05-5
半透明の男は嘆き悲しむ老人の前で、朧になって消えた。
「ねぇ貴堂。今のは〈人〉なのですか?」
姫君は貴堂の左腕を抱きしめたまま、呟く。脇腹のケガをフォローしてくれているのだ。
「本当に今のは、人の霊魂なのでしょうか」
貴堂は返事が出来なかった。どうなの、と聞かれても困ってしまう。
「違いますよね。あんな存在、人の霊とは違うわ」
顔と耳が、熱い。なんだか凄く恥ずかしい。
心の端でちょっとだけ、考えただけなのに。
貴堂がチラリと考えた何倍もの事を、半透明の男は語った。
半透明の男は、貴堂の予想を超えた反応をしたのだ。
――何か昔、これと似たような事あったなぁ。ミドルネームに止めとけ、って言われたんだっけ。
「もぅ、貴堂ってば……」
腕をくいくい、と引っ張られ、貴堂は落ち着こうと息を吐いた。
そして、改めて呼吸を再開する。
「俺はあのジィさん、許せないですから。地獄を味わってもらうんです」
「え?」
「俺達の目から見れば、あんな生き方しか出来ないあの人は、充分地獄に落ちてると思ってしまうけど、でも違うんです。地獄って、それを味わうためには〈心の中〉にそれを作るしかないんです」
「どう言う事ですか」
「うーん……何て言うのかな。自己嫌悪って分かります? 自分で自分を責める事でしか、地獄は成就出来ないんですよ。いくら激しく他人から責められても、心が痛みを感じなければ何も無い事と同じですから」
「何も無い事と同じ……そうですね、確かに。その生命を奪っても、それはそれで終わりですものね」
「死後の事がどうなってるのか俺には分からないけど、でも、単に殺して終わりになんて出来ない。生き続けて、地獄の苦しみを味わいながら、全世界を虐め殺してくれた償いを受けてもらうんです」
「じゃあ、その為の」
「仕掛け、です。精霊達が砕いた黒いシルエットを〈本人の悪意〉ではなく、〈他人からの嫉妬〉にした事もね。でも、こんな鮮やかにあの場に現れるなんて」
『オイオイ。何を今更疑問に思ってるんだよ』
その声に貴堂はハッとした。
そして、振り向く。
そこに居たのは〈マシュー〉だった。
昔、自分を交通事故から助けてくれたあの〈マシュー〉だ。
クリーム色の髪で、瞳は水色。深緑色のスーツジャケットに白いシャツ、黒いタイが襟で結ばれている。コートはチョコレート色だった。
年齢は……やはり未だに高校生くらい。
あの頃と全く同じファッションだが、少しも色あせていない。
逆に、鮮やかさは増しているような気がした。
時代に合わせてちょっとずつ、デザインや色をマイナーチェンジしているのかも知れない。
でも基本的に、そのファッションを気に入っているのだろうな。
『リアルな幻の再現行為は、お前、得意だったろ』
――得意? そんな認識でいいのかアレ。
『おい、ソーサラー』
〈マシュー〉がカードの男を手招きする。
男は〈マシュー〉が見えるのだろうか。指示通り、こちらに来た。
『お前、ヒロが今夜受けた影響の事を知っているのだろう? ちょっとオレに説明してみろ』
男の話を聞きながら〈マシュー〉は時々、頷いている。
視線が時々星空に向けられるけれど、表情はニヤニヤしてて感じが悪い。と貴堂は思った。
だいたい、自分だけ言葉が分からないので面白く無い。
『へ~え、ラッキーチャイルドねぇ。面白いモノを見つけ出すな、人間は。統計学と言うのなら、時を重ねた方がデータも集まるしな。ははっ』
そう言えばそのラッキーチャイルドとか言う単語、彼らの会話で聞いたっけな。
『お前、名前は何て言うんだ? リカードか。なぁリカード、お前、あの男と一緒に水龍の裁きを受けようとしていたが、それ、責任の取り方として意味無くないか?』
リカード、と言う名前らしいカードの男は、少し驚いたような顔をして〈マシュー〉を見ている。
『その気の毒なラッキーチャイルドとやらを放置するのはマズいだろ、お前達が保護者のくせに、女の子を突然、ひとりぽっちにしてしまうなんて』
リカードは少し俯いた。そして一言ふたこと、呟く。
すると〈マシュー〉がこっちを見た。ニヤニヤしたまま。
「な……何だよ……っ」
でも貴堂の問いかけには答えず、再びリカードの方を向いて。
『あいつなぁ~。リカードが思ってるより全然ガキだし、期待するな』
――ちょっと。まさか俺の事言ってるのか? やめてよ、本人を前にして噂するのは。
