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第8話 職人の共鳴(エポワスと無花果のタルト)

仕込みを始めたばかりの「Le Fondue」に、威勢の良い、けれどどこか苦労の混じった声が響いた。


「おう、総ちゃん。精が出るな!」


店の入り口に立っていたのは、近所で長く暖簾を守っている「寿司勝」の大将だった。


使い込まれた前掛けを締め直すその動きが、一瞬だけ止まる。


「寿司勝の大将。腰の具合いかがですか?」


総一郎は、熟成庫から取り出したばかりの大きなチーズを台に置き、顔を上げた。


大将は「イテテ」と苦笑いしながら、腰をトントンと叩く。


「いやぁ、寄る年波には勝てねぇな。昨日、いい穴子が入ってさ。また、ちょっと張り切りすぎちまったよ。お前さんとこのチーズみたいに、じっくり寝かせて治りゃいいんだが、俺たちの商売はそうもいかねぇ」


「無理はいけませんよ。バルも近いですし、大将の握りを楽しみにしている人は多いんですから」


総一郎が労いの言葉をかけると、大将は鋭い、けれど温かな職人の目で店内を見渡した。

「わかってるよ。……しかし、お前さんの店は相変わらず静かでいい。うちはガヤガヤしてねぇと落ち着かねぇが、たまにはこういう、時が止まったような場所でゆっくり一献やりてぇもんだな」


「ええ。いつでもお待ちしていますよ。……孤独を肴にしたい夜があれば、ぜひ」


総一郎が静かに微笑むと、大将は「へっ、相変わらずキザな野郎だ」と照れくさそうに笑い、持参した手土産の包みをカウンターに置いた。


「悪りぃなぁ、総ちゃん。……その、マグロの解体ショーの代わりなんて大役を、お前さんに押し付けちまって。そいつは腰をいわす前に、俺が気合い入れて仕込んだ穴子だ。……職人のまかないだと思って、後で突っついちまってくれ。」


寿司勝の大将は、申し訳なさそうに眉を下げた。


本来、バルの目玉は「寿司勝」による巨大マグロの解体ショーだった。


しかし、大将の腰の具合が悪化し、長時間の立ち仕事や重い包丁を振るうことが難しくなってしまったのだ。


「大将のせいではありませんよ。神宮様から、代わりを『Le Fondue』で……とお話をいただいた時には、流石に戸惑いましたけどね」


総一郎は、巨大なチーズの表面を丁寧にブラシで磨きながら答えた。


神宮様――この商店街の重鎮であり、バルの実行委員長。彼が、伝統ある寿司屋の代役として、まだ開店して日の浅いチーズバルを指名したことは、周囲を大いに驚かせた。


「今は、楽しみですよ。大将がマグロという一頭の命を捌くように、私はこの巨大なチーズという『時』を切り分ける。……ジャンルは違えど、お客様の目の前で素材と対峙する緊張感は同じですから」


「……そう言ってくれると助かるよ。お前さんの『チーズの解体ショー』、俺も腰を据えて見学させてもらうぜ。江戸前の職人とはまた違う、お前さんなりの粋ってやつを見せてくれや」


大将は、自分よりも一回りも二回りも若い総一郎の横顔に、一人前の職人としての誇りを見て取り、安堵の溜息を漏らした。


「ええ、お任せください。……大将が繋いでくれたこの舞台、最高の一皿で応えてみせます」


「なにか、召し上がっていってください。せっかくいらしていただいたんですし。お好きなスイーツお出ししますね」


総一郎がそう提案すると、寿司勝の大将は一瞬照れくさそうに頭を掻いたが、すぐにカウンターの丸椅子にどっかと腰を下ろした。


「おいおい、そんな気を遣わなくていいって……。だがまぁ、そうだな。お前さんのところの甘いもんは、うちの玉子焼きとはまた違った『洒落た味』がするからな。お言葉に甘えようか」


「……そうだ。大将には、これだ。エポワスというチーズを使ったタルトです。フランスでは『チーズの王様』とも呼ばれる、非常に香りの強いものですが……」


総一郎が差し出したのは、とろりと溶け出した、黄金色のタルトだった。


「ほう……。こいつはまた、強烈な匂いだが……。」


「おぉ! 口に入れた瞬間、まるで最高級の雲丹うにのような濃厚さが広がるじゃねぇか。これは寿司屋の俺も唸るぜ」


「ありがとうございます。クセの強さは、そのまま個性の強さ。大将のような一本気な職人にこそ、味わっていただきたかったんです」


総一郎がそう言いながら、大将のために淹れたての渋いお茶を差し出す。大将

はそれを一気に啜り、ふぅと満足げな溜息をついた。


「いいな。……孤独だの旨味だの、難しいことは抜きにしても、美味いもんは美味い。総ちゃん、あんたの腕は確かだ。バルの代役、自信を持ってやってこい。俺もこの腰をさっさと治して、客席からヤジを飛ばしに行ってやるからよ」


「はは、それは心強いです」


職人の背中と、若き店主の眼差し。

地下の店内に、温かな友情と決意が静かに満ちていった。





職人の共鳴:エポワスと無花果の濃厚タルト

「チーズの王様」とも呼ばれ、ナポレオンが愛したとされるエポワス。その強烈な香りと旨味を、タルトという小さな宇宙に閉じ込めました。

【材料】(小さめのタルト4個分)

エポワスチーズ:50g(マール・ド・ブルゴーニュで洗われた芳醇なもの)

タルト生地:市販のパイ生地、または全粒粉のタルト台

無花果いちじく:2個(スライス。乾燥無花果でも可)

【アパレイユ(卵液)】

生クリーム:50ml

卵:1個

パルミジャーノ(粉):小さじ1

仕上げ:黒胡椒、蜂蜜少々


【作り方:総一郎の工程】


「王の香り」を解き放つ エポワスの外皮を少し残しつつ、中身をスプーンで掬い取ります。その独特の「発酵臭」は、まるで上質な味噌や塩辛のような、和の職人も唸る「深み」を持っています。


層の構築 タルト生地にスライスした無花果を敷き、その隙間を埋めるようにエポワスを配置します。


火入れの「刹那」 アパレイユを注ぎ込み、200°Cのオーブンへ。表面が焦げる寸前、エポワスがとろりと溶け出し、アパレイユと一体化する瞬間を見極めます。


総一郎の助言:「焼きすぎれば香りが飛び、甘すぎれば食事になりません。この香ばしさは、寿司屋の『焼き物』にも通じる職人の勘が必要です」


仕上げ 焼き上がりに黒胡椒を強めに振り、ほんの一滴の蜂蜜で旨味を立たせます。


寿司勝の大将の反応


無言でタルトを口に運んだ大将。「んんっ!こりゃおめぇ」その瞬間、鼻に抜ける「マール」の香りと、熟成されたアミノ酸の爆発的な旨味に、思わず目が剥かれました。


「……ほう。この『癖』の強さ。これは、あれだ。……いい酒の、いい肴だ。ただのチーズじゃねえ。……職人が、三日三晩練り上げた『仕事』の味がする」


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