第8話「第30階層」
第40階層から先は早かった。
採掘区画を示す印は減ったが、代わりに上層へ続く搬出路がはっきりしている。第37階層、第35階層、第33階層。階層計の数字が減るたびに足が軽くなる。
第32階層では魔物を1匹見かけたが、岩陰で餌を食っていたのでそのまま通り過ぎた。
戦わない。もう強さを確かめる必要もない。
帰る。
それだけでいい。
◇
階段を上った。
《31》
「……来た」
第31階層。
冒険者なら誰でも知っている。人類の最深到達地点は第30階層。それより下へ続く道は、まだ発見されていない。
その第30階層まで、あと1つ。
「最後だ」
搬出路を進む。壁には進行方向を示す印があり、足元には何度も荷物を運んだ跡が残っている。
そして。
「……は?」
道が終わった。
目の前にあるのは岩壁だった。
「いやいやいや」
戻って壁の印を見る。矢印は間違いなくこちらを向いている。
第60階層からずっと、人間はこの道を使っている。採った素材を第31階層まで運んで、ここで捨てるはずがない。
「どこへ運んだんだよ」
壁、床、天井を調べる。
やがて、重いものを引きずった傷が岩壁まで続いていることに気づいた。
「壁の中?」
近づいて叩く。
途中で音が変わった。
よく見ると、自然な亀裂にしか見えない細い線が巨大な四角形を作っている。
「扉じゃねえか」
笑ってしまった。
見つからないわけだ。
◇
問題は開け方だった。
周囲を調べると、扉の右側に妙に平らな石板が埋め込まれていた。
「……嫌な形してるな」
第30階層で、監督役が触れたものを思い出す。
だが、他に方法はない。
石板にはいくつかの溝があり、その1つだけが深く削れている。押しても動かなかったが、横へ滑らせると石板がわずかに動いた。
奥で低い音がする。
「お」
岩壁が震え、巨大な扉がゆっくり横へ動いた。
向こう側に階段がある。
「あるじゃねえか」
人類は第31階層への道を発見していない。
違う。
発見している。
隠している。
◇
階段を上った。
階層計の数字が変わる。
《30》
「…………」
何度見ても変わらない。
「帰ってきた」
第100階層で《100》を見た。
第90階層で人間の文字を見つけた。
第80階層でディーン・バルガスの名前を知った。
第70階層で帰れると知った。
第60階層で人間が今も深層へ来ていると知った。
第50階層で、自分が意図的に飛ばされたと気づいた。
第40階層で、魔物を倒した。
そして今。
《30》
「……帰ってきたぞ」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
◇
階段の先を進むと、見覚えのある場所へ出た。
「ここ……」
第30階層の北側。
何年も前から立入禁止になっている旧区画だった。少し先には木製の柵があり、反対側から見た札には逆向きの文字が並んでいる。
『立入禁止』
「ここかよ」
崩落の危険があるとか、魔物の巣があるとか、そんな理由で封鎖されていたはずだ。
そりゃ誰も第31階層への道を見つけない。
探させていないのだから。
そして、この区画なら深層から運び上げた荷物も人目につかず処理できる。
「徹底してるな」
第60階層の採掘場、第55階層の搬出路、第31階層の隠し扉、第30階層の立入禁止区画。
全部つながった。
そのときだった。
「止まれ!」
人の声。
俺の体が固まった。
「…………」
「そこで動くな!」
通路の向こうから武装した男たちが走ってくる。
人間だ。
生きている人間だ。
俺は剣から手を離し、両手を上げた。
「待ってくれ。敵じゃない」
「どこから入った!」
「下」
「下?」
「第31階層」
男たちの顔が変わった。
「何を言っている」
「そこの扉を開けて上がってきた」
互いに顔を見合わせる。
知っている。
