【拾漆の章 願い事】
『本日 私情により臨時休業』
喧しくセミが鳴き喚く季節、店頭に張り紙を貼り終えて店内に戻る。
居間ではここ数日、村井君に協力をえて続けていた『ある作業』が大詰めを迎えていた。
「平賀さん、こんな感じでどスか?」
「あー……、そっち側もうちょい右上。上げて上げてぇ……OK、ストップ! 固定しよう!」
「了解っス」
俺が両手をいっぱいに頭上に上げて押さえた木材を、村井君はその屈強な片手一本で押さえ、壁に釘で深々打ち込んでいく。
俺と違って彼は背が高いので、最後の設置作業はスムーズに完了した。
「よし……、後は仕上げだな」
俺は軍手を外して三脚を用意し、抱えあげた物体――即ち、黒くて大きな『招き猫』を、完成したばかりの巨大な神棚中央、観音開きの台座に安置した。
「いやぁ、壁一面を神棚にしちゃうとは、平賀さんも中々思い切りましたね。コレだけデカいと壮観っスよ」
「コレぐらい幅取らないと、この巨大な招き猫が置けないからな。昔バックパッカー時代、山間部の古民家宿に泊まった時に見たものを真似てみた。本物に比べちゃうと、これでも規模は小さいけどな」
「うへぇ!? これよりもデカいとか、当時の土地の領主とかのレベルでしょうね」
「かもな、かなり巨大な建物だったし」
村井君と話しながらも、俺は招き猫の足元に、青白いお猪口に入れた水、平皿に乗せた生米、盛塩、御神酒替わりの小さい日本酒瓶を並べ、最後に造花の榊を左右に設置する。
ネットで調べた、いわゆる『神饌セット』という奴だ。
「よーし、完成した! いや、助かった村井君」
「いえいえ、先月、先々月の作品は、かなり評判が良かったスから。何かお祝いをと思ってたんで、コレくらいの肉体労働ならお安い御用って奴っス」
「今日はこの後どうするんだ? 馴染みのケバブ屋の出前取ろうかと思ってるけど」
「残念スけど、このまま会社戻ります。来月はいよいよ、小説専門誌の初刊行ッスからね、詰めの作業をしないといけないんで。平賀さんも原稿、ちゃんと進めといて下さいよ? メイン作家なんスから」
「へいへい。お疲れ」
村井君を見送ったあと、改めて神棚の前に立って招き猫を見上げる。
磨いたばかりなので、艶々としたボディに天井のライトが反射していた。
俺は一度深呼吸をして心を沈めると、神社での参拝宜しく二回、深々と最敬礼。
次に柏手を二回打ち、合掌したまま頭を垂れた。
神社のお参りなら、このまま目を閉じて黙々と祈るのだろう。
「どうよ、座り心地は? 伊達に丸一年と二ヶ月分の貯金を突っ込んだだけの事はあるだろ? 木材には【午子島】の『ネズコ』、お猪口と皿、榊の花瓶は人間国宝が作った青白磁一式。米もマナブに頼んで送ってもらった【子ノ島】の高級米。酒も純米大吟醸の高級酒だ。総額でいえば、俺が壊しちまったお前の社よりは金かかってるかもな?」
だがココは俺の家だ。
どんな言葉を口にしようが、他の誰かに聞かれる心配は無い。
「……ただな、相変わらず家業の方が閑古鳥なのはどうゆう了見かね? 毎日ちゃんと磨いて、がっつり投資してやったろ? 商神としての役割って奴を、果たし貰いたんですけど? あぁそうそう、アズシナさんからの手紙も置いてあるだろ? またお前と話したいってよ。……あー、あとお前、出版社の人たちにちゃんと謝ってもいないよな? 一年以上前の事とはいえ、やっぱり謝りに行くべきだと思うぞ」
両手を合わせたまま片目を開けて、チラリと招き猫を見る。
俺の小言を聞いても、招き猫は無反応。
無機質な目で、まっすぐに前を見つめ続けている。
いや解ってる、それが普通の事。
可笑しいのは、ただの焼き物に話しかけている俺だ。
だから可笑しくなっているついでに、今日だけは俺の『願い』を聞かせてやるよ。
珍しく素直に言ってやるんだ、一度しか言わないからな?
「お前はあの日、俺の鬱屈とした心を揺さぶってくれた。両親とも合わせてくれたお陰で、二人が今でも俺の傍に居てくれるって解って、俺の心がどれだけ救われたか……。お前がどんなに自己嫌悪に陥っても、俺が保障してやる。誰が何と言おうと、お前は紛れもなく誰かを救える『神様』だよ。本当に、ありがとう。……って、恥ずかしがって本題を先延ばしにし過ぎだな」
俺は後頭部を搔きむしって一度深呼吸。
改めて合掌しなおし、指先を額につけた。
「どうにも、家が静か過ぎるんだ。お前と過ごした数日間が濃厚すぎて、すっかり『寂しい』って感覚を自覚しちまったよ。俺はさ、誰かと、……出来る事ならもう一度、お前と話したい。一緒に、過ごしたいんだ」
『……吾輩もで御座います!!』
突如、一年数か月ぶりに聞きたかった声が室内に響くと、窓も開いていないのに強い風が吹く。
顔を上げると、神棚の招き猫が激しく輝いているではないか。
「と、とよッ、」
が次の瞬間、一年と二ヶ月分の原稿料の大半を注ぎ込んだ神棚が壁ごと大爆発。
その衝撃で、俺は居間から売り場を経由して、そのまま店の出入り口の扉をなぎ倒し、店の外まで吹っ飛ばされた。
爆発に驚いた近隣住民や通行人が集まり、額から流血する俺を介抱してくれる。
「……人の子よ、良くぞ今日まで吾輩を『信仰』してくれた」
唖然として座り込んでいると、店の入り口から立ち上る白煙の中から人影がゆっくりと歩いてくる。
現れたのは一人の少女。
黒地に花火を模した金色の模様が点在する和服をきっちりと着こなし、足元は白足袋に金色の鼻緒の黒下駄が良く映えている。
あれだけうるさかったセミすら静まり返るほど厳かな雰囲気を醸し出す少女に、俺を助けてくれていた人々が次々に離れていく。
健康的でツヤのある黒髪をおかっぱに切り揃えた彼女は、俺と向かい合う形で正座すると、深々と頭を下げた。
「吾輩、名を『商神 豊福招来猫多大明神』と申します。この度、縁あって憑かせて頂く事と相成りました。どうぞ『トヨ』とお呼下さいませ。……學サマ!」
顔を上げた彼女の両目には、大量の涙が溜まっていた。
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