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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
村編

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第27話「持ち場」

 森の夜道を、僕は転がるように駆けた。

 地鳴りは、走るあいだも止まなかった。背中のほうで、遺跡のある森の奥が、低く、長く、唸っている。木々の影が、揺れる松明の灯りに、ぐにゃりと歪んだ。

 息が、上がる。胸が、焼ける。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。僕が眠らせ損ねたものが、今、村へ、牙を剥こうとしている。間に合え。間に合ってくれ。祈るように、僕は、暗い夜道を走った。

 村の柵が見えたとき、そこはもう、戦の場になっていた。

 半鐘が鳴り続けている。男たちが、松明と鉈と、鍬や鎌を握って、二重に掘った溝の内側に並んでいた。女や年寄りは、桶に水を汲み、油の壺を運んでいる。子供たちの姿は、もうない。手筈どおり、村奥の所領館の石壁の内へ、退避したのだ。

 ニナも、あの中にいるだろうか。マルタは。あの手紙の年寄りは。一人ひとりの顔が、頭をよぎる。ついさっき、火を囲んで粥を啜っていた、あの顔が。あの温かい夜から、まだ半日も、経っていないのに。

 その先頭に、ボルツがいた。

 山刀を提げ、柵のいちばん前に、岩のように立っている。その背中を見た瞬間、僕の足が、すこしだけ、軽くなった。

 「ボルツ!」

 「来たか」振り返りもせず、ボルツは言った。「お前の持ち場は、後ろだ。退避と、火の合図。前は、俺がやる」

 持ち場。

 その言葉が、胸に刺さった。僕の持ち場は、戦う場所じゃない。けれど、僕にしかできない仕事が、そこにあった。

 「わかった」

 僕は、所領館へ続く道の途中、村全体を見渡せる櫓の上へ駆け上がった。ここから、火を入れる順番を指図する。外の溝、内の溝。どちらに、いつ火を放つか。それを誤れば、村人は火に巻かれる。一瞬の判断が、命を分ける。

 森の縁の闇が、ざわりと、蠢いた。

 来る。


 最初に、それは、波のように来た。

 灰色の獣の群れ。月のない夜の闇よりも、なお黒い影の塊が、地を埋め尽くして、村へ押し寄せてきた。一頭、二頭じゃない。数えることに、意味のない数だった。

 「外の溝、火を!」

 僕は櫓の上から、ありったけの声で叫んだ。

 待ち構えていた男たちが、油を含ませた溝へ、いっせいに松明を投げ込む。

 ごう、と。

 炎の壁が、夜を裂いて立ち上がった。

 先頭の獣たちが、燃え上がる溝の前で、つんのめるように足を止める。火を嫌う性質は、変わっていない。炎にたじろぎ、押し返され、後ろから来る群れと、ぶつかり、もつれる。

 効いている。

 二重に掘った溝の、外側の一本。それが、確かに、第一の波を、せき止めていた。僕の引いた図が、村の人たちの掘った溝が、今、獣の奔流を、押しとどめている。

 櫓の下で、誰かが「効いてるぞ!」と叫んだ。男たちの声に、わずかに、力が戻る。掘ってよかった。あの何日もの土仕事は、無駄じゃなかった。

 「このまま、燃やし続けて! 油を絶やすな!」

 女たちが、火の勢いが落ちかけた溝へ、次々と油を注いでいく。炎が、また高く燃え上がる。

 いける。これなら——

 そう思いかけた、そのときだった。


 炎の壁の向こうで、ひときわ大きな影が、立ち上がった。

 あの、柵の夜に来た大型個体。あれと同じか、それより大きい獣が、燃える溝を前に、低く身を沈め——そして、炎の中へ、躊躇なく、突っ込んできた。

 毛皮を焦がし、炎をまといながら、その獣は溝を飛び越えた。

 着地と同時に、内側に並んだ男の一人へ、襲いかかる。

 「っ——!」

 男が、鉈を振りかぶる暇もなかった。巨体に弾き飛ばされ、地面を転がる。すかさず別の男が横から鎌で斬りつけたが、獣の分厚い毛皮は、それを浅く弾いた。

 倒れた男に、獣が、覆いかぶさる。

 悲鳴が、ひとつ。そして、途切れた。

 僕は、見た。櫓の上から、はっきりと、見てしまった。さっきまで、僕の指図に頷いて溝を掘っていた男が、もう、動かないのを。

 頭の中が、真っ白になった。死ぬ。人が、死ぬんだ。前の氾濫のときは、一人も死なせなかった。火で誘導して、誰も、傷つけずに。なのに——今夜は。

 守れなかった。僕の図は、あの人を、守れなかった。

 火を恐れない個体が、いる。

 いや——恐れていないんじゃない。痛みも、恐れも、なくしている。前の柵の夜の、あの異常な頑強さ。致命傷でも立ち上がる、壊れた獣。それが、今度は、一頭じゃなかった。

 炎を越えてくる影が、二つ、三つと、増えていく。

 「内の溝! 火を入れろ!」

 僕は、喉が裂けるほど叫んだ。

 第二の炎の壁が、外の溝を越えた獣たちの足を、再び止める。二段構えが、効く。越えてきた数を、内側でもう一度、削る。図の通りだ。図の、通りに——。

 でも。

 削っても、削っても、減らない。

 炎の向こうから、次から次へと、黒い影が湧いて出る。外の溝の火は、押し寄せる獣の数に、少しずつ、踏み消されていく。獣の死骸が炎を覆い、その上を、後続が乗り越えてくる。

