【拾陸の章 『願い』は礼に始まり、礼に終わる】
「トヨ、居るか⁉」
ヨツヤ駅から走って家に戻り、玄関を開けるなりトヨの名を呼ぶ。
しかし返事はない。
静まり返った真っ暗な売り場に、晴れて顔を出した月明かりが商品たちを鈍く照らしているだけだ。
「チィッ……、居ないか……」
トヨが一人で出版社から出てていったと知らされた俺と村井君は、目下手分けしてトヨを捜索中。
『先ずは近場から』と俺は【新スイドウ橋】から出版社までの間を、村井君は社屋周辺を引き受けてくれた。
子供が出歩くような時間でもない上にあの見た目、見かけていれば目立つ筈と駅の改札係員や、駅前の交番でも聞いてみたが、手がかりは得られなかった。
ただ事情を聞いた警官が、地域を巡回している他の警官に連絡をしてくれたので、捜索の効率はかなり上がるだろう。
しかし一時間ほど経過した今も有力な情報が得られず『もしかしたら家に帰っているのでは?』と、俺は一度家に帰ってみた訳だ。
結局、その『読み』は大外れだったが。
一息つくために水でも、……と思って居間に上がったが、そういえば水はまだ止まっているんだった。
「‥あぁ! もう面倒くさい! やってられっか!!」
雨上がりの蒸し暑さの中、久々に走ったせいで汗だく。
喉が渇いても水すら飲めない。
これらが全てトヨの所為だと考えたら、異様に腹が立ってきた。
汗でびっしょりの服を脱ぎ捨て、居間の中心で大の字に寝転がる。
勝手に拗ねて勝手に居なくなった奴の為に、なんでこんなに苦労しなければ成らない?
そもそも、俺とアイツは縁もゆかりもないんだ、わざわざ探す理由も無いではないか。
アイツが居るせいで、ここ数日変な目にあってばかり。
居なくなってくれて清々する。
転がっていた座布団を手でたぐり寄せて枕にし、寝てしまおうと目を閉じた。
「‥静かだな」
両親が居なくなり、姉のマナブも居なくなり、家にいるのは俺一人だけ。
暗闇の中、微かに聞こえてくるのは一般車両の走る音や、近くの消防署、警察署から出動する緊急車両のサイレン。
海側を走る船のエンジン音や警笛。
何時もの夜が戻ってきた。
「………」
そうだ、何時もの夜が戻ってきただけ。
それなのに……、ようやくゆっくりと眠れる筈なのに……、どうしてこんなに眠れない?
寝付けずに寝返りを何度もうっていると、不意に脱ぎ散らかした服の中から電子音が聞こえてくる。
飛び起きて音の正体を確認すると、果たしてそれは、村井君から借りた出版社の『社用端末(腕時計型)』からだった。
液晶には『村井 パシオン』と、村井君からの着信を知らせる表示が出ている。
『どうスか、平賀さん! トヨちゃん家に居ました⁉」
電話に出るなり、村井君の慌てふためく声が耳をつんざく。
「いや、居なかった。やっぱり居るとしたら【スイドウ橋】近辺だと思う」
『了解っス! 引き続き探します!』
「頼む、俺もすぐに戻るから」
村井君との通話を終えて、液晶の赤い受話器ボタンをタッチしたところでハッとする。
思わず『戻る』と言ってしまった。
それに『見つけた』と嘘を言って、捜索をやめるても構わないと言えた筈なのに……。
「‥はぁ、世話の焼ける神様だ」
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服を着替え、本来トヨ用に使う予定の現金で【新スイドウ橋駅】にとんぼ返り。
すっかり人通りの落ち着いた【ニューコウラクエンブリッジ】の上で、既に待っていた村井君と一度合流した。
依然として見つかっていないらしい。
「警察からも連絡ないっスねぇ……。自分、徒歩ルートで【ヨツヤ】方面行ってみます!」
村井君はそういうなり、歩道を走っていく。
俺と違って呼吸も乱れておらず、汗一つかいている様子もなかった。
