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人類未踏の最深部に強制転移!――俺はこのダンジョンから生還する  作者: よみなぎ


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第9話「地上」

 第30階層から地上へ戻る道は、驚くほど退屈だった。


 何度も通った道だ。見慣れた魔物。見慣れた通路。見慣れた冒険者たち。


 第100階層から帰ってきた俺にとって、それは最高にありがたい退屈だった。


 ディーンは出発前に、俺たちを見つけた兵士の1人を先に走らせていた。


「第100階層からの生還者あり。第30階層の転移装置が再び使用された可能性あり。ハルヴェイン商会関係者の関与が疑われる。そう伝えろ」


 それだけ言うと、兵士は顔色を変えて走っていった。


「そんなに大事なのか?」


「大事だ」


「俺が100階まで飛ばされたことが?」


「それもだが、あの転移装置が使われたこと自体がまずい」


 詳しい話は地上でする、とディーンは言った。


 だから俺は歩いた。


 第20階層を越え、第10階層を越え、見慣れた冒険者の数が増えていく。こちらを妙な目で見る者もいた。服も防具も傷だらけなのだから当然だろう。


 そして、階段を上りきった。


 空が見えた。


「…………」


 立ち止まった。


 青い。


 ただ、それだけだった。


 第100階層には空がなかった。第90階層にも、第80階層にもなかった。


 風が吹いた。


 土と草と、街の匂いがした。


「……帰ってきた」


「ああ」


 隣でディーンが答えた。


 俺はしばらく空を見てから、冒険者ギルドへ向かった。


◇


 ギルドへ着くと、すでに騒ぎになっていた。


 受付でディーンの顔を見た職員が飛び上がり、その直後、俺たちは奥へ通された。


「ギルド長は?」


「王城です。先ほど、緊急招集が」


「もうか」


 ディーンが少しだけ眉を上げた。


「伝令が間に合ったらしいな」


 代わりに待っていたのは副ギルド長だった。50歳くらいの大柄な男で、俺の姿を見るなり頭から足まで確認した。


「君が、第100階層から?」


「たぶん」


「たぶん?」


「階層計は《100》でした」


「……そうか」


 副ギルド長はそれ以上聞かなかった。


 俺たちはギルド長室へ入った。扉が閉まり、副ギルド長が鍵をかける。


「さて」


 ディーンが椅子に腰を下ろした。


「何から聞きたい?」


「全部」


「だろうな」


 俺も向かいに座った。


「まず、第31階層より下だ。なんで隠してる?」


「正確には、存在そのものを隠しているわけじゃない。第31階層へ続く道が発見されていないことにしている」


「同じだろ」


「まあな」


 ディーンは苦笑した。


「5年前、俺が第100階層から帰ってきた。そのとき俺が通った道と、持ち帰った情報をもとに調査が始まった。今では第70階層まで、継続的な探索と採掘が行われている」


「やっぱりか」


 第60階層で見た採掘跡。何度も使われた道具。運搬の跡。


 全部つながった。


「第70階層の、あのでかい裂け目は?」


「あそこまでだ」


「渡らないのか?」


「俺は5年前に1度だけ渡った。二度とやりたくない」


「同感だ」


「向こう側は第71階層から第100階層につながる。だが、そこへ人員を送り込んで継続的に探索するだけの価値があるかと言われれば、現状ではない。死者が増えるだけだ」


 納得できた。


 第70階層までなら、人間が組織を作って動ける。あの裂け目から先は違う。


「じゃあ、なんで第31階層から全部隠す?」


「それは――」


◇


「深層から得られる素材が、王国の軍備に使用されているからだ」


 低い声が、広い部屋に響いた。


 ハルヴェイン商会会頭の次男は顔を上げた。


 目の前にいるのは国王だった。その右には王太子。さらに宰相、王国軍総司令官、冒険者ギルド長。


 そして少し離れた場所には、父であるハルヴェイン商会会頭がいる。


 王国兵に拘束され、ここへ連れてこられたときは何が起きたのか分からなかった。


 だが、父がいる。


 その姿を見た瞬間、わずかに息が戻った。


 商会まで話が届いたのだ。


 ならば、まだ終わってはいない。


「第31階層より下で得られる魔晶石、鉱石、魔物素材。その一部は王国軍へ優先的に供給されている」


 今度は総司令官が口を開いた。


「武器、防具、魔道具。すべてだ。他国が容易には入手できぬ品質の素材を、我が国は安定して確保している。それが何を意味するか、商人なら分かるだろう」


「……軍事的優位」


「そうだ」


 次男の額を汗が伝った。


 知らなかった。


 深層に何かがあることは分かっていた。


 5年前から、商会の利益構造が変わった。特定の加工部門への投資が急増した。軍への納品量が増えた。帳簿をどれほど追っても、出所を特定できない高品質素材が存在した。


 そして5年前、第30階層で古代の転移装置が発見された。同じ時期に、高位冒険者ディーン・バルガスが失踪している。