 数が、暴力だった。

 僕の図は、「ある程度の数」を前提にしていた。前の波の、記録を元にした数を。けれど、今、目の前に押し寄せているのは、その前提を、嘲笑うような奔流だった。

 足りない。

 火が、人が、溝が——何もかもが、足りない。僕は、前の波を「最大」だと思い込んで、図を引いた。でも、底が緩む速さは、僕の想像の、ずっと先を行っていた。読む速さは、緩む速さに、負けたのだ。いちばん、知りたくない、形で。

 それでも、僕は、考えることを、やめなかった。やめたら、そこで、終わりだから。

 「館の前に、最後の火を残せ! 退き口を、確保しろ!」

 全部は、守れない。なら、せめて、逃げる道だけは。守るから、逃がすへ。頭の中で、図を、引き直す。冷たい計算だけが、震える手を、辛うじて、動かしていた。


 最前線で、ボルツが吼えた。

 山刀が、闇を薙ぐ。炎を越えてきた大型個体の、首筋へ。一頭、また一頭。彼が立っているところだけ、獣の波が、堰き止められている。たった一人で、村の正面を、支えていた。

 けれど、その背中も、無傷じゃなかった。腕に、肩に、いくつもの裂傷。返り血と、自分の血とで、染まっている。それでも、ボルツは、退かなかった。一歩も。彼が退けば、その後ろにいる全員が、死ぬ。それを、誰よりも、わかっているから。

 僕は、櫓の上から、それを見ていることしか、できなかった。

 指図はできる。火の順番を、退避の差配を。けれど、あの最前線へ、僕は立てない。立ったところで、ひと薙ぎで吹き飛ぶだけだ。

 稽古した。森を読むことも、半歩いなすことも、覚えた。それでも、この奔流の前では、僕の体は、あまりにも、無力だった。

 「坊主!」

 櫓の下から、声がした。見ると、年寄りが数人、逃げ遅れて、館への道で立ち往生していた。腰の曲がった、あの手紙の年寄りも、いる。獣の一頭が、柵の崩れた隙間から、彼らのほうへ、回り込もうとしていた。

 考える前に、体が動いていた。

 僕は櫓を駆け下り、転がるように年寄りたちのもとへ走った。獣が、跳ぶ。その牙が、年寄りの背に届く——その刹那。

 僕は、年寄りの体を、横へ突き飛ばした。

 そして、自分は、半歩、横へ、ずれた。

 獣の巨体が、僕のいた場所を、風を巻いて通り過ぎる。牙が、僕の頬を、かすめた。熱い。けれど、致命傷じゃない。いなした。森で、何百回も転がって覚えた、あの半歩が——今、一人の年寄りの、命を拾った。

 ボルツの稽古が。あの、惨めに転がり続けた日々が。今、確かに、誰かを、生かした。けれど、噛みしめている暇は、なかった。一頭いなしたところで、群れは、まだ、いくらでもいる。

 「館へ! 早く!」

 年寄りたちを送り出し、僕は荒い息をついた。手が、震えている。怖い。怖くて、たまらない。でも、僕の持ち場は、ここだ。逃がすこと。一人でも、多く。


 そのときだった。

 地鳴りが、変わった。

 今までの、地の底が震えるような唸りとは、別の——どすん、どすん、という、重く、規則正しい振動。

 何かが、歩いてくる。

 村じゅうの動きが、一瞬、止まった。獣でさえ、その瞬間、ぴたりと静まったように感じた。

 森の縁の、大木が。

 数本まとめて、へし折れた。乾いた轟音とともに、木々がなぎ倒され、その奥から——それは、現れた。

 巨大な、影。

 今夜見た、どの大型個体よりも、なお大きい。家ほどもある灰色の巨体。背を覆う、岩のような瘤。爛々と光る、その双眸は——濁った、不吉な、赤。

 獣じゃない。あんなものは、もう、獣なんかじゃない。森の奥の、いちばん深いところで、あの赤い光を浴び続けて、何かが、決定的に、作り変えられてしまった——そんな、化け物だった。

 遺跡の最深部で見た、あの赤い光と、同じ色だった。

 その赤い眼が、村を睥睨し、そして——まっすぐに、僕を、見た。

 炎ごしでも、櫓ごしでもない。夜と炎と、無数の獣を隔てて、その化け物は、確かに、僕だけを、見据えていた。

 思い出すような。確かめるような。あの目。

 全身の血が、凍りついた。

 あれだ。

 あの夜、僕を「覚えた」と告げた、底の何か。森の奥の闇から、ずっと僕を見ていた、あの目。それが今、姿を現した。あの巨獣こそが——僕が眠らせ損ねた、災いの、おおもとなんだ。

 間違いない。あいつを倒せば、この悪夢は、終わる。源を断てば、押し寄せる獣も、止まる。

 頭の片隅で、そう、結論が出た。冷たく、はっきりと。けれど同時に、もう一人の自分が、震える声で囁いていた。——どうやって? あんな化け物を、誰が。ボルツの山刀でも、届くかどうか。ましてや、僕の、この、痩せた腕で。

 巨獣が、地を蹴った。

 炎も、溝も、男たちも、まるで関係ないとでもいうように。その巨体が、まっすぐ、村の正面へ——ボルツの、立つほうへ、突き進んでいく。

 「ボルツ……ッ!」

 僕の叫びは、獣たちの咆哮に、呑まれて消えた。

 走らなきゃ。

 頭より先に、足が、櫓の梯子を蹴っていた。あの人を、死なせるわけには、いかない。半歩で、いなせる相手じゃない。知恵で、どうにかなる数でもない。それでも、僕にできることが、まだ、あるはずだ。考えろ。動け。間に合わせろ——あの温かい囲炉裏を、ニナの笑い声を、ボルツの「来年」を、ぜんぶ、奪わせてたまるか。

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