第8話② 改革派の侯爵
※長いので第8話を①・②として分けています※
二人の視線がぶつかる。
黒狼の王と、改革派の侯爵。
生きてきた場所も、持っている武器も違う。ロイドの武器は、牙と夜と群れ。ロベルトの武器は、その名声と地位。
だが、見ている敵は同じだった。
「貴族を信用して欲しいとは言わない」
ロベルトは言った。
「だが、私を上手く使え。王都の門は、君たちだけでは開かない」
ロイドは、しばらく沈黙した後、低く呻くように声を発した。
「俺たちは.....散々、虐げられてきた。使われるのはもうたくさんだ」
「私もだ」
「互いに利用し合えば、立場は一緒というつもりか?」
「立場など、取るに足りない」
そのやり取りに、テルマが小声で呟いた。
「なんか嫌な感じに気が合ってるのね」
ネイサが肘で小突く。
ビアンカは、机の上の帳簿を見つめた。
母の名はまだ見つかっていない。死者たちの名前も、まだ戻っていない。
けれど、動き出しているのだ。
暗い地下室の中で終わるはずだった沈黙が、少しずつ光の方へ押し出されている。
「侯爵様」
ビアンカが口を開いた。
ロベルトが彼女を見る。
「私は、彼らをただの改革の糸口にしたくありません」
「彼ら?」
「剥製にされた人たちです。帳簿に品目として載っている彼ら。でも、彼らは品物じゃない。名前のある人たちです」
ロベルトは深く頷いた。
「教会の記録、行方不明者の届出、貧民街の証言を集めよう。名がわかる者は、必ず名で呼ぶと約束しよう」
「必ず?」
「私の名にかけて。美しいレディとの約束はけして破らないのが貴族としての矜持ですよ」
心情の読み取りにくい彼の表情を、ビアンカはじっと見つめた。
貴族の誓いを、そのまま信じるほど初心ではない。
それでも、この男の言葉は軽くないと思えた。
「では、私もお約束します」
ビアンカはまっすぐ告げた。
「子どもたちは、必ず助けます。証言の取れる商人も必ず」
ロベルトの目がわずかに細められる。
「頼もしいな」
「頼もしいなんて、簡単なくくりにしてもらわないでくれ」
ロイドがビアンカの肩を抱いて引き寄せた。
「俺の嫁は、口にしたことは必ず守る。そこが怖いんだが」
ビアンカはロイドを睨んだ。
「今それを言う?」
「事実だし、皆にも知っておいてもらわないとな」
ほんの一瞬だけ、室内の緊張が緩んだ。
だが、それはすぐに消える。
ヨナスが地図を広げた。
「保安官事務所の地下は、表の牢とは別だ。グルドが見つけた鍵束を見る限り、古い倉庫の下に隠し区画がある」
ミゲルが前へ出る。
「裏手の水路から近づけます。鉄格子がありますが、古い。音を殺せば切れるかと」
「見張りは?」
「通常は二人。ただし、倉庫の火で増えている可能性があります」
ロイドは地図を見下ろす。
「正面は使わない。水路からミゲル、ネイサ、俺。屋根からテルマ。グルドは外の退路を押さえろ」
ロイドが一瞬言葉に詰まった隙に、ビアンカが先に言う。
「私が前を行くわ」
「正確に匂いを辿り、かぎ分けられるのはビアンカだけだ」
ヨナスが低く言った。
ロイドは彼を睨み、大きく息をついて吐き出すように言った。
「わかってる」
そしてビアンカを見た。
「俺から離れるなよ」
「ええ」
「いいか約束してくれ、本当にだ」
ビアンカは一拍置いて、頷いた後、腰を抱くロイドから距離を取るように上体をそらした。
「もう。自分の嫁をもう少し信用して?」
それだけで、ロイドの表情が少しだけ緩む。
ロベルトは、そのやり取りを見てから、口元をゆがめると外套を整えた。
「私は夜明けまでに査察令を整える。王都の私兵も呼ぶ。ただし、表立って動かせるのは最小限だ」
「......内部に裏切り者がいるからか」
