第23話「欠けた記憶、あるいは庭の広さについて」
「なんで、なんでこれがここにあるんだよ。」
さっき拾った写真を広げる。
「オーナー、おれ……きょう、もう上がっていい?」
その言葉に、厨房で片付けをしていた総一郎の手が止まる。時刻はまだ閉店準備には早
い。
「どうしたんですか。珍しいですね」
総一郎が振り返り、ジェイドの顔を覗き込む。
「……いや別に。ちょっと疲れたんだよ」
ジェイドは視線を逸らし、乱暴にモップを片付けた。
いつもの論理的な反論も、皮肉めいた毒舌もない。
その肩は、23歳の青年というより、どこか迷子の少年のように丸まっていた。
「……そうですか。それなら、先に帰って休んでいいですよ。ちゃんとシャワーくらい
するんですよ」
「わかった」
ジェイドは短く答えると、誰とも目を合わせないまま足早に店の奥へ消えていった。
「……ねぇ、翔さん。ジェイドくん、どうしたんだろう。あんなに素直に帰るなんて」
梢が不安そうに呟く。
「渡り鳥だって、羽を休める場所が必要です。……きっと彼の中にしかない“計算不可
能なノイズ”が溜まったのでしょうね」
翔は静かに答えた。
「熟成には静寂が必要です。……彼も今、自分という人間を熟成させている最中なので
しょう。意外と、あの子は気を使いますから」
夜の静寂が、ゆっくりと店内へ降りてくる。
「そういえば、オーナーとご親戚なんですよね? 仲良いですよね〜」
梢の屈託のない問いかけに、総一郎はグラスを拭く手を止め、遠い空を見るような目で
微笑んだ。
「ああ……。そうだよ。ジェイドが5歳くらいまでは、ちょくちょく会っていたね。庭で散歩してたらよく見かけてね。まぁ、それ以降は一緒の屋敷に住んでたし……彼はよく、私の後をついてきたんだ。ひよこのようにね。」
「へぇ……。庭で散歩〜」
梢は最初、ふんふんと頷いていたが、数秒遅れて動きが止まった。
「えっ、ええっ!? 待って。色々頭が追いつかないんですけど」
「ええ? 僕の説明、何かおかしかったかな?」
不思議そうに首を傾げる総一郎に、梢は食い気味に身を乗り出す。
「いやぁ……『散歩できる庭』って、何!? 総一郎さんのイメージからして、それって普通の家の庭じゃないですよね? 公園レベルの広さがあるお屋敷ってこと??」
「さあ、どうだったかな。子供の足には、少し広すぎたのかもしれないね」
総一郎は煙に巻くように笑うと、カウンターに置かれたジェイドの飲み残したコーヒーを、音もなく片付けた。
その優雅な所作一つ一つに、隠しきれない「育ち」の良さが滲む。
――店の裏手、自室。
ジェイドは震える手で、ポケットから一枚の写真を取り出した。
「なんで……なんでこれがここにあるんだよ」
それは掃除中、店の隅で偶然拾った古い写真だった。
色褪せ、角の丸まった一枚。
写真の中では、笑う男女の間に、小さな男の子が立っている。
「父さま……母さま……」
その声は、今にも壊れそうなほど小さかった。
――その頃。
「はい。どうやら事故ではない可能性があります。ですが、現段階ではこれ以上の進展は難しいかと」
電話口であかりは淡々と報告した。
「……そうですか。報告ありがとうございました」
総一郎の父は静かに通話を切る。
「ふぅ……ジェイくん。君に、いい知らせができればと思っていたのですが......」
誰もいない部屋に、ため息だけが落ちた。




