第22話「空腹は論理を超えて(重層グラタンの誘惑)」
カランカラン、とドアベルが鳴り、華やかな、けれど少しだけトゲのある空気が店内に流れ込んだ。
「こんにちは〜」
「……げっ。なんでおまえ来たんだよ」
カウンターで発注リストをチェックしていたジェイドが、露骨に嫌そうな顔で顔を上げた。
そこに立っていたのは、サングラスを頭に乗せ、派手なスカーフを巻いた美咲あかりだった。
「あ〜ら、失礼ね。私、お客よ〜。客をバイナリデータみたいに追い払わないでくれる?」
あかりはジェイドの横にどっかと腰を下ろしたが、その足取りはどこか重く、メイクの下の肌も心なしかくすんで見える。
「いらっしゃいませ。美咲さん。……な、なんだか、随分とお疲れのようですね」
奥から出てきた総一郎が、彼女の顔を見て思わず声をかけた。
「そうなのよ〜。わかる〜? 総一郎さん」 あかりはカウンターに突っ伏すようにして溜息をついた。
「まぁね。なかなか都合がつけにくくって……」
「というと?」 梢が心配そうに身を乗り出して尋ねる。
「ま、まぁ……とにかく!仕事が忙しいの 今は細かい話抜き! 疲れが吹き飛ぶような、最高に美味しいものお願いできる〜? 心の空き容量がもう、一桁ギガバイトなのよ」
あかりは力なくジェイドを指差して笑ったが、その瞳の奥には、いつもの気の強さとは違う、切実な疲労が滲んでいた。
「……ふん。システムがオーバーヒート寸前ってわけか。オーナー、こいつには糖分と脂質、それに脳を覚醒させる強烈な刺激が必要だ。……俺が23歳の『にーに』として、特別にセレクトしてやってもいいですよ」
「……ジェイド、君は黙っていなさい」 総一郎は苦笑しながら、あかりの前に静かに冷えた炭酸水を置いた。
「分かりました。美咲さん。あなたの疲れを『リセット』するのではなく、優しく『上書き』するような、特別な一皿をご用意しましょう」
総一郎が向かったのは、熟成庫のさらに奥。そこには、疲れた心に火を灯すための、ある「情熱的なチーズ」が眠っていた。
「わかりました。今のあなたに必要なのは、繊細な味覚の探求よりも、本能を揺さぶる『がっつり』とした力強さですね」
総一郎が厨房で腕をまくる。あかりが求めているのは、疲れを癒やす静かな一皿ではなく、明日へのガソリンとなるような重厚な料理だ。
「ジェイド、オーブンの予熱を。梢さんは、ジャガイモの準備を。……美咲さん、今日作るのは、フランス・オーヴェルニュ地方の、魂を震わせる一皿……『真実のアリゴ・グラタン』です」
通常のアリゴは、ジャガイモにたっぷりのチーズを練り込んだ餅のような料理だが、総一郎はそれを「がっつりとしたメインディッシュ」に昇華させた。
【本日の一皿:黄金の重層アリゴ・グラタン】
ベース: ニンニクとバターを効かせた濃厚なマッシュポテト。
チーズの奔流: そこに、まだ熟成の浅い、力強い酸味と弾力を持つ『トム・フレッシュ』を大量に投入し、腕がちぎれるほど練り上げる。
仕上げの魔法: 耐熱皿に盛り、その上にさらに厚切りの『モンドール』と、香ばしく焼いた厚切りベーコン、そして半熟卵をトッピング。
最終工程: 高温のオーブンで、表面がグツグツと沸き立ち、チーズが焦げた琥珀色の膜を作るまで一気に焼き上げる。
「さあ、お待たせしました。冷めないうちに、一気に召し上がってください」
目の前に置かれたのは、もはやチーズの溶岩湖。
フォークを差し入れると、アリゴが天井まで届きそうなほど、どこまでも、どこまでも力強く伸びる。
「……うわっ、すごっ! なにこれ、重い! でも……香りが暴力的に美味しそう!」
あかりが、はふはふと息を吐きながら、チーズの塊を口に放り込んだ。 ジャガイモの甘み、チーズの暴力的なまでのコク、ベーコンの塩気。
そして、後から追いかけてくる
ニンニクのパンチ。
「…………っ!!」
あかりは言葉を失い、ただただ咀嚼する。飲み込むたびに、枯渇していた体力が、細胞の隅々まで強制的に充填されていくような感覚。
「……はぁ。……生き返る。これよ、これ! この『太ってもいいから今すぐこれが食べたい』って背徳感! これが一番の栄養なのよ!」
「ハッ、完全にドーピングだな。あかり、その一口で、あんたの脂肪燃焼計算式は完全に破綻したぞ。……まあ、23歳の『にーに』として言わせてもらえば、それくらい食わねぇと、出版業界なんて魔境、生き残れねぇってことか」
ジェイドが呆れ半分、感心半分に肩をすくめる。 あかりは、口の周りにチーズをつけたまま、不敵に笑った。
「うるさいわね、にーに! 明日から、また泥臭い仕事も、これで戦えるわ!」
あかりは、毒舌を吐きながらも生き生きと働くジェイドの姿を、眩しそうに見つめる。
あかりは、手渡された炭酸水を一気に飲み干した。
窓の外、夜の帳が降りる頃。 『Le Fondue』の厨房からは、香ばしいチーズの匂いと、活力を取り戻した編集長の笑い声が、いつまでも響いていた。
閉店後、あかりが座っていたカウンターの足元を掃いていたジェイドが、モップの手を止めて眉をひそめた。
隙間に、見慣れない紙片が落ちている。
拾い上げたジェイドの手が、小さく震えた。
「なんで、これ…」
ジェイドの手には一枚の写真。
◇◇◇◇◇
黄金の重層アリゴ・グラタン(総一郎・真のレシピ)
【材料】(総一郎のこだわり)
マッシュポテト: にんにくとバターの香りを限界まで叩き込んだ濃厚なベース。
トム・フレッシュ: 熟成前の希少なチーズ。これがあの「奔流」のような弾力を生む。
モンドール: チーズの真珠。仕上げに乗せることで、独特の香りとトロトロ感をプラス。
厚切りベーコン & 半熟卵: 食べ応えと、黄身による「黄金の追いソース」。
【ここが「真」のポイント!】
腕がちぎれるまでの練り:
「トム・フレッシュ」を投入したら、一瞬も休まず練り上げること。これでじゃがいもとチーズが完全に一体化して、あの「どこまでも伸びる」アリゴになるの。
モンドールの贅沢使い:
アリゴの上にさらに「モンドール」を厚切りで乗せるなんて……。総一郎さん、あかりさんのために本当に奮発したんだね。
高温一気焼きの「琥珀の膜」:
表面を焦がすことで、香ばしさがチーズの酸味を引き立てるの。
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黄金の重層アリゴ・グラタン
【材料】(1人分)
ベースの具材:
ミートソース(挽肉たっぷりのもの):150g
ペンネ(固めに茹でたもの):50g
黄金のアリゴ(チーズマッシュポテト):
じゃがいも:中2個
バター:20g
牛乳:50ml
モッツァレラチーズ: 100g(刻んだもの)
にんにく(すりおろし): 1/2片
仕上げ用:
チェダーチーズ: 30g(黄金色の正体!)
パン粉、パセリ:少々
【作り方】
アリゴを作る
茹でて熱いうちに潰したじゃがいもに、バター、牛乳、にんにくを混ぜる。弱火にかけながらチーズを加え、餅のように「びよーん」と伸びるまで練り上げる。
層を作る(重層構造)
耐熱皿の底にペンネを敷き、その上にミートソースをたっぷり重ねる。その上から、1のアリゴを蓋をするように厚く盛り付ける。
黄金に焼き上げる
表面にチェダーチーズを散らし、230度のオーブンで表面がカリッと黄金色になるまで約10分焼く。
仕上げ
パン粉とパセリを振り、スキレットのままテーブルへ!