ロイドが言う。
「裏切者は、どこにでもいる」
穏やかな笑みを浮かべたままロベルトは、外套の襟を整えた。
「王都にも、教会にも、私の家中にも。この町にも」
ヨナスの白濁した目が、静かに伏せられる。
「だから急がねばな」
ロベルトは司祭室を見回した。
「今夜、子どもたちを救う。明朝、保安官事務所を押さえる。期限は三日だ。三日以内に王都へ証拠を運ぶ。そして議会で、王太子派の喉元へ突きつける」
これは、ただの潜入ではない。国を相手にした戦いだ。
ロイドは、胸元から静かに狼の焼き印の入った革袋を取り出し、町の地下地図の上に置いた。
「黒牙の群れは、奪われたものを取り返すことを誓う」
ロベルトは、印章のついた指輪を外し、その隣に置いた。
「ハネイグ侯爵家は、隠されたものを表へ出すことを誓う」
ヨナスは、古びた銀の十字架を机に置いた。
「教会は、死者と子どもたちの名を守ることを誓う」
その場にいた全員が理解した。
これからこの国の根底をひっくり返す大きな戦いが始まることを。
◇◇◇
その夜、ユリベルの空には薄い雲が流れていた。
保安官事務所の裏手を流れる水路は、腐った藻と泥の匂いがした。石壁に沿って、黒い影がいくつも移動する。
先頭はミゲル。
その後ろにネイサ、ビアンカ、ロイド。少し離れた屋根の上を、テルマが音もなく走っている。
ビアンカは鼻先を上げた。
湿った石。錆びた鉄。古い水。
そして、薄い血の匂い。
水路の奥には、古い鉄格子があった。ミゲルが屈み込み、布を巻いた工具を取り出す。金属音を殺しながら、一本ずつ鉄を切っていく。
屋根の上で、テルマが手を上げた。
見張り二人。
ロイドが指で合図を返す。
ビアンカは小瓶を取り出し、風向きを確かめた。水路から上がる湿った空気に乗せて、薄い香を流す。
しばらくして、上の通路で小さな物音がした。
一人。
もう一人。
テルマが屋根から降り、倒れた見張りを素早く物陰へ引きずる。
鉄格子が外れた。
ミゲルが先に入り、通路の安全を確認する。
「行けます」
ロイドは、ビアンカを見る。
「俺の後ろを」
「前を行くわ」
「今だけは後ろだ」
ビアンカは口を開きかけたが、ロイドの目を見て飲み込んだ。
「……わかった」
ロイドが先に進む。
狭い通路の奥には、木の扉があった。鍵束のうち、一番小さな鍵が合う。
扉が開いた瞬間、冷たい空気と一緒に、押し殺した泣き声が漏れた。
中は、牢だった。
石壁に囲まれた地下室。小さな檻がいくつも並び、その中に子どもたちがいた。
獣人の子。
人間の子。
耳を伏せて震える狐獣人の少女。
毛布を抱えたまま眠る幼い少年。
手首に縄の跡を残した子。
ビアンカは息を詰めた。
ネイサが両手で口を押さえる。
「……ひどい」
ロイドの目が、暗く燃えた。だが彼は声を荒げなかった。
「鍵を開けろ。全員連れて出る」
ミゲルとネイサが動く。子どもたちに『大丈夫よ、大丈夫』と声をかけ落ち着かせながら。
檻の鍵が次々と開いていく。
怯えた子どもたちは、最初、外へ出ようとしなかった。信じていいのかわからないのだ。
ビアンカは膝をつき、狐獣人の少女と目線を合わせた。
「大丈夫。ユリベル聖堂から来たの。マチルダを知ってる?」
少女の耳がかすかに動く。
「……マチルダ、さま」
「そう。あの人のところへ帰りましょう」
ビアンカが手を差し出す。
少女は震えながら、その手を取った。
それを見て、他の子どもたちも少しずつ動き始める。
「急いで。でも走らないで」
ビアンカは一人ずつ背を押した。
その時、通路の向こうから足音がした。
重い靴音。一人ではない。
テルマが鋭く囁く。
「気づいたのか。四、いや六!」
ロイドが短剣を抜いた。
「子どもを先に」
「主!」
