イライラ
面倒くさいことになった。
岡田は自分だけが先に切られたのが、どうしても納得がいかないようだった。何度も同じような話をして、苦虫を噛み潰したような顔をしてグラスを傾けた。
お酒はあまり強くないと見えて、旗から見れば完全に酔っ払ってくだをまく労働者の態であった。
ユウには岡田の言うことは理解できた。岡田はあの劣悪な肉体労働でも誰よりも頑張っていた。
周りの作業員が手を抜いているところも手を抜かなかったし、作業中は決して無駄な私語を話すこともなく、周りがだらだらしだしても、だれなかった。
あの現場にいた人間なら誰もが彼は頑張っていると言っただろう。
でも、岡田の言う疑問や不平はユウのように何年も社会人をやっていれば当たり前のこと。
そう、世の中の理不尽は当たり前。
ユウ自身もその理不尽を何度も経験してきた。
人間はそうやって理不尽を経験して成長するのだ。
ユウは岡田より少し大人なので、かなり冷静に上から目線で岡田を見ることができていた。初めて慕われた?後輩につき合って飲んでやっても良いという余裕さえ出ていた。
もっとも自分にはこうやって愚痴をこぼす相手もいなかったわけだが。
「どうして、駄目なんですかね?俺には立ち直る機会さえも与えてくれないんでしょうか?せっかく自分の中では計画が立っていたというのに」
「何だよ。計画って?」
ユウはタバコの煙を目で追いながら話した。
「まずは日雇いでお金を貯めて、ある程度メドが立ったら月給制の仕事に移って、そこでも真面目に働く。そうしたら今度はまとまったお金で、今より良いアパートに引っ越して小さくてもささやかな喜びを感じる生活を送ろうと考えていたんです」
「計画って言う割には、わりと普通だな。それにささやかな喜びを感じる生活って何だよ。結婚か?」
ユウは素直に感想を述べた。
ただ言い方が、岡田には茶化すように聞こえた。
「田中さんには普通でも、俺にはその普通が遠いんです。さっきも言いましたが、俺にはまともな仕事なんてないんです。学もないし、この顔だし」
「ふん」
ユウは最初こそまともに話を聞いてあげていたが、だんだんとコンプレックス持ちのこの岡田という男に腹が立ってきていた。自分の胃の奥からイライラの虫が顔をだしているのがわかる。これは酒のせいなのだろうか?
「今、鼻でわらいましたね」
「笑ってないよ」
「いや、笑いましたよ。田中さんも馬鹿にしてるんですよね俺のこと」
「あのなぁ。俺がいつ馬鹿にした。いじけるのはよせよ」
ユウの口調も自然と興奮した口調になっていた。
こいつは甘い。
人生の厳しさを説教してやろうかという気さえおきた。
「いじけてないですよ。田中さんはいいなぁと羨ましくは思います」
「何で?」
「さっきも言いましたけど、普通に学校を出て、いつでもちゃんとした会社にはいれるじゃないですか。この仕事を辞めて就職活動もするんですよね」
「簡単に言うけど、そんなに甘くないんだよ。俺だってお前と全然かわらないの」
「でも、学のない俺よりは可能性はあります」
「社会に出れば学歴なんてあんまり関係ないよ。関係あるのは、一流企業とか一部のエリートだけだよ。それに勉強しなかったのは自分のせいだろ。学校行けばよかったじゃねーか。くだらないこと言ってるなよ」
「……。俺んち貧乏だったんです。だから小さい頃から馬鹿にされてて、行きたくても行けなかったんで…」
「じゃあ親のせいだっていうわけか?随分甘ったれてるな。何かのせいにして、不幸アピールっていうわけか」
ユウは自分で言いながら、違和感を抑え切れなかった。
俺は誰に対して何を言っているんだろう?
「それに、田中さんは明日からも仕事があるじゃないですか」
「はぁ?」
ユウは完全に頭に血が上っていた。ムカムカしてしょうがない。酒を飲むと昔から感情のコントロールがきかなくなる。煽られると特に駄目だ。
「だから、さっきも言ったろう。俺ももうすぐだって」
「そんなの何の根拠もないじゃないですか」
「なんだよ。絡み酒かよ」
ユウがああいえば上祐状態の岡田にグラスに口をつけながら言うと、岡田は下を向いて黙ってしまった。
「お前そんなに俺がうらやましいの?俺なんかのどこがうらやましいの?俺はお前が羨ましいよ。まだ19だぜ。いくらでも取り返せるよ。なんだってやれるよ」
ユウは自分で話しながら、ものすごく自分がおっさんになった気がした。
『若いから何でもやれる。』
その言葉はユウが散々言われてきた言葉だ。
それはユウが初めて就職したブラック企業の先輩、派遣先の現場で出会った班長、警備員の同僚、キャバクラのお客のサラリーマン。唯一の友人である太田にすら言われた。
自分は何かやれただろうか?
いや、そんな言葉にまったく意味がないことは自分自身の現状を見れば明らかだった。自分自身のすごしてきた怠惰な日常を後悔し、ただただ若さへの妬みから口をついて出た言葉だった。
そんな言葉が自然と自分の口から出るのは、すごく情けなかった。
「…お前そんなに働きたいの?あのクソみたいな現場で?」
「働きたいです」
岡田はすわりかけていた目の焦点をあわせて、ユウの顔を見た。
その目は真っ赤に充血していたが、不思議な力強さがあった。
ユウにはその岡田の答えが信じがたいものだった。
ユウが今まで行った現場の中でも、最強クラスにきつい労働に岡田がこんなにも固執する意味が分からなかった。
そんな岡田に同情さえ沸いてきた。
「もう分かったよ」
ユウはそう言うと、ポケットから携帯電話を取り出し、あの現場の派遣元である派遣会社へ電話をかけた。そして自分と岡田の担当である男に電話を取り次いでもらい、今日から自分の代わりに、岡田を続けさせてやってくれと伝えた。
担当者は最初こそ状況が飲み込めないようで躊躇していたが、頭数さえ揃っていれば日雇い人足にたいした違いなどなく、すんなりと了承してくれた。
「その代わり、すぐ終了になってもしらねぇからな」
電話を切ると、ユウははき捨てるように言い、トイレに行くために席を立った。
その一部始終を岡田はただ口を開けて黙ってみていた。
呆気にとられるとはまさにこのことである。
席を立ったユウは、足元をふらつかせながら店の反対側の奥にあるトイレに向かった。
胸糞が悪かった。
どうしてこんなことになったのだろうか?
岡田の話を聞いていると、腹が立って仕方なくなる。
この怒りは自分のコンプレックスに対してネガティブな発言を繰り返す岡田に向けられているようだが、それだけではないような気がした。
多少の吐き気はあったが、怒りが先にたち吐くほどではなかった。
長い小便を済ませ、少し落ち着きを取り戻したユウは、飲み直す気持ちで席に戻ろうとした。
席に戻る途中、左側の席の男に目があった。
!!
伴がいた。
やはりあの後ろから見た男は伴だったのだ。
髪は伸びているが、間違いなく伴だ。
ユウは先ほど、小便と一緒に流してきた怒りの熱い血が、一瞬にして全身に回るのを感じた。
「おい」
ユウは自分でも気がつかないうちに驚いた顔をしている伴に声をかけていた。
「…田中?」
伴がそうつぶやくと、伴と向かい合わせに座っていたイケメンの男は二人の顔を見比べて、知り合いっすかと伴に聞いた。




