐようなこと言ったのは俺だし。元々、お前の不安煽ったのも俺だし。お前の事追い詰めるような事した俺が悪かったなって思ってる。八つ当たりされたのは、そうやって当たっても俺なら受け止めるって信頼されてるからだって思っといてあげる。友達として、それくらい俺には心許してるんだなって思っておいてあげるから。気にしなくて良いよ。俺も忘れるから。」

 「ありがとう。でも、遙なら受け止めてくれるとかそんなこと全然考えてなかったや、わたし。というか、考えてみると、八つ当たりしたら遙は怒鳴り返してくるの当たり前っていうか。受け止めるんじゃなくて打ち返してくるよね。実際、打ち返されたし。遙、それはそれ、これはこれで、自分が悪くないって思ってる所は絶対に曲げないし、譲らないし、折れないし。まず、こうやって何回も謝ってくるって凄く珍しい気がする。」

 「ったく、お前は。こういうときは思ってなくてもそういうことにしときなよ。ってか、その言われよう本当腹立つんだけど。実際、だいぶ折れてこうやって謝ってやってんのに、それをわざわざそうやってさ。お前に悪意がないの解ってるけど、本当腹立つんだけど。」

 「ごめん。」

 「別にいいよ。ズバズバ物言う所は俺も人のこと言えないし。解ってて直す気がない分、お前より俺の方が質悪いって自覚もあるし。人によったらそういうのが無神経で嫌だって思うんだろうけど、俺はそうやって思ったまま口に出されて、言い合いできる方が、余計な気を遣わないですんで楽だし。さっき甘えすぎてたとかなんとか変なこと言ってたけど、今まで通りで良いよ。本当、俺に対して余計な気なんか遣わなくて良いから。ってか、俺の言うこといちいち真に受けて気にしなくて良いし、急に他人行儀になられた方が嫌だから。俺だってそんなつもりで言ってんじゃないって解ってるでしょ。こっちは軽口の延長線上くらいのノリで言ってんのに、あまり深刻に気にされると、俺の方が気が滅入る。お前と浩太はそのまま、脳天気にヘラヘラしてれば良いんだよ。ずっと。お前等が元気ないとこっちの調子が狂うから。」

 「うん。ごめん。ありがとう。」

 「解れば良いよ。解れば。」

 そう言って遙は、少し気まずそうに間を開けてからまた口を開いた。

 「あのさ、花月。色々お前が辛いの解るし、寂しい思いしてるのも解るけど。でも、浩太と別れるとか言わないでよ。他の男のとこ行くなんて、俺は絶対許さないから。いや、そうじゃないね。許さないとかそう言うのじゃなくて、俺は、ずっとお前等に仲良くいて欲しいんだ。ずっとこれからも一緒に、お前等には脳天気に笑い合ってて欲しい。それで、いつか結婚して、末永く幸せになって欲しいって思ってる。俺、お前等が結婚するとき、お前等の衣装を俺がデザインして仕立ててやるのが夢なんだ。二人の一番の友達としてさ、一番近くでお前等の幸せを見守って祝ってやりたいって思ってる。だからさ、こんなことで別れて欲しくない。だから、ちゃんと浩太と向き合ってよ。不安に駆られて逃げるんじゃなくて、不安だからあいつのとこに飛び込んでさ。あいつがお前の事ちゃんと受け止めてやらなかったら、その時は俺があいつのことこてんぱんに叩き潰してあげるから。あいつがちゃんとお前の事受け止めなかったら、その時は他の男のとこに行っても許してあげるから。だから、向き合う前から逃げないで。お願い。俺は、二人が一緒にいない未来なんて見たくない。」

 そう真剣な声音で告げられて、花月は少し考えるように小さくうんと頷いて、ありがとうと返した。

 「いやさ。こんなこと言ってる俺が、お前等の仲に水さすようなまねして本当に悪かったと思ってるよ。それは、本当にごめん。なんていうかアレはさ。本当は八つ当たりだったんだ。俺、実はこないだ彼女にフラれたんだ。一方的に別れるとか言われて出て行かれて、ちょっと苛々してたというかなんといか。お前等は超遠距離で全然会ってなくても仲良いまんまで、うんざりするほどバカップルぶりが健在でさ。ずっと一緒にいても俺は上手くいかなくてフラれたのに、お前等なんなの、少しは喧嘩でもすれば良いのになんて思って、たまたま撮れた写真使ってあんなこと送って。送った瞬間は少しスッキリしたんだけど、浩太が仕事順調で今年は久しぶりに日本に帰るって、お前に会えるのが本当に楽しみだって、心底嬉しそうにニヤついて話してるの見たら一気に罪悪感でいっぱいになって・・・。浩太は、本当に今でもお前一筋だよ。浩太からお前をとったら本当あいつ何もできなくなっちゃうんじゃないかってくらい、あいつはお前の事しか考えてないから。そこは本当に、昔からずっと、今も全く変わってないから。だから、色々辛くて耐えられなくなったなら、お前、大学なんて中退してあいつのとこ行っちゃえば良いと思うよ。そうしたら、あいつ、幻滅するどころかきっと、大喜びすると思う。お前がごめんって言っても、なにがって、全然気にしないというか、じゃあ俺と一緒にここで一からまた始めようかって、笑って言うんだと思う。あいつはそういう奴だよ。お前さえいればいいの。どうしようもないくらい楽天家でふわふわした奴なんだから。あいつがあまりに脳天気でちゃんとしないなら、俺が尻叩いてあげるし。お前等がどうしようもなくても、俺がついてるから。だから、お前は何も心配しないで、あいつとずっと笑ってればいいよ。コレは俺の望みだから、俺がお前等にしてあげることは全部、俺のためだから。だから、甘えすぎとか思わないで受け取ってよ。素直に受け取って、ありがとうってそう言ってもらえるのが一番。俺は、それが一番嬉しいから。誰になに吹き込まれたのか知らないけど、お前は今まで通りでいいよ。俺達、友達でしょ?他人じゃない。友達だからね。言いたい事言い合って、喧嘩して、それでも仲直りして、助け合って、支え合って。これからもずっと、そうやって一緒にいるんだから。俺はおまえらとずっと、どんなに離れたって、時間が流れたってこれからもずっと、そうやって友達でいたいんだ。俺がこんな下手に出て何度も謝るのはさ、それだけお前の事なくしたくないほど大切だって想ってるってことだからね。そのこと絶対忘れないでよ。だから、あまり心配掛けさせるなよ。辛いときこそ少しは頼れ、バカ。」

 「うん。ありがとう。」

 そう言って、花月は部屋のドアを開けた。そして、すぐそこに立っていた遙に笑いかける。

 「朝ご飯、食べに行こう。支度、遅くなってごめんね。」

 「別に。遅いから呼びに来たんだし。出てきたから良いよ。」

 そんなやりとりをして、ゆっくりと二人で食堂に向かう。

 「そうだ、花月。俺が彼女にフラれたって、他の奴には話さないでよ。色々詮索されたくないし、からかわれたくないから。」

 「うん、解った。」

 「あと、一臣には気をつけろよ。あいつとは絶対二人きりになったらダメだからね。」

 「え?なんで?」

 「合意なしにお前のファーストキス奪った相手のこと信用するなって言ってんの。ああいう奴は弱ってるとこにつけ込んで、何するか解らないから。お前今、弱ってて、ただでさえスキだらけなのに更に輪を掛けてスキだらけになってんだから。絶対、あいつに近づくな。あいつのことは信用するな。解った?」

 「えっと、じゃあ、浩太も遙のこと信用しちゃダメって事?遙、浩太のファーストキス合意なしに奪ったんだよね?」

 「なっ。浩太の奴、お前にまでその話し言いふらしてたの?最悪。あのこと軽い調子で人に言いふらすなって言ったのに。ってか、それは違うから。子供の頃のお遊びと、お前のそれを一緒にするなよ。俺は浩太が好きであいつにキスしたんじゃないから。女装させられて苛々してた時に、女共に囲まれて言い寄られてオロオロしてた浩太見て、女のフリしてそいつらに喧嘩売って見下して、そいつらがあわ食うの見て鬱憤晴らしただけだから。それにアレは、俺は頬に軽くするつもりだったのにあいつが動くから結果的にそうなっちゃっただけで、事故だから。あんなのノーカンだからね。お前の事奪う手段としてキスしたあいつと、俺がしたのを一緒にしないで。あと俺は、あいつのやったこと許す気ないから。当人達が脳天気に気にしないでいても、俺は絶対にこれからもずっと、あいつのこと許さないから。正直、お前とあいつが一緒の空間にいることさえ俺はムカつくし、苛つく。本当、あんな奴と仲良くするなよ。」

