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第三十八話 叔父ジョンの遺言、隠された「真の設計図」


 ノアがその小さな手で結衣の頬を撫でると、彼の胸元に埋め込まれた黒い魔力石から、淡い光を放つ一通の型紙が滑り落ちた。それは叔父ジョンが愛用していた、年季の入ったハサミの跡が残る特別な羊皮紙だった。端が焦げ、インクが滲んで、何度も何度も読み返されてきた跡がある。大切にされてきた跡と、急いで書かれた跡が、同じ一枚の上に共存していた。

「……これ、ジョンのじいさんの魔力だ」

 アルがその型紙を手に取ると、空中に叔父の枯れた、けれど温かい声が響き渡った。

「結衣。お前がこの声を聴いているということは、お前はもう『人間』の重さに耐えきれず、神の光に手を伸ばしてしまったのだろう。ブラック工房で三年間、お前が指先を血豆にして縫い続けた絶望を、私は知っていた。だから私は、お前をこの世界へ呼んだ」

 叔父の声は、穏やかで、少しだけ申し訳なさそうで、そして何よりも真剣だった。それは男たちが予想していた「救世主の育成」とは正反対の言葉だった。

「私がお前を召喚したのは、世界を救わせるためではない。壊れかけていたお前の心を、この異世界の魔法という『当て布』で修復するためだ。現実世界で、お前の繊細さは誰にも必要とされなかった。だが私は、お前の指先が持つ力を、お前を守るために使いたかった」

 ウルが信じられないという顔をしている。アルは型紙を持つ手を震わせながら、叔父の声を一言も聞き漏らすまいと耳を澄ませている。

「ウルには、お前が忘れてしまった『誰かに全肯定される喜び』を与えてもらうよう設計した。アルには、お前が失った『静寂の中で守られる安らぎ』を担保させるようにした。そして――」

 叔父の声には、ここで一瞬だけ迷いが滲んだ。用意してきた言葉を、それでも言うべきかどうか、最後まで迷っていた跡がある。型紙の縁が少しだけ焦げているのは、この箇所を書く時に炎が近すぎたのだろうか。そんなことを思いながら、アルは型紙を持つ手に力を込めた。

 声が、一拍だけ止まった。

「ノアには、お前が『良い子』であるために切り捨ててきた、怒りと悲しみを一時的に保管させるようにした。お前は誰かのために泣くことはできても、自分のために怒ることが苦手だった。その感情は消えるのではなく、ノアが飲み込んでいる。いつかお前が、自分自身のために怒れる人間になった時、返してもらいなさい」

「じいさんは、結衣を『完璧な聖女』になんてしたくなかったんだよ」

 ノアが赤い瞳を細め、吐き捨てるように言った。その言葉には、長い孤独の中で叔父の言葉を何度も反芻してきた、奇妙な確信があった。

「ただの、ちょっと泣き虫で、自分のために怒れる『普通の女の子』に戻したかっただけだ。でも、君たちが彼女を『完璧なお人形』として愛しすぎたから、彼女は自分の綻びに気づけなくなった」

 レオネルはその言葉に、持っていた剣の重さが変わるのを感じた。自分が彼女に求めていた「救世主」としての気高さも、彼女にとっては重すぎる刺繍糸の一本に過ぎなかったのかもしれない。彼女に「逃げるな」と言い続けたのは、自分もまた、彼女に都合のいい「英雄」でいてほしかったからだ。騎士として、守るべき者には「完璧であること」を求める癖が身についている。だが、地下書庫で見た先代の聖針職人たちの手記は、誰もが「完璧を求められた」ことによって壊れていった女たちの物語だった。歴史は繰り返す。自分もその加害者の一人だった。

 ウルが静かに目を伏せた。アルは型紙を持つ手の震えを、意志の力で止めようとしていた。誰も自分を責めなかった。それが余計に、きつかった。

「この型紙には、彼女の心を繋ぎ直す真の設計図が描かれている。……でも、それには代償が必要だ」

 アルが型紙を凝視し、声を震わせた。その設計図には、緻密な図案と共に、等価交換の条件が記されていた。結衣の中に溜まった神の魔力を抜き取り、代わりに人間の心を再注入するには、彼女を愛する者たちが自分たちの最も大切な記憶を、代償として差し出さなければならない。それは禁断の裁縫手順だった。受け取るだけでなく、与えることで人間を取り戻す、逆向きの奇跡。

 型紙の末尾には、叔父の手で小さく、けれどはっきりと一文が添えられていた。「これを読む者たちへ。代償を恐れるな。お前たちが差し出す記憶は消えるのではなく、結衣という人間の中で生き続ける。彼女が次に笑う時、次に泣く時、その感情の中に、お前たちが手放した温もりが混ざっている。それを覚えておいてほしい」。ウルの目から、涙が一筋、落ちた。


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