292話 サーラの孤独
ソルン村に広がるのは相変わらず美しく広大な緑の景色。草木の揺れる音が心地よく、ゆったりとした風の音に乗る鳥たちの鳴き声。
暮らしている人も少なく、年齢層も高い田舎の地だが、この村は平和の象徴の一つと言えるだろう。
暮らす人々の顔に浮かぶのは幸せそうな豊かな笑顔。決して豪華な暮らしではないけれど、村人全員の心が満たされている。
その中で一際ポツリと佇む教会。
年々教会は静まり返り、一人寂しげな気配が強まっている。
現在教会で暮らしているのは、たったの四名。
シスターであるサーラと、養護施設の子供たち。
五、六年前までは、他のシスターや神父、身寄りのない子供たちもおり、何よりも村人たちも神へと祈りを捧げに教会に毎日のように訪れていた。
しかし今では見る影もない。
対人竜暦になって以降、竜王により祈りの対象である神が葬られたという偽りの真実は、神を崇める者たちの心に深く絶望の二文字を刻み込んだ。
更に、対人魔暦の記憶が消えてしまったことにより、ますます神に祈りをこう意味が分からなくてなってしまった人々は、教会から一人、また一人と遠のいていった。そして気がつく。祈りを捧げずとも、幸せな日々は保たれるのだということを。
しかし神父は病により命尽き果てるその瞬間まで神の現存を信じ、生涯に幕を下ろした。その神が、これから世の中を絶望のどん底に突き落とそうとしている邪神であるとも知らずに。
子供たちはレーナが養子となって以降、次々と里親に引き取られていき、今残っているのはたったの三名。この子たちも、直に迎えが来ることだろう。
サーラは空席の並ぶ聖堂にて、一人神に見立て作られた石像へと視線を向け、疲れ切った切ない眼差しを向ける。
「みんなが私の下から去って行くのね。私自身の終わりを告げているかのように一人、また一人と去って行く」
本来、養護施設で暮らしている未来ある子供たちが里親に引き取られるのは喜ばしいことだ。サーラもそう思っている。いや、そう思っていた。
「ミラエラ。あんたは、私よりもずっと長生きすると思ってたよ。いや、それともどこかで生きてるのかね?」
サーラはピチピチの頃からミラエラと旅をして来たから知っている。ヨボヨボのお婆さんになった自分とは対照的に、ミラエラはピチピチだったあの頃のまま全く変わっていない。外見も、中身も。
それなのに、もう数年も音信不通。
直接死んだと分かった訳ではないが、それでもそう考えずにはいられない。長きに渡る縁を持つ友の死は、心を抉る。
加えて、同じく元パーティメンバーだったドラゴントゥースのギルドマスター:ミハエル・ゲイツの訃報を三年前に聞かされた。
残されたのはサーラだけ。
そう思う度に孤独感が増していき、ケンタの冒険者としての将来や、レーナや他の子供たちの幸せな未来を素直に喜べなくなってしまっていた。
「あの頃に戻りたいわ・・・・・」
それは、顔の思い出せない存在が、ケンタやレーナ、教会の子供たちから慕われ、笑顔の絶えなかった誰一人として欠けていないあの頃に——————
ふと漏れ出た言葉だが、サーラには自覚のないものだった。ふと脳裏に過った記憶も、今のサーラにとっては初めて見る映像。
とその時、教会のベルが鳴らされる。
聖堂内に軽やかに鳴り響くベルの音は、どこか心の底に懐かしさを蘇らせる。
その感覚を不思議に思いつつも、椅子にかけていた杖を片手に、ゆっくりと扉の方へと向かう。
「はい」
「こんにちは、シスター」
その者の名は、ユキ・ヒイラギ。
数年前に勇者とともにソルン村へとやって来た少女。今では立派な女性の雰囲気を醸し出している。
そしてミラエラからソルン村を勧められたとかで、勇者とともに以前ミラエラが住んでいた木製の一軒家で暮らしている。とは言っても、勇者不在なため、今はユキも一人での生活をしており、こうして時々サーラの下を訪ねて来ている。
実は孤独を味わうサーラにとって、この瞬間がとても楽しみなのだ。
「あらあら、こんにちはユキ」
先ほどの暗いテンションが嘘のようにしわくちゃな顔を更にしわくちゃにし、満面の笑みを浮かべるサーラ。
「実は、以前政宗と日向に教えてもらったカレーライスというものを作ってみたのじゃ」
その瞬間、またしても記憶にあるはずのない濁った映像がフラッシュバックする。
「大丈夫か?」