しかも〈マシュー〉からの評判がよくないみたいだし。
――悪かったな、ガキで。ほんとカンジ悪い……。
胸の中がモヤモヤする。
目の前で繰り広げられている会話に参加出来ないって、凄くストレスだ。
『そりゃ繋がってしまったのなら、いつかは巡り会うだろうよ。でもリカードに出来る精一杯、ケアしてやれよォ。見知らぬ日本人より、一緒に過ごして来たお前の方がその子もいいに決まってるしサ』
――見知らぬ日本人って、俺、だろうな。やっぱ。俺にどこかの子供の面倒でも押しつけようって計画があったのか? 勝手だな。
「姫君、帰ろう」
「はい?」
「あいつらの話に付き合う必要は無いだろ。って、今何時だ……終電行ったとか無いよな、まさか」
そう言いながら貴堂はポケットに手を入れた。
水に濡れたり上昇したり地面に倒れ込んだりしたが……携帯、大丈夫だろうか。
気づけばいつの間にか水の放出は止まり、水龍の姿も無かった。
民家に飛び火した火事も消え、消防車や救急車もいつの間にか居なくなっていた。
人間の世界の騒ぎも一段落していたのだな……。
ギリギリ、終電に飛び乗れた。
さすがに人は少なくて、座り放題だ。
扉近くのシートに、姫君と一緒に座った。
夜遊び帰りの若いサラリーマンや大学生、高校生もそれなりに乗っている。
貴堂はひとまず、携帯を手にした。
冬なので厚着していたのが幸いしたのか、携帯は無事である。
着信ランプが点灯していたので履歴を確認したら、自宅からの着信が何度も入っていた。
貴堂は「怒られる」と気づき、ゾッとした。
さすがにここ最近は強烈に怒られるような事はしていなかったが、これはさすがにヤバい。
久々に激怒しているだろう。
深夜零時を回っても帰宅しないどころか、電話さえ無視し続けたのだ。
どれ程に怒っているか分からない。
殴られる事も覚悟しなければ。
――しかもこのケガ……言い訳も思いつかないぞ。
あんな事をした割には軽症で済んだのだが、出血はしたので、制服は汚れた。
血だけではない。コートは焦げたし、全身水に濡れたし、転げたし、もうドロドロだ。
——考えてみれば今の俺、ヒッドいヨゴレだよな。ここに座ってるのも申し訳ないわ。
——でもかなり乾いてるから、許してくれ。泥遊びして来たわけじゃないんだ。
自分なりに一生懸命、頑張って来たのだ。
——せ、洗濯はもちろん自分でするから……!
イメージの中の母親に、何度も言い訳をする。
「ど……どうされたのですか貴堂。顔色が悪いですよ?」
「いや……まぁ。ははっ」
憂鬱過ぎて、説明する気にもなれない。
「それより忘れてたんですけど」
「はい?」
「姫君の先代の、さらわれた姫君。どうすれば連れ戻せます?」
姫君は数秒の間を置いて、にこっと笑った。
「きっともう大丈夫です。どのような状態にあるのかは分かりませんが、程なくして戻られると思います」
「……そ、そぅなの?」
「はい。リカードさんの話を聞いて、わたくしはそう思いました」
よく分からないけど、姫君がそう言うのならきっとそうなのだろう。
「なら、いいや」
「お疲れになったでしょう……少しお休み下さい。下車駅が近づいたらお声をおかけ致します」
「いやその……いいの?」
「はい。お疲れさまでした」
言われたから、と言うわけでもないのだが。
貴堂は突然の睡魔に襲われた。図々しいとは思うが、お言葉に甘えさせてもらおう。
貴堂はすぐさま、寝息をたてだした。
胸部が上下して規則正しく、深い呼吸だ。
「貴堂。お姉様が戻られれば、わたくしも再び地下へと戻り、目覚めの時を待つ事になります。あなたとお別れするのは、胸が引き裂かれる思いです」
姫君の瞳から、きらめきの粒が零れ落ちる。
眠る貴堂の肩に、泣きながら顔を押し付け。
「あの幼いあなたはもうきっと〈マシュー〉によって解放されたのですよね……なのにわたくし、未だにあなたの事が愛しくて愛しくて、自分でもどうしてよいのか分かりません。これでもまだ人は、この気持ちを〈同情〉と呼ぶのでしょうか。このような気持ちが、幼い子への〈同情〉なのでしょうか……」
ひっくひっく、と泣き続ける。
けれどその切ない言葉を、眠る貴堂が知る事は無かった。
「この涙はあなたへの愛情。あなたを思うわたくしの〈種子〉……どうか、あなたのお傍に居させて下さい」
姫君はその零れ落ちる透明な〈種子〉を、貴堂のコートのポケットへ——そっと忍ばせた。