 そう心底不機嫌そうに言う遙を見て、花月は少し気持ちが沈んだ。なんで遙はここまで一臣のこと嫌いになっちゃったんだろう。一臣がどれだけ気を遣っていても、遙の態度はずっとこんなまま。わたしが一臣と夏樹(なつき)のお墓参り行くのでさえ、遙は眉根を寄せて、必ず一臣に噛み付く。そもそも一臣にキスされたこと、浩太にしか話してないのに、なんで遙が知ってるんだろう?遙がそれを知らなかったら、ここまで遙は一臣のこと嫌いになることはなかった気がする。でも、それを言ってもしかたがない。遙が一臣を嫌いなことに対して、わたしは何も言えない。それに、遙に言われなくても、一臣はわたしに近づかない。もう、一臣とは友達じゃないから。そう。一臣はずっとわたしと正しい距離を保っていてくれた。なのに、わたしはそんな彼に酷いことを言ってしまった。だから、わたしももう覚悟を決めたんだ。一臣と友達に戻ることをわたしはもう諦めるって決めたんだ。もう一臣の優しさに甘えない。友達として傍にいて欲しいなんて言わない。それが一臣にとって残酷なことなんだって解ったから。だから、もう友達じゃいられなくても、自分の大切な友達だった人が幸せになってくれますように、そう心の中でお祈りするだけにするって決めたんだ。

 「遙。一臣はちゃんと解ってるよ。解ってなかったのはわたしなんだ。わたし達はもう友達じゃないから。友達には戻らないから。わたしもそれを受け入れたから。だから、心配しなくても大丈夫だよ。わたしと一臣が一緒に何かするなんて、夏樹のお墓参り以外ありえない。浩太と付き合い始めてからずっとそうだったし、これからもきっとそうだから。そして、ここがなくなって離れたら、きっとそれさえも一緒に行かなくなるんだよ。」

 そう口に出して、それが酷く寂しく感じる。でも、きっとこれが正しい。そう思う。

 「花月。お前、本当解ってない。諦めたつもりでいたって、何かの拍子に再燃するなんてざらにあるんだよ。今まで何もなかったからって、これからもそうとは限らないから。全然彼女作る気配がないのだって、まだお前に気があるからかもしれないじゃん。お前がなんとも思ってなくても、相手もそうとは限らないんだからね。だから、あいつに絶対気を許すなよ。」

 そんな話をしてる間に食堂に着いて、ドアを開ける。

 「お、ようやく降りてきたっすか。今日の朝ご飯は、お前の大好きなナポリタンっすよ。」

 そうキッチンから優しい片岡(かたおか)湊人(みなと)の声が聞こえて、花月はナポリタンと呟いて静かに目を輝かせた。

 「ほら、今仕上げて盛り付けるから、二人とも自分の分持ってくっすよ。」

 そう言われて二人でキッチンに向かう。

 「湊人のナポリタン、久しぶり。嬉しい。」

 「お前、本当コレ好きっすからね。花月の分は大盛りにしとくっすよ。お前ならこれくらいぺろっと食べれるっしょ。」

 「うん。ありがとう。」

 そう言って、お皿に山盛りによそわれたナポリタンを受け取ると、花月はそれをスープののったお盆にのせ自分の席に運んだ。

 「ほら、遙も。遅飯になったから腹減ってるっしょ。」

 「って。俺はそんな量いらないから。もっと少なくして。」

 「朝は大事っすよ。朝は。少なくてもこれくらいは食っとくっす。ただでさえ遙は細いんだから、しっかり食べないとダメっすよ。」

 「あいかわらず、おかんは。俺はそんなに運動する訳でもないから、ムダに食べても太るだけでしょ。俺、ムダな贅肉つけたくないんだけど。本当、あまり多くするのやめてよね。」

 「はいはい。思春期の女子じゃないんすから、ちゃんと食うっすよ。お前、背は結構あるのに下手すると管理人さんより食べないんすから。しっかり食べないとそのうち体調崩すっすよ。太るのが嫌なら運動しろ。よそった量に文句は受付ないっす。」

 「ったく。このお節介。本当、余計なお世話。言われなくてもちゃんと体調管理には気をつけてるし、下手すると管理人さんより食べないのは、俺の食べる量が少ないんじゃなくて、あの人がムダに食べてるだけだからね。」

 「いや、お前の食う量が少ないっすよ。同じインドア派でお前より背の低い祐二だって、お前より食べるっすよ。文句は受け付けないって言ったっしょ。ほら、とっとと運んで席つくっす。因みに、残すのも許さないっすからね。」

 「ったく、おかんはこれだから・・・・。」

 そんなやりとりをしている二人を目にして、花月はなんだか嬉しくなって笑った。

 「何笑ってるの?」

 自分の分のお盆を持って来た遙が機嫌悪そうに顔を顰めてそう言って席について、花月は懐かしいなと思ってと返した。

 「何が?いつもこんなんでしょ。」

 「うん。だけど、いつもは遙いないから。わたしにとっては久しぶり。なんか、遙が帰ってくると楽しいね。」

 「よく言うよ。ここんとこずっと人のこと無視してたくせに。」

 「うん。ごめん。わたし、ちょっと自分の事でいっぱいいっぱいだったんだ。それでさ・・・。」

 「あっそ。で?少しはスッキリしたの?」

 「うーん。まだ、もやもやはしてるんだけど。でも、いっぱいいっぱいじゃなくなったよ。今は、ちょっと楽。遙と湊人のやりとり見るの楽しいって思えるし。」

 「ふーん。良かったね。最悪の所からは脱せて。」

 そんなやりとりをしていると、仲直りできたみたいで良かったっすねと湊人が自分のお盆を持ってやって来て、席に着いた。

 「他の皆は食べ終わってるっすから。じゃあ三人で遅い朝飯にしますか。」

 そんな湊人の言葉を皮切りに、三人で遅い朝食をとり始める。そして三人で他愛のない話をしながら、花月は、二人とも自分の事待っててくれたんだと思って胸が暖かくなった。わたしが一人でご飯じゃ寂しいから。わたしが皆と一緒が良いって知ってるから。こういう所も、本当、わたし甘やかされてきたんだな。こうやって甘やかしてもらうのが当たり前になってたんだな。これは当たり前じゃない。そう思うとなんだか切なくなってくる。

 「ありがとう。」

 そう呟いて、二人に不思議そうな顔をされる。

 「どうしたんすか?急に。」

 「なんとなく。わたしは幸せなんだなって。わたしは、本当に恵まれてるんだなって。皆と居れたこと。皆と過ごした時間。本当は当たり前じゃなかったのに、これが当たり前になってて、それが当然だと思い込んでて。皆にこうやって優しくしてもらえるのが、特別なことだって解ってなかったんだ。皆はわたしの家族じゃないのに、お姉ちゃんは本当のお姉ちゃんじゃないのに、わたし、甘えて、甘やかしてもらって、それが当たり前になってて。ワガママで皆に心配掛けて、酷いことも言って、酷い態度とって。自分の事でいっぱいいっぱいだったからって、わたし・・・。」

 そう言葉にして、涙が溢れてきて、花月はそれを我慢しようとして、目を瞑ってそれを拭った。

 「何言ってるっすか。ほら、我慢しなくて良いっすよ。話しなら聞いてやるから。泣きたかったら、泣いて良いっすよ。」

 そう湊人の優しい声が聞こえて、背中を擦られて、花月は嗚咽を漏らしながら、うながされるまま自分の中の不安をぽつりぽつりと口にした。そうすると、まったく花月はバカっすねと湊人に笑われる。

