第1話 魔王の実験場と、書き換えられる【黒銀の騎士】
視界を黒く染め上げる、禍々しい光。
あんなものを喰らえば、確実に死ぬ。
だから、僕は咄嗟に彼を突き飛ばした。
大事な親友であり、この世界を守る【救世主】でもある──イヴェットの身体を。
自分が身代わりになれば、無事では済まないことくらい分かっている。
だけど、アイツがこんなところで死ぬよりは、億倍マシな結果になるはずだ。
……まあ、そんな細かいことを脳内で並べるより前に、身体が勝手に動いていただけなんだけどね。
◇
衝撃で地面に叩きつけられる感覚だけがあった。
背中に走る鈍痛よりも先に感じたのは、目の前で放たれた昏紫の閃光だった。
呪縛の鎖が、今まさに僕を包み込もうとしている。
『あれ……おかしいな……なんで僕、この術の名前を知っているんだろう』
「馬鹿野郎! 何やってんだよ!」
少し離れた所で、救世主である彼の悲痛な叫びが聞こえる。
あぁ、そう言えば。
とあるゲームのストーリーで、こんな感じのシーンがあったな……。
救世主だと預言された主人公がいて、その幼馴染である少年が救世主の彼を庇って魔王に洗脳される。
──それが、ゲーム『ムーンレスナイト・クロニクル』の序盤にある波乱の展開だ。
その少年は幾度も主人公パーティの前に現れては戦闘になるが、決して助けることはできない。
そして最終的には、主人公と命懸けの一騎打ちをすることになる。
でもさ……これはゲームの出来事じゃなかったんだよ。
だって僕、今はもう全身が引き裂かれそうなほど痛いし、親友の彼は地面から立ち上がれずに泣き叫んでいる。
そう、目の前で起きているたった一つの現実なんだ。
闇が僕の意識を覆っていく中で、奇妙なデジャブのような感覚が襲ってくる。
それと同時に、前世での記憶が断片的に蘇る。
深夜までハマっていたRPG、未完のセーブデータ、大学の研究室……あれ? 私って確か交通事故で……。
「愚かな選択だったな、少年」
耳元で囁かれた、低い声。
『あっ! この声は間違いない。ラスボスの魔王ユラシーズだ』
ゼミの先輩がその声優さんの大ファンで、熱烈な布教に負けてやり始めたんだ。
ゲーム画面で見慣れた姿が目の前にあるなんて信じられないけど、今はそれどころじゃない。
『早く逃げないと、洗脳が完了してしまう!』
でも、逃げるってどうすればいいのだろう。
腕を持ち上げようとしても、指一本動かない。
視界はだんだんと赤黒く染まっていく。
体の奥底から湧き上がってくるのは、絶対的な服従の念。
それと──なぜだか、この世界に対する強い憎悪と衝動だった。
──ああ、これが洗脳か。
ゲーム中では【闇の傀儡】と呼ばれていた状態だ。
戦闘中のモーションも覚えている。
敵になった途端、ステータスが倍以上になって知らん技や術を連発されて焦ったっけ……。
『って、呑気に思い出している場合じゃない。抗わなきゃ、意識が、消える──!』
必死に抵抗しようとした瞬間、胸の辺りが焼けるように痛み出した。
熱い。痛い。
そこを手で押さえようとしたはずなのに、僕の意思を裏切り、右腕が勝手に動く。
いつの間にか鞘から抜き放たれていた剣。
その刃先は真っ直ぐ──親友の胸元を捉えていた。
「行くぞ我が傀儡よ、まずはそなたの大切な者から」
『違う! 僕じゃない……これは僕の意志じゃない!』
体が勝手に動こうとするのを、歯を食いしばって右腕を制そうとする。
全身の筋肉が悲鳴を上げるほど、全力で抵抗する。
──なるほどそうか! これが原作の裏設定か……。
洗脳された時点で完全に自我が消滅するわけではなく、一定時間は抵抗可能な場合もあると攻略サイトに書いてあった気がする。
ただ、レベル差がありすぎて最終的に敗北するのがお約束だけど……。
だけど僕は知っている。
ここで主人公パーティが勝つ方法を。
『あと2ターン耐えればいいだけだ』
そして次の戦闘準備フェーズで【闇の封印の書】を使う。
『あれ? それは本編後半のアイテムか……』
「なんだ? 素直に従えば楽になれるものを。無駄な足掻きだと言うのに」
魔王の声が嘲笑に変わる。
『僕の異変に気づいたのか?』
「ふむ……なかなか面白い個体だ。通常ならば即座に思考が停止するものだがな」
魔王ユラシーズは漆黒のローブを翻しながら、一歩また一歩と近づいてくる。
その冷たい目は、僕の内なる抵抗を見透かしているようだった。
「愚かにもまだ抵抗しているな。良いだろう、せめてもの情けだ。そなたが今、どんな状況にあるのか教えてやろう」
指をパチンと鳴らすと、魔王の背後には玉座のように巨大な岩石が現れ、彼はそこに優雅に腰を掛けた。
趣味の悪い髑髏が付いた長い杖を床に突き刺し、まるで教師が生徒に講義するかのように語り始める。
「【呪縛の鎖】は単なる催眠術ではない。対象者の魂と肉体を分離させ、魂の奥深くに潜む最も強い想いを逆転させるのだ」
