【陸の章 現代の魔術について】
だいぶ古いコードレス掃除機(元売り物)で居間の畳を一通り掛け終わり『さて、壁に突き刺さった包丁をどう引き抜こう』と考えた所で、不意に強烈な空腹感に見舞われた。
絶望してようが憤慨してようが、どんな時でも腹は減るし喉は渇く。
そう言えば今朝から水と痛み止めの薬しか口にしていなかったし、タバコも吸っていない。
何か食べるなら、時間的にもはや夕食だろう。
だが自炊するにもキッチンは丸ごと無くなってしまった。
しかも冷蔵庫は新たな石積みの一部として、しっかり壁に組み込まれている。
まぁここ数日は執筆の追い込みでインスタント食品生活だったから、仮に開けられたとしても食料は入っていないのだが……。
何か食べ物は無いかと掃除機片手に居間の戸棚を漁ると、最下段から長いこと放置していた災害用非常袋を発見。
中にはハイカロリーの即席麺と乾パン入りの缶詰、それにミネラルウォーターも入っていた。
早速、缶を開けて乾パンを一つ囓ると、ほんのりとした優しい甘味の小麦味。
そして、若干のカビ臭さが後追いでやってくる。
缶底の賞味期限を見れば、二年ほど過ぎていた。
が『賞味期限』は飽くまで、美味しく食べられる期間。
大丈夫だ、まだ行けるだろう、‥たぶん!
さて、問題は即席麺だ。
最初こそコレもそのまま貪ればと思ったが、いざ封を開けてみると、古い所為かだいぶ油臭い。
真空密閉された缶詰とは違うし、ダニなどの超微細なムシが付いている可能性もある。
安全性も考慮して、やはり一度は火を通したい。
鍋やフォークは(誠に不本意ながら)売れてない物が売り場に転がっているから何とかなるが、今は爆発の影響でガスと水道が止まっている。
ミネラルウォーターを沸かすには、どうやら久々に『アレ』を使う必要がありそうだ。
たしか庭の物置に封印した筈だから、一度外に出てから回り込む必要があるな。
掃除機を階段下の収納にしまい、代わりにビニール傘を片手に売り場へと移動。
店頭のブラインドカーテンの隙間から、コッソリ外の様子を覗く。
バタバタしていたので日がスッカリと傾き、天気も雨なので幸いにして人通りはかなり少なくなっていた。
「‥學サマ? どうなさったのです?」
背後から、トヨが不審そうに声をかけてくる。
見ると、ほっかむりを被って背中に小さなホウキを斜めに背負い、これまた小さいハタキを両手に抱いたトヨが立っていた。
こういう猫をキャラクター化した置物、実際にありそうだな。
「まるで盗人が、家内を覗き見るかの如き物腰で御座いますね?」
「俺は、人目が苦手なんだよ……。誰かさんがキッチン吹き飛ばしてくれたお陰で、勝手口が無くなっちゃったから、出入りするのに一々店側の玄関を使わなきゃならん」
と、悪態をついたところで、とある疑問が浮かんだ。
「おい、トヨ? 一応聞くけど、お前って何か食べれるのか?」
正直、貴重な食料を分けてやる義理もないが、かと言って俺一人が目の前で平然と食事を取るというのも気が引ける。
だがトヨは置物だ、とても物を食べれるとは思えないが……。
「ご心配には及ばず! 吾輩に限らず、神仏というものは『信仰という概念』を基本的な活力としております故、供物を食さずとも死ぬ事は御座いません」
「OK じゃあ要らないな」
お墨付きも貰ったので、遠慮なく一人で食べてしまおう。
「あぁ、お待ちを! 確かに、死ぬ事は御座いません。なれど『食事』という行為自体は、例えば野菜であれば大地と太陽などの『神気』を、肉や魚であれば元となった命の『生命力』を自らの糧として取り入れる事が出来ます! つまり、食せば食すほどに程に……」
神様うんちくで熱が入ったのか『つまり』の部分で意気揚々と身を乗り出したトヨ。
するとトヨの背負っていたホウキの柄が、隣に立っていた白く細長い花瓶に当たる。
ホウキの柄で上部を押された花瓶はグッと傾き、トヨが完全に一歩前に出ると同時に倒れて割れた。
それを見て顔が引きつる俺と、俺と(元)花瓶とを何度も見比べるトヨ。
お互い暫しの沈黙の後、トヨは「神格も上がり『神通力』に磨きが掛かります……」と肩と耳を竦めて絞り出した。
「……はぁ~、要するに『食べたい』ってことね?」
「はい……」
「ソレ、ちゃんと片付けとけよ?」
「はい……」
トヨはしょぼくれた様子で、原因となったホウキで破片を掃く。
小声で「こんな筈では……」と何度も呟きながら。
まぁ安心しろ。
幸い今割れたのは売り物ではなく、精神をMAX病んでいた頃に『花を愛でると良い』という医者のアドバイスに従って近所の100均で買った物だ。
今となっては嫌な思い出の象徴の一つ、むしろ割れてくれて清々した。
ただそれを言うと調子に乗りそうなので、黙っていよう。
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放浪生活を辞めて以来、俺は愛用していた使っていたキャンプ道具一式を物置に封印していた。
最初こそ『もう遊んではいられない』と覚悟して、全て捨ててしまおうかとも考えた。
しかし自分で買った寝袋を処分した段階で、残りの道具が父に譲ってもらった物――ある種『形見』と言える物であったため、どうしても捨てる事が出来なかった。
我ながら、女々しいものだ。
「さぁて? どうやって開錠するかねぇ……」
物置を開けて引っ張り出した、すっかり変色した革張りのカバン。
持ち手を挟み左右がダイヤルロック式で、角は補強の為に金属が打ち込まれている。
ダイヤルについては左右とも生年月日の四桁なので問題ない。
厄介なのは、俺が封印する時に使ったこのテープの方だ。
「ほぅ、コレは見事な『封印術』で御座いますにゃ!」
カバンを前にしゃがんでいた俺の肩に、トヨが飛び乗ってきた。
蹴飛ばした時にも感じたが、やはりトヨは見た目の割に随分と軽い。
しかしこのまま乗っかられていてるのもシャクなので「降りろ」と顔面を押し戻した。
地面に着地したトヨの片手には、身の丈にあった朱色の番傘。
どこで売ってるんだ、そんなジャストサイズの傘?