 「家族の形なんて色々あっていいっしょ。確かに俺達は赤の他人だし、人に言わせればシェアハウスで同居してるだけの関係かもしれないっすけど。もう丸三年以上も一緒に暮らしてるっすよ。他のシェアハウスがどうだかしらないけど、ここは管理人さんが皆の帰ってくる家でありますようにって考えて、何をするにも皆でやって来たじゃないっすか。だから、俺達は家族で良いんすよ。家族だと思ってて良いっすよ。今まで通り、管理人さんの事本当のお姉ちゃんみたいに思って、俺達のこと家族だと思って、甘えて良いんすよ。ここがなくなったって、俺達はお前が気軽に甘えられる存在でいてやりたいって思ってるっす。管理人さんも言ってたっしょ?お前を独りになんかしないっすよ。ずっと、俺達はお前の味方っす。だから大丈夫っす。無理しなくて良いっす。何も心配しなくていいんすよ。お前には俺達がついてるっすから。」

 「でも。わたし・・・。」

 「バーカ。湊人のお節介と心配性は折り紙付きなんだから。お前が変なこと考えて無理に独り立ちしようとしたら、湊人の方が心労で死んじゃうから。そこは素直に甘えときなよ。管理人さんも、いきなりお前が姉離れしたら寂しがるよ。なんなのお前、急に甘えすぎてただのなんだのと。誰がお前に独り立ちしろって言ったの?誰がお前に自立しろなんて言ったの?そもそもお前は充分自立して一人でも生きていけるから。ってか、無人島に一人取り残されたとしてもお前なら野生で生きていけるから。それでも皆お前に今まで通りでいいって言うのはさ、こっちもお前と今まで通りでいたいんだって解らないの?何、お前。ここがなくなったら、俺達ともそこでお終いになりたい訳?そんな薄っぺらい関係だったの俺達。バカ。本当、バカ。ってかさ、俺や浩太が出てったからって、それでなんか変わった?帰ってこなくたって、全然変わってないでしょ。お前もさっきそう言ってたでしょ。そんなことで泣くとか、本当バカじゃないの。」

 そう言う遙に湊人が、お前な・・・と苦言を漏らして、でも花月はそれが嬉しくて、涙の後が残る目を細めて、ありがとうと笑った。それを見て、湊人が呆れたような諦めたような溜め息を吐く。

 「まぁ、言い方はどうあれ、遙の言う通りっすよ。寂しいのはお前だけじゃないし、俺達だって今まで通りでいたいと思ってるっす。表に出さないだけで、気持ちは同じっすよ。そりゃ、皆が皆今まで通りの関係でいられるわけじゃないと思うっす。離れたらそのままになっちゃうってこともあるっす。でも、それでも俺達が一緒に過ごしてきた時間がなくなるわけじゃないっしょ。家出娘のお前を三島(みしま)さんが拾ってここに連れてきて、管理人さんがここで保護するって決めて一緒に生活始めて。あの頃は文字の読み書きすらできないで何も知らなかったお前が、今こうしてちゃんとここの住人になって普通に大学生してる。こうなるまでの間、どれだけのことがあったっすか?どんな時間をお前は俺達と過ごしてきたっすか?そこでお前は何を感じてきたっすか?俺達はそんなお前の生長をずっと見守ってきたっすよ。だから、この場所には、今ここにいるお前を育てた全てがあるって、そう言っても過言じゃないって俺は思うっす。だから、間違いなくここはお前の実家で、俺達はお前の家族っす。俺はそう思うっすよ。」

 「湊人、大げさすぎ。俺は別にここの奴等のこと家族とか思ってないから。」

 「はいはい。そうっすよね。お前はそういう奴っすよね。悪かったな、おおげさで。」

 「でも、まぁ、湊人と管理人さんがここの父と母で、花月は子供。そんなあんたら中心にやっぱここは家だなって、そうは思うよ。正直、実家よりここの方が居心地良いし。帰省するならここだしね。顔出さないとうるさいから、一応実家にも顔出すけどさ。家族だなんて大げさなことは言わないけど、俺だって皆のこと他人だなんて思えない。友達とかそういうんじゃないけど、ただの同居人って纏めちゃうのは寂しいくらいには、あんたらのことも自分の一部だと思ってあげてるよ。」

 「なら、いいかげん真田(さなだ)に対する態度どうにかするっすよ。お前、いつまであいつのこと邪険にするつもりっすか。」

 「それは別。ってかさ、あんたら夫婦いつになったら結婚するの?管理人さんも今年でもう二十八でしょ。そろそろ籍入れちゃえば?ってかさ、俺達の前では相変わらずお互いのこと、管理人さん片岡君って呼び合ってんの白々しいにも程があるでしょ。いいかげん開き直ったら?」

 そう遙に話を逸らされ小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら追撃されて、湊人は咄嗟に言い返すことができずに言葉を詰まらせた。

 「で?花月、これからどうすんの?とりあえず部活は来るなって言われたから暫く休むんでしょ。ってか、このまま続けるの?辞めるの?」

 「わからない。わたしはやっぱ浩太とストリートパフォーマンスしたい。でも、結局、部長に認めてもらえるパフォーマーになれないなら、わたしは浩太と並べない気がする。だから、浩太との夢を叶えるためにも、ちゃんと部活には戻りたいと思う。でも、パフォーマーとしての自分ってよく解らないんだ。なんていうか、そういうのも、結局、わたし考えが足りてなかったと思う。いつだってわたしの頭の中は楽しいが最初にあって、楽しいことしか考えてなくて。浩太とストリートパフォーマンスしたいっていうのも、本当はただ浩太と遊んでたかっただけなのかもしれないし。だから、本当にそれを職業にしたいのか、ただ浩太と遊んでいたかっただけなのか、そういうことも含めてちゃんと考えなきゃいけないんだと思う。ただ楽しく遊んでいたかっただけなら、わたしは部活もやめて、職業にするのもやめにしようと思う。」

 「あっそ。他人にダメって言われたからって、それで自信なくして諦める選択肢作っちゃうんだ。それくらいで目が曇るとか、お前もつまらない人間になったね。叶えたい夢を見たなら、もっと貪欲になりなよ。それをなくしたらお前に何が残るの?お前は何になるの?俺は、バカみたいに目をキラキラさせて、目の前のことに一生懸命取り組んで、欲しいものを何でも掴み取ってきたお前が好きだったよ。楽しいのために努力して努力して、その先で、これでもかってくらいの満面の笑顔を浮かべてたお前が、俺は好きだったよ。何もかも投げ出して、全身全霊でやりたいことを頑張って、心からそれを楽しめるお前が羨ましかった。俺もそうなりたかった。俺さ、小さい頃、父さんの職場に行ったとき、そこで服飾の仕事を見て、中でもデザイナーの仕事ぶりに憧れて服飾デザイナーになりたいって思ったんだ。だから、そのために努力した。学校じゃ優秀な成績修めて、それなりに評価もされて。でも、いつだって俺は優等生のその先に行けなかった。自分でも何かが足りないって解ってた。俺には才能がないって思ったときもあった。藤村(ふじむら)のセンスに嫉妬して、羨ましいと思って。負けたくないって思って。上手くいかなくて嫌になったときもあったよ。今だって、留学して今までにない刺激を受けて、自分のちっぽけさを余計実感したりして。でも、俺は叶えたい夢がある。子供の頃から憧れてた夢で、そしてそれになってやりたいこともあるんだ。夢を叶えたその先にもきっと、これからも俺の夢は広がってって。ちょっとしたことでいちいちぐずぐずして立ち止まってるヒマなんかない。俺は、これからも進んでくよ。夢を叶える道のりの苦しいも辛いも全部、それすらも全部楽しかったって、最後には笑ってやる。努力し続けて夢を掴み取った人間にしか解らない頂に立って、そんなことで膝をついたお前の事、見下して、おもいっきりバカにしてやるから。」

 そう言う遙に蔑むような冷たい視線を向けられて花月はハッとした。

 「遙。猪突猛進に突き進むだけが人生じゃないっすよ。引き際を見極めて、後戻りができるうちに方向転換することも必要な時もあるっす。突き進んだ先に、必ずしも成功が待ってるとは限らないっすからね。」

