【拾の章 コウラクエン遊園地で誰と握手?】
トヨと話していたからか【スイドウ橋駅】に着くのが何時もより早く感じられた。
車窓から見ると【ヨツヤ】と打って変わり、駅のホームが既に人でごった返している。
無理も無い、なにせ駅舎の西側メインゲートから続く【ニューコウラクエンブリッジ】を渡れば、そこはもうドーム球場。
その敷地には遊園地や場外馬券場、飲食店街に温泉など、様々なアミューズメントが一体化した複合施設が球場を囲むようにぐるりと広がっている。
また東側ゲートの橋は隣接する工業系高校の校舎とも直通なので、普段から学生も非常に多い。
確か今日の試合は、関東と関西を代表する二大球団による『伝統の一戦』とやらだ。
休日な上にそれも重なれば、この混雑は至極当然といえよう。
電車とはやや遅れて開いたホームドアをくぐり、真っ直ぐ壁際に避難。
出口案内板真横のベンチで、エスカレーターや階段に向かう人通りが落ち着くのを待つことにした。
人の多さというのはそれだけで体力が奪われる。
最近外に出ていなかった上に今日は雨。
しかもトヨという同行者もいて、既にそれなりバテてしまった。
「ふぅ……。‥んん⁈」
妙に静かだと思ったが、同時に降りた筈のトヨの姿が見当たらない!
アイツどこ行った⁈
「が、學サマぁ~⁈ おおお助けをぉぉ~!」
人々の喧騒に紛れて、微かに聞こえたトヨの悲痛な声。
見ると、黄色と黒のストライプが際立つ猛虎魂溢れた集団に巻き込まれる、黒和服の少女が。
間違いなくトヨだ。
子ども姿の彼女に、この人波を掻き分けるのは恐らく無理だろう。
面倒くささから、一瞬『このまま見捨ててしまおうか?』という考えがよぎった。
家を破壊されたり持ち物を無くしたりと、トヨを持ち帰ってから立て続けに不運に見舞われている。
因果関係を感じざるを得ない。
アイツさえ手放せば、状況が好転するのではなかろうか?
「……チィッ! あぁもう!」
しかし頭を掻いて、直ぐに考えを払拭する。
流石に見捨てるのは良心が痛むし、失くした『端末』を探し出すにはトヨの協力が必要不可欠。
全く、世話の焼ける神様だ!
ひと呼吸おいて意を決し、文字通り『人海』の大海原に乗り出す。
謝罪を繰り返しながら人を押しのけ、僅かでも走れる所は走り、西口方向へ。
だがトヨを巻き込んだ一団との距離は、一向に縮まらない。
前言撤回、この人流は例え大人であっても容易に抗える物ではなかった。
改札を過ぎれば混雑も軽減されるかと期待したが、逆に徒歩で球場を目指していた人々まで合流し、橋の上はもはやすし詰め状態。
ここまで来ると列形成の警備もガチガチで、流れに逆らうことは勿論、体調不良でもない限り途中で横に抜け出すことも許されない。
尤も【スイドウ橋地区】は【ヨツヤ】より標高が低いので、そもそも橋の下は水没エリア。
向こう岸に着くまで、行き場も他にないのだが。
本来の目的地は駅前の【出版社】なのに、あれよあれよという間に球場の方にまで強制的に流されてしまう。
『ようこそドームシティへ!』という球場の敷地に入った事を示すアーチを過ぎて、チケット売り場まで到達すると、前売り券持ちか当日券購入かで、ようやく行列がバラけた。
「ひ、酷い目に遭いました……。人の情熱とは、時として恐ろしい物で御座います……」
ようやく合流できたトヨは髪を乱れ散らし、折り目無くぴっちり着こなしていた和服もはだけてヨレヨレ。
肩でひーひーと息をして、首の荒縄の結び目が口元に回り、小判の位置が前後逆になっていた。
ほうほうの体なのは俺も同じで、大量の人に揉まれた所為で体中が痛いし、シャツのボタンが二個も千切れてしまっている。
オマケに靴紐は解けるわ、眼鏡は曲がって傾くわ。
持っていたビニール傘も魔術加工無しの安物だった為、バッキバキに壊れて使い物に成らなくなっていた。
「と、取り敢えず移動すっぞ……。ここは人が多すぎる」
俺はトヨに手を差し出し、握るよう促す。
