42話 地獄の始まり
目が覚めると、知らない天井が見えた。不思議に思い辺りを確認すると、用意された自室ではなかった。
ここは薄暗く、研究室に似た場所だった。
「聞こえるかい?早速で悪いけど、君にはここで戦ってもらう。一人ずつここに呼ぶからちゃっちゃと倒してくれ。正直神達が強くてね、あと何日か猶予があったけど巻きで行こう」
声が聞こえる方に傾けると、スピーカーが上の方にあった。その下には窓があり、窓の奥で楠田が俺を観察していた。
「さっさと連れてこい」
覚悟なら決めてきた、仲間である三人以外なら躊躇なく殺せる自信が俺にはあった。
「ではさっそく……」
後ろの扉から出てきたのは、以前花音と殺した化け物と瓜二つであった。
「わかっていると思うけど、それ元人間だから慈悲とか感じないでいいよ。むしろ殺してあげた方がそれのためだよ」
何も感じてないからか惨いこと平然と言う。どうせ自分が改造したくせに、こいつの感性は本当に狂っているとしか思えない。
「アアアアアア……ッ!」
辛うじて人の輪郭を留めた異形が、這いずるような足取りで迫りくる。先ほどまでの個体に比べ、その動きはひどく鈍い。
――今だ。
呼吸を整える暇すら惜しみ、俺はアニマを練り上げた。標的は目前の異形。放つのは、夜を焼き払う漆黒の流星群。
視界を白濁させるほどの閃光。鼓膜を蹂躙する着弾音。
致死量のエネルギーが化け物を呑み込み、戦場を濃密な爆煙が支配する。並の怪物なら、今の一撃で分子レベルまで蒸発しているはずだった。
だが、ゆっくりと煙が晴れるにつれ、俺の背筋を冷たい戦慄が駆け抜けた。
「……嘘だろ」
そこにいたのは、血の一滴すら流していない、無傷の異形。
間違いなく当たった。直撃の感触は、この右手に残っている。
正体を暴くべく、俺は一気に距離を詰め、鋼の刃を叩きつけた。
(――直撃! これならッ!)
手応えは確かにあった。しかしその刹那、視界が歪む。
化け物の拳が、俺の腹部を深々とえぐっていた。
「あが……っ、は……っ!?」
身体が宙を舞い、背後の壁に激突する。
肺から空気が絞り出され、腹と背中の双方から焼けるような激痛が突き抜けた。たまらず片膝をつく。視界の端が火花を散らし、意識が遠のきかける。
痛みに耐えながら、奴の正体を脳内で整理する。
斬った感触は、紛れもなく「人間」のそれだった。硬質ではない。ただ、あらゆるダメージを無効化されているような——いや、違う。
奴の肩口に、爪の先ほどの小さな、だが確かな「傷」が見えた。
(……覚えがある。この能力、まさか)
脳裏をよぎる記憶を、力任せに振り払った。今は考察より生存だ。震える足に力を込め、再び立ち上がる。
「……ここからは、泥仕合だな」
「アアアアアア!」
そこからは、地獄のような消耗戦だった。
斬っては殴られ、斬り返しては吹き飛ばされる。
骨が軋む。肉が裂ける。剣を握る手は感覚を失い、何度もその場に落としそうになる。
だが、疲弊しているのは奴も同じだった。
片腕を失い、全身の傷口からどす黒い血を撒き散らし、肩で荒い呼吸を繰り返している。
勝負は、ここからだ。
俺にしか使えない、この日のための必殺技で決着をつけよう。
「―――――骸の編み糸、『超再生』×『身体強化』×『速度上昇』×『限界突破』=『零距離の境界線』]
唱えた刹那、全身の血管が沸騰するような激痛が突き抜けた。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。意識が消し飛ぶよりも早く、俺は意識を「前」へと叩きつけた。
一歩、地を蹴る。
世界が静止した。
コンクリートの地面が爆ぜる音すら置いて、俺の身体は化け物を「通過」し、背後の壁へと激突した。
「いっ……てぇな。だが、感覚は掴んだ」
壁にめり込んだ脚に力を込め、跳躍。
