02-4
「さ、いらっしゃい」と優しく手を引かれ、洋館の中を歩く。
日本の家とは全く違う景色がそこにあった。
廊下ひとつとっても、全く違うのだ。
なんて天井が高いのだろう。物音が遠くまで吸い込まれ、うっすらと反射して戻って来る。
大きな窓が向こうのずうっと奥まで続いていて、とても明るいし開放的だった。
窓とは反対側の白い壁の中に、焦げ茶色の扉が幾つか並んでいる。
エリサが、ある部屋の扉の前で立ち止まった。貴堂も止まる。
鈍く光る金色の取手が回され、エリサが扉を静かに開けた。
貴堂の頬を撫でたのは、暖かな空気だった。
それがふわりと廊下に流れ出て来たのだ。
寒さで緊張していた肌が和みそうになった。
けれどそれも、一瞬の事だった。
そこはリビングのようであった。
応接セットやソファが並び、大人数がくつろげるようになっている。
マントルピースの下には暖炉の変わりにエアコンが設置されていて、暖かな空気はそこから吹き出されているようであった。
人が居た。
大人だけでも……十人くらいは居る。そして自分より年上の子供達が六~七人?
二十人近い人が居るのに、その部屋は沈黙していた。
そして、厳しい表情でこちらを見ている。
大人も子供も、男も女も、関係無く。
貴堂を睨みつけているのだ。
皆、目を吊り上げ、眉は憎しみを込めて歪んでいる。
貴堂は驚きと恐怖で、心に衝撃を感じた。
ぶん殴られたような痛みが、心を支配する。
意味が、分からない。だから余計に怖かった。
何だこれは。どう言う事だ!
頭が混乱して、心が叫ぶ。だが、身体は震えて身動き出来ない。
呼吸が、苦しくなっていた。
鼓動のひとつひとつが、痛い。
「さ、お入りなさい」
優しくエリサが背中を押して来る。
……この中に入れと言うのか。
――イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!
でも、声が出ない。
「寒いでしょ、ヒロ。さぁ中へ」
貴堂の身体は中に押し込まれた。
とん、と足が部屋の中に踏み込む。
それだけで息も止まりそうな恐怖に襲われた。
まるで、猛獣の檻に放り込まれたみたいだ。
「こんな……ただの子供じゃありませんか! まー、呆れましたわ、お義母様っ!」
「そうだよおば様っ。この国の子ではない、こんなチビのガキに、わけが分かりませんっ! 人を選ぶにしても、もう少し大きくなってから人格と言うか、そう言うもので判断するべきでしょう!」
何を叫んでいるのか分からない。
けれど、彼らの口々から憎悪に満ちた唸り声が発せられ、エリサに襲いかかっている。
貴堂は耳を塞ぎ、目を閉じてその場から逃げ出したかった。
あまりにもヒステリーな現場に、精神が耐えられそうにない。
なのに、身体が動かないのだ。
こんなに醜い大人達を見た事がない。恐ろし過ぎる。
――おとうさん! おとうさん! おとうさん! おとうさん! こわいよ、たすけてっ!
「我が一族の頭首にのみ認められる〈マシュー〉を、貴堂の孫に譲るなんてわたくしは反対です!」
「そうですわ。この世の果てにあるあんな小っぽけな国の、見窄らしい子供になど渡してたまるものですか」
キンキンとした声が鼓膜に突き刺さって来る。
エリサはロッキングチェアーに移動し、そこへ静かに座った。
膝掛けをすると、その上に灰色の猫が飛び乗った。
「……そう。あなた達にはあの子が〈そのようにしか見えない〉のですから、受け継ぐ資格は無いと言う証明です。どう言う意味か、分かるでしょう」
「分かるわけないじゃない。そりゃ大叔母様はあんな日本人を好きになって、結婚して、子供まで作って、その血筋の子だから可愛いくも思えるのでしょう。けれどこの土地で代々、私達が受け継いで来た誇り高きミドルネームですよ。それを、極東の日本人なんかに!」
エリサは、膝掛けの上に乗っている猫を撫でながらため息を吐いた。
エアコンで空気は温められ、集まった親戚達の顔色も紅潮している。
「ヒロ、こちらへいらっしゃい」
エリサが突然、こちらに話しかけて来た。
手招きをされる。
それと同時に、その場に居る全員がこちらに視線を移した。
怖くて、動けない。
怖過ぎて、涙も出ない。
動けない貴堂を、エリサがわざわざ迎えに来た。
自分を連れてチェアーに戻り、膝の上に乗せられる。
「生まれたばかりのあなたの写真を持っているわ、ほら。とても可愛いわね」
突然、携帯の画面を見せられた。
そこには両親と、生まれたばかりの赤ちゃんが映っていた。
これは日本でも見た事がある。その赤ちゃんは、自分だ。貴堂紘斗。
そこに映る父と、エリサは……そう言えば似ている。鼻の角度とか、目元のラインとか。
「とても可愛いわ。ね、ヒロ」
穏やかな口調でエリサは微笑んだ。
「ちょっと、お母さんっ!」
「お黙りなさい、みっともない。小さな子を前にして、恥ずかしいとは思わないの?」
「だけどっ」
「わたしはあなたを、そのような娘に育てた覚えはありません! 目の前に居る相手が誰であれ、礼儀とマナーも守れないような娘に、どうして〈マシュー〉が渡せますか! 今日のあなた達は酷過ぎますよ。自分を顧みて、反省なさい!」
文句を叫んでいた彼らの口が重くなり、数秒後、止まった。
「怯えているわね、可哀想に。あなたのお父さんを呼ばなかったのは、更なる混乱を避ける為だったのよ。あの子が混ざってこれ以上揉めたりしたら、目も当てられなくなるわ……今日は大切な〈マシュー〉を、ヒロに譲り渡す日なのに」
苦笑いを浮かべ、エリサは小さく息を吐いた。