「掃除は終わったのか?」
「はい! 塵一つ残っておりませんとも! それよりも學サマ、よもや『通力』の覚えがおありだったのですか? この『封印術』、素人とは思えませぬ」
「いんや、そんな便利な事は俺には出来ん。このテープが『魔術テープ』ってだけだ」
「ま、まじゅつてーぷ?」
『魔術、奇術、妖術、超能力』そしてトヨが使って見せた『神通力』など……。
呼び方は数多あるが、総じて物の本には『人智を超えた力』『ごく一部の者が扱える不思議な力』と書かれている、要するにオカルト能力の事だ。
《物体浮遊の魔術【レビテーション】》や《物体移動の魔術【サイコキネシス】》を思い浮かべると解り易いだろう。
それらは本来、生まれながらにして持っていたり『魔術師』や『魔女』といった人々が長年の修行によって身につけられた特殊な能力である。
ただ現代においてそれらの文言には、必ず『かつて』とか『昔は』という言葉が頭につく。
現代社会においてそれらの能力は自他ともに認知されており、俺が高校を卒業する頃には、小中学生の義務教育にも組み込まれていた。
一般生活の場でも当たり前に活用されており、むしろ一度も使ったことが無いという人を探す方が難しい。
それこそさっきまで使っていた掃除機の動力も《【無尽電力】》という物が使われている充電不要の品だ。
もっとも、世間に普及している『魔術』は厳密に言うと『科学技術を用いて再現された擬似魔術』という、手順さえ正しければ誰でも扱う事が出来る物。
流石に専門分野ではないので詳しい事は解らないが『純粋な魔術』とは少し性質が異なるらしい。
後者の魔術に関しては相変わらず難解で高度、かつ強力で危険性も高い事から、扱えるのは国家資格を有する者だけという法規制も掛けられている。
当然だが、俺は一般人。
鞄を封印している魔術テープは前者の『魔術』だ。
「何たる事か! 現し世において異能は異能ではなくなったと……。確かに漂う『魔梛』がいやに強いと感じてはおりましたが……」
どうやらトヨは本気で驚いているようだ。
こんな一般常識を知らないとは、トヨは何時から引き篭っていたんだ?
「……そうだトヨ、お前の『神通力』って奴なら、コレ開けられたりするか?」
この封印テープを外すには、本当なら《【ディスペルスプレー】》という魔術を無効化する専用スプレーが必要だ。
しかしこれが非常に高く――具体的にはスプレー一本で最新ゲーム機が一台買える値段故、あいにくとそんな金は家にない。
そもそも、そんな金があれば大人しく外食か出前でも頼んでいる。
「そ、それはつまり、『願い』という事で御座いますか?! そうで御座いますよね?! ねッ!?」
途端にトヨは番傘を放り投げると、俺の足にすがり付いて目を輝かせた。
トヨの身の上話的に、どうやら頼られたのがよほど嬉しいらしい。
「お任せ下さいませ!! たかが布切れの一枚や二枚、神の力をもってすれば容易い事で御座います!」
俺が返事をする間もなく、トヨはカバンを両手でヒョイと持ち上げて庭の中央に移動。
両手を擦り合わせながら「にゃむにゃむ」祈り始める。
カバンが空中に浮き上がってガタガタと揺れた時はまた妙な事が起きないかとハラハラしていたが、幸いにしてカバンは無事に開いた。
この際、逆さまで開いた所為で中身が全て地面にぶちまけられて泥水塗れになった事は目を瞑ろう……。
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