【漆の章 タブレット型携帯通信端末】
「學サマ! 定刻です!」
キャンプ用ランタン片手に壁掛け時計をソワソワとした様子で見上げていたトヨは、ラーメンが完成する五分が経つと同時に商談用ソファーに飛び乗った。
曰く『供物は基本、廃棄か朽ちるか、動物に食べられてしまうので、直接何かを食べるのは今回が初」との事。
人生(というか神生?)初の食事が賞味期限切れた、それも具なしラーメンと乾パンとは何とも不憫な物だ。
キャンプ用ミニコンロ(《尽きない魔術燃料【火山】》搭載型)から100均片手鍋をおろし、鍋敷き替わりの雑誌を置いた商談用テーブルの中央に置く。
蓋を受けると、やはりというか何というか、立ち上った蒸気の香りは宜しくない。
とはいえ他に食うものもないし、背に腹は変えられない……。
売れ残りとはいえ、漆塗りのお椀に注ぐには余りにも不釣合いな素ラーメンをトヨと自分用によそい、俺も割り箸片手にソファーへ腰掛けた。
「そんじゃ、頂きます」
両手をパンッと合わせて軽く頭を下げ、質素なラーメンをすする。
案の定、決して『美味い』とは言い難い。
しかし暗がりの中、ランタンの光を頼りにキャンプ道具で調理した食事。
最近のなんの面白味もない食事に比べたら、何だか昔に戻ったようで、少しだけ楽しくなって来た。
「あの、學サマ……」
「?」
トヨの申し訳なさそうな声に、スープの水面から顔を上げる。
見るとトヨは、お椀に乗った割り箸を見つめたままでラーメンに手をつけていない。
「なんだ? まさかせっかく分けてやってるのに『食いたくない』なんて言う気じゃないだろうな?」
「いえ、食べたいのは山々なのですが……、何分この手なので、箸が持てませぬ」
そう言って両手を差し出すトヨ。
つるんっとした光沢のある磁器製の短い指は、自在に動かせるとは言え猫の手その物。
確から箸を扱うには難儀するだろう。
「‥そうです! 學サマが食べさせて下さい!」
「はぁ? なんで俺がそんな事……。フォークか何か探してくるから大人しく待ってろよ」
「いえいえ、折角の御料理が冷め切っては、食事から得られる『力』も下がってしまいます! それに神への『御食い初めの儀』など、有史以来初の事でございましょう! ささ、名誉ある大役、遠慮なさられず! さぁ!」
「別に遠慮してないっての……」
俺の言葉を尻目に、トヨはエサを待つ雛鳥宜しく、やや上向きに大口を開けて自身の口を何度も指差す。
最初は無視しようと立ち上がったが、いつまでも口を開け続けるトヨに根負け。
仕方なくラーメンを箸で適当につまみ、トヨの口に持っていった。
が寸前でトヨが口を閉じ「流石に熱すぎます!」とやや不満げに言い出す。
何てワガママな神様だ!?
‥いや、神様だからワガママなのか?
「……ほれ、とっとと口開けろ」
息を数回吹きかけ、ある程度冷ましてから再びトヨの口元に麺を近づける。
トヨは「いざ……」とやや緊張した面持ちで、オズオズと麺を咥えた。
麺を『すする』という初の試みが上手く行かず、結局、両手を使って麺を全て口に含み、トヨはじっくりと麺を咀嚼する。
「んで、初めての味の感想は?」
曲がりなりにコチラも人生初、誰かに料理を振舞ったので、多少は味の感想が気になる。
「……恐らくですが『不味い』という奴で御座いますね」
「お前には二度と食わさんッ!」
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「はぁ~……、これが『満腹』という感覚なのですねぇ。満ち足りて少し苦しいぐらいです……」
「そりゃ、俺より食ったんだからな。スープまで飲み干してるし」
「あぁ、もう動きたくない……」
「食ってすぐ寝ると牛になるぞ?」
「御神牛なら本望でございますぅ……」
「やれやれ……」
食後のこのまどろんだ感覚の中、誰かと会話をするなんて一体どれくらいぶりだろうか?