また離れ離れになっては堪ったもんじゃない。
ところが息を整えたトヨは身なりを整えながら、モジモジするばかりで中々手を握ろうとしない。
「‥? どうした?」
「い、いやぁ、その……、男女が手に手を取り合ってとは、何やら逢引の様で……」
トヨは両手を頬に当てて、赤らんだ顔を俺から背けた。
「なっ、アホか⁉ 性別云々以前に、お前置物だろうが! て言うか、散々俺の腕引っ張ったりもしてたろうに⁉」
「其れはそうなのですが……、學サマ自らが、吾輩の手をというのは初めてで御座いますし……」
いかん、少女姿でそんなしおらしい反応をされると、何だか本当に恥ずかしくなって来た。
出来るだけ意識しないように勤めていたが、家を出る時にトヨが言った『俺の好みに最適な似姿』という言葉に偽りはない。
疲弊し汗ばんだ今の彼女は、正直見ていて非常にグッとくる物がある。
言動はともかく、学生時代にこんな少女と会っていたなら、間違いなく惚れていただろう。
‥いやいや落ち着け、冷静になれ!
トヨは置物、単なる化け猫……。
……いや待てよ?
考えてみれば三十代の男が、(見た目)十代の少女とお手手繋いでデートスポットを行くいうシチュエーションは、倫理上ヤバいのではないか?
「……とっとと行くぞ!」
気恥ずかしさと焦燥感に俺はきびすを返し、かなりの早足でトヨと距離を取る。
が、直ぐに駆け寄ってきたトヨは無理やり手を繋いできた。
「つ、繋がないとは行っておりません! それに御守と同じく、吾輩を肌身離さなければ、運気としても申し分ないでしょう! えぇ! きっとそうですとも!」
「わ、解ったから、あんまり引っ付いて来るな!」
最短で出版社のある駅前に戻りたかったのだが、来た道は通行規制で一方通行となっていた。
かなりの遠回りだが仕方がない、球場外周をグルッと回って駅前に戻るとしよう。
人混みを避けるなら一度ドームの敷地から離れる手もある。
しかしこの強まった雨足の中、傘も刺さずに歩くのはしんどい。
それにトヨが『神通力』で出現させられる傘も一本、しかも彼女の身の丈にあった小さいサイズだけらしい。
大人の俺とでは、相合傘するにしても小さすぎる。
幸い、施設に入ってしまえばはおおむね屋根のあるスペースが多い。
多少の混雑は我慢しよう。
片手を額に当てて申し訳程度に雨を防ぎながら、早足で人混みの中を進んでいく。
ガラス張りの細長い三角錐のオブジェも通り過ぎて間もなく、観覧車とジェットコースターの乗り場が一体化したゲートが見えてきた。
ショッピングモールと飲食店街、そして施設のメインである遊園地エリアへの入口である。
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『おめでとーございまーす‼ 貴方達は総来館者数777777777組目のお客様でーす‼』
突然、頭上のスピーカーからファンファーレと共に、威勢の良い声が響いた。
右手側に見えていたアトラクションチケットを買う小屋からいきなり飛び出してきのは、恐らく遊園地のマスコットであろうキグルミ二体と、スーツ姿にインカムをした女性。
『前門の虎、後門の狼』宜しく、女性とキグルミたちに取り囲まれて「さぁこちらへ‼」と問答無用で何処かへと連行される。
透明なチューブで囲まれた、水中へ続く階段を一度降って少し通路を進み、再び地上へ登ると辿り着いたのは、施設の大半を占める遊園地エリア。
天井に巨大なガラスがはめ込まれた吹き抜け空間にあるイベントステージだった。
ドームシティ遊園地といえば『ヒーローショウ』の聖地としても世界的に有名。
そのステージだけあって、素人目にも設備や広さ、客席数が凄まじい。
造花の花束と『ありがとう ドームシティ』云々と書かれたパネル看板を押し付けられて、半ば強制的に登壇すると、ビデオカメラやマイクを持った報道陣、それを見に来た観衆で客席は埋め尽くされていた。
「お嬢ちゃん、今日はどこからお越しに?」
