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放心状態

死のうと思っても簡単に死ねないのが、人間である。

大田は少しためらってしまった。

機を逃すとタイミングを計ってしまう。

首の下で、ロープを握ったまま太田は、洋式便器の上からその一歩を踏み出せないでいた。


秋が近いとはいえまだまだ、トイレの個室は暑い。

大田の顔面からは汗が噴出していた。

いっそこのまま事故的に足を滑らせでもしてくれないかと、自分で願うが、恐怖の為か足が動かない。

「ううぅぅっ。」

大田は嗚咽にも似た、声ともいえない音を口から発していた。


その刹那。

誰かが、共同のトイレに入ってきて、声をあげた。

「おい。……。大変だぁ。」

岩本だった。

岩本は個室の上から、吊ってあるロープを見て、瞬時に状況を理解したようだった。


「だっ。誰かー。」

岩本はパニックになったのか、床に腰を落とした。

「おい誰かーーー。?」


その声に反応し、何人かの人間がトイレの前に集まってきた。

「何だ?どうしたんだ?」

トイレの前は騒然とする。

野次馬根性で見に来た人達であふれる。


少し落ち着いたのか、岩本は立ち上がりドアをたたいた。

ドンドンドン。

「大丈夫か?生きているのか?」


「うえっぐっぐっ……。」

大田は相変わらず返事とも取れない声を出した。


岩本は後ろに下がり、勢いをつけて、一気にドアを蹴破った。

ドアの開いた先には、今まさに首を吊らんとする大田の姿があった。

大田と岩本は無言のまま目が合った。

岩本は驚きのあまり体が硬直してしまう。

一方大田も死への恐怖のあまり、便器の上で硬直したままだった。

2人は見つめあったまま、時が止まったようだった。


そこに機転を利かした、主任が人ごみから植木用の大きなはさみを持って登場した。

主任は無言のまま、大田の頭の上のロープをその大きなはさみで切ると、へたり込んでしまった大田の首ねっこをつかみ、そのまま職員用の事務室へ引っ張っていった。

例の件で、大田が酷く怒られた場所である。

岩本も、集まった野次馬達もただ黙ってその様子を見ていた。

声が出なかったといった方がただしいかも知れない。

その現場にいた誰もが、放心状態である。


体格のいい主任は、大田の大きな体もものともせず、ぐいぐいと引っ張り太田を事務室に入れると、大きな音を立てて扉を閉めた。

事務室の中は、施設の利用者に与えられた部屋と同じ広さで、事務用机とイスが二つ置いてある。

前回とは反対に大田は奥のイスに座らされ、主任は手前、ドア側のイスに腰を下ろした。


「少しは落ち着いたか?」

「……。」

主任は諭すように大田に冷静に話しかけた。

その問いに、大田は無言だった。

何をどうして良いのか、完全に心ここにあらずの状態で、目の焦点もあっていないようだった。


「なぜ、あんなことをした?」

「……。」


「おい、聞こえているだろ。もう一度きくなぜあんなことをした?」

「……。」

主任の二度の問いかけにも、大田は無言だった。

話す気がないのだ。

それは、まるでいじめられっ子が先生にしかられるようで、完全に心を閉ざしたようだった。


その様子に痺れを切らしたのか、主任はイスから腰を上げ立ち上がり、大田を見下ろすような格好であきれたように話した。

「おい、お前少しおかしいんじゃないか?とにかくうちで自殺なんて事件がおきたら困るんだ。

他の人達に迷惑なんだ。迷惑になるようなら、出て行ってもらうしかないぞ。」

大田は少し落ち着いた様子だが、表情一つ変えず黙って聞いていた。


主任は大田の横にまわり、大田の左肩にポンと手を置き、やさしい口調で言った。

「いいか、俺はお前が死のうが、生きようがが興味はない。死にたければ勝手に死ねばいい。ただこの施設で問題を起こされると困る。わかるな。だから、ほらお前がそういう態度なら、今すぐ出て行ってもらうしかない。」

大田はそれでも黙って、正面の壁を見つめていた。

さながら、口を割らない容疑者と刑事の取調べである。


「おい、聞いているのか?」

主任は大田の顔を覗き込む。

「……。」

大田は正面を向いたまま固まったままだ。


「聞こえただろ、出て行け。」

主任ははき捨てるように言うと、大田の左肩に置いた右手で大田を突き飛ばした。

大田はその反動で、体の体勢を崩したが、何事もなかったように座らされたイスから立ち上がり、事務室のドアを開けふらふらと廊下を歩いていった。


大田はそのまま精神が錯乱したように、サンダルを引きずりながら玄関へ向かって行った。

途中、心配したのか岩本たちとすれ違ったが、彼らもそのイってしまったような太田をただ、あっけに取られて見送ることしかできなかった。


大田が玄関を出ると、後ろから主任に大きな声をかけられた。

「おい。」


主任は声をかけると同時に大田のトレードマークである大きなリュックサックを大田の足元に投げつけた。

大田はそれをただ黙って拾い、施設の玄関を後にした。


あたりはもうすっかり暗くなっていた。

再びこの男の死場所を探す旅が始まるのである。


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