姉のマナブと最後に面と向かって会ったのは二年くらい前だ。
何だが不思議な気分だ、胸の奥が暖かくなる。
トヨと同じく、暫くはこの幸福感に浸っていたい。
が腹も膨れると、今度は猛烈にタバコが吸いたくなってくるのが喫煙者の性。
俺は重たい体を起こして、ランタンを手に廊下に向かった。
タバコは普段から『端末』や紙のネタ帳などとまとめて管理している。
『端末』を持ち忘れる事は先ず無いので、常に一緒にしておけば失くす心配も無い。
電気とガスが早く復旧しない物かと思案しながら、階段に差し掛かる手前に置かれた電話台にいつもの調子で手を伸ばす。
‥おかしい、何故か何も手に触れない。
果たして手元を照らして見ると、台の上。
『タブレット型携帯通信端末(通称:端末)』を置いている充電スタンドが、もぬけの空だった。
「……まさか⁈」
嫌な予感に冷や汗が吹き出すのを感じながら、俺は大慌てで階段を駆け上がり自室に向かう。
昨日酔っていたから部屋に持っていたか?
いや、昨日着ていた服のポケットには何も入ってなかった。
洗濯機に放り込む時にちゃんと確認している。
「まずいマズい不味い!!! マジにヤバいって、それは‼」
部屋に入るなりカーテンを全開にして街明かりを取り入れ、依然汚れたままの掛け布団を引っぺがし、枕を放り投げ、机のペン立てに差していたペンライトを使ってベッドの下など部屋中を探し回る。
しかし端末は、影も形も見当たらない。
考えてみれば、今日はまだ一度も端末にセットしている目覚ましアラームを聞いていなかった。
それに本当なら、昨日の原稿に対する出版会議の結果を村井君が電話連絡してくる事になっていた筈。
これは、外で落としたという事か?
「ぅあぁ~!! マジかよッ‼ 最悪だぁ……」
頭を掻き毟って呻き悶える俺に、後を追ってきたトヨが「い、如何しました學サマ?!」と駆け寄ってきた。
この不運、やはりコイツが居る所為なのでは?
「血相を変えて、一体どうなさったのです?」
「どうもこうも無ぇよ……。端末が、無いんだよ……」
「た、たんまつ?」
トヨは小首をかしげる。
どうやら『端末』という言葉自体を知らないらしい。
何の自慢にもならないが、俺は小さい頃から物忘れがひどく、物を頻繁に失くしたりする。
学生時代に誰しも経験が有るであろう、教科書や宿題を忘れるなんて、俺にとっては序の口だ。
届け物を頼まれたのに、手ぶらで外出して現地に向かう。
郵便物を手に持っているのに、ポストを素通り。
乗り物移動では、雨が降り続いているにも関わらず、持っていた傘を車内に置き忘れ、買い物に出れば、床へ置いた他の荷物をそのまま放置。
家に帰るまで全く気付かない。
などなど……、例を上げていたらキリがない。
大人になって頻度こそ減ったが、今も完全には克服できておらず、家の中でも一日一回は、家電のリモコンや財布、家の鍵などを探し回っている。
だが唯一『端末』だけは忘れた事も失くした事もなかった。
絶対に、見失う訳には行かなかった。
老若男女『端末』を持ち歩く者というのは手持ち無沙汰になると、ついつい『端末』をいじりがちだ。
人によってそれはゲームであったり、動画を見たり、通信アプリでの会話であったりと、やる事は様々だろう。
俺の場合はそれが『物語を創る』という行為だった。
あの『端末』の中には、俺が初めて『端末』を与えられた中学生の頃から、機種変更するたびに引き継ぎ、蓄積してきた小説の下書きやネタの全てが入っている。
言うなれば、俺の小説家人生その物だ。
それに電子マネー等の資産や個人情報という面でも、外で落としたなら一大事。
何より惜しいのは生前の両親の姿を含め、アレには現像していない家族写真も満載されている。
PCへのバックアップを怠った過去の自分を蹴っ飛ばしてやりたい。
端末費用は高額だ。
俺の収入では100%分割払いになるんだし、こんな事なら大人しく、体内に埋め込み視界を拡張現実化させる『インプラント型』か、常についてくる『浮遊追従型』。
最低でも『メガネ一体型』にして、紛失しない努力をしておくべきだった。
「ふむ……、學サマにとって大切な物が見当たらない。『一大事』という事で御座いますにゃ?」
ようやく俺の憂いを理解したトヨは「こんな時こそ、吾輩の出番で御座います!」と言って俺の手を取る。
混乱しているせいか、不覚にもトヨの声がとても頼もしく感じてしまう。
例の『神通力』で、『端末』を探し出してくれるのだろうか?
「件の物を最後に見たのは?」
「何時だったかなぁ……。悪酔いしてたから、途中の記憶が飛び飛びだ」
「なれば、行動を追うとしましょう。外で失くしたと言うのなら、昨日と同じ道を辿るのです」
意外とアナログな方法だった。
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