鬱
夏も終わりに近づいてきた。
今年も残暑が厳しかったが、ようやく涼しい風が吹いてくるようになった。
大田は今日も何をするわけでもなく、公園のベンチで本を読んでいた。
施設にいては、息が詰まりそうだったので、よく近くの公園で本を読んで時間をつぶしていた。
大田は、ここでの暮らしにも慣れてきたが、やはり夢を見ていたかった。
自分の生きた証明。
証を作りたかった。
やりがい、人生の意味。生きることの充実感。
その全てが、今の大田にはなかった。
きっと、今のままでも食うに困らず生きてはいけるだろう。
しかし、そんなことで本当にいいのだろうか?
今まで、思ってきた胸のもやもやが大田の中で大きくなっていた。
大田は本を読みながら、右手でタバコを取り出し、火をつけた。
タバコもまた吸うようになっていた。
しかも、日に日にその本数は増えるばかりである。
搾取され続ける自分が嫌だった。
弱い自分を変えたかった。
何か大きな事をやりたかった。
もやもやと毎日をすごして、施設にいて本を読みに出かけ、食べて寝る。
それだけを繰り返す生活。
望んでいた幸せな暮らしだが、やはり何かが足りなかった。
周りを見渡せば、死んだ目をした連中ばかり。
岩本は刑務所よりましだと言っていたが、大田にとってそうは思えなかった。
刑務所の方が確かに規律は厳しいが、与えられた労働をし、目標に向かって努力する分、まだ生産性があるのではないかと思ってしまう。
それに大田は搾取され続けていることに、どうしても納得がいかなかった。
自分は税金を使って、大きな詐欺に加担しているような気がしていたからだ。
これでは、生きているとは言えない。
施設の為に、生かされているのだ。
味気ない食事を与えられ、生活保護のお金の為に生かされる毎日。
特に話をする相手もなく、時間だけを食いつぶしていく。
まさにタイムイズマネー。
残りの人生を生活保護のお金で切り売りする。
そのお金すらも、施設に取られてしまう。
自分は何の為に生きているのか?
その疑問が大田の頭を支配する。
そのせいで、最近は本を読んでも頭に入ってこない。
日雇いで搾取されながらも、ぎりぎりの生活をしていた時に比べれば、贅沢な悩みだった。
あの時は、何とか生きようと必死だった。
仕事はきつかったが、ユウのように底辺であがき、ともに苦労する話せる仲間もいた。
ここの連中はぬるま湯に浸かってしまっているかのように、必死さが足りない。
ユウのようにポジティブで前向きな発言をする人間も少ない。
大田は戦友であるユウのことを思い出していた。
ユウは今はどうしているだろうか?
彼の言う、安定した仕事、人間らしい暮らしを取り戻すことができる仕事につけたのだろうか?
考えてみると大田は人間らしい生活をしている。
憲法に定められている、健康で文化的な生活は送れている。
食べるものも困らないし、寝るところもある。
テレビだって見られる。
しかし、とにかく目標がないのだ。
生きる指標となる目標。
それがないと、人はどうしても腐ってしまう。
考え、悩んでしまう。
病んでしまう。
大田は若くして、老人のような暮らしになってしまっていた。
今は特に欲しい物もなく、食べたいものもなく。
あれほどありあまっていた性欲も、毎日のように機械的に繰り返されるマスターべーションで失せてしまっていた。
人に話せる自慢話や、恋愛経験など良い思いでもなく。
実に味気ない暮らし。
大田は死んでしまおうかなとも考えはじめていた。
それは、これから先だらだらと何もなく生かされ続ける人生への絶望であり、あの憎らしい主任への反逆でもあるからだ。
大田は読みかけていた、本を閉じベンチから立ち上がり、施設へ帰っていった。
あたりは、もう夕方に近かった。
ずるずると足元を引きずり、社会に参加する人々の中を施設に向かって歩く。
通りすぎる家々からは、夕飯の支度の臭いや、楽しそうな笑い声が聞こえた。
このごろは日が落ちるのも早くなっていた。
そんな秋の夕暮が、太田をこのようなセンチメンタリズムにさせたのかもしれなかった。
施設の玄関を入り、共有スペースを抜けようとすると、岩本がテーブルに座って一人で新聞を横に碁盤を睨みつけていた。
岩本は帰ってきた大田に気づき、チラッと大田の方を見て、碁をやらないかと誘った。
「おお、おめぇ。丁度いいところにきた。詰め碁は飽きちまって、誰か相手が来ないか待ってたんだ。やらないか。4つぐらい置いてもいいぞ。」
「いや、俺碁はやらないんです。第一ルールが分からないんで。」
「なんだおめぇ。碁も知らねぇのか。教えてやるから座れよ。退屈しのぎに碁は最適だぞ。」
岩本は機嫌がいいのか大きく大田に向かって手招きをした。
「嫌、いいです。すみません。」
「なんだおめぇ。暗い顔して、遠慮するなよ。いいから座れよ。」
「ほんとすみません、そうゆう気分じゃないんで……。」
大田はかたくなに岩本の誘いを断り、部屋へ戻ろうと、岩本の横を通過する。
岩本は無言で不思議そうな顔をして、横を通過する大田を目でおった。
「なんでぇ。人がせっかく誘ってやったのに…。」
岩本は大田の背中を見ながらつぶやいた。
部屋に戻ると、大田は荷物の整理をして、
屋上に上り、洗濯物を干すロープをはずして自分の部屋へ帰ってきた。
しかし自室の天井にはロープを引っ掛ける適当なものがなく、仕方なしにロープを持って共同便所へ移動する。
幸いトイレに移動する間、誰にも会うことはなかった。
こそこそとトイレの個室に入り、頭の上を通る配管パイプにロープを通す。
大田は軍オタなので、ロープの扱いには多少心得があった。
首吊り用のわっかを作るのは、大田にとって造作もないことだった。
そんな特技ともいえる知識が、サバイバル以外でこんなことに役に立つとは皮肉である。
洋式便器のふたを閉めて、その上に上る。
大田は両手で、わっかを広げて、大きく深呼吸してそれを見つめた。
いざ首を吊るとなると、死への恐怖が一気に押し寄せた。
ロープを握った手は、汗で湿っているのが分かる。
大田はわっかを首に通した。




