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第四十四話 綻びの中の再会


 銀の針が鉄の聖女の魔力炉を貫いた瞬間、世界が反転した。

 爆音も衝撃もない。ただ、引き剥がされるような感覚と共に、私の意識は鉄の聖女の精神回路へと引きずり込まれた。

 そこは、かつて私が逃げ出した「ブラック工房」の風景だった。カビ臭い地下室。絶え間なく響くミシンの音。そして、使い潰されて捨てられた布の切れ端のような、重苦しい空気。天井の低い部屋の、常に薄暗い蛍光灯の光。三年間、私がここで過ごした時間の重さが、そのまま空間に固定されている。

「……あ……」

 視界の端に、見覚えのある背中がいくつも浮かんでいた。共に朝から晩まで針を動かし、指を血に染めて笑い合った仲間たち。苦情を受けるたびに一緒に溜息をついた同僚。店主の怒鳴り声に怯えながら、それでも「次の作品」を語り合った夜。残業続きで終電を逃した朝方、自販機のコーヒーを半分ずつ分け合ったこと。「あなたの縫い目、好きだよ」と言ってくれた声。そういう全部が、ここにある。彼女たちは今も、あの場所にいるのだろうか。私は異世界に来た。彼女たちは残った。

『どうして、あなただけ逃げたの?』

『私たちはまだ、暗い部屋で縫い続けているのに』

 実体のない声が、呪詛のように私を絡めとる。銀色の糸が私の手足に巻き付き、再び私を「絶望の職人」へと戻そうとする。国は、鉄の聖女の動力源として、私の記憶から抽出した「ブラック工房の悲しみ」を触媒に使っていたのだ。あの場所で押し殺してきた感情を、こんな形で兵器に変えるとは。怒りが込み上げてくる。それと同時に、深い後悔も。

「……ごめんなさい。……ずっと、怖かった。あなたたちを置いて、私だけが幸せになるのが」

 私は逃げなかった。巻き付く糸を振り払わず、むしろその一本一本を優しく指先でなぞった。逃げれば逃げるほど糸は強くなる。この世界の理を、私は何度も学んできた。向き合うしかない。

 今の私には、守護者たちが返してくれた「温かい記憶」がある。ウルの蜂蜜色の笑顔。アルの静かな優しさ。レオネルの誠実な背中。ルカの不敵な笑い。そしてノアが教えてくれた、自分の痛みを認めることの大切さ。それらが、今、私の指先を動かす燃料になっていた。

「でも、今の私ならわかるわ。……あなたたちは、私を呪いたいんじゃない。ただ、誰かに『お疲れ様』って言ってほしかっただけだって」

 私は、震える手で銀の針を動かした。攻撃のためではない。鉄の聖女の中に渦巻く「未練」という名のもつれを、一針ずつ丁寧に、愛おしむように解いていく。ブラック工房での三年間も、この世界での苦しみも、すべては今の私を形作る大切な「素材」だったのだと、心から肯定しながら。叔父が教えてくれたことを、今度は私自身の言葉で実践しながら。

 すると、刺々しかった銀色の糸が、次第に柔らかな光へと変わっていった。

 背中を向けていた仲間たちの幻影が、一人、また一人とこちらを振り返る。彼らの顔にはもう恨みはなく、ただ「よく頑張ったね」と微笑んでいるように見えた。三年間、同じ場所で同じ苦しみを共有した者だけが持てる、静かな肯定の表情。それを見た瞬間、私の目から、熱いものが溢れた。

「あなたたちの分まで、私はこれからも針を動かし続けるから。……だから、もう楽にしていいよ」

 言葉を口にした瞬間、胸の奥の何かが、ほどけた。ずっと気づかないふりをしていた罪悪感。自分だけが幸せになっていいのかという恐れ。それが今、「ただ生きてよかった」という、静かな肯定に変わっていく。ウルたちが代償を払って返してくれた「人間の温度」が、今ここで、本当の意味で使われている。

「――修復リカバリー、完了」

 現実世界に戻った瞬間、目の前の鉄の聖女から金属の冷たさが消えていた。魔力炉から溢れ出していた暴走する光は、王都全体を優しく包み込む陽だまりのような温光へと変質していく。縫い固められていた人々の手足を縛っていた糸が、ほどけ始める。

「……ターゲット……消失。……いえ、……受容アクセプト

 鉄の聖女の瞳に、初めて一滴の涙のような光が宿った。国が「兵器」として作ったその存在が、私の針に触れることで、初めて何かを感じた。感情を持たないはずの人形が、泣いている。模倣品として作られた彼女もまた、私の心の一部として、ようやく救われたのだと思った。

 ウルが隣で息を呑んでいた。アルは静かに目を閉じた。レオネルは剣を持つ手を下ろし、ただ見ていた。ルカは珍しく何も言わなかった。ノアだけが、一言、呟いた。

「……お前は、本物だよ、結衣」


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