魔王の言葉に合わせて、僕の胸の中から黒い霧のようなものが渦巻き始める。
「そなたの場合は『友情』だろうな。救世主への強い絆こそが、そなたをここへ導いた理由だ」
ちくしょう……図星である。
恋愛ゲームや戦略ゲームばかりしていた前世の私にとって、この純粋な友情関係こそが新鮮だったからこそ、このゲームに没頭できたのだ。
「だが安心しろ。これ以上抵抗しても無意味だ」
魔王が杖を振ると同時に、僕の意識が再び揺らいだ。
「この術の真髄は『忘却』と『捏造』にある。そなたは今まさに、己の過去を書き換えられている」
遠くから救世主であるイヴェットの叫びが響く。
「やめろ! エルニアを解放しろ! お前の目的は俺だろう、エルニアは関係ない!」
魔王はその声に、楽しそうに応えた。
◇
「わざわざ説明するまでもなかろうと思っていたが……まさか預言されし救世主殿が、ここまで想像力に欠ける凡俗であったとはな」
魔王は、今まさに術に抗おうともがき、苦痛に歪む僕の顔を覗き込む。
「いいか、この術はお前を絶望させるための『手順』に過ぎなかった。……だが、まさかこれほど素晴らしい『イレギュラー』が起きるとは、私もうれしい誤算だったよ」
その瞳は、新しい実験動物の異常行動を一片も逃さまいとする、冷酷な研究者のそれだった。
「通常の個体なら即座に精神が崩壊するはずの負荷。それに耐え、あがく。あぁ、実に素晴らしいサンプルだ。これほどの熱量を持ったデータが、まさか、救世主イヴェット──お前の前座から得られるとはな」
未知の新種を発見した研究者のように、狂おしいほどの好奇心で僕を見つめる魔王。
その歪んだ歓喜の言葉自体が、不可視の衝撃となって洞窟を揺らし、イヴェットが絶句する様子が視界の端に映った。
「元より【呪縛の鎖】は、心が完全に折れた者にしか効果がない致命的な欠陥がある。だからこそ私は、お前の心を折るための『最高の舞台装置』を欲していたのだ」
魔王の言葉に、ハッと脳裏が冴える。
確かにゲームでも、洗脳された仲間たちは皆、精神的に極限まで追い詰められた状態だった。
……いや、待て。それなら今、術をかけられている僕の心はまだ折れていない。
つまり、まだ僕にはチャンスがあるということか!?
「そこで私は観察していた。貴様たち二人がどれほどの絆で結ばれているかを。救世主を傷つけようとする度に、誰が身を挺するのかを。
そして確信したのだ。お前だエルニア。必ずや友を守るために立ち塞がると」
ユラシーズが杖を高く掲げると、僕の足元から紫色の魔法陣が浮かび上がる。
「見事だったぞ。私の計算通りに動いてくれて」
思わず拳を握り締めた。
魔王が僕たちの行動パターンを完全に把握していただなんて……ゲームでは語られなかった事実だ。
というか、元々のゲームで魔王と救世主は、このシーンでこんなに言葉を交わしていただろうか。
まるで、ゲームのシナリオそのものが、魔王の『実験』によって書き換えられているかのような──。
◇
魔王が愉しげに拍手を鳴らす。
それを合図に、僕の頭の中に情報が洪水のように流れ込んできた。
前世の記憶、イヴェットとの思い出、そしてこれから起こるはずのゲームのストーリーが、ドス黒い何かと混ざり合っていく。
何だこれは……洗脳の過程なのか?
いや、違う。直感が激しい警鐘を鳴らす。
これはそんな生易しい術ではない。
私の頭の中にあったゲームの知識そのものが、今まさに根底から破壊され、ありもしない【新たな設定】へと書き換えられようとしているのだ。
「プランBといこう」
その言葉が、脳内に直接響き渡る。
「そなたの抵抗は実に素晴らしいデータだが、これ以上の遅延は好まない。故に──そなたの『友への想い』を反転させたその器に、もう一つ、極上のスパイスを足するとしよう。この世界への復讐心だ」
「やめろ! エルニア……お願いだ!」
イヴェットの顔が恐怖に引き攣る。
親友の必死の叫びに応えたくても声が出ない。全身が鉛のように重い。
復讐心だって……!? そんな設定、元のゲームに存在しただろうか。
激しい眩暈 の中で必死に記憶を漁る。
まさか、私の知識が不十分なせいなのだろうか。
ネタバレを嫌ってストーリーの回収を急ぐあまり、重要なサブイベントを逃してしまったツケが、今ここで回ってきたというのか。
それとも、魔王が今この場で、私の記憶を材料にして【裏設定】を捏造しているのか──!
ユラシーズの杖から放たれた、先ほどとは比較にならない禍々しい黒い波動が僕を包み込む。
熱い……そして冷たい……相反する感覚が体内で暴れ狂う。
「さぁ、答えろエルニア。そなたは何のために戦う?」
問いかけられた瞬間、かつて幼い頃にイヴェットと交わした約束が、鮮明によみがえった。
《どんなことがあっても俺たち/僕たちはずっと一緒だ》
その大切な約束すら、急速に黒い衝動へ塗りつぶされていく。
そうだ、私は……いや、僕は──。