 偶然とは思えなかった。


 転移装置は未知の深層へつながっている。


 ディーン・バルガスはそこから生還した。


 父を含む商会上層部は、その事実を利用して秘密の採取事業を始めた。


 そこまで推測した。


 だから、自分にもできると思った。


「貴様の調べた内容については報告を受けた」


 宰相が机の上の書類を閉じた。


「驚くほど正確だ。限られた帳簿と過去の記録だけで、よくそこまでたどり着いたものだ」


「では――」


「褒めているのではない」


 次男の口が止まった。


「そこまで考える頭がありながら、なぜ行き先すら分からぬ転移装置へ人を送り込んだのかと聞いている」


「……実験は必要でした」


 次男は答えた。声が震えそうになるのを抑える。


「十分な実力を持つ冒険者を選定しました。生還が確認できれば、相応の報酬を支払い、正式に契約する予定でした。危険があることは承知していましたが、深層への独自経路を確立できれば、商会にも王国にも莫大な利益を――」


「第100階層だ」


「…………何?」


 ギルド長が次男を見ていた。


「貴様が送り込んだ冒険者が転移した先だ。第100階層だった」


 言葉が出なかった。


 第100階層。


 理解するまでに時間がかかった。


「……そんな」


「今朝、生還が確認された」


「生きて……?」


「ああ。運がよかったな」


 ギルド長の声には、少しも安堵がなかった。


「彼が死んでいれば、貴様の罪が1つ増えていた」


「私は知らなかった!」


 思わず声が大きくなった。


「転移先が第100階層だと知っていれば、そんな計画は立てていません! 私はせいぜい第40階層、深くても第60階層程度だと――」


「だから何だ?」


 静かな声だった。


 次男は口を閉じた。


 国王は怒鳴っていない。それなのに、部屋の空気が一段冷えた気がした。


「知らなかったから許されるのではない。何処へ通じるかも知らぬ国家管理下の転移装置へ、余の国民を勝手に送り込んだ。その事実こそが罪だ」


「……陛下」


「さらに貴様は、成功すれば深層素材を独自に流通させるつもりだったそうだな」


「それは……商売として成立すると判断しただけです。王国の利益を損なう意図など――」


「利益?」


 総司令官が低く言った。


「貴様が市場へ深層素材を流せば、他国は何をすると思う」


 次男は答えられなかった。


「調べる。誰が売った。どこから仕入れた。どうやって手に入れた。商人を調べ、運搬人を調べ、冒険者を調べる。やがて第30階層へたどり着く」


「……」


「素材が秘密なのではない。安定して深層へ到達し、資源を持ち帰る手段を我が国だけが持っていることが秘密なのだ。貴様の事業は、成功すればするほど王国へ損害を与える」


 宰相が続けた。


「貴様は深層素材を売ろうとしたのではない。我が国の軍事的優位を売ろうとしたのだ」


「違う……。私は、そんなつもりでは……」


 もう誰も自分の言葉を聞いていない。


 次男はたまらず父親へ顔を向けた。


「父上! 私は商会のためにやったのです。父上たちだけが握っていた利益を、さらに広げられると――」


「黙れ」


「……父上?」


「その呼び方をするな」


 次男の表情が止まった。


 会頭は立ち上がった。


「お前が何を考え、どれほど調べ、どれほど利益を見込んだかなど、もはやどうでもいい。王家から預かった秘密を守る。それが深層事業へ参加する条件だった」


「ですが――」


「貴様1人のために、何千人もの雇用と、代々築いてきた商会そのものを失えと言うのか!」


 怒声が部屋を震わせた。


「その秘密を、よりにもよって私の息子が暴き、勝手に転移装置を使い、人を送り込み、独自事業まで始めようとした!」


「私は商会を大きくしようと――」


「必要ない」


 会頭は即座に切り捨てた。


「本日をもって、商会におけるお前のすべての役職を解いた。お前名義で動かせる商会資産も凍結した。支店、取引先、使用人にもすでに通達を出している」


「……すでに?」


「お前がここへ連れてこられている間にな」


 次男の口が開いたまま止まった。


 父がここにいる。


 助けに来たのだと思っていた。


 違った。


 切り捨てるために来たのだ。


「待ってください。商会を離れたとしても、私個人の財産があります。今回の件について必要な賠償があるなら、そこから――」


「それについても調査対象だ」


 宰相だった。


「今回の計画に使用された資金の出所を確認する。関係する資産については、調査が終わるまで動かすことを認めない」


「そんな……」


 次男は周囲を見回した。


 父は助けない。


 商会での地位は、もうない。


 自由にできる資産もない。


 それでもまだ、国王がいる。


「陛下!」


 次男は声を上げた。


「私は王国に利益をもたらそうとしたのです! 方法に問題があったことは認めます。ですが私には深層事業を拡大する能力があります。今回得た知識も、調査した情報も、すべて王国のために――」


