上
ぱぁん!
派手な音と一緒に目に星が散って、目の前に花壇の花があった。イヴァンカは殴られて倒れていた。
「男を誘惑するダンスは禁止したはずだ!」
そう言って殴ったのは、イヴァンカの婚約者のワシリーだ。
ここは学校だ。周囲では悲鳴が上がり、先生を呼びに行く生徒のバタバタとした足音がした。
ワシリーは周囲に見られていたと気付くと、そのまま走って逃げてしまった。
頬が痛いので、そのままイヴァンカは横たわって花壇の花を眺めていた。
(綺麗ね……)
イヴァンカはロンド伯爵家の令嬢で、ダンスに優れた才能を持っている。ダンスホールで男女で踊るダンスではなく、人に踊りを見せる……踊り子のダンスだ。
この世界ではなく、違う世界の文化を召喚したときに生まれた文化だ。
音楽に乗せて舞う軽やかさは幼い頃には褒められたが、成長するにつれて近しい人たちに批判されるようになっていった。
その筆頭が、父が婚約者にと連れてきたワシリー・ポルストだ。成績は優秀だが、まるで百年前の老人のような考え方でイヴァンカに注文をつける。最初の顔合わせの時に、
『女は男の横を歩くべきではない。斜め後ろだ』
そう言われた時点で、この人と一緒に生きていくのは無理だとイヴァンカは悟った。
二十歳を過ぎてからの婚約が一般的なのに、まだ十六歳で婚約させられた。ワシリーと婚約して一年、泣いても怒っても父親は成績が上位にならない限り婚約解消は認めないと言った。お前のためだと。
イヴァンカは母親似で、淡い金色のふわふわとした髪と大きな青い目の可愛い系美少女だ。そして、そういう見た目に対する偏見を偏見にしない程度には学業成績が悪かった。父親の出す条件は天変地異が起こっても無理だった。
婚約者はイヴァンカの見た目を気に入っている。何なら執着して支配したいと思っている。だから人前で踊るなという。
ワシリーと結婚したら……死ぬだろう。そうイヴァンカは確信した。婚約の時点で既に手をあげたのだ。一度やれば歯止めは利かなくなる。またやるだろう。結婚すれば屋敷は密室だ。間違いなく殴ってくる。
父親に分かってもらうには、逆らって暴力を受けるしかなかった。
こんな訴え方をするまで分かってくれない父親が、イヴァンカはちょっと嫌いになっていた。
イヴァンカの母親は伯爵家の四女で、結婚の支度金がないので平民となり、王都の劇場で踊っていた。父親は彼女に一目惚れして劇場に通い詰めていたと聞いている。
その後結婚に至ったが、イヴァンカが十五歳の時に流行病で亡くなってしまったのだ。
それ以後、ダンスを褒めてくれた優しい父がダンスをやめさせ、貴族らしくあれと婚約者まで用意した。それが幸せだと言い張って。
「ねえ、いつまで倒れてるの?アピールとしては十分だと思うよ」
横にしゃがんだのは、同級生のルスラン・ロウムだ。イヴァンカが頼めば、ダンスに伴奏を付けてくれるフルートの上手な男子生徒だ。頭も良くて勉強も教えてくれる。イヴァンカと同じくらいの身長で、可愛い顔をしているため、男女どちらからも人気があるマスコット男子だ。
イヴァンカは渋々上半身を起こす。
「あ~あ、可愛い顔が台無しじゃないか」
「ハエが止まりそうなビンタだったけど、こうでもしないとワシリーと縁が切れないんだもん」
イヴァンカは、ルスランの腕を掴んで立ち上がる。
「でもさ、貴族の義務で領地はちゃんと維持しないといけないよ?それはどうするの?君、数字を見るだけで寝るじゃないか」
ロンド家にはイヴァンカしか子供がいない。ルスランは、テスト中に船をこいでいるイヴァンカを何度も見ているだけに不安になる。
「子爵令息が、伯爵令嬢に喧嘩売ってるの?」
「いっ!?いやいや」
焦ってルスランは首を激しく横に振る。
「馬鹿には馬鹿なりのやり方があるの。ちゃんとお父様には分かってもらうつもり」
そう言ってイヴァンカはスタスタと歩いていってしまった。
ルスランはイヴァンカの背に手を伸ばしたが、結局だらりと下ろして肩を落とした。
「誰が婚約解消などするか!絶対に許さん!」
イヴァンカは頬を腫らして帰ってきたのに、そう怒鳴った。
ブチンとイヴァンカの脳内で何かが切れた。
「お父様の分からずや!」
イヴァンカは父親の執務室を出るとそのまま自室に戻り、クローゼットのダンス衣装を取り出す。
「もう我慢しないんだから!」
ワシリーはイヴァンカに対して暴力を振るっているところを見られていたので、停学処分となった。しかし学園祭までの期間とされ、イヴァンカの婚約は白紙にされないままとなった。
イヴァンカの父親が頑なに継続を求めたからだ。
ポルスト家としても暴力を振るった令息に良縁は来ないと思い、イヴァンカとの婚約にすがった。結果、ワシリーは思っていた以上に処罰が軽かったことで、さらに勘違いをした。
(イヴァンカは俺を好きなんだ)
部屋の窓ガラスには、一人笑みを浮かべるワシリーの姿が映っていた。