 そう優しく間に入る湊人に、遙がそれは最初から戦う勇気がない奴の言い訳でしょと言い放つ。

 「それでも、それも選択っす。夢が叶うまで夢を諦めない。それも立派な事っすけど。夢を諦めて違うところに落ち着く。それもまた覚悟が必要なことなんすよ。諦めた先は先で、諦めた夢がちらついたりして、でももうそれを追うことはできなかったりして。諦めたら諦めたでそういうモノと今度は葛藤していかなきゃいけないっす。でも、それでも、夢を諦めて手にした物や、自分の選択を後悔しないように。これで良かったって思えるように、色々折り合いつけるっすよ。今の花月には選択肢があるっす。どっちに転んでも後悔しないですむように考える時間もあるっす。それはとても貴重な事っすよ。選択を迫られるときに必ずしもゆっくり考える時間があるとは限らないっすからね。それに、自分自身の先は、周りがどうこう言って決めることじゃなくて、自分の中にあるモノと折り合いをつけて、自分で決める事っす。自分の在り方は人に押しつけられる物じゃないっすよ、自分自身で覚悟を持って決めなきゃ、どっちに転んでも、上手くはいかないものなんすよ。ゆっくり考えられるなら、自分が後悔しないようにしっかり自分と向き合って考えられるだけ考えた方が良いって俺は思うっすよ。」

 いつも通りの優しい声音で、でもしっかりと遙を見据えて言われた湊人の言葉に、遙は何かを言い返そうとして、でも何も言わないで、ただ不服そうに顔を顰めて黙り込んだ。

 「だから、花月。時間もできたことだしゆっくり考えれば良いっすよ。ここには、夢を諦めなかった奴も、夢を諦めて違う道に進んだ奴も、適当なところで折り合いつけて無難に過ごすことを選んだ奴も色々いるっす。でも、それぞれがそれぞれで結構充実した毎日を過ごしてると思うっすよ。だから俺は、どの選択も悪くないと思うっす。これじゃなきゃダメなんて答えはないっす。視野を広げれば、選択肢は沢山あるっすよ。お前の選びたい放題。好きな道を選んでいいんすよ。ただ、選んだ先に何があってもその全部を自分で受け止めなきゃいけないっす。だから、自分がどうするのが一番幸せになれるのか、どうなりたいのか、どうしたいのか、ゆっくり考えるっすよ。一人で考えてダメなら、人生の先輩達に話しを聞いて参考にしてもいいと思うっす。自分で決めなきゃいけないことだけど、誰も頼っちゃいけないわけじゃないっすからね。」

 そう言う湊人に優しく頭を撫でられて、花月は神妙な面持ちで解ったと応えた。遙の言葉を聞いて、彼の自分に対する頑張れの気持ちが凄く伝わってきて、ここで諦めちゃダメだって思った。でも、湊人の言葉を聞いて、ただ気持ちだけで突っ走るんじゃダメだって思った。ちゃんと考えて、ちゃんと自分の答えを出す。ただ辛いから逃げるんじゃなくて、やらなきゃいけないから頑張るんじゃなくて、ちゃんと真剣に自分自身のこの先を。今までのふわふわした自分じゃなくて、しっかりと、皆みたいにこれで行くんだって。自分はこうするんだって決めて、自分が歩いて行く道を決めなきゃいけないんだ。そう考えて、花月は自分の胸に手を当てた。自分の中にあるモノ。それを形にして前に進む勇気。わたしにもちゃんとここに勇気がある。そう思うとそこがなんだか熱くなった気がして、花月は大丈夫だと思えた。

食堂のドアが開いて、真田(さなだ)一臣(かずおみ)が入ってくる。

 「おっし。飯食い終わってるな。花月。出掛けるぞ。」

 そう言って一臣がヘルメットを投げてきて、花月は咄嗟にそれを受け取った。

 「え?出掛けるの?何処に?」

 そうきき返すと一臣は悪戯っぽい笑みを浮かべて秘密だと返してくる。

 「どうせヒマだろ?来れば解る。」

 「っちょ。お前、花月のこと何処につれてく気?ってか、花月、そいつにホイホイついてくな。絶対、行ったらダメだからね。」

 「あー。遙はちょっと黙ってような。花月。悪いようにはならないっすから、真田について行ってこい。」

 「なっ。湊人、何言ってんの。どういうつもり?こいつと花月二人で出掛けさせるとか・・・」

 そう、わーわーぎゃーぎゃー言いながら花月を行かせまいとする遙を抑え付けて、遙と一臣を見比べて迷っている花月に湊人が良い笑顔を向ける。

 「花月。遙の言うことは気にしなくて良いっすから、行ってこい。俺が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫っすよ。花月は、俺と遙、どっちの言うこときくっすか?」

 そう言われて、花月は今度は遙と湊人を見比べて、湊人に口を押えられてもごもご言ってる遙と目が合って、その目が絶対行くなと言っていて、でも湊人が優しい笑顔で大丈夫だから行ってこいと言っていて・・・。

 「行ってくる。」

 そう言って、花月は出掛ける支度をするために立ち上がった。食べ終わった食器を片付けようとして、湊人にそれは俺がやっとくからと言われて、言葉に甘えることにする。

 「花月。時間が惜しいからさっさと出るぞ。何かあったら俺が何とかするから、スマホも財布も持たずにそのまま来い。」

 一臣にそう言われて、促されるままヘルメットだけ持って付いていく。

 「気をつけてな。遅くなって晩飯いらないようなら連絡するっすよ。」

 そんな湊人の言葉に見送られて、花月は久しぶりに一臣と出かけた。彼のバイクの後ろに乗って、彼につかまって風を感じて。懐かしいなと思う。前はよくこうやって二人で出掛けてた。良いとこ見付けたから今度一緒に行かないか?そうやっていつも一臣が誘ってくれて、お前こういうの好きそうだと思ってさ、楽しいだろ?そうやって笑い掛けられて。色んな所に行って、色んな事したな。楽しかったな。でも、一臣は楽しかったのかな。今考えると、一臣のしたいことというよりわたしが喜びそうなことを一臣はしてくれてた気がする。でも、わたしのこと眺めながら、お前見てると飽きないなって笑っていた一臣は楽しそうだった。だからきっと、あの頃は一臣も楽しかったんだと思う。そう、あの頃は楽しそうに笑っていた。一緒に笑ってた。そういえば、一臣があんな風に笑うのをずっと見てないな。今、一臣は楽しいのかな。わたしが浩太の手を取ってそこにある幸せに夢中になっていた時、一臣はどんな思いをしてたんだろう。そう考えて、ごめんね、ずっと、わたし何も解ってなくてと思う。

 「ねぇ、一臣。一臣の中にまだ夏樹はいるの?夏樹が今もわたし達の傍にいたなら。二人じゃなくて三人だったなら、一臣と友達やめなくてもよかったのかな。友達のまま、昔みたいに三人で笑い合えてたのかな。夏樹ならきっと、わたし達をずっと繋いでいてくれた気がするんだ。関係がどんな風に変わっても、ずっと。わたし達のこと強引に引っ張りまわして、笑って。お前等の事情とかどーでもいいし。俺には関係ねーしとか言ってさ。今のわたし達を見たら、夏樹はなんて言うかな。解らないけど、喜んではくれない気はするんだ。夏樹が喜んでくれないのは嫌だなって思うけど、でも、しかたがないよね。これはしかたがないことなんだよね。」

 花月が口に出したその言葉は、一臣の耳に届くことなく風に吹かれて消えてしまった。でも思う。もし今も夏樹が生きていたならば。そうもういない初めての友達の姿を思い浮かべて、花月は少し胸が締め付けられた。十七歳の頃、初めて暮らしていた山奥の家を遠く離れて街中に出た。そして、なにもかも初めての世界で出会った初めての友達がいた。何も持たなかった頃の自分が始めて手に入れた、夏樹と一臣という友達。そして二人と過ごしたあの時間。あの感動の連続を今も鮮明に覚えてる。どんなに時が経っても薄れることのない、わたしの大切な想い出。その想い出があったから、わたしは家出をした。楽しかったあの頃に想いを馳せて、窓の外に飛び出した。そして今ここにいる。今の自分があるのは、あの出会いとあの日々があったからだ。一臣。やっぱりわたしにとって一臣は大切な友達だよ。いつまでたってもずっと、凄く大切な友達だよ。だからわたしは一臣に笑って欲しい。一臣にも笑ってて欲しい。でもきっとわたしじゃ一臣を笑顔にはできないんだ。わたしはダメなんだ。友達でいたかったわたしと、友達じゃない関係になりたかった一臣じゃ、絶対に気持ちは交わらないから。だから傍にいちゃいけない。それが解ったから、だからね。一臣。わたし、もう友達でいたいなんて言わないよ。引き留めたりなんかしないよ。今までごめんね。ずっと、ごめんね。そう心の中で語り掛けて、花月は目の前にある一臣の大きな背中にそっと、今までずっとありがとうと呟いた。