「ハルヴェイン会頭」


 国王は次男を見なかった。


「……はっ」


 会頭が頭を下げる。


「商会については別途沙汰を下す。だが、深層素材の供給を止めるわけにはいかぬ。今回の件による影響を最小限に抑えよ」


「御意に」


「ギルド長」


「はっ」


「情報がどこまで漏れたか確認せよ。転移装置についても警備体制を改める。今日中に報告を」


「承知しました」


「総司令官は深層素材の流通記録を再確認せよ。外部へ不審な量が出ていないか調べるのだ」


「直ちに」


 話が進んでいく。


「陛下、私は――」


 誰も答えなかった。


 もう、自分について話していない。


 国王も。


 宰相も。


 総司令官も。


 ギルド長も。


 父親も。


 次男が人生を賭けて作ろうとした事業は、すでに国家にとって後始末すべき問題の1つになっていた。


 扉が開き、王国兵が入ってくる。


「本件は国家機密への重大な侵害として扱う。関係者をすべて拘束し、資金の流れ、接触した者、知り得た情報の範囲を調べよ」


「はっ!」


 兵士が次男の両腕を取った。


「お待ちください! 陛下、私は――」


 会議は続いていた。


 誰も振り返らなかった。


 扉が閉まる。


 推理は、ほとんど正しかった。


 深層事業は存在した。


 転移装置も深層へ通じていた。


 そこには莫大な利益があった。


 ただ、それを見つけた自分には手を出す権利がある。


 その最初の前提だけが、最後まで間違っていた。


◇


「――という事情で、第31階層より下は公表されていない」


 ディーンが説明を終えた。


「なるほど」


 俺は頷いた。


 深層素材が軍に使われている。他国に知られれば、当然、同じものを欲しがる。


 だから入口ごと隠した。


 単純な話だった。


「そりゃ隠すわ」


「理解が早くて助かる」


「金になるものを国が独占してるだけなら腹も立つけど、軍の装備に使ってるならな」


 副ギルド長が苦笑する。


「言い方はともかく、おおむね正しい」


「じゃあ、俺を飛ばしたやつは?」


「そっちは王城が調べている」


 ディーンが答えた。


「俺たちがここで推測しても仕方ない。転移装置が勝手に使われたと分かった時点で、もう冒険者同士の揉め事じゃない」


「早いな」


「だから伝令を走らせた」


「なるほど」


 なら、任せよう。


 俺が第100階層から第30階層まで戻る間に考えていたことは、だいたい片づいた。ディーンは生きていた。第31階層より下の謎も分かった。俺を飛ばした人間についても、国が調べている。


 だったら。


「分かった。じゃあ俺には、もう1つ大事な話がある」


「まだあるのか?」


「ああ」


 俺は背負い袋を持ち上げ、机の上に置いた。


 どさり、と重い音がした。


 ディーンと副ギルド長が袋を見る。


「これ、金になりますか?」


「……何が入ってる?」


「いろいろ」


 袋を開けた。


 最初に取り出したのは、第100階層で拾った魔晶石だった。


 机の上に置く。


 副ギルド長が黙った。


 ディーンも黙った。


「……おい」


「なんだ?」


「これ、どこで拾った?」


「第100階層」


「本当に持って帰ってきたのか……」


「高そうだったから」


 次に、別の魔晶石を出す。さらに鉱石。牙。硬い甲殻の欠片。


「ちょっと待て」


「まだあるぞ」


「待てと言ってる」


 副ギルド長が頭を抱えた。


 ディーンは笑っている。


「お前、よくそんなもの抱えて100階から帰ってきたな」


「だから途中で何度も捨てた。これでも減らしたんだ」


「減らしてこれか」


「ああ」


 さらに素材を1つ取り出す。


 副ギルド長が慎重に持ち上げた。


「これは魔物の素材か?」


「たぶん」


「第100階層の?」


「そうだったと思う」


「倒したのか?」


「いや」


「……いや?」


「死んでたのを拾った」


 副ギルド長が俺を見る。


「何に殺された?」


「別の魔物」


「…………」


「俺が100階の魔物を倒せるわけないだろ」


「それはそうなんだが……」


 なぜか疲れた顔をされた。


 最後に、黒い角の先端を机へ置く。


「これは?」


「それは俺が倒した」


 副ギルド長の目が変わった。


「何階層だ?」


「40」


「……ああ。なら、これは普通だ」


「扱いが急に雑だな」


 ディーンが吹き出した。


 俺は机の上に並んだ素材を見る。


 第100階層。


 第90階層。


 第80階層。


 第70階層。


 帰る途中で、少しずつ拾ったものだ。


 あのときは全部、生きて帰れたら売ろうと思っていた。


 生きて帰った。


 なら、売る。


「で」


 俺は副ギルド長を見る。


「高い?」


「高い」


「どれくらい?」


「正確な査定には時間がかかる。そもそも比較できる品がほとんどない」


「家買える?」


 副ギルド長はしばらく黙った。


「何軒欲しい?」


「…………そんなに?」


「少なくとも、金の心配をする必要はしばらくない」


 俺は椅子の背にもたれた。


 第100階層へ落とされて、何度も死にかけて、100階分歩いて帰ってきた。


 ひどい目に遭った。


 本当に、ひどい目に遭った。


 でも。


 口元が勝手に緩んだ。


「……拾っといてよかった」


 やはり、持って帰れるものは持って帰るに限る。


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