02-10
『もっととんでもないのはな、お前のイメージの中には、お前の知るはずのない〈現実〉がチラリと、情報として紛れ込んでしまっている事だ。ななこちゃんのコートと、白い花のアクセサリーがソレさ。お前が〈知らないと言う現実〉を〈飛び越えてしまう〉のは、あってはならない事なんだ』
貴堂はギブアップの意味として、首を横に振った。
もう、何を言われているのかサッパリ分からない。
『いやまぁ、ななこちゃんのセリフだけは俺が小声でお前を誘導したんだけどな。はははっ』
貴堂は驚き、息を吸い込んだ。
――ははは、じゃないっ。
人の気持ちを弄ぶだなんて、酷過ぎるコイツ。
『でもサ、俺にこんな事を言われても、お前も困るよなァ』
貴堂はこくん、と頷いた。
『お前はまだ身体だって成長していないガキだから、現実問題としてさっきみたいに危ない。だからしばらく封印するんだ』
「ふういん?」
『手紙を入れて、封筒の封をする。すると、中の手紙はもう見られない。そう言う事サ』
「ふぅん」
『もしそれがお前にとって本当に必要な能力なら、封印していてもいつかは勝手に発動するだろう。でも今はまだ要らない。お前は勉強してごはんを食べて、成長する方が重要だからな』
「……わかった」
『へぇ? 分かったのか』
「だって、おかあさんといっしょのコトいってるんだもん」
男は「ぷ」と、小さく息を吹いた。
ニヤニヤして、イヤな目つきだ。
『勉強嫌いなのか』
どうだろう。そんなに楽しくはない、かな。
『成績いい方がカッコいいんじゃないか? ハリウッドスターが小学校時代のテストが三十点だったりしたら、カッコ悪いだろ。トップ争いしてる方が、カッコいいよなァ』
――そうかな。そうかも。
『まぁトップとまでは言わないけど、自分なりに頑張れ』
「……うん」
『よし!』
そう言ってその人から、頭を撫でられた。
結構強めに、乱暴に。
『ななこちゃんに再会した時、カッコいい自分になってろよ』
再会、出来るだろうか。
まぁ隣町だし、しようと思えば出来るか。
『じゃ、もうリアルな幻とはさよならするぞ』
彼の右手が、貴堂の眼前に迫って来た。
驚いて、反射的に目を閉じる。
その時、まぶたの上からふんわりと、あたたかい空気が目を通り越し、頭の中に入って来たのが分かった。
ぬくぬくと穏やかな、心地よい温度である。
冬の日に、とても気持ちいい。
『ああ、そうそう忘れてた。俺の名は〈マシュー〉な』
〈マシュー〉と言う単語に心がビクッ! として。
そのまま、数秒。
――……ん?
気づけばまぶたにはもう冷気が戻っていて、今まで感じていたはずの彼の気配が消えていた。
貴堂はゆっくりと目を開ける。
何と言う事だろうか。
もう周囲は真っ暗で、公園の中には誰も居なかった。
身体が思い切り冷えきっている。
「あ……あれっ?」
時間だってそんなに経っているはずはないのに、何だこれは!
「え……ちょっと。ひとりでこんなところでナニしてるの、おれ」
目を開けてから数秒は覚えていた〈彼〉の記憶もいつの間にか霧散してしまい、二度と思い出す事は無かった。
異国で傷ついてしまった〈あの時〉のリアルな夢も、もうほとんど見ない。
心の奥底に押し込められた感じだ。
もちろん忘れられたわけではない。
が、無防備な心の空白に記憶が勝手に蘇り、我を忘れるような事にはならくなった。
〈ただの思い出〉にレベルダウンしたのだ。
そして貴堂の生活は、家族や友達や、遊びや勉強。それら〈日常〉に統一された。
幽霊? 幽霊はまぁ、時折見る。
だって仕方ない。あれは貴堂がイメージで創り上げたモノではないし、忘れたい記憶でもなく、〈カーテン越しの単なる事実〉なのだから。
「俺は以前〈マシュー〉に会ってたんだ。交通事故から助けてもらったのを思い出したよ。そしてその時、俺の為に〈マシュー〉が封印を施した事もね」
「封印?」
「うん。だからきっと、姫君にはあの子を目覚めさせる事は出来ない」
「ならば、その〈マシュー〉になら出来るのですか」
「さぁ、どうなのかな。時が来れば勝手に戻る、とか言ってたよーな気がするけど」
「どうしてそんな状態で平気、なのです。自分の、貴堂の心よ、愛しくないのですかっ?」
「困らないから。あの子を目覚めさせれば、また俺はリアルな幻覚に生命を晒すのかも知れない」
「幻覚を見て交通事故に遭うなど、自分が悪いのです! 小さい子供ならともかく、貴堂はもうこんなに……大人、なのに」
姫君がこちらを見上げる。
人に化けた姫君より、貴堂の方が大きい。
確かにそうだ。
今更この年齢で幻を見たからと言って、自分の身さえ守れないなんてバカげている。
「そうですよね、俺がだらしなくて情けないから、姫君を泣かせてるんですよね」
「ち……違うの、貴堂。わたくし、そんなつもりじゃ……。けれどわたくしの心には様々な感情が同時に吹き出していて、自分でもよく分からなくて。だけど決して、あなたを責めたいわけじゃなかったのに」
貴堂は姫君に向かって、頭を下げた。
「俺には姫君の、胸の痛みの原因を解決する事が出来ません。許して下さい」
〈マシュー〉があの時、語ってくれた言葉を噛み締める。
『人は〈心に思い描く〉と言う事が出来る。お前はそれを自分の〈外〉に反映させられる。普通の人には出来ない事だ。でも、出来るからと言ってやってはいけない。いいかヒロ。もう止めなさい』
――幻覚、か。
それを解放したら、一体、どうなるのだろう。
あの時、わざわざ〈マシュー〉が姿を現したのは本当に、幼い自分の生命を守るためだけ、だった?
貴堂にその〈答え〉は、分からない。