 随分な距離をずっと走って、普段生活している街からどんどん遠ざかって、県もまたいで、峠を越えて、山道から見慣れない街中に出て。ある市民会館のような小さな劇場の前で一臣はバイクを停めた。着いたぞと声を掛けられてバイクを降りながら、花月は来れば解るって言ってたけどここ何処だろうと思って首を傾げた。隣でスマートフォンを手に電話を掛けている一臣を見上げて、何してるんだろうと思う。

 「中入っても良いって。行くぞ。」

 通話を終えた一臣にそう言われ、花月は訳がわからないまま、彼を追って劇場の中に入った。劇場って久しぶりだな。観客が入る前の静寂の中、舞台の準備をしているのであろう人の動く音や声が響いていて、なんか懐かしいなと花月は思った。わたしも一度だけ舞台に立ったことがある。光の代役で、急遽舞台に立つことになって。その時の事を思い出して、アレが始めて誰かに求められて、それに応えようと頑張って、誰かと協力して一つのモノを作りあげた経験だったなと思う。それまでずっと、自分に足りない物を補おうと、そして自分の好奇心に導かれるまま、ただ自分のための努力を続けていただけだった。自分の中で全て完結してしまう。そんな努力しかしたことがなかった。誰かのためにする努力は、誰かの思いに応えようとする努力は、一人で完結してしまう努力と違って、皆の想いを、皆の願いをひしひしと感じて、熱くて、ドキドキして。誰かと一緒に一つのモノを作りあげる経験は、一緒にやる皆の熱とぶつかり合って、それまで感じたことのない新しい自分が出てきて、凄くワクワクした。健人と稽古してるだけじゃ、光の話を聞いているだけじゃ解らなかった演劇の面白さを。二人がなんでそれに惹かれたのかを、少し解った気がした。そして、それまでよりずっと、健人と稽古するのが、光の話しを聞くのが楽しくなった。それを思い出して、花月は少し胸が高鳴った。ここではどんな舞台が演じられるんだろう。役者さんの声は聞こえないから、稽古はしてないんだろうな。じゃあ、裏方さんがお仕事してるのかな。そんなことを考えて、花月ははたとあることに気が付いた。

 「一臣。もしかして、耀介(ようすけ)に会いに来たの?」

 そうきくと、なんだもうバレたかと言われて、なんで秘密にしてたのと疑問を返す。

 「うーん。遙への嫌がらせ、みたいなものか?」

 「嫌がらせ?」

 「散々喧嘩売られてきたからな。今まで流してたけど、ちょっと買ってみた感じか?今頃、片岡にキーキー言って軽くあしらわれてふて腐れて悶々してるとこか?お前にスマホ持たせなかったのも連絡取れないようにするためだしな。俺は着拒済みだし。精々、俺達が帰るまで悶々してろ。」

 そう悪い笑みを浮かべてどこか楽しそうに言う一臣の姿を見て、花月はなんだかホッとした。久しぶりに自分がよく知ってる一臣がいる。変な距離がない、友達の一臣がここにいる。そう思うと嬉しいと思う反面、もう友達でいて欲しいなんてワガママ言わないって決めたばっかなのにな、なんて思って、モヤモヤする。でも、どうせモヤモヤした気持ちをそのまま突き詰めようとしてどうするのか解らなくなって悩んでしまったら、それがバレて、どうしたってきかれて。このモヤモヤをを口に出せば一臣は、お前はごちゃごちゃ考えるの苦手なんだから考えんなって言うんだ。どうして急に一臣がこの距離に戻ってきたのか解らない。この一臣にどう接するのが正しいのか解らない。でも、きっとそれも自分で考えて決めなきゃいけないんだ。誰かに決めてもらって流されるんじゃダメなんだ。そう思って、花月は何も言わずに前を向いた。

 「劇場って事は、耀介お仕事中?あ、耀介まだ専門学校の学生だから、お仕事じゃなくて勉強中になるのかな?」

 「現場実習で実際に舞台で使われる背景つくってんだから、仕事中で良いんじゃないか?今日は休みの予定だったんだが、なんか急な直しが入ったとか言ってたかな。でも、まぁ、そのおかげで職場見学できるんだからラッキーだったな。こういう現場見んの、お前好きだろ?」

 そう笑顔を向けられて、花月はうんと応えた。このやりとりも懐かしいな。なんか昔に戻ったみたいだな。そう思ってまた少し胸が締め付けられた。一臣と友達でいつづけたいという願いを捨てきることができない自分がいる。もうこんな風に戻ることはない。そう思ってたから諦めようと決心できた。でも、こんな風に接せられると、その決意が揺らぎそうで、この時間を続けたいと思ってしまう自分がいて苦しくなる。

職人達が作業しているスペースについて、そこに藤堂(とうどう)耀(よう)(すけ)の姿を見付けて、視線で軽く挨拶を交わす。それだけで作業に戻る耀介の姿に、そして彼も含め職人達が真剣に作業する現場の空気に、こういう雰囲気良いな花月は思った。作業風景を見ているだけでワクワクする。そしてそこに並ぶ背景達を見て、これがどんな風に舞台で使われるんだろう、なんの背景なんだろうなんて思ってうずうずしながら、でも作業の邪魔にならないように端で黙って作業を眺めていると、隣からくすくすと小さく笑い声が聞こえてきて、花月は疑問符を浮かべながら一臣を見上げた。

 「お前、これなに、あれなに、それってなにしてるの、これどうやって使われるのってききたくてしょうがないって顔に書いてあるぞ。本当、いつまでたっても変わんねーな。まぁ、飛んでかなくなっただけ大人になったのか?」

 「さすがにもうそんなことしないよ。わたしだってちゃんと常識身につけてるんだから。いや、まだ先輩とかに怒られること多いけど。特に部長には、お前、本当なんなんだよ、いいかげんにしろとか言われること多いけど。ちゃんと学習してるんです。ちゃんと社会性身につけてるんです。」

 「そうむくれるって、からかわれてるって自覚出てきたか?昔のお前なら、からかわれてもきょとんとして、よく解らずにヘラヘラ笑って終わってたもんな。」

 そう更にからかうように言葉を重ねられて、花月は言い返すことができずにモヤモヤして、一臣から視線を外して。彼のことは無視して作業してるの見るの楽しんでようと思った。

 「本当、お前変わったな。でも、変わらないとこは全然変わってなくて。ちゃんと、自分のままで生長したいって言ってたの、実現できてると思うぞ。良かったな。」

 そう一臣の真面目な声がふってきて、花月は彼から視線は外したまま彼の声に耳を傾けた。

 「なぁ、花月。大人になりかけは、余計なもんが色々見えてきて、余計な物に色路縛られて、色々考えちまうことが増えて、本当、面倒くせーだろ?苦しいだろ?しんどいだろ?他人を大切にしたいと思ったら、自分を抑え付けなきゃいけないことが増えて。自分を我慢しなきゃ、他人を傷つけて。そうこうしてるうちに人も自分も傷つけて。訳がわからなくなって。ありもしない絶対的な正しさを求めちまったりして、それに無理に自分を当てはめようとして、苦しくなって。誰かに何かを伝えるとき、子供みたいに全身全霊でぶつかれば、相手も自分も玉砕しちまうかもしれないし、なにより自分を守ることを身につけた奴に捨て身でぶつかりゃ、下手すりゃ自分だけが粉々になっちまう。だから人は大人になるとむき出しの自分なんて曝け出さなくなるんだ。曝け出せなくなる。だから曝け出せる相手って言うのは、とても貴重で特別で、失いたくないと思う。でも、絶対失くさないでいられるなんて限らないから怖くなる。でもお前は、本当不器用だからな。これからもずっと、誰に対してもきっと、そうやって生きてくんだろ。その生き方はかなりしんどいぞ。社会で生きていくなら、お前も自分を守る術を身につけた方が良いって思う。でもな。お前がお前だから。そういう奴だから。そんなお前に、皆、励まされて、動かされて、お前に何かあったら力になってやりたいって、支えてやりたいって思うんだ。だから、そのままでいられるなら、そのままでいて欲しいって思うよ。お前が変わっちまったら、普通の大人になっちまったら、大切なモノが一つ失くなっちまうから。」

