05-4
「本当にきみは凄いよ、ハドリー」
ハドリーはその優しげな声に導かれて、顔を上げた。
居るはずがない。
こんなに若いはずがない。
幻覚に決まっている。
ああ、だけど。
懐かしい……素の自分を、ただの学生だった頃の自分を友として受け入れてくれていた、アンソニー・オルムステッド。
まだ若い、あの頃のアンソニーがそこに立っていた。
これは幻だ。分かっている。
だってアンソニーの身体は半透明で、リカードが焼いた日本の土地が透けて見える。
灰と水でぐちゃぐちゃになった地面が、アンソニーの向こうに見える。見えている。
彼は淡く優しげに光り、聖書に出て来る天使とはこのような存在なのではないのだろうか。と思わせる清純な表情を浮かべていた。
「成功すればその大小に関わらず、妬まれるものだ。人はたとえテストで一点負けただけでも、あのような化け物をターゲットに向かって放つ事がある。それで挫折する人間は多いよ……挫折せずに成功を重ねる人は、化け物を放つ側の人が多いね。誠実に成功を重ねる人は極少数しか居ない。今の、きみのようにね」
友の言葉に、心が冷たくなる。
「……止めてくれ。私は取り返しのつかない事をしたのだ。遺伝子の汚染を世界中にバラ撒いたのだぞ。私の心は化け物だったよ、間違いなくね。でなければ〈悪魔の種子〉など、この世に生まれるはずはない」
「いや、違うよハドリー。確かにきみの行動は褒められたものではない。人の財を巻き上げ、苦しめ、もしかしたらどこかで生死にすら影響を与えただろう。けれど決して、きみの心の中から〈化け物〉は、放たれてはいない」
「何を、今更そのような事を。慰めてくれるつもりなら、もっと上手い嘘を頼む」
穢れを知らないようなまだ若々しいアンソニーの姿に、心がトゲトゲしくなってしまう。
嫌いになどなりたくないのに。
これ以上、そんな言葉で責めないでくれ。
「僕は友人であるきみに、嘘などつかないよ。きみの心はずうっと、あの真っ黒な化け物に覆われて、うずくまっていただけだ。だから、苦しかっただろう?」
アンソニーの言葉に、ハドリーの呼吸が止まった。
「〈あの子〉に砕かれたあの黒いシルエットは〈きみ〉ではない。その証拠に……ハドリー。きみはずっと孤独で、つらかっただろう?」
アンソニーの言う通り、就職したハドリーに友人など居なかった。
周囲に居るのは誰も彼も、ビジネスパートナーばかりだ。弱みを見せるどころか、常に上のボジションを誇示し続けねばならないライバルでしかない。
部下にだって、迷いやブレなど見せられなかった。
「きみが一番つらい時、傍に居てあげられなかった事を悔いている。いつの間にか住む場所も遠くなってしまっていたけれど、文通くらいは続けるべきだったね。きみの肩書きになど一切興味の無い人間として。ただの友人として」
「心が砕けそうになる、止めてくれ、アンソニー! 私はもう、きみに手紙すら出せないのだろう? 私がリカードに会った時、もうきみは亡くなっていた。そうだったよな!」
「そうだよ。孫と妻がお世話になったね、ありがとう。深く深く感謝している」
「だったらもう、優しい言葉は止めてくれ、お願いだ! 私がこうやってきみに会えるのは、夢の中と想像の中だけなのだから! 現実の中で相談も出来ない、触れる事さえ出来ないのに……夢の中のきみが優しければ優しい程、私は現実の冷たさを余計に強く感じざるを得ない……!」
よく肩を叩き合って笑っていたあの頃。
女の子に関するくだらない話題や映画の感想、最先端ファッションが紹介されている雑誌や車の雑誌、ボロボロのスニーカーや、ナゲットやコークに彩られていた青春時代。
音楽はもちろんロックばかり聞いていた。
全てがキラキラしていたあの頃、ずうっと傍にいた友達。
ハドリーを置いて、先に逝ってしまった親友。
「申し訳ないハドリー、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、きみがどんなに孤独を感じていようと、僕は〈これからも〉きみを見守って行くのだと言う事を伝えたくて」
「……!」
「きみはこれから、本当のきみの気持ちで会社を動かしてゆくんだ。従業員のため、製品を使ってくれる人々のため、きみはこれから生きてゆくんだ」
「既に引退した私に、どうしろと」
「では、何の為の肩書きなのだい? きみはM310社の〈会長〉なのだろう?」
ハドリーは小さく息を吸う。
「少なくとも報酬は貰っている、そうだね?」
ハドリーは、頷いた。
「ならば、何かはやるべきだ。それが社内の清掃なのか、汚染を収束させるプロジェクトの立ち上げなのか、食堂のメニューの充実なのかは、きみに任せよう。きみの考えで決めてくれ」
「アンソニー……」
「それがどのような答えでも、僕はそれを尊重するよ。きみが自分で考えて出した結論ならばね」
半透明に光っていたアンソニーの、輪郭がぼやける。
「最後に話せてよかったよ、ハドリー」
「あ……アンソニー、行くのか?」
「きみの未来を祝福しよう。満足のいく回答が出せれば、きっと上手く行く。そしてきみは今よりもっとずっと、幸せになれるよ。絶対にね」
最後にそのセリフを残し、アンソニーは光の雫となって消えた。
ハドリーは堰を切ったように号泣し、その場からしばらく立ち上がる事が出来なかった。