こいつらは第31階層を知っている。
「所属は?」
「冒険者ギルド。普段は第30階層あたりで活動してる」
「下へ入ったのはいつだ?」
「入ったんじゃない。飛ばされた」
「どこへ」
「第100階層」
誰も動かなかった。
俺は背負い袋を下ろし、中から魔晶石を1つ取り出した。
「そこで拾った」
男たちの表情が変わる。
1人がすぐに走っていった。
「ここから動くな」
「分かった」
残った2人に見張られながら、俺は壁際へ座った。
「……人間だ」
「何?」
「いや。こっちの話」
怪訝な顔をされた。
それすら少し嬉しかった。
◇
しばらくして、男が戻ってきた。
その後ろに、もう1人いる。
40代くらいだろうか。派手な装備はない。使い込まれた剣を腰に下げている。
男は俺の前まで来ると、地面の魔晶石を見た。
「それをどこで拾った?」
「第100階層」
「自分で魔物を倒したのか?」
「いや。拾っただけだ」
「そうか」
なぜか、その答えに納得したようだった。
「第90階層を通ったか?」
「通った」
「何か見たか?」
「焚き火跡と、壁の文字」
男の表情が消える。
「第80階層は?」
「冒険者証を拾った」
「名前は?」
「ディーン・バルガス」
男は黙った。
「知ってるのか?」
「ああ」
「どこにいる?」
「ここだ」
「……は?」
「俺がディーン・バルガスだ」
何を言われたのか、一瞬分からなかった。
顔は知らない。
俺が知っているのは名前だけだ。
第90階層の文字。
第80階層の冒険者証。
第70階層の記録。
ずっと追いかけてきた名前。
「…………生きてたのか」
「ああ」
「帰ってたのか」
「ああ」
「第100階層から?」
ディーンは少しだけ笑った。
「5年前にな」
力が抜けた。
「おい」
「悪い。ちょっと待ってくれ」
その場に座り込む。
笑いが出た。
「なんだよ。生きてるじゃねえか」
「悪かったな」
「いや」
俺は顔を上げた。
「よかった」
ディーンは何も言わず、俺の横へ座った。
◇
水を渡された。
一口飲んでから、俺は聞いた。
「第31階層より下は何なんだ?」
「王国が管理している」
「王国?」
「ああ。詳しい話は場所を変えてする」
ディーンは周囲を見てから、俺へ視線を戻した。
「それより、お前は第100階層へどうやって行った?」
「第30階層の遺跡だ。床に魔法陣があった。ハルヴェイン商会の監督役が壁の石板に触ったら光って、気づいたら第100階層だった」
ディーンの表情が変わった。
「待て」
「なんだ?」
「その監督役の名前は?」
答える。
ディーンは立ち上がった。
「……まずいな」
「知ってるのか?」
「ああ」
「じゃあ、やっぱりハルヴェイン商会が――」
「違う」
即答だった。
「少なくとも、俺が知っている計画じゃない」
「どういう意味だ?」
「俺も5年前、同じ場所から第100階層へ飛ばされた」
予想していた。
それでも、本人の口から聞くと重さが違った。
「じゃあ、あの魔法陣は」
「俺の帰還後、王国の管理下に置かれた。二度と人間を送り込まない。それが前提だ」
「……じゃあ」
「ああ」
ディーンの声が低くなった。
「お前が飛ばされたこと自体がおかしい」
俺は立ち上がった。
「俺を飛ばしたやつは?」
「調べる」
「逃げてたら?」
ディーンは俺を見る。
「逃がさない」
短い答えだった。
俺は背負い袋を担いだ。
第100階層から、第30階層まで帰ってきた。
もう逃げる必要はない。
「行くぞ」
「どこへ?」
「冒険者ギルドだ」
柵の向こうには、見慣れた第30階層がある。
ずっと戻りたかった場所だった。
「行くぞ」
ディーンが歩き出す。
「どこへ?」
「地上だ。話はそこでしよう」
俺もその後を追った。
第100階層から始まった帰り道は、ようやく終わる。
あとは地上へ帰るだけだった。