化け物がこちらを振り向くよりも早く、俺はすでにその懐を通り抜けている。遅れて、奴の肩から鮮血が噴き出した。
壁から壁へ、天から地へ。
多角的な軌道で異形を切り刻む。
本来なら、一歩ごとに腕が、脚が、その負荷に耐えられず弾け飛ぶはずの神速。それを『超再生』が秒単位で修復し、強引に形を繋ぎ止める。
破壊と再生の無限連鎖。それは、命を削り、激痛を燃料にして走る狂気の必殺技だった。
化け物の残った腕が飛び、両脚が千切れ、削がれた耳が宙を舞う。
成すすべもなく、異形はその場に崩れ落ちた。
「アアアア……ア……」
静止した俺の視界の中で、化け物が泣いていた。
欠損した足さえ動かせず、無様に地を這うその姿を見て、俺はようやく戦いが終わったことを悟った。
――――楠田視点――――
一之瀬は、もはや肉塊と化した化け物を見下ろした。
あとは、喉元にその剣を突き立てるだけだ。この地獄に、確実な終止符を打つために。
だが、とどめの一撃を放とうとした刹那。
彼の動きが、糸が切れた人形のようにピタリと止まった。
振り上げた刃は、化け物の首元数センチのところで静止している。
激しく波打っていた肩が、不自然なほどに動かない。荒い呼吸すらも、喉の奥で無理やり押し殺したかのように。
一之瀬君は動かなかった。いや、動けなかった。
ただ、目を見開いたまま、地を這う異形の「何か」を凝視している。
「気づいたか…………」
同情してしまう、これは彼にとって辛いだろう。
だがこれでいい、こうでなくては圧倒的な強さを手に入れることはできない。
拳を固め涙を流しながら言う。
「なんで……だよ。なんで……お前がこうなってるんだよ、なぁ答えろよ」
「……………………武」
吐き捨てるように、化け物の名前を口にする。
彼の言う通り、あれは雷門武の体を使った化け物だ。彼の軽減は長期戦となるデスゲームで最初に奪うべき力。
「アアアア……ア……」
名前を呼ばれ反応する化け物。お互いが相手を眺めていた。
化け物になった雷門君は分からないが、一之瀬君は何度も剣を動かそうとしても動くことはなかった。
殺せないのだろう、彼には他人を殺すことはできても仲間だと思っている人間を殺すことはできない。
「まったく……こんなこと僕頼まないでほしいね」
目の前においてあるボタンを押した直後、化け物が奇声を上げながら口を大きく開ける。
口から光が収集され、一之瀬君に向けて放とうとしていた。
このボタンはいわば化け物という爆弾を起動するためのスイッチ。
もう、殺すしか彼が生き残る手段はない。
それを理解したからか、彼は今度こそ――化け物の心臓を貫いた。
なぜこんなものを用意したか、時は遡る。
「楠田さん、少しいいですか」
彼の能力の組み合わせを考えている最中、雷門君が自ら研究室に来た。
「どうしたんだい?」と軽く聞くが、彼の目は真剣だった。普通ではないことを察し身構える。
「俺に――――お願いを聞いてくれませんか」
「お願い?」
彼の言い分をまとめると、こうだった。
ひとつ、彼と最初に戦うのは自分にしてほしいこと。
ふたつ、どんな手を使ってもいいから自分に一之瀬君を殺させるように細工をしてほしい。
僕は快く承諾した。
この選択が、祝福をもたらしてくれることを信じて。
◇
止めを刺した彼は、糸の切れた人形のように床へ視線を落としていた。
永遠にも思える沈黙の後、ぎちり、と首を鳴らして天井を仰ぎ――喉の奥から、乾いた笑いを漏らした。
「ハハッ……アハハ、アハ、アハ、ハハ。俺、仲間、殺せるのか…………そうか、俺、俺こそが、化け物じゃねぇか」
狂乱の果て、力尽きた彼は泥のようにその場へ沈み込んだ。
もはや戦う意思も、抗う術も残ってはいない。
だが、運命は彼に安息を許さない。
絶望するには、まだ早い。
これから幕を開けるのは、死すら生ぬるく感じる真の地獄なのだから。