「ん? うん、大丈夫よ。ほら、入ってちょうだい。子供たちもきっと喜ぶわ」
そうして教会の中にある養護施設へと招かれたユキは、シスターと子供たちとともに食卓を囲み、カレーライスを一緒にいただくことに。
サーラはカレーライスを一口口へと運ぶと、片目からポロリと涙を流す。
「——————同じだわね」
それもそのはず。
勇者にカレーのレシピを教えたのは、ミラエラ本人なのだから。サーラたちと旅をしていたのは神放暦へと入ってからのことだが、ミラエラと勇者は、かつて魔王を討ち倒すために結成されたパーティメンバーだったのだ。その間、勇者は何度もミラエラの作った料理を味わったし、作る姿を毎日のように見ていた。
旅は長く、何年、何十年、何百年単位で時をともにした。
サーラは以前ミラエラから、かつて勇者の仲間であったことを聞かされており、初めて聞いた時は、尊敬と不安が同時に込み上げて来ていた。こんなすごい人の隣に立ってもいいのだろうか、と。
そしていつしかミラエラは、本心を曝け出せるかけがえのない家族のような存在となっていった。
もちろんカレーライスは何度も食べたし、他の様々な料理も作ってもらった。
しかし思い出すのは今食べているカレーライスの味。
それほど強く、記憶にこの味が刻まれている。
「あの時食べた最後のカレーと、全くおんなじ」
最後に食べたミラエラの料理の味。
噛み締める度、ミラエラとミハエルとの懐かしき思い出の数々が薄らと脳内へと思い浮かんでいく。
幸せな気持ちと——————孤独な感情。相反する両者が反発し合いながらも増して行く。
「なぜ泣いておるのだ?」
ユキは心配した様子で、机に置かれたカレーと睨めっこをしているサーラの顔を覗き見る。
「どうしてだろうねえ」
それは、率直に泣いている意味を問いたものとは少し異なる。
どうして——————ミラエラの死を疑えないのだろうか、という意味。
ミハエルの訃報は確かに届いた。しかし、実際のところミラエラの生存は不明。死が確定した訳ではない。
それでも、疑いようの、抗いようのない不安と悲しみが胸の底から湧き上がる。
しかしこの悲しみは、ミラエラとミハエルだけに向けられたものではない。なぜなら、サーラはとある日を境に、胸にポッカリ穴が空いてしまったかのような寂しさと悲しさに襲われているから。それは、ミラエラの死が過る時よりも前からであり、当然、ミハエルの死を知るよりもずっと前である。
しかしサーラはそのことをユキに相談はしていない。
信用できないとか、頼りないからと言った理由ではない。サーラの胸にポッカリと空いた穴は、ユキが来るずっと前に空いたものであり、老人のわがままで余計な負担をかけまいとしているからである。
サーラは知らない。この目の前にいるユキ・ヒイラギが、サーラの胸の穴に空いた原因を知っているということを。厳密には、その存在を覚えている。
「シスター、心配はいらぬ。ミラエラ・リンカートンならば必ずや生きておる。なぜなら、あやつはこのわらわよりも強く、あやつの隣には最強がおるからな」
ユキとてミラエラが生きていてくれなければ困るのだ。ミラエラは恩人なのだ。ユキの理不尽な怒りと真剣に向き合い、受け止めてくれた。その上、住む場所まで与えてくれた存在。
「そしてわらわも、改めて心からの謝罪と礼をしなければならない」
一度は滅ぼそうとしたこの星と存在する生命。これらに思いやりを持てるようになったことにユキは心から敬意を払い、些細な言葉でも誰かを支えられる努力をしている。
それは偽善かもしれない。しかし、いつか胸を張ってミラエラや勇者に感謝の気持ちを伝えられる自分になろうともがいているのだ。
「おこがましいのは承知の上だが、其方は一人ではない。子供たちや、今ではわらわも側におる。吐き出したい時は、わらわが話し相手になろう。わらわはいつでもここにおるゆえな」
ユキは、まだぎこちのない、それでいて一生懸命な笑顔をサーラへと向ける。
すると、サーラも薄らとした笑みをユキへと返す。しかし悲しみが消えた訳ではない。それでいいのだ。こうして絆は深まっていき、気づいた頃には心を許し合える仲になっている。
「ありがと——————」
サーラがお礼の言葉を口にしようとした瞬間、突如とてつもなく大きな揺れとともに、地響きが辺り一帯を襲うのだった。




