銭の魔力
施設に来て一月が過ぎようとしていた頃、大田は突然施設の主任に呼び出された。
何故、呼び出されたのか心当たりはなかったが、とにかく事務所にすぐ来いとのことだった。
今日は生活保護の支給日だった。
事務所のドアを開けると主任が、厳しい表情で太田を待ち構えていた。
鬼のような形相で、両腕を組んで立っていた。
まさに、仁王立ちとはこのことだ。
「あの……。何か?」
恐る恐る大田が切り出す。
「何か、じゃねぇよ。とにかく座れ。」
主任はかなり怒っている様子だった。
大田は言われるまま、主任の正面のイスに腰掛けた。
「何か、ありましたでしょうか?」
怒られる心当たりのない大田は、主任の機嫌を伺うように尋ねた。
「何かありましたかじゃねぇよ。これは、どういうことだ。」
そういうと、主任は今日大田の貰ってきた生活保護の封筒を横の机に投げ出した。
「……?」
「封筒の封が切ってあるじゃねぇかよ。」
「えっ。」
確かに大田は、生活保護の入った封筒を役所で受け取ると、中を確認する為に封をきった。
それは、単なる好奇心からで、決して中からお金を抜いてごまかそうとしたわけでもなく、そうするのが当たり前だと思ってとった行動だった。
「えじゃねーよ。封筒があいてると言ってるの。お前があけたんだろ。」
「えっ。まぁ。」
「なんで、封を切る必要があるんだ?中から金を抜いてどこか行くつもりだったのか?えぇ。」
主任はすごい剣幕で大田を恫喝する。
「いえ、そんな……。抜いてませんし。」
「結果として、抜いてないけどな。こういう事されると困るんだよ。俺達が信用できないっていうのか?」
「……いいえ。」
「大体お前誰のおかげで生活保護もらえると思っているんだ、お前らみたいに働きもしないやつに飯と部屋と風呂を用意してやってるのは誰だ?えぇ。」
「……。」
大田は主任が何故怒っているのかいまいちよくわからなかった。
大田がぽかんと不思議そうな顔をしていると、主任は大田の額に顔がくっつくのではないかというぐらい、顔を近づけて、すごむように言った。
「もう二度とするなよ。」
「はい、すみません。」
大田はそういって、事務室から開放され、とぼとぼと自分の部屋へ帰った。
まだ、本当に自分がそんなに悪い事をしたという自覚がないまま、せんべい布団に横になりそのまま眠れない夜を過ごした。
早くここを出たいという想いが大田の中にわいてきた。
翌日、共有スペースで貧しい支給された弁当を食べている大田にニヤニヤと岩本が近寄ってきて、話かけてきた。
「なんだおめぇ、昨日主任にこっぴどく怒られたらしいな。」
どうやら、昨日の一件を誰かに聞いたようだった。
「ええまぁ……。」
大田はそんな岩本を疎ましく思ったのか、そっっけない態度で返事をし、昼食のおかずに鮭しか入ってない弁当を食べた。
岩本は大田の横に座り、右足を長いすの上に乗せる格好で、大田の方を見ながら話した。
「で?何やった?」
「何やったって……。別に何も……。」
「何もしてないことないだろ。そりゃおめぇオヤジも怒らねぇだろう。」
岩本は主任のことをオヤジと呼んでいた。
自分もいいオヤジなのに、刑務所の名残なのだろうか。
「それはそうでしょうけども……。」
「何しでかしたんだ?」
「別に、封を切っただけです。」
「はぁ?」
岩本は顔をゆがめて、聞きなおした。
「だから、封筒の封を開けただけです。」
大田がそれだけ言ったあと、岩本は少し考えるような仕草をして、全てを理解したようだった。
「ああ、なるほどねぇ。おめぇ、そりゃまずいよ。」
「まずいんですかそんなに。」
「そりゃそうだよ。まずいよ。」
「何で、そんなにまずいんですかね。」
「当たり前だろ、ここにいる連中はろくでもないものばっかりだし、ボトムで生きているような連中だ。そんな奴らに金を与えてみろ、ろくでもないことになるだけだ。」
「でも、僕はお金を取っていません。見ただけです。」
「見ただけだろうが、なんだろうが関係ねぇ。その見る行為そのものがまずいんだよ。」
「何故です?」
大田は納得がいかないのか、弁当を食べていた箸を置き岩本にくいさがった。
「何故って、銭には魔力があるからだよ。」
「えっ。」
岩本は意外なことを口にした。
「頭では、分かっていてもついってな。」
「は?」
「窃盗や強盗で捕まる連中も、みんな頭では分かっているんだ。やっちゃいけねぇって。」
「俺は、そんなことしません。」
「いやいやおめぇ、そうは言い切れねぇぜ。俺がここにいる間も何人も支給日にそのままトンズラしてんだ。俺はそういう奴を何人も見てきてる。なかにはそんなことしなさそうな真面目な奴だっていたさぁ。」
岩本はいやらしく笑った。
「そういうことがあったかもしれないですけど、俺は違います、」
「おめぇ、困っている時の現金の魔力はすげぇぞ。想像してみろ、どんな綺麗なねーちゃんでも、本当に困っていたらまた開くだろ。政治家だって現金詰まれたらわからねぇぞ。そういう事件もあるし。」
「まぁでも……。」
「人間の欲望は金があれば、たいていのことは満たされる。金がほしくない奴なんていないだろ。そんなしけた弁当食って、こんな所に閉じ込められて飼いならされているより、目先の12万と自由を求める奴だってたくさんいる。そう思うだろ。」
「はぁ。」
「まぁ、とにかく次からやらなきゃ大丈夫だよ。剛にいったら剛に従えだ。いちいちオヤジに目をつけられてたらかなわないぜ。」
「……。」
そういうと岩本、大田の肩をポンとたたいて立ち上がりどこかへ行ってしまった。
大田は食べかけの弁当もそのままに、岩本の去ったあともそのままの姿勢で考えていた。
少し考えると、岩本の話に何だか納得しかけてくる自分に気づく。
正論と言えば正論。
きっとそれが事実なのだろう。
事実大田は少しここの待遇について、不満を持ったこともあった。
4畳半のTV以外何もない部屋で6万円。おかずの乏しい弁当、悲壮な食事(カップラーメンのときなどもある。)で約4万円も引かれる。
値段が高い。
NPO法人とは名ばかりで、きっと利益が出ているだろうと気づいていた。
それに、門限など行動が制限される。一応個室だが、壁も薄く共同生活のため、人間関係にも気を使い、プライバシーも少ない。
目先の12万で逃げたくなる気持ちもわからなくはない。
今までは、あまりこの施設の住人とは関りを持たないようにしてきたが、嫌な人間などが入ってきたらどうだろうか。
自分はその目先の現金の魔力に勝てるだろうか?
そう想像した大田は確信をもってやらないとは言い切れなくなってきた。
そもそも自分に支給された生活保護のお金なのだ。言ってしまえば自分のお金。
それをどのように使おうが犯罪ではないのだ。
搾取される必要もないし、封をきって怒られる筋合いもない。
考えれば考えるほど、大田は主任の憎らしい顔を思い出し腹が立ってきた。
大田は置いた箸を手に取り右手に握りしめた。