「行け」
声は低いが、逆らえない命令だった。
グルドが外から入ってきて、子どもたちを水路へ誘導する。
ネイサが最後尾の幼い子を抱き上げた。
ビアンカも続こうとしたが、檻の奥にうずくまる少年に気づいた。
動かない。
「ビアンカ!」
ロイドが呼ぶ。
「一人残ってる!」
彼女は檻の中へ駆け込んだ。
少年は熱を出していた。額が燃えるように熱い。耳の片方が傷つき、包帯代わりの布が赤く染まっている。
「さあ、大丈夫。出るわよ」
少年を抱き上げた瞬間、通路の扉が開いた。
保安警備隊の男たちが雪崩れ込んでくる。
「いたぞ!」
ロイドが前へ出た。黒い外套が翻る。
最初の男の腕を弾き、短剣の柄で顎を打つ。二人目の剣をかわし、肩口へ膝を入れる。刃は使わない。命は奪わない。だが、一撃ごとに確実に動きを奪っていく。
テルマが天井近くの梁から飛び降り、三人目の背に蹴りを入れた。
「この、クソ犬ども!」
ミゲルが鉄格子を盾にし、通路を塞ぐ。
狭い地下道では、人数の多さは利にならない。ロイドはそれをわかっていた。
「ビアンカ、その子を連れて早く行け!」
「ロイ!」
「すぐに後を追う!」
その声に、ビアンカは歯を食いしばった。本当は置いていきたくない。
けれど腕の中の少年の息が粗い。今守るべき命が、ここにある。
「すぐに来て」
「ああ」
ロイドは振り向かずに答えた。ビアンカは少年を抱えて走った。
水路の出口では、グルドが子どもたちを次々と外へ逃がしている。ネイサが人数を数え、ミゲルが追手の足止めに戻る。外に出ると、冷たい夜気が頬を打った。
子どもたちは震えながらも、生きていた。
ビアンカは少年をマチルダの待つ馬車へ預ける。
「熱が高い。すぐに手当てを」
マチルダの顔が歪む。
「わかったわ」
その時、水路の奥で低い遠吠えが響いた。
ロイドの合図。
撤収。
テルマが先に飛び出し、続いてミゲル。最後にロイドが現れる。外套は裂け、頬に血がついている。
ビアンカは思わず駆け寄った。
「ロイ!」
「返り血だよ。俺のじゃない」
「あとで見るわ」
「疑ってるのか?」
「あなたは自分を軽く見過ぎるわ」
「......頬を少し切っただけだ」
ロイドは息を切らしながら、苦笑いをした。
その直後、遠くの町の鐘が激しく鳴り始めた。
警鐘だ。
保安官事務所が、地下牢の襲撃に気づいた。
ロベルトの査察より早い。ロイドの表情が変わる。
「急げ。全員、教会へ」
グルドが子どもたちを乗せた馬車を出す。
テルマが屋根へ上がり、追手の位置を探る。ネイサは泣いている少女を抱きしめながら、必死に落ち着かせていた。
ビアンカは最後に一度、保安官事務所の方角を振り返った。
そこには、赤い灯りがいくつも揺れている。
怒号。警鐘。走る兵の影。
町が目を覚ましていく。
けれど、今夜目を覚ましたのは町だけではない。
奪われた子どもたちの声。
死者たちの帳簿。
改革派の侯爵。
黒牙の群れ。
教会。
そして、怒りを飲み込んできた獣人と平民たち。
それぞれの火が、同じ方角へ向かい始めていた。
教会へ戻る馬車の中で、ビアンカは眠る少年の手を握った。
熱をもって汗ばんだ小さな手だった。
まだ、命はここにある。
ロイドが隣に座り、彼女の肩を抱いた。
「震えてる」
「寒いだけよ」
「嘘が下手だな」
「あなたと一緒よ」
ビアンカはロイドの血のついた頬を自分の袖で拭いた。
ロイドはそれ以上何も言わず、彼女を抱く腕に少し力を込めた。
遠くで、夜明け前の空が白み始めている。
ビアンカはその光を見つめた。
これは、ただの夜襲ではない。国を変える最初の狼煙だ。
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