流石は狼族、走り回るのはお手の物か。
俺も俺で、早速ドームシティ内に突入。
営業中の露店で聞き込みをしながら走り回った。
しかしバックパッカーから足を洗って以来、こんなに動き回るのも走るのも本当に久々。
持久力はかなり衰えており、三角錐オブジェの前で早々に息が上がってしまう。
「……おや、貴方は昼間のお兄さん!」
オブジェの土台部分に手をついて荒い呼吸を整えていると、突然何者かに声を掛けられた。
見ると、昼間のイベントで司会を勤めていたスーツの女性がヘラヘラとした表情で立っている。
俺は息も絶え絶えに「ど、どうも」と言うので精一杯だった。
「昼間はご協力、ほんっっっとありがとう御座いました! 突然の事で驚きになられたでしょ? 当園のモットーは『サプラーイズ‼』でございますから。いゃー、記念式典は大成功で行政とのパイプも更に確保できました。助成金交渉も進展して万々歳‼ コレも貴方たちのお陰ですね! あ、記念品はどうでしたか? 社内会議でもどんな物を差し上げれば来園者に喜ばれるか結構議論して、色気のないチケット方式を採用したんですけど、やはり限定グッズとかの方が良かったですか? そうだ、今度製品開発部に和服に合うグッズを提案して……」
どうやら酔っぱらっているらしく、女性は赤ら顔で昼間以上にマシンガントークを炸裂させる。
まぁ、コチラとしてもまともに会話が出来る状態じゃないので、一方的に話してくれるならそれで良い。
適当に相槌を打ってやり過ごそう。
「……でしたねぇ。‥あ! そうそう、妹さんが泣きながら【東ゲート】目掛けて走ってましたけど、喧嘩でもなさったんですか? 解かる! 実に解ります‼ 私も経験ありますよぉ。私の場合は姉と妹なんですが、遊園地にくるとついついアレ乗るー、コレ乗るー、待ち時間辛いーとかで、」
「ッ! トヨの事、見たんですか⁉」
俺は女性に飛びつき、肩を揺さぶりながら今の発言が確かか確認する。
式典中にトヨとの関係を訊ねられた際、俺は咄嗟に「妹です」と答えた。
つまりこの女性のいう『妹さん』とはトヨのことを指していることになる!
「え、えぇ、確かに妹さんでしたよ。黒の和服におかっぱの可愛い子。いゃ、足が速くて声をかける間もなかったです」
「間違いない…。それって何時頃ですか⁉」
「一時間くらい前ですよ。多分そのまま退園なさったんじゃないですかね?」
「【東ゲート】って【観覧車乗り場】の階段から降りた先ですよね! どうも!」
俺は礼もそこそこに、女性を置き去りにして遊園地エリアの入口へと駆ける。
【観覧車乗り場】は入口を入って左の螺旋階段を降りた先だ。
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この星の海は、衛星である【月】からの引力で、潮位が半日をかけて上がったり下がったりする。
その周期はS字曲線を描き、一日に二回の満潮と引き潮の時間が訪れるようになっていて、特に今の時間は最も潮位が下がる『干潮』と呼ばれる時間。
海の底に沈んでいた場所が少しの間だけ地上に復活し、水底だった場所が歩けるようになる。
【東ゲート】からの階段を下りた俺は、かつて【ホワイト・マウンテンロード】と呼ばれた大きな幹線道路を挟んだ対岸側、廃墟となったマンションとマンションの間に、細い道が続いているのを見た。
その奥の方では、辛うじてだが、鳥居のような物と社殿が月明かりに照らされている。
途端に強烈な既視感に襲われた俺は思わず駆け出し、水草や割れたアスファルトに足を取られながらも対岸に到着した。
二棟の廃マンションに挟まれた石畳の参道を歩く程に、数日前の光景が蘇ってくる。
そうだ、あの日泥酔した俺は、確かにこの道を通った!