 静かな声でそう言って、一臣はそのまま黙り込んだ。その先に何か続きがあるような気がしたけれど、結局一臣の口からその先がつむがれることはなく、花月もその先を促すことをしなかった。

暫くして、耀介が合流して、三人で昼食を食べられるところに移動し、花月を中心に他愛のない話しに花を咲かせる。

 「あぁそうだ。片岡さんから、俺の話しお前に聞かせてやってくれってメール来てたんだけど。お前、進路悩んでんだって?」

 そう耀介に話しをふられて、花月は疑問符を浮かべた。それを見て、耀介が疑問符を浮かべ返す。

 「なんか、俺とお前似てるとこあるからお前の参考になるんじゃないかって言ってたけど。俺はおめーみたいに頭良くないし、これがしてーってのも全然なくて、たまたま三島さんに誘われて部活見学行って、平岡(ひらおか)さんに声掛けてもらって色々教えてもらって、こういう進路を拓いてもらった感じで。何でもできるお前と全然ちげーし、俺のなんか聞いても参考になんねーだろ。ってか、俺のなんてこれで終わりだ。」

 「いや、耀介。お前に話して欲しいのは中学の時の話しだ。というか、将来就く職業見据えて、舞台美術の専門学校進学した経緯は皆知ってるからな。」

 「中学ん時?高校進学の話しか?大学行ってる奴に高校受験の話ししてなんになんだよ。」

 「意味なんてお前は分かんなくていいから、とりあえず話せよ。面倒くせーな。」

 「あぁ?誰が面倒くせーって?あんたが訳わかんねーこと言うからだろ。」

 「いいから、とっとと話せよ。どうせ説明してもお前には解んねーだろ。」

 一臣と耀介でそんなやりとりをして、耀介がそれもそうかと納得したように引き下がる。

 「つっても、喧嘩で進路ダメになって、親父にぶん殴られて、とりあえず高校ぐらいちゃんと卒業しろって言われて進学した感じで。俺は頭良くねーし、俺の頭で進学できんのが逢坂高校(おうさかこうこう)しかなかったからそこ行っただけだからな。特に話すことはないぞ。」

 「その逢坂高校に進路変更するまでの経緯だよ。」

 「あぁ?だから、絡まれて人殴って推薦なかったことにされたから、他にいけるとこなくて逢坂高校に進学。それ以上、なに言うことがあんだよ。意味分かんねーよ。」

 「耀介、逢坂高校以外に行く予定だったの?」

 「あぁ。スポーツ推薦で進路決まってたんだ。」

 「スポーツ推薦?」

 「勉強できなくても運動できりゃ受かれる推薦ってとこか?とりあえず、スポーツ推薦なら、野球だけやって実績出せば勉強できなくても良いっていうし。そこそこ野球が強い私立高にスカウトされて進学予定だったんだよ。まぁ、それ以外俺にはできることなかったんだけどな。」

 「耀介、野球やってたんだ。」

 「あぁ。今は全くだが、物心ついたときからずっとな。これでも、リトルリーグじゃ名の知れたバッターだったんだぜ?頭は壊滅的に悪いし、お前は野球選手になるしかねーって言われてて。昔はずっと野球とったら何にもできないって言われてて。俺自身そう思ってた。将来は野球選手。とりあえずリトルリーグでいけるとこまで行って、高校で甲子園行って、ドラフト指名される。そういう道のりしか、ガキの時の俺は描けなかった。俺が辿れる道なんて、本当にそれだけだと思ってた。それがな、今は何故か大工仕事みてーなことしてんだもんな。訳わかんねーことも多いけど、これが案外楽しいし、性に合ってるみてーだし。なんか不思議な感じだ。」

 そう言う耀介がおかしそうに笑うのを見て、花月は不思議な気持ちがした。

 「解んねーもんだな。人生って。俺はあの時詰んだと思ったんだ。進路決まってんだからダメになるようなことするなよって、口酸っぱく言われてたのにな。お前は短気だから我慢しろってうざいくらい言われて、それくれー俺だって解ってるって言ってたのに。絡まれて無視したら胸ぐら掴まれて、カッとして一発。それが大事になって。推薦取り消しになっただけじゃねー。野球自体できなくなった。あん時は全てが終わった気がした。」

 それしかないと思っていた。それ以外の道のりを描けなかった。それがなくなったら全てが終わる気がした。そんな耀介の言葉が今の自分と重なって、花月は湊人がわたしと耀介似てるって言うのはこういうことなのかなと思った。

 「俺にとって野球が全てだったからな。本当、あの頃はそれ以外俺にはなかったし。野球とられたら人生詰んだと思ったんだよ。俺が悪いわけじゃねー。あいつが絡んできて胸ぐら掴んできたのに、なんで俺がって思って苛々したな。だから、からんで来る奴がいるとそん時のこと思い出して、俺の人生めちゃくちゃしやがってって怒りが湧き出てきて、自暴自棄って言うのか?喧嘩売られる度に買って相手ボコって。今思うと、あの頃真田さんが声掛けて続けてくれて、家追い出された俺を拾ってくれなきゃ、自分で自分の人生本当に詰ませるとこだったな。俺は運が良かった。」

 「運・・・。」

 「運だろ。出会いなんて。自分でどーにもならねーって決めつけてたって、案外どうにでもなるもんだし、してもらえるもんだ。でも、良い運が回ってきたって、それを自分でキャッチしねーと結局どうにもなんねーんだろうなって思う。真田さんに拾われてからの俺の人生はそんな感じだった。お前等と関わって、構われて、なんかな。悪くねーよ。こういうのも。あの時詰んだと思った俺の人生。悪くねー。」

 そう言って満足そうに笑う耀介の顔を見て、花月はなんだか胸が熱くなった。一度は人生が終わったと思った。でも、そうじゃなかった。今の人生が悪くない。そう言う耀介が良いなと思った。これが、湊人がわたしに見せたかった物なのかなと思った。色んな人の人生を参考にしろって。視野を広げろって。湊人はきっと言うだけじゃ伝わらないと思ったから、こういう機会を作ってくれたんだろうなと思う。そういえば、前も違う選択肢も考えた方がって言われたっけ。その時は浩太との付き合いを考え直せって話しだった気がするけど。湊人にはきっと、耀介とは違う、でもわたしには見えていない景色が見えてるんだろうな。色々考えて、色んな先を想像して、それで心配してくれてるんだろうな。そう思って、花月は帰ったら湊人にも話しを聞いてみようと思った。

 耀介と別れて、また一臣のバイクに乗って走り出す。そしてそのまま真っ直ぐ帰路にはつかず、適当な道のりをツーリングして、景色の良い場所で停まる。

 バイクを降りて、花月は促されるままヘルメットを外し、そこにある景色を眺めた。

 「うわぁ、凄い。」

 眼前に広がるその光景に思わずそう声が出て、隣に並んだ一臣がだろ?っと笑いかけてくる。

 「あそこが、さっきまでいたとこ。耀介が仕事してる劇場は、あそこら辺か?こっからじゃ全然見えねーな。」

 「そうなんだ。今見てるのが、さっきまで見てた景色と同じ物って、なんか不思議だね。」

 「だな。でも、案外なんでもそういうもんだぞ。遠くじゃなきゃ見えない物も、近づかなきゃ見えない物もあるし。角度変えただけで全然違って見えたりとかさ。人が見えてなかったもの、人が気付かなかった一面を枠に収めて、これにはこういう姿もあるんだぞって人に見せて。見せた人の反応を見る。自分が撮った写真を見た人がどんな顔するかって考えるとワクワクする。喜ばれると嬉しいし、驚かれると楽しい。自分の撮った物が、人の心に届くことがたまらないと思う。」

 そう言ってカメラを構えて眼前の景色を写す一臣を見て、花月はそれが一臣が写真を仕事にした理由なのかなと思った。

 「一臣も、湊人に言われたの?」

 「まぁ、そんなところか?元々、耀介に持って来てくれって頼まれたモノがあって来る予定だったんだよ。そこにお前も連れて行ってやってくれないかって。それだけだ。正直、ここ連れてくるのどうするか悩んだけどな。でも、お前が今辛いのも、あいつが何考えてんのかも解ってるのに何もしないなんてできねーだろ。なんだかんだ言ってもやっぱ、お前は俺の特別だからな。」

