第7話 かたむいて水平線pm7:00
相変わらず見慣れない。神社などの和風建築物とセットのイメージだった松の木が砂浜に並んでいるこの光景は。
海とは無縁の都会から引っ越してきた水池杏理は、いまでも白い砂浜に埋もれたまつぼっくりを見ると不思議な心地がする。
ならば椰子の木やソテツがふさわしいのかと聞かれると、別に松でいいなと答える。潮風を受けとめながらそびえ立つ姿はおおらかで頼もしい。
その松の木影のベンチで若い男が海に背を向けて寝そべっている。
杏理が話しかけても返事がなく、多少の抵抗はあるがこの友人が不審者として通報されないように隣のベンチに座った。しばらく携帯電話を見たりして時間をつぶしていると、夕刻の風が吹きはじめて屋外に人影が増えてきた。
突然隣に横たわる身体がわずかに動いた。片足がベンチからずれ落ちそうになり、小さなうめき声がして紫野翼が目を覚ました。
「おはよう」
「あぁ、アンリか」
ため息をついて紫野があお向けになって松の木を見上げる。重そうに身体を持ち上げてベンチに座り、杏理からアイスコーヒーを受け取って半分ほど飲んだ。
紫野にムトーと言われたのに別のものを買ってしまった杏理だったが、友人は何も気にせず飲んでいた。しばらくして首をかしげた。
「なんか甘いな。最近のムトーってこうなの…」
「いや…」
紫野がラベルを確認するとしっかりと加糖の文字が見えた。
「ごめん。俺がボタン押し間違えて」
杏理が素直に謝った。
「いや、いいけどさ。ん?しかもデカフェじゃん」
「でカフェってなに」
「ノンカフェインってことだよ。カフェインを除去してんの」
「あ、そうなんだ。…なんか全然違うもの買ってるな俺」
隣の紫野が軽く吹き出して笑った。
「サングラスしてるからじゃないの。似合ってるけどさ」
2人は少し移動して、夕陽が見える堤防に座った。あまり波打ち際には行きたくないと杏理が言った。
「ほらあれ、テトラポットとか岩礁にいてサイレントに動くヤツ…」
「フナムシ?」
「そう。アレがちょっと無理」
「まぁ俺も特別愛おしいとは思わないよ」
紫野は横になり頬づえをついて海と空の境界線を眺めていた。杏理がふと尋ねた。
「しの、もうすぐ彼女がくるんじゃなかったっけ。泊まりで」
「そうだよ。今日の夜から」
「時間大丈夫か?はやく帰ったほうがいいだろ」
「ちょっと遅くなるって向こうから連絡あったから、まだいいよ」
紫野は前景に視線を据えたまま話しはじめた。
「……むかし、誰かにさ、身体を傾けて海の水平線を見たらどう見えるかって聞かれて、俺、なんとなくヨコかなぁって思ったの。ほら、テーブルの天板とかって横向きになって見ると、自分と平行になるだろ?柱だったら、垂直。でも海は変わらずにずっと横向きな気がしたんだよ」
「うん」
「考えるでもなく、そんなもんだって知ってたけど…この情景をずっっっと引きで見てみれば、つまり地球が丸いってことなんだよな」
「はぁ」
「なんかすごくない?」
「まぁね」
「重力ってすごいよ」
「確かに」
「だから、そうやって見れば俺たちは地表をあっちこっち這い回るフナムシみたいなものってこと」
「はぁ…。え?イヤなんだけど。なんでそこまでしてアレの肩をもつわけ」
紫野は低く笑った。
「陽も落ちたし、そろそろ行くか」
ようやく腰を上げた紫野がサンダルの中の砂を落とし、背中をはたいて言った。
「つゆきがこっち来てる間に、アンリも俺の部屋来る?お前に会いたいって言ってたよ」
「え、いいよ。しのたちは遠距離なんだから、邪魔したくない」
杏理の言葉に紫野はなにも言わず、横断歩道を渡り駅へと続く坂道を登る。
「なんだよ。しの、なんか気まずいの?今日の朝帰り……」
「ちがうって。つゆきは別にそういうの気にしないし、俺だって浮気みたいなことはしてない」
紫野と彼女の『つゆき』は、高校3年の頃から付き合いはじめて今年で3年目だそうだ。紫野は1年浪人したために、学年的には彼女はいま大学の3回生である。
駅のホームで電車を待ちながら、杏理はその話はもう終わったのかと思っていた。小刻みに揺れる車両に乗り込み色褪せた水色のシートに座ると、ぽつぽつと紫野が話しはじめた。積極的に話したいわけではないが、口に出しておきたいようだった。
「俺もつゆきと久しぶりに会えるの楽しみだよ。でも、以前みたいな高揚感はない。たぶんお互いに。低…いや、中空飛行って感じかな。どっちから言い出すんだろう、とか思ってしまってる」
「別れを?」
「ん。まぁ……」
「お前は別れたいのか」
「わからない。別れ『たい』っていうか、そうなるんだろうな、みたいな」
「実際に会えばもう少しはっきりするんじゃないか。それともしのには、誰かほかに気になっている子がいるとか?」
紫野の横顔が一瞬固まったように見えた。
「そうかも」
今度は杏理が眉をしかめた。そんないまにも切れそうな糸で繋がっている恋人たちの間に自分が入っていけるはずがない。板挟みなんてごめんだと思いながらも、無関心を貫けそうにないのは友人の声がなんだか掠れていたからだ。
2人は各駅停車のシートにもたれて車窓を見た。杏理はようやくサングラスを外したが、あまり視界に変化はなかった。暗い海とひとの形の輪郭が揺れながら流れていた。
第7話 かたむいて水平線 pm7:00 おわり