たどり着いたのは、とても小さな公園と神社が一体化したであろう場所だった。
規模からして、恐らくメインが他所にある分社の類。
片方壊れているが、狛犬ではなく狐の石像があるので、いわゆる『オイナリ様』だろう。
かつては見事な朱色をしていたであろう鳥居は、昆布やワカメなどの苗床となり、藻屑によって真緑色に変色していた。
その奥の社殿もフォルムを残して既に朽ちており、扉もなくなっていて水没時は水生生物の巣になっていると思われる。
内部もサンゴやフジツボの様な生き物でびっしりだ。
「‥コレは……」
ただ、俺が何よりも気になったのは境内に入って左奥にある小さな社。
神社の境内に複数の分社が入っているのは別に珍しくないのだが、この社は特に損傷が激しい。
足元には隆起した飛び石。
石製の鳥居は根元から折れて、それにより社が押しつぶされている。
その倒れた鳥居自体も、真っ二つに割れていた。
「……が、學、サマ?」
壊れた社の乗っている石の土台、その根元に黒い塊が横たわっている。
果たしてそれは招き猫の姿に戻っていた、トヨだった。
暗がりに黒い色だった為、声がするまで気が付かなかった。
「ど、どうした! 何があった⁉」
慌ててトヨを抱き上げる。
何故だろう、トヨの体は無機物だというのに、とても弱っている様に感じる。
「少々『神通力』を使い過ぎて、しまいました……。ですが其の甲斐あって、遂に見つける事が出来ました……」
トヨは震える手で、何かを俺に押し付ける。
見覚えのある紙タバコの金属ケースにメモ帳。
そしてタブレット型の端末。
海水でびしょ濡れだが、それは間違いなく俺たちが今日一日探し求めていた三点セットに他ならなかった。
「コレ、どこで?……」
「調度、今しがた學サマが立たれている場所に、落ちておりました……。この社は、吾輩の鎮座していた場所に御座います故」
断片的だった記憶が、全て繋がった。
酔っ払った俺は、先ほどと同じようにドームシティ側からこの神社を発見。
文字通り『神にもすがりたい』という衝動にかられてココに来たのだ。
しかし、トヨが置かれていたであろう社に差し掛かった所で、隆起した飛び石につまずき転倒。
その時、咄嗟に手をついた鳥居が倒れて社を破壊してしまったのだ。
トヨの社がココまで無残な状態なのは、俺の所為だ。
「‥吾輩の命運も、どうやら此処までの様です……」
「なっ、どういう事だよ!?」
「正確な『縁』を辿る為に、持てる『神通力』を全て使い尽くしました。我が身を維持する為の分も含めて……。程無く、この憑代は動く事も、喋ることも出来なくなり、朽ち果てる事となりましょう……。人でいう所の『死』に御座います……」
首の小判を両手に抱えて目を閉じる。
「‥少しは、挽回できましたでしょうか?」
「ば、『挽回?』 何の事だ?」
「……今日一日、學サマと行動を共にして痛感致しました。吾輩は、もう『神』を名乗るに値しない存在に、成り果てたのだと……。『神』とは、空のように広く、海のように深く、そして大地のように強靭な慈愛と力によって、あまねく人々を護り導く存在で無くては成りませぬ……」
目を開けたトヨは身を捻り、俺の顔――いや、俺の頭越しに夜空を見ているようだ。
「‥なれど『信仰』を失った吾輩は『神通力』もまともに操れず、その焦りから己の顕示ばかりを考えてしまいました。まして人を見た目で判断するなど、神の風上にも置けない所業で御座います」
「な、何とか助かる方法はないのか?!」
俺の問いにトヨは横に首を振る。
「先にも言いました通り、社内部の【神域】は『神仏の存在を維持する砦』。なれど、身を休めるその社は崩壊し、基本となる『信仰』が既に失われている。もはや、手遅れです。……ただ一つ気掛かりなのは、學サマ、貴方様の真なる所願を、吾輩は叶えていない事です」
「俺の、願い?」
「『赦し』で、御座います……。學サマの御心は、御父母に対しての自責の念に囚われております。吾輩はせめて、消える前に、最後くらいは『神』として、責務を……、全うしたいので御座います!!」
トヨは目をカッと見開き、控えめながらも柏手を打った。
刹那、俺は両目に異様な熱を感じ、目を閉じて思わずひざまずく。
頭を撫でられる感覚。
目を開けると、ぼんやりとした二つの人影。
顔を上げると、そこには死んだ筈の両親の顔があった。
トヨを抱えて呆然と跪く俺の前に二人はしゃがむと、無言で俺を抱きしめてくれた。
言いたい事が沢山あった。
謝りたい事が沢山あった。
でも言葉が出ない。
涙が溢れて仕方がない。
抱きしめられる感覚は徐々に消えて行き、二人の姿もどんどん薄くなっていく。
「……ッ、ごめん、なさいッ!」
やっと絞り出せた子供じみた謝罪の言葉にも、二人は答えてはくれなかった。
ただ消える最後の瞬間まで、俺を抱きしめ続けていてくれた。
気配が何も感じられなくなると、辺りはまた夜の静けさに包まれた。
徐々に海面が上がって来ているようで、両膝が水面に浸かり始めている。
海水の冷たさにようやく我に返った俺の腕の中には、ただの招き猫の置物だけが残された。
「……礼くらい言わせろよ、馬鹿!…」
俺の悪態にも、もはや誰も答えてくれなかった。
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