 眼前の景色から視線を外さないままそう言う一臣の静かな声を聞いて、花月は不思議な感じがした。友達ではいられなかった。恋人にもならなかった。わたし達の正しい距離が解らない。離れて関わらないのが正しいのかと思った。でも、友達じゃなくても、恋人にはなれなくても、大切な人だという事は変わらなくて、相手に笑っていて欲しいと願うことはやめられない。だから、一臣の言っている気持ちは解る。でも、手を伸ばすことが、その手を取ることが正しいことなのか解らない。

 「深く考えんなよ。特別だなんて大した意味なんかねーんだよ。確かにお前は俺の特別だ。でもな。だからってお前に告白した時みたいな情熱は、俺にはもうねーよ。ようは夏樹と同じだ。一緒にいなくたって自分の心の中に生き続ける、そういう存在ってだけだ。ってか、遙も片岡も、俺がずっとお前の事ひきずってフリーだと思い込んでるみたいだけど、俺、お前にフラれた後に彼女いたからな、一応。」

 「え?一臣、彼女いたの?一臣が浮かれてるとこ見たことない。」

 「彼女できたくらいで浮かれるほど俺は純情じゃねーよ。」

 「なんで内緒にしてたの?」

 「別に内緒にしてたわけじゃねーよ。わざわざ言うようなことでもないから言わなかっただけで。管理人さんには気付かれたし、だから管理人さんは知ってたぞ。俺が言わないから黙っててくれたんだろ。別れる事になった時も色々話し聞いてもらったしな。」

 「別れちゃったんだ。」

 「あぁ。大学卒業する前にな。結局、一年もたなかったな。俺なりに大事にしてたつもりだったんだだけどな。あー、この話し。片岡には言ってもいいが、遙には黙ってろよ。あいつに知られると色々面倒だ。」

 「解った。」

 「本当、面倒くせーな、色々。だいぶ前にだけどな。俺、我慢するのはやめるって決めたんだ。自分を抑え付けるのはやめにして、好きなようにするんだってな。それで楽になった。でも、結局、自分の中にあるもんでさえ色々矛盾する事が多すぎて、折り合いの付け方が今でも解らない。本当、ダセーな。」

 そう言っておかしそうに笑う一臣の声を聞きながら、花月は遠くを眺めていた。変わらない、わたしも。どう折り合いをつけるべきなのか答えが出せない。でも、これでいいのかもしれない。一臣が楽しそうだから。これで良いって言ってるみたいだから。

 「悪かったな。色々。」

 そう言われて、意味が解らなくて一臣を見上げる。そうすると目が合って、花月はそこになにか懐かしいものが見えた気がした。ずっと探していた何か。ずっと求めてた何か。

 「こうあるべきだって押しつけられるのがメチャクチャキツいことなんて、俺はよくわかってたはずなのにな。いつの間にか俺は、俺がこうあって欲しいっていうお前像をお前に押しつけるようになってたんだなって気が付いたんだ。どんな風に変わったって、お前はお前だって。それでいいって、そのはずだったのにな。お前は俺にそう言って、夏樹と三人で遊んでた頃の俺と今の俺が違っても友達になりたいんだって、友達を一からやり直そうって言ってくれたのにな。あの時お前の手を取って、俺は救われたんだ。なのに俺は。お前にお前らしくを押しつけて、お前を追い詰めた。だから。悪かったな。もう何も言わねーよ。好きにしろ。ただ、お前が楽なように。どんな風に変わったって、他の誰がなんて言ったって、そこにいるお前がお前なんだって。俺の好きだったお前もずっとお前の中にいるって、信じてる。だってな、今まで通り過ぎてきた全てが詰まって今の俺達がいるんだ。歩いてきた道のりの何か一つでも違ってたら、手に入れてきたものの何か一つでも欠けてたら、俺達は今こうしてここにいない。誰が何と言おうと、自分自身がどんなに否定したって、結局、どんなんだって俺達は俺達なんだろ?」

 そう言ってニッと笑う一臣の横に夏樹の姿が見えた気がして、花月は目を細めた。自由すぎるのは大変だ。自分でなんでも好きにできる分、全部自分で決めなきゃいけないから。そして、自由すぎるのは寂しい。でも自由なうちは自由を謳歌するんだと言っていた夏樹の顔が頭に浮かぶ。あの頃はその意味がよく解らなかった。川原で泣いている祐二を見付けたとき、彼の話しを聞いてそう言っていた夏樹を思い出して、彼に貴方には自由の大変なところしかないのって投げかけた。その時も、実際はその言葉の意味を何も理解できていなかった。でも、今なら解る。自由は大変だ。枠に嵌まれた方が楽なこともある。自由は寂しい。誰かを想えば身動きがとれなくなって不自由になるから。きっと自由でいることも不自由で在ることも紙一重でそんなには変わらないんだ。だから、悔いないためには、苦しまないためには、今在るこの時を、この今の自分を謳歌するしかない。楽しくなるためには、どんなことも楽しまなきゃ。楽しくあり続けるには、自分で楽しくしなきゃいけないんだ。そうだよね。夏樹。そう今はいない友人に心の中で語り掛けて、花月は一臣に笑い返した。

 「じゃあ、帰るか。」

 「そうだね。」

 そんなやりとりをして、帰路につく。自分が人生を歩いてきた時間。それは同じ年月を生きてきた誰よりも短いのかもしれない。閉ざされた世界で全てが完結していた自分が、世間に出てちゃんと生きてきた時間はまだまだ短い。でも、その短い時間の中に、こんなにも沢山の想い出が詰まっている。沢山の人に出会って、沢山の物をもらった。その時には気づけなかったものも、時間を経て理解できるようになった。これからもきっとそうやって自分の時間は重ねられていくんだろう。これからもずっと、そうやって自分は色んな物に育ててもらうんだろう。何もなかった自分が今の自分になったように、今いる自分はいつか過去になって、未来の自分は全然違う自分になっているのかもしれない。それでも、それもわたしだ。今のわたしも、過去のわたしも、未来のわたしだって、全部のわたしがわたし自身だ。今はまだ決められないことがある。どうすれば良いのか解らないことも。でもそれでいい。悩んで悩んで、それで、決めれば良い。何かになんかならなくて良い。誰かの期待に応えれなくてもいい。自分がこれで良いって思える自分になれれば、それでいいんだ。それが今の自分に与えられた自由なんだって。それが難しい選択なんだって解ってる。自由は大変だ。でも、これでいいんだ。自由を謳歌したその先に、自分の求める不自由がきっとある。そう思って、花月は清々しい気持ちになった。

 サクラハイムに帰って、ただいまと食堂に入る。夕食の支度にキッチンに立つ湊人がおかえりと返してきて、花月は彼のもとへ向かった。

 「なんかスッキリした顔で帰ってきたっすね。久しぶりのツーリング、楽しかったっすか?」

 そう問われて、花月はうんと頷いた。

 「湊人。ありがとう。」

 「何がっすか?」

 「うーん。色々。」

 「別に、俺はなにもしてないっすよ。」

 「それでも、ありがとう。」

 そう伝えると湊人が優しい笑顔を返してきて、花月は胸が暖かくなった。

 「悩んでること、答えが出せそうっすか?」

 「うーん。解らない。でも、湊人が言ってたこと、解った気がするよ。だから、ゆっくり考えてみようと思う。」

 「そうっすか。」

 「あのさ、湊人。湊人はどうだったの?湊人の話しも教えて欲しいな。」

 そう言うと湊人が小さく笑って、夕飯の支度しながらで良いっすか?と言ってきて、花月はうんと頷いた。

 「俺は流れに流されるまま流れ着いた先がこうだったっすよ。俺は案外目の前のこと、その時の事しか考えられないやつっすからね。先を見るのは苦手だったっす。それで、その時目の前にあることをただがむしゃらにやってきた結果がこうっすよ。自分で選んでこうなったわけじゃない。でも、これで良かったなって心から思える。落ち着くとこに自然と落ち着いた、そんな感じっすかね。」