「わ、吾輩は……、え、えーと……、名をトヨと申しまして……」
あまりの事にトヨは混乱しているのか上手く喋れない様子。
どこから来たのか訊ねられて、何故か名前を答えている。
「ごめんね! 緊張しちゃったね! では、こちらのお兄さん! 今日はどこから?」
「あ、あぁー……【ヨツヤ】から、来ました……」
もちろん俺も混乱しているので、味気ない受け答えになってしまう。
程なくして仰々しく現れたのは、施設を管轄する行政のお偉方。
彼らないし彼女らと次々に握手させられ、そのたびに大量のフラッシュを浴びせ掛けられる。
政治活動の一環なのだろう、その都度ツーショット、スリーショットを求められた。
本来は子ども達がヒーローと握手する場所で、政治家と握手する日が来るとは……。
ひとしきり記念撮影が終わると、セレモニーはそのまま記念品の贈呈式へ移行した。
司会者へと転身したスーツ女性の矢継ぎ早な進行に、俺もトヨも終始されるがままだ。
『‥はぁい! ありがとう御座いました‼ それでは式典は以上になりまーす! 皆様引き続き、ドームシティをお楽しみ下さいませー‼』
怒涛のトークを繰り広げるだけ繰り広げた司会者が、満足気なお偉方を引き連れて退場。
キグルミたちも、俺たちから花束と看板を没収して舞台袖に消えていく。
あれだけ殺到した人だかりも蜘蛛の子を散らすかの如く去っていき、客席もアッという間にすっからかん。
直前のフラッシュと拍手の嵐は白昼夢かと思わせるほどイベントステージは静まり返った。
壇上には、記念品の『一週間遊具乗り放題券』と『お食事券三万ポイント分チケット』を手にした俺とトヨだけが取り残された。
「はぁ……」
強烈な立ちくらみに視界が白み、足腰の力が抜けて仰向けに倒れそうになった。
驚いたトヨが慌てて俺を支え、ステージから一番近いベンチに何とか座らせる。
「が、學サマ! どうなさったのです⁈」
顔を覗き込んできたトヨの言葉に自分の顔に触れてみると、恐ろしく冷たくなっていた。
いや顔どころか、全身が異様に冷たい。
そのくせ動悸は苦しいほど激しく、意図せず体が震え、どれだけ意識しても貧乏ゆすりが止められない。
しかし、これは雨の所為で体が冷えたからという訳ではない。
原因は恐らく、あの光景だ。
セレモニーの最中はパニックで思考が鈍っていたが、我に返った瞬間、忌々しい八年前の記憶が文字通りフラッシュバックする。
裁判史に残るほど大量の訴訟問題を抱えていた事で、連日メディア取材に追い掛け回された日々。
事あるごとに大量のフラッシュを浴びながら、怒りと恨み、悲しみがゴチャ混ぜになった感情を叫び続けた数年間。
何度忘れようとしても忘れられない負の感情が、俺の心に再び襲いかかって来たのだ。
今の俺は、あの時の感情を抱えられるほど心が強くない。
口元を片手で強く押さえ、何時襲って来るかも解らない吐き気と頭痛に備える。
この前といい今日といい、なぜ薬を家に置いてきてしまったのか……。
「こ、之はいけません⁈ お顔が土気色ではありませんか⁈ 起床なさってから水しか飲んでいないご様子でしたし、きっと極度の空腹が原因に違いありません! 吾輩、何か食べ物を探して参ります! 幸いにして、先ほど頂いたこの形代らしき紙で食べ物が手に入るそう故! スンスン……、匂いはあちらか!」
見当違いの理由で、一人フードーコートへ駆けていくトヨ。
頼む待ってくれ。
今一人にされては困る。
誰でも良いから傍に居てくれないと、心が……、意識が保てない。
トヨを呼び止めようにも口が回らず、そもそも過呼吸症状で声を出す事もままならない。
当然の事だが、立ち上がる事も出来ない。
目を回した時のように視界が揺れ、チカチカと小さい発光体が無数に見え始める。
堪らず目を閉じると、程なく俺の意識は暗闇に沈んだ。
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