そして学園祭の日がやってきた。ワシリーの登校解禁日でもある。ワシリーは以前以上に自信満々で登校した。何せ、愛され過ぎて困るくらいだと思い込むには十分な停学期間だったのだから。周囲のクラスメイトは、複雑な目を向けていたが、ワシリーは気づいていなかった。
ワシリーはイヴァンカを探していたが、午前中に学園を歩き回ったが見つからなかった。
(俺の言い分を聞いて今日は欠席か)
そう思うとワシリーは何か買って持って行ってやろうと思った。そして楽しかったことを話すのだ。
(イヴァンカは、俺の話でもっと俺に惚れる。大きな目をキラキラさせて、抱き付いてきて……)
ニヨニヨしているワシリーに誰も近づかない。ただ警戒しているのか見張りはついていた。全員、騎士科の上級生で、将来的には伝令騎士や尖兵になる予定の者たちばかりだ。文官科のワシリーが気づくはずもない。
そして午後になってから、ワシリーの計画は崩壊する。
『イヴァンカの祝祭が開催されます!飛び込みエントリーは間もなく終了します』
ワシリーは強張った表情で顔をあげると、周囲を見回す。
さざめき合いながら、訓練場へと向かう生徒が多いことに気付き、ワシリーも立ち上がった。しかし、その瞬間、見張っていた騎士科の生徒たちに羽交い締めにされ、あっという間に簀巻きにされて運ばれることになった。
「な!何を」
「祝祭の邪魔は許さん」
一人の騎士科の生徒に睨まれて、ワシリーは青くなって黙り込む。
(俺、イヴァンカのファンに殺されるのか?そもそも祝祭って何だよ)
そのままワシリーは訓練場のよく見える時計塔に連れていかれることになった。
見下ろす訓練場の中心には、ポニーテールの見慣れない衣装のイヴァンカが立っていた。
ボディラインにぴったりと合った白色のシャツとレースの縫い付けられたピンク色のズボンに底のぶ厚い革製のブーツ、手にも同じ革の指無し手袋。貴族令嬢としてはあり得ない格好だった。
「みんなぁ~!げんき~?」
「「「「げんきー」」」」
「イヴァンカが戻ってきたよ~!」
時計塔でも耳が痛くなるような歓声が上がり、ワシリーは顔をしかめる。
「何だ、あれは……」
「お前、マジで周囲に興味ないのな」
呆れたように簀巻き組の先輩の一人が言う。
「イヴァンカ嬢は、身体強化魔法でこの国一番なんだ。しかも、彼女の母親が編み出した格闘ダンスで戦えば、かなう者はいない」
「は……?」
「騎士科に入って欲しかったのに、ロンド伯爵が彼女を文官科に押し込めた上に、跡取りと婿が揃って脳筋では困るからと……イヴァンカ嬢を恐れない頭のいい生徒を婿に選んだ。それで一年、彼女のあの姿を見られなかった」
ワシリーは混乱したまま訓練場を見下ろす。
その間にも簀巻き先輩たちは、ワシリーにダメージを与えるべく情報を開示していく。
平民になったイヴァンカの母親が傭兵団に所属し、各国を転々としながら紛争を解決していたこと。紛争が無くなって食い詰めたので、傭兵たちは劇団を立ち上げ、そこで踊っていたこと。
ロンド伯爵はそれも込みで求婚して結婚したこと。
伯爵は妻亡き後、可愛がっている娘が傭兵団とどこかにいってしまうという不安を払拭できず、貴族らしくさせた上で早々に婚約を結んだのだ。
「ロンド伯爵、何でこいつを婚約者にしたんだ?」
「「「それな!」」」
そんな言葉の応酬を聞きながら、ワシリーは呆然としながら訓練場を見ていた。
騎士科の生徒が防具や武器を思い思いに持ってイヴァンカの前に現れた。
よく見れば、魔法科の魔法使いも混じったチームだ。
『第一試合は、モラン伯爵令息チーム!』
先頭に居るモラン伯爵令息は、重装ヘルメットを軽く上げてイヴァンカに告げる。
「負けるつもりはありません!」
「こっちもだよ!」
『開始!』
軽やかに飛びあがったイヴァンカのかかと落としが、モラン伯爵令息の頭に落ちる。それと同時に令息は倒れ、そのまま体重を感じさせない動きで隣の剣士二人と次々に蹴り、何が起こったのか分からない後衛の魔法使いも槍兵にも一瞬で近づき、一瞬で首筋を軽く叩いて次々に意識を刈り取っていく。その時間、僅か十秒。
「何だ。あの速さと力は」
「だから、イヴァンカ嬢の肉体強化は別格なんだって。十五秒持ちこたえただけでも、王城騎士団の内定をもらえる」
わっと歓声が沸き、イヴァンカが大きく片腕を突きあげる。
他のパーティも次々に倒されていく。
あまりに瞬殺ばかりでは盛り上がらないということなのか、生徒会からの注文もあり、ひらりひらりと踊りながら魔法も武器も笑顔で避けて倒したりもするし、客席にわざと飛び込んで観客と握手して戻ってきたりもしている。
ワシリーはその様子を唖然として見ながら呟く。
「俺の手なんて避けられたじゃないか……」
「そうだな。余程お前と縁を切りたかったんだろう。知らない生徒が見たら、婚約者に暴力を振るう最低野郎だからな。それを期待したんだろうが、ロラン伯爵が許さなかったみたいだ」
ワシリーの妄想はガラガラと崩れた。
「お前さ、このまま結婚して大丈夫なのか?」
別の簀巻き部隊の先輩に言われてワシリーははっと息