トースタンフォール
「ええと、私、死ぬまでこのままだったりしますかね?」
『フェネール森林地帯は亜熱帯地方に属しており、気温と湿度がとても高いです。外出の際には日射病などに十分気を付けましょう』
情けない表情の私の姿を、カメラが許可なく写真をパシャリと撮った。機械であるカメラの声色から感情は推し量れないが、なんとなく笑っている様子が伺い知れる。普段なら蹴っ飛ばすところだけど、体がまともに動かなかった。
トースタンフォールの大樹の幹から垂れ下がる数本の蔦に絡まって、変な恰好で中空をぶら下がっている間抜けというのが、誰を言おう、今の私だ。
始まりは綺麗な景色が見れると教えてもらったのが切っ掛けだった。
フェネール森の奥にはトースタンフォールが何本もあり、その周辺の景色は息を飲むほどだと聞いたのだ。写真を生業にするものとしてはぜひ見に行かねば、と思ったのだ。
実際、なかなか迫力のある景色を見ることができた。トースタンフォールは見た目だけは普通の木なのだが、幹の太さと長さは倍以上、葉の横幅は普通の木の5倍くらいある大樹だった。これだけでも一見の価値はあった。
そして特徴的なのが、枝から垂れ下がる何本もの蔦である。
蔦には樹液が滴っており、常にヌラヌラと濡れている。触るとベットリと樹液がつき、舐めるととても甘くて美味しい。
甘い樹液に誘われて、トースタンフォールの幹の近くにはたくさんの虫や小動物がいる。葉によって太陽光が遮られており、下草はあまり大きくなっていない。
おそらくトースタンフォールの果実なのだろうか、丸い実のようなものが何個か転がっていた。
小さな雑草の生えた木漏れ日の広場に、小さな動物たちやチョウや花が咲き乱れる様は、確かに幻想的と言える光景だった。
だが、正直なところ疑問が残る。私は蔦に絡まって逆さまに浮いたまま、首を傾げた。
「確かに綺麗な光景だけど、息を飲むほど、ではないなぁ……」
『心の綺麗な者にしか見えない服なのだ! 王様の素晴らしい服を見えない者は心が汚いのだ!』
足が届かないというのは実にもどかしい。私を無視して周囲をいろいろ撮影しているカメラを睨みつける。
トースタンフォールの幹の根元にできた広場は、確かに素敵な光景だった。横になれるほど大きなベンチを用意して単行本でも1冊持ち込めば、何時間いても楽しめるだろう。
しかし、息を飲むほど綺麗な光景か、と聞かれたら返答に困る。正直、滝を逆流するヘルベイアの群れやサグラスパイダーの巣の方がよっぽど素晴らしい光景だった。
言ってしまえばインパクトの薄い光景なのだ。私は情報をくれたおじさんの嫌らしい顔を脳内で2,3発殴っておく。
「間違った情報を教えられたのかな? いや、間違いというより過大な情報ってところかな?」
『納豆のネバネバ成分は、ナットウキナーゼと言って、健康にとっっっても良いんです!』
「うっ……その通りです。ネバネバにやられました……。情報の精査を怠った結果がこの情けない姿なら自業自得か……」
カメラの指摘に素直に頷く。私は情けない恰好のままため息をつく。
トースタンフォールの蔦に染み出している樹液は、意外と粘着力があるようで、かなり体にくっついてくる。
広場に入って一休みしようと蔦を片手で退けたのだが、そのとき袖に蔦がへばりついた。振りほどこうとして反対側の手で触ったら、今度は別の蔦に手がくっついた。
手で引っ張ったら袖の部分が取れたけれど、垂れていた蔦が連動して動いてしまい、今度はお尻と肩と後頭部に蔦がくっついた。そうやって1か所剥がすたびにそれ以上の場所に蔦が絡まってしまい、気付いたら宙づりになっていたのだった。
もう下手に動かない方がいい、と思って私はどうやって逃れようか悩んでいるところだった。
カメラは手がないからナイフを使って助けてくれる、というわけにはいかない。私が自力で逃げなきゃならないけど、すでに右手は蔦がグルングルンとくっついて動かしようもない。左手一本で何とかしないといけなかった。
「……はぁ、どうしたもんかねぇ」
『あおーげばーとーとしー、わがーしのーおんー♪』
煽るカメラをなんとかして蹴っ飛ばしたかったけれど、足が頭より上にある。蹴っ飛ばすどころか地に足をつけることすらできなさそうだった。
蜜がべっとり衣服に染みてきて気持ち悪いことを除けば、日陰で涼しく居心地が良い場所であった。なのでのんびり脱出する方法を模索していた。
物音。背後を振り向……こうとしてできなかったので、小さい声でカメラに質問する。
「何か来た?」
『我が社はアットホームな職場です。親切丁寧に指導します。必要なのはやる気と笑顔、未経験者歓迎!』
安全なのか危険なのかわかりづらい返答をもらった。私は首を捻ってなんとか背後を確かめようとする。今度は頬に蔦がベチャリとくっついた。
背後にいたのはブレーナーだった。ネコ科の動物で、小型の動物を捕食するハンターである。全体的に身体が細長く、やたら前足が長いネコである。はっきり言ってあまり可愛くはない。
それほど危険な動物ではないことを確認して安堵した。蔦に捕まってる状態で危険な動物に鉢合わせたら助からなかっただろう。ただ、トースタンフォールの根元の広場にいる小鳥が狙われているのだろうな、と思うとちょっとだけ嫌な気分ではあった。
ブレーナーは草陰に隠れながら小鳥を狙っていた。細長い体を駆使して小さい草花の中にも紛れ込んでいる。さすが野生のハンターだ、と感心する。
しばらく様子見をした後、ブレーナーが小鳥に向かって飛び掛かった。その動きは素早く、鋭い。
素早い体よりさらに素早く長い前足が動く。小鳥めがけて鞭のようにしなり、残像を残して腕を振りぬき、小鳥を捕えたかと思ったら、ブレーナーは空を飛んでいた。
「あ、間抜けだなぁ」
『人の振り見て我が振り直せ』
カメラが的確な皮肉を言ってきた。私は「うっ」と言葉に詰まる。
ブレーナーは私と同じように、トースタンフォールの蔦に絡まれていた。勢いよく飛び出したからか、それとも赤い体毛に蜜が絡まりやすいからかわからないが、私以上に酷く蔦が絡まっていた。
ブレーナーも驚いているのだろう。とにかく逃げようともがき続ける。
獲物だった小鳥たちはもう逃げてしまったが、そんなのお構いなしなのだろう。宙づりにされたまま前足も後ろ脚も、牙まで使って大暴れしていた。
しかし、トースタンフォールの蔦は良く絡む。現在進行形で実体験している私にはよくわかる。
暴れれば暴れるほどブレーナーの体は蔦塗れになり、どんどん体の部位が蔦に覆われていき、最後には顔も完全に埋まってしまって、ブレーナーの姿が完全に蔦に覆われてしまった。その姿はまさしく蔦団子といえよう。
呼吸ができなくて辛いはずなのに、いや、呼吸ができないからこそブレーナーはより激しく暴れだす。しかし暴れれば暴れるほどトースタンフォールの蔦が撒きついていき、蔦団子の大きさは大きくなっていった。
空中でポンポンと賑々しく動いていたブレーナーの蔦団子は、だんだんと動きが鈍くなっていき、最後には完全に動きを止めてしまった。7本の蔦が何重にも巻き付いて、ブレーナーの5周りくらい大きい塊になっていた。
「……ええぇぇ……」
私は絶句した。ブレーナーの姿を見つけたとき、もしかしたらこうなるかなぁとは予想していたものの、本当にこうなるとは思わなかった。私はブレーナーの蔦団子を見て確信する。
……トースタンフォールって、もしかして肉食動物を捕食する樹なの?
先程の根元の広場を見直す。小春日和の穏やかな木陰の広場に、先程逃げた小鳥や虫たちが戻ってきていた。
そして彼らの間にある丸い何か。最初はトースタンフォールの実かと思っていたけれど、これは間違いなく蔦団子の成れの果てだった。
恐らく、だけれど、トースタンフォールはブレーナーのような動物を蔦で捕まえて、その後蔦ごと地面に落として肥料にするのではないか。動物の死骸の肥料を自分で作る樹がトースタンフォールなのではないか。
私もこのまま蔦塗れになってしまうと、トースタンフォールの肥料の仲間入りだろうか、と。
私は息を飲んだ。
「ちょ、ちょっとヤバイ、かも! た、助けて! お願い!!」
『師走でお忙しい方も多いでしょう、猫の手も借りたいほどだとおっしゃっていた方もいらっしゃいました』
「ああっ、手がない! ナイフ、ナイフがあれば! 私の手持ちのナイフは右手が使えないから出せない! バックパックになかったっけ!?」
『忘年会シーズンだということで、新社会人たちは仕事をしながら隠し芸を仕込むのも大変だそうです』
「仕込んでないっけ? じゃあなんとか右手を動かしてナイフを……ああっ、今度はオデコに蔦が!!」
私とカメラは二人でてんてこ舞いしていた。
結論を言うと、何とか脱出できました。
情報をくれたオッサンに「確かに息を飲む光景でしたよ」と全身から蜜の匂いをさせながら私は苦情を言いに行った。
豆知識「トースタンフォールの蜜は甘くて美味しいが、摂取しすぎるとお腹を壊すので注意」
10話更新して満足したので、しばらく更新しません。何か良い案が思いついたら追加を書きます。




