【玖の章 水没した世界】
「‥ッ、ふぅ~……」
ヨツヤ駅前交差点に設置された喫煙所でゆっくりと紫煙の味と香りを楽しむ。
家を出た俺が真っ先に行ったのは、二軒隣のスーパー。
朝食(時間的には、もはや昼食)を食べようにも、家の食料は昨晩で食べきってしまった為『とにかく何か食べなければ』と考えての行動だった。
だが、レジ奥に理路整然と並ぶタバコを目にした途端、俺は空腹を超える猛烈な吸いたい衝動に襲われてしまった。
昨日から一本も吸えておらず、次の原稿料が振り込まれるまで足りる本数を残していたタバコは、紛失した端末とメモ帖の間にサンドしているケースの中。
おまけにキャッシュレス化の弊害で家には現金が殆どなく、端末が無いから電子マネーも使えないし預金も引き出せない。
交通費を考慮すると、なけなしの所持金ではタバコを買った時点で何も買えなくなってしまう。
『食べ物or嗜好品』
この二択を前にした俺は、半ば反射的にタバコを選んで会計を済ませていた。
もちろん喉だってまだ痛むし、煙で腹が膨れる訳も無い。
しかし、タバコの誘惑には勝てなかった。
ニコチン中毒ここに極まれり。
おもわず自嘲気味な笑いを零しながら、タバコのフィルター部分に何度目かの口付けをする。
「‥これはどうした事かぁああー⁈」
「グッ⁈ ゲホッ! ゲッホッ‼ 熱ッ⁈」
ところが至福の時は、一瞬にして苦痛の瞬間へと変わった。
外で待たせているトヨの発したであろう悲鳴にも似た大声に、煙を変に吸ってむせ返る。
更に口から落としたタバコの火が手に当たり、火傷まで負ってしまうハメに。
「あ、アンタ、大丈夫?」
あまりの悶絶ぶりに、すぐ隣に立っていたパンクファッションの女性にまで心配される始末。
うずくまりながら身振りで『大丈夫です』と意思表示するが、他の喫煙者たちも何事かとザワついている。
身内(?)が引き起こした状況が恥ずかしくて、立つに立てない。
「が、學サマぁああ⁉×3」
暫し苦しんでいると、血相を変えたトヨが和傘を差したまま喫煙所の扉を開けて飛び込んできた。
子ども姿のトヨを喫煙所に連れ込む訳には行かないし、本人も『匂いがキツい』と言って入室を拒んでいた。
にも拘らずワザワザ入って来たという事は、なにか余程の事があったに違いない。
「ち、ちょっと落ち着け……。後、声デカいって」
「此れが落ち着いてなど居られますか⁈ お早く、此方へ⁉」
傘を広げる暇もなく、トヨに手を強く引っ張られてたどり着いたのは、交差点の信号を渡ってすぐの場所。
ヨツヤに古くから架かる橋【ヨツヤ見附橋】の上だった。
『ネオ・バロック様式』という、欧州から伝わったデザイン文化をふんだんに盛り込んだ、芸術性の高い橋で、全てではないが街灯や欄干部分などは、何と建造当時のパーツがそのまま使われている。
そのため歴史的価値が高く、国の有形文化財として認定も受けている。
「ご覧下さい!」
トヨは跳ねるように橋の欄干から身を乗り出し、下の方をしきりに指差す。
雨で滑りやすくなってるから、勢あまって落ちないでくれよ?
下には鉄道の線路が走っているから、万が一落ちでもしたらかなり面倒なことになる。
しかし、何をそんなに狼狽えているのだろうか?
俺は促されるまま隣に立ち、下を覗き込んでみた。
「……?」
が、いくら見ても、特段変わった所は見当たらない。
日頃、橋の下なんて通りがかりに横目で見る程度ではある。
しかし何か変化があれば、流石に気づくと思うのだが……。
「線路が……、線路が水没してます!」
「あぁ、そうだな?」
訝しげな俺の様子にしびれを切らしてか、トヨは唐突に、当たり前なことを言い出す。
「魚も泳いでます!」
「そりゃ、泳いでるだろう? 海なんだから」
「な、何を呑気な⁈ 大地が水底に沈んでいるのですよ⁈」
「……まさかお前、世界の陸地がほとんど水没してるの、知らないのか?」
俺の言葉に、トヨは只でさえ丸く大きな目を更に見開き、ポカンとした表情で固まってしまう。
声をかけても、目の前で手を振ってみても無反応。
さながら『フリーズしたPC』といった感じだ。
「‥? おいトヨ? どうし、」
「にゃんですとーッ⁈」
再起動したトヨの素っ頓狂な叫びに、通行人が一斉に俺たちの方を振り返る。
注目されるのは苦手なんだて、勘弁してくれよ……。
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少なくとも俺が物心ついた頃から、世界の大半は水没していた。
それはかつて『列島国』であったと言われているこの国も例に漏れず、天然土と岩盤で構成された、いわゆる『純粋な大地』の多くは海底となって久しいと学生の頃に学んだ。
現在の【ニホン】は、海上に点在する主要な十二の島と、それらを補助、補強する金属製プレート、支柱で出来た人工的な陸地。
そして大小の島々からなる『群島国』となっている。
一般的に主な原因とされているのが、温暖化による潮位の上昇。
海水温が上がることで海水の体積が膨張し、更に南極や北極の氷山や氷河、高山地帯の永久凍土などが融解して膨大な水が海に流入。
水量その物が増えた為と言われている。
この現象自体は遥か昔――記録は殆ど失われているが、世界がまだ『西暦』と呼ばれていた時代から現代まで続いている環境問題の一つだ。
しかしこの説には異論と疑問がある。
なんの本で見たのか忘れてしまったが、ある時【ニホン】の海洋研究機関が『世界暦』という現在の紀年法が使われ始めてからの観測記録を使って、海による侵食スピードの算出を行ったそうだ。
すると推定、1000年代前半~2500年代後半にかけての『約1500年間』で、温暖化だけでは説明がつかない異常な潮位変動が起こっていた事が判明。
世界中の氷の多くも融けずに維持されている事から、水量の増加も根拠に欠けるという発表がなされた。
その後に行われた追加の海底調査でも、地殻に経年劣化ではあり得ない形の陥没や大穴が数多く発見されており、明らかに『何か』があった事を示唆している結果となった。
尤もその『何か』が何なのかは、誰にも解らなかったようだ。
今でもこの歴史ミステリーを解明しようと世界中、あらゆる分野の学者たちが調査を続けている。
遥か昔に勃発した、世界規模の大戦による人為的要因説。
天変地異や大洪水、大災害が起こり、大陸自体が沈下、崩壊したという自然災害説。
果ては神話や伝説に語られる、人知を超える超常的存在によって引き起こされた説などなど……。
結局のところ、何が如何してこうなったのか、諸説、俗説、都市伝説があふれ返り、未だに結論は出ていない。
まぁトヨという存在を目の当たりにしている今となっては、神話云々の説もあながち在り得ない話ではないのかもしれないが。
「凄い! 凄いです學サマ⁉ 鉄の列車が、海を掻き分け走っております!」
ヨツヤ駅を出発した直後『JR海上列車 JB線』の先頭車両、最前列の二人がけ席。
席にも座らずフロントガラスにピッタリ張り付いたトヨは、跳ね上がった海水が窓に当たる様子や車体にぶつかる波音を聞くたびに「にゃぁ!?」とか「おぉ!!」と弾んだ声を上げ続けていた。
ホームで電車待ちをしていた時からずっとソワソワしていて落ち着きがなく、乗車後は更にテンションが爆発。
たまにピョンピョン飛び跳ねたりと、子どもの見た目に違わぬは興奮ぶりだ。
「……おいトヨ、話聞いてたのか?」
「何がです?」
トヨは線路の行き先を見つめたまま、顔すら向けずに返事をする。
「何がって……、お前が『何で世界が水没したのか』って聞くから、こっちは学校の歴史教科で習う様な話を懇切丁寧に説明してやったんだぞ?」
「あぁ、その事で御座いますね! 無論、ちゃんと聞いておりましたとも! お陰で、現し世の状況が良く解りました! いやはや、學サマは博学で御座いますにゃ!」
「『博学』ってのは大袈裟だ。ただ物書きって職業柄、役に立とうが立つまいが、色んな事を知っておいて損はない。情報の引き出しを増やして、創作のネタにしてるってだけだよ」
「にゃるほど、それは素晴らしいお心掛けに、‥おぉ、海獣!」
列車の前方をイルカと思しき生き物が横切り、トヨの興味は再び海へと奪われた。
やっぱり、話半分程度にしか理解してないのでは?
「‥しかし『神』である吾輩が言うのも可笑しな話では御座いますが、まことに奇妙奇天烈。軌道が水面に浮いたまま、更にその上を鉄製の列車が通過しても沈まないとは。塩水に塗れていながら、錆びている様子も御座いませんし」
「今時の金属は大抵『魔術合金』で防錆加工済みだし、線路にも《物体固定の魔術【フィックス】》が掛けられてるからな。‥て言うか魔術の事といい、水没の事も知らないなんて、神様名乗ってる割に無知過ぎないかお前?」
呆れながら肘掛に寄り掛かり頬杖を付く。
俺の態度にカチンッと来たのか「何たる言い草!」とトヨはようやく振り返った。
「宜しい! 成れば、次は此方が教示致します!」
「その前にだ。いい加減に座れ」
こうも大声ではしゃいでいる所為だろう。
見ない様にしているが、背後から他の乗客からの冷ややかな視線を感じる。
海上列車は基本的に、運転手が居ないAI制御の自動運転車両。
運転席が無い分、最前席は一面大きなガラス張りとなっている。
晴天の日は視界が開けて清々する事から、大人であっても座れるなら座りたい人気の席だ。
今日は雨とはいえ、そこを陣取っておきながら座らないとなれば、反感を買うのも無理は無い。
ましてや今、トヨの見た目は子ども。
傍から見れば俺は、はしゃぎ回る娘を制止できない駄目な親と言った所だろう。
実に不本意だ。
それに混雑してきたら、やはりはしゃぎ回るトヨの行動は車内マナーに反する。
「では改めまして……、にゃむ」
名残惜しそうに窓から離れたトヨは俺の左側、窓際の席に腰掛けるなり、やや控えめに柏手を打つ。
すると彼女の膝の上が小さく輝き、神棚に乗っているような小さいながらも豪華な神殿の模型が現れた。
うっすらと淡いクリーム色に木目も目立たず、装飾部分は細部に至るまで確りと彫り込まれている。
随所に散りばめられた金細工の模様も実に美しい。
正面には観音開きの大扉と、その両隣にも観音扉が二枚ずつ。
いわゆる『五社神殿』という代物だ。
これを実際に買うとしたら十万は超えるだろう。
「學サマは、屋内や屋外に設けられた『社』ないし『祠』の戸が、開け放たれている所をご覧になられた事はございます?」
トヨに手渡された模型の大扉が独りでに開く。
中にはトヨを模したであろう、ミニサイズの招き猫が鎮座ましましていた。
それを眺めながら、俺は記憶を辿ってみる。
そう言えば基本的に、空いている所を見た事がない。
たまに見かける開いてる物も、すっかりボロボロで中は空っぽだった
「神仏は信仰を糧とする。これは昨日、ご自宅でもご説明しましたね?」
「あぁ、だから餓死する事はないって話か」
「『信仰される』という事は『畏敬の念、恐れ』を抱かれ、あるいは『心の拠所』として敬われる存在と認知される事です。故に、巍然たる神体や憑代が鎮座する内部は【神域】とされ、軽々しく人目に晒して良い場所では御座いません。祭事の際など特別な時節にのみ開帳、拝謁が許されるのです」
トヨの解説に、成る程と合点がいく。
たまにラジオで『○○年ぶりに○○寺院の本殿が御開帳』というニュースが報道されるが【キョウト】や【ナラ】などにある有名な神社仏閣ほど、扉が開かれる事は滅多にない。
その稀少性と話題性が更なる関心を産み出し、ひいては信仰へと繋がるという訳か。
実に良くできたシステムだ。
「‥んで? それとお前が物を知らないのと、どういう関係が?」
やや話の趣旨が逸れているので軌道修正。
『物を知らない』という俺の発言に、トヨは咳払いをした。
するとその瞬間、いきなり観音扉がバンッと音を立てて閉じた。
ちょうど俺が模型を目線の高さに持ち上げたタイミングだったので、、その勢いに思わず仰け反り「ウッ!」と声を漏らしてしまう。
「人々が我々を滅多に見られないのと同様に、我々もまた、扉が開かれない限り、外界の状況を知ることは容易では御座いません」
そう言ってトヨは、ワザとらしく俺から目線を逸らす。
見れば口元がニヤついている。
さてはコイツ、さっきの発言に対する仕返しだな?
「なら自分で開けて、もっと見聞を広げる努力をすれば良いだけだろ」
またイタズラされてもシャクなので、早々に模型をトヨに押し返した。
「そうしたいのは山々ですが『閉じられた空間』というのは、それだけである種の『結界』となります。神仏の為のそれは殊更強力。この結界は内部を【神域】に保ち、神仏の存在を維持する砦であると同時に、その実、我々を封じ込める『檻』としての役割もあるのです。吾輩のように、勤勉な柱は兎も角、神仏には『荒御霊』も少なく御座いません。『神無月』でもないのに勝手気ままに社から出て行かれては困りますからね」
「つまり外から誰かに開けて貰わない限り、内側からは開けないと?」
「ご明察! 更にいえば、吾輩の様に憑代を自在に操れる、栄位な存在もそう居りません故」
『勤勉』と『栄位』という部分を語気強めに強調し、トヨは受け取った模型を両手に乗せる。
彼女がふぅーと息を吹きかけと、模型は空気に溶けるように消えた。
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