第1話 ~人魚の血~
童話ジャンルでは、はじめまして。
今回、初めて童話に挑戦してみます。
タイトルは『令和の人魚姫』。
人魚になりたい女の子が、尾びれを作って、泳いで、失敗して、
それでも本気で人魚を目指す――そんな現代のおとぎ話です。
ただし、少しだけご注意を。
明るいお話から始まりますが、物語の後半にはシリアスな内容も含まれます。
昔々のおとぎ話のように、最後はめでたし、めでたし――となるのかどうか。
どうぞ、令和を生きる人魚姫を最後まで見届けていただけましたら幸いです。
人魚の血には、不思議な力が宿っている――。
むかしの人々は、そう信じていました。
青く深い海の底。
人の足では決してたどり着けない場所には、
人と魚の姿をあわせ持つ、美しい人魚たちが暮らしている。
その姿を見た者には幸運が訪れるとも、反対に嵐を呼ぶともいわれ、
人魚のお話は海を越え、長い年月を越えて語り継がれてきました。
なかでも不思議なのは、人魚と「命」にまつわるお話です。
人魚の肉を口にすれば、老いることなく生き続ける。
人魚の血には、弱った命をよみがえらせるほどの力がある。
そんな言い伝えを信じ、人々は人魚に永遠の命を夢見ました。
けれど。
永遠に生きるとは、どんなことなのでしょう。
春が来て、桜が咲き、やがて散っていく。
夏が過ぎれば秋が訪れ、木々の葉は色を変え、冬になれば雪が積もる。
それを何十年、何百年と見送りながら、自分だけが変わらずに生き続ける。
子どもだった人は大人になり、大人だった人は老人になり、
いつか大切な人もいなくなってしまう。
それでも自分だけは、昨日と変わらない姿のまま。
それは本当に、幸せなことなのでしょうか。
もちろん、本当に人魚の血にそんな力があるのかは、誰にもわかりません。
なにしろこれは、遠い遠い昔から伝わる、おとぎ話なのですから。
それでも、人魚のお話そのものが消えてしまうことはありませんでした。
帆船が海を渡っていた時代から、蒸気船が走る時代へ。
やがて空を飛ぶ飛行機が生まれ、世界中の人と小さな板一枚で話せるようになっても、
人魚は物語の中で泳ぎ続けました。
そして令和と呼ばれる、この時代にも――。
人魚になることを夢見た、一人の女の子がおりました。
もっとも、女の子といっても、
昔話のお姫さまのようにお城で暮らしているわけではありません。
名前は、真珠。
読み方は「しんじゅ」ではなく、「まじゅ」といいます。
二十二歳。
大学四年生。
朝は目覚まし時計に起こされ、大学へ行けば課題と卒業後の進路に追いかけられ、
スマートフォンの充電が十パーセントを切れば少し不安になる。
そんな、ごく普通の令和の若者でした。
ただし、ひとつだけ変わったところがあります。
真珠は、水族館で働いていました。
その日も開館前の館内には、まだお客さんの声はありません。
大きな水槽を照らす照明だけが青白く輝き、静かな館内にポンプの低い音が響いていました。
真珠はバックヤードからバケツを運び、床に残った水滴をモップで拭き取り、
備品を決められた場所へ戻していきます。
水族館と聞けば、多くの人はきらきらした大水槽や、かわいらしいイルカ、
優雅に泳ぐ魚たちを思い浮かべるでしょう。
けれど働く側から見れば、それだけではありません。
床は濡れます。
水は重たいです。
掃除道具は意外とかさばります。
そして、生き物たちは人間の都合など考えてくれません。
「よいしょっ……と」
大きなバケツを床へ置き、真珠は腰を伸ばしました。
水の入った容器は、見た目よりずっと重いものです。
両腕を上げて背筋を伸ばすと、肩から小さく音がしました。
「うわ。二十二歳の肩じゃない音した」
もちろん、誰も聞いていません。
開館前の館内で、真珠は一人で笑いました。
こういう独り言は、水族館で働き始めてから少し増えました。
返事をしてくれる同僚がいなくても、魚ならたくさんいるからです。
もっとも、魚たちは真珠の冗談になど興味はありません。
大水槽の中では、銀色の魚の群れがゆっくりと向きを変え、
その少し下を大きなエイが滑るように通り過ぎていきました。
真珠は作業の手を止めます。
ほんの数秒だけ。
勤務中なので、いつまでも眺めているわけにはいきません。
それでも、大水槽の前を通るたび、どうしても見てしまうのでした。
水の中には、道がありません。
地上なら、前へ進むには前へ歩きます。
上へ行きたければ階段を上り、下へ行きたければ階段を下りなければなりません。
けれど水の中では違います。
前にも進める。
横にも行ける。
身体を傾ければ上へ浮かび、深く潜ることもできる。
魚たちは、何もない空間そのものを道にして泳いでいました。
真珠には、それが昔から不思議でたまりませんでした。
「いいなあ」
水槽のガラスへ少しだけ近づきます。
一匹の魚が、真珠の目の前を横切りました。
「そっちは自由そうで」
当然、魚は答えません。
尾びれを一度振ると、そのまま青い水の向こうへ消えていきます。
真珠は、その後ろ姿を目で追いました。
子どものころから水が好きでした。
海へ行けば、帰る時間になってもなかなか水から上がらず、
プールでは泳ぐより潜っている時間の方が長かったほどです。
そして、絵本で初めて人魚を見た日のことも覚えていました。
人の身体に、魚の尾びれ。
水の中を自由自在に泳ぎ、海の底を自分の世界にしてしまう存在。
幼い真珠には、それが魔法よりも魅力的に見えました。
空を飛びたいとは思わなかった。
透明人間になりたいとも思わなかった。
けれど、人魚にはなってみたかった。
大人になれば、そんな夢は自然に忘れていくものなのかもしれません。
ところが真珠の場合は、少し違いました。
忘れるどころか、水族館で働き始めたせいで、ますます現実味を帯びてしまったのです。
目の前には毎日のように水があります。
泳ぐ生き物がいます。
人間よりはるかに水の扱いが上手な先生たちが、ガラスの向こうに何十匹もいます。
そして真珠は、大学の授業でも、アルバイトでも、
何かわからないことがあると調べずにはいられない性格でした。
だからその日、大水槽の前で魚を見ながら、ふと思ったのです。
「……人魚って」
真珠は小さく首をかしげました。
「どうやって泳ぐんだろ」
絵本の人魚は簡単そうに泳いでいます。
映画の人魚も、尾びれをひらりと動かせば、するすると水の中を進んでいきます。
けれど、本当に人間の両脚をひとつの尾びれにしてしまったら、どうなるのでしょう。
いつものようにバタ足はできません。
平泳ぎもできません。
足を交互に動かすことすらできない。
「……あれ?」
真珠の目が、少しだけ細くなりました。
これは、彼女が何かを思いついたときの顔です。
「意外と難しくない?」
そこで館内放送の準備音が鳴りました。
もうすぐ開館です。
「っと、仕事仕事」
真珠は慌ててモップを握り直し、残っていた水滴を拭き始めました。
数分後。
入口の扉が開き、お客さんたちが館内へ入ってきます。
子どもが大水槽を見つけて走り出し、その後ろを保護者が追いかけていました。
真珠はいつもの笑顔で頭を下げます。
「おはようございます!」
案内を終えれば、
「ありがとうございます!」
それが彼女の、いつもの一日でした。
大学へ通い、水族館で働き、帰れば課題をする。
友人と笑い、眠い朝には二度寝をして、コンビニの新商品を見れば少し気になる。
どこから見ても、ごく普通の二十二歳です。
ただ、その日の夜。
真珠のスマートフォンの検索履歴には、少し変わった言葉が並び始めました。
『人魚 泳ぎ方』
『モノフィン 泳法』
『ドルフィンキック 体の使い方』
『人魚 尾びれ 自作』
ベッドの上でうつ伏せになりながら、真珠は画面をじっと見つめます。
「へえ……」
指が止まりません。
「ちゃんとあるんだ」
人魚は、おとぎ話の生き物です。
けれど、人魚のように泳ぐ方法なら、現実の世界にもありました。
もちろん真珠は、このときまだ知りません。
ひとつの小さな疑問が、やがて材料を買い集め、部屋を工作場に変え、
水の中で何度も転がるほどの大仕事になることを。
ただ一つ確かなのは――。
昔々、人々は人魚の血に永遠の命を夢見ました。
そして長い時を越えた令和の時代。
ある女の子は、人魚そのものになることを夢見ました。
魔法もありません。
海の魔女もいません。
あるのは、自分の身体と、水と、少しばかり強すぎる好奇心だけ。
けれど童話というものは、ときどきそんなところから始まるのです。
こうして令和にも――。
人魚がおりました。




