第百十話 「続きを縫いに行こう」
王都に戻って十五日目の夕方、店の扉が開いた。
修復依頼の人形を縫っていた私は、顔を上げなかった。ウルが「いらっしゃいませ」と言った。
しばらく間があった。
「……来た」
聞き覚えのある声だった。
顔を上げると、ルカが扉の前に立っていた。パステルカラーのカーディガンを羽織っている。端の解けていたところが、綺麗に縫い直されていた。誰かに縫ってもらったか、あるいは自分で縫ったのか。
「いらっしゃい」
私が言うと、ルカが少し、口の端を上げた。
ウルが飛びついた。
「来た! 本当に来た!」
「うるさい」
「でも来た!」
「うるさいと言っている」
ノアが二階から降りてきて、ルカを見て、「遅い」と言った。
「急いでなかった」
「分かった。ジャムのパン、取ってある」
「要らないと言った」
「取ってある」
ノアが台所に向かった。ルカが「本当に取ってあるのか」という顔をした。
アルが奥から来て、ルカを見て、静かに言った。
「お待ちしていました」
「……大げさだ」
「そうでもありません。……ウルが毎日、来るかなと言っていたので」
「言ってないよ!」とウルが言い、「言っていました」とアルが返した。
レオネルが台所から出てきた。ルカを見て、一言言った。
「来たか」
「……来た」
「そうか。飯は食ったか」
「まだ」
「では食べていけ」
ルカが少し困った顔をした。でも、断らなかった。
全員でテーブルを囲んだ。ノアが持ってきたジャムのパンを、ルカは「要らない」と言いながら、一口だけ食べた。そして何も言わなかった。
夕食の後、ルカが「少しだけいい?」と私に言った。
「どうぞ」
縁側に二人で出た。夕暮れの王都が、橙色に染まっていた。
「カーディガン、縫い直したの?」
「……自分で縫った。下手くそだけど」
「見せて」
ルカが袖の端を見せた。縫い目が少し歪んでいた。でも、ちゃんと閉じていた。
「上手じゃないけど、縫えてる」
「主様の顔みたいなこと言うな」
「ノアに言われた?」
「……似てる気がしただけだ」
私は針を取り出した。ルカの袖の、一番歪んでいる縫い目を一目だけ整えた。ルカが見ていた。
「……全部直さないのか」
「全部は直さない。あなたが縫ったところは、あなたのものだから」
「一目だけ直したのは?」
「私からのおまじない」
ルカが少し黙った。
「……おまじない」
「うん。針を通したから、繋がってる。次に会う時まで、ほどけない」
ルカが袖を見た。橙色の光の中で、その一目だけが、他より少し明るく光っていた。
「……次に会う時、か」
「また来るでしょ?」
ルカが答える前に、家の中からウルの声が飛んできた。
「主様ー! ルカさんー! デザートできたよー!」
「いらない」
「ルカさんはいらなくても主様には食べてほしい!」
「何の権利があって」
「愛の権利!」
ルカが「何が権利だ」と呟いた。でも立ち上がった。私も立ち上がった。
扉を開けると、テーブルにジャムのケーキが置いてあった。ウルが得意げな顔をしていた。アルが「少し甘すぎます」と言っていた。ノアが黙って一切れ食べていた。レオネルが「量が多い」と言いながら皿を受け取っていた。
私は自分の席に座った。ルカが、少し迷ってから、空いていた席に座った。以前より輪の中に近い席に。
橙色の夕陽が、窓から差し込んでいた。
銀の針が、静かに光っていた。
この場所が、好きだと思った。この仲間たちが、好きだと思った。次の旅がどこへ向かうのか、まだ分からない。でも、ここから始まることは分かっている。
「さあ、続きを縫いに行こう」
私は心の中で、叔父に向かって言った。
ウルが私の隣でジャムのケーキを頬張りながら、「主様、幸せそうな顔してる」と言った。
「してる?」
「してる。……好き、そういう顔」
アルが「私も好きです、そういう顔」と言った。珍しく、ウルより先に言った。
ウルが「アルずるい!」と言い、アルが「先に言った者勝ちです」と言った。
ノアが「うるさい」と言いながら口の端を上げた。レオネルが「毎回これか」と言いながら目を細めた。ルカが「……賑やかだな」と呟いた。
夕陽の中で、全員が笑っていた。
この続きを、縫いに行こう。
(第二十二章 完)
~第2シーズン「境界の海と、断絶のハサミ編」 完~
第3シーズンへ続く