 そう言って、湊人は懐かしそうに目を細めた。

 「子供の頃は俺、サッカー選手になりたかったっすよ。それで、少年サッカーのクラブチームに入団して。あの頃は本当、他の物には目もくれず夢中でサッカーばっかしてたっす。でも、中学の時に母さんが倒れて、家の中がばたついて、色々あって。家族が大変になってるの目の当たりにしたとき俺は、俺がどうにかしなきゃって思って、迷うことなくサッカーやめて家事に勤しんだっすよ。大変だったっす。本当。でも、全然苦痛じゃなかったっすよ。家族が落ち着いて笑って過ごせるなら、他の何かなんていらないって本気で思ってたっすよ。そのためだったら俺、なんだって頑張れたっす。サッカーやめたことも後悔なんかしなかったっす。だってしかたがないっしょって、本当に自然にそう思えるくらい、心残りも何もなかったっす。だから、暖人(はると)が俺への当てつけでサッカー始めたときも、あいつは俺に喧嘩売ってるつもりだったらしいけど、俺は本当に嬉しかったっすよ。自分が大好きだったサッカーを弟が代わりに楽しんでくれて、活躍してくれてる。それが嬉しくて嬉しくて、本気で応援してたっす。それが弟のこと苛つかせてたって気が付かないくらい、呑気に俺は応援してたっす。俺が頑張れば弟と妹(あいつら)には苦労掛けさせないで好きな事させてやれるって、俺には特に何もしたい物ないし俺が頑張れば良いって。あいつらはやりたいことがあるんだから、楽しみたいことがあるんだから、俺が頑張って、それを応援してやろう。そうやって大変なことは全部自分がやれば上手くいくって、それが良いことだって思い込んで。そうやって俺が一人で何でも背負い込むことが、どれだけ家族に心配掛けさせてて不安にさせてたか気付かないで。俺は家族の声に全然耳をかさないで、バカみたいに一人で突っ走り続けたっすよ。それで、妹にキレられて家出して、ここに流れ着いたっす。ここにきて、自分がどんなに自分勝手だったか気付かせてもらったっす。誰かを大切にするっていうのは、ちゃんと相手の話しも聞いて、譲り合って、自分の事も大切にしなきゃいけないことだったんだって、気付かせてもらったっす。それで、家族とも和解して。そのままここでずっとお前等と一緒に過ごしてきて。その時間がなんつーか、幸せだったすね。他愛のない毎日が、穏やかな日常が、ここにある全てが愛おしくて、大切で、俺は幸せだったっす。でも、俺もいつまでも学生じゃいられないし、ここの専業主夫にはなれないっすしね。大学の卒業が近くなってくると、自分が何になるのか、したいこともないし、それなりに何でもできる自信はあったけど特筆するような特技もないし、社会人の自分が想像すらつかなくて困ったっす。北村(きたむら)さんに声掛けられて、写真館勤めを前向きに考えようかななんて言ってる真田が羨ましかったし。自分はこれになるってぶれない三島さんや、自分に向いてると思うからって大学入学時から教員目指して勉強してた香坂さんはやっぱ凄いなって思ったり。年の近い皆が大学を卒業した先を具体的に想像できるのが羨ましいと同時に、全然何も決まってない自分に焦ったっす。で、そんな話しを音尾(おとお)さんに愚痴ったら、じゃあ卒業後はこのまま俺のとこに就職しないかって言われて、二つ返事で飛びついたっすよ。それで言われるまま資格とったりなんだり。普通にバイトしてたレストランにそのまま正規入社する事になるのかと思ってたら、実はあの人、凄く気に入った物件見付けて、どうしてもそこを新規店舗にしたかったけど任せる人間がいなくて諦めるか悩んでたら、俺が就職先ないって言うから俺に任せれば丁度良いって俺のこと捕まえたって話しで。いきなり一店舗任されることになるわ、レストランの方とコンセプト変えたいからお前どするか決めろって、本当、何から何まで俺にやらせて。まじで、落ち着くまで大変だったっす。お前にもバイト来てもらったことあるし、解るっしょ?あの、初期のドタバタ。マジできつかったっすよ。でも、今は落ち着いて普通に回るようになって。休みも普通に取れるようになって。この通り。な。俺は、流されるまま行き着いた先がこうだったっすよ。遙みたいな奴にはこういう生き方はきっと解らないっす。あいつは計画的でくそ真面目で妥協を許さないっすから。流れに流されるとか乗るとかそういうのは怠慢だって思うような奴っすしね。でも、こういうのもありなんすよ。流れに流れながら、ただ目の前のことに真っ直ぐ向き合っていく。そういう生き方も悪くないっすよ。」

 そう穏やかに話す湊人の声を聞いて、花月はそうだなと思った。これになるって決めて、それだけを見据えて努力し続けるのも悪くない。でも、色んな物に目移りしながら、その時その時で流されてしまうのも悪くない。今のわたしが流されるとしたら、とりあえず部長に言われたまま部活には行かないで、そこに戻ることもとりあえず考えることをやめて過ごしてみる。それで、自分がどう感じるのか、何が起こるのか、何か変化が起きてからそれと向き合ってみる。それでいいのかもしれない。

夕食後、自室に戻って、花月は今日は色々あったなと思った。色んな人の話しを聞いた。色んな想い出を思い出した。自分がこれからどうしたいのか、前みたいに迷わずにこれがしたいって思えない。でも、別にいいや。焦らないで、急がないで。今、無理に決めてしまうんじゃなくて、考えてみよう。きっと悩むのは、迷うのは、少し立ち止まって考えなさいって事なんだ。そう思う。そしてふと、机に置きっぱなしにしていた祐二からの郵便物が目に入る。開けてみて、そこに入っていた手紙を開いてみる。

 『花月さんへ 今、元気がないとききましたが、大丈夫ですか?これが届く頃には元気になっているかもしれないけど、俺にもなにかできることはないか、そう考えて、貴女にこれを送ります。初めて会ったときのことを覚えていますか?あの時、夢を諦めなきゃいけないと思い込んで絶望していた俺に貴女が声を掛けてくれて、俺は夢を諦めないで済む道を模索しようと立ち上がることができました。あの時の貴女のように、今度は俺が貴女が立ち上がるための力になれたらと思います。これは、今俺が翻訳中の物語です。静かで暖かな人生の物語です。これは英訳版ですが、自分で和訳して読んでみて下さい。きっと、何か感じるものがあると思います。そして俺が帰ったら、俺が和訳した物を贈らせて下さい。俺が始めて物語を翻訳し、答え合わせのために和訳本を読んだときの感動を、貴女にも届けられたらと思います。俺が翻訳家に憧れたあの瞬間を、貴女にも届けたいと思います。つまりこれは、俺の夢の第一歩の作品です。そして、貴女に何か感動を届けることができたなら、それが俺の夢が叶った瞬間です。絶望の淵に腰掛けていたあの時の俺に、夢を諦めない道があるかもしれないと光を与えてくれた貴女に、少しでも光がさしこみますように。 風間祐二』

 手紙を読み終えて、花月は胸が暖かくなった。祐二も、心配してくれて、こんな風に思ってくれてるんだ。ずっと自分は皆からもらってばっかだと思っていた。何もお返しできてないんだと思ってた。でも、光も祐二もわたしに背中を押されたって。一臣はわたしに救われたって。そういえば、浩太にも言われたな。俺に憧れる必要は無いよ。花月ちゃんは充分、人を笑顔にできる人だよ。元気にできる人だよ。そう言って、浩太はわたしのこと太陽だって言ってくれたんだ。わたしにずっと元気をもらってたって、笑顔をもらってたって、わたしはずっと浩太の太陽だって。あの時わたしは凄く嬉しかったんだ。自分も誰かの太陽になれるんだって。誰かに元気と笑顔をあげられてたんだって。それで自分にちょっと自信が持てたんだ。浩太だけじゃない、他の皆にもこうして何かをあげられてたなら、力になれてたのなら、わたしは自分が思ってるより無力じゃなかったのかな。わたしは何もないわけじゃないのかな。わたしはもっと、自信を持って良いのかな。自信がないから、不安になった。誰かに強く否定されると自分の方がおかしいんだって思ってたから、何も言えなくなった。どうしていいのか解らなくなった。でも、わたしには皆がついてる。こう言ってくれる皆が。なら、怖くない。大丈夫。他の誰にどう思われたって、わたしの居場所はここにある。だから、もっと自信を持とう。顔を上げて、前に進もう。花月は自分の胸に手を当てて目を瞑ると、そこにある何かを確かめるようにぎゅっと手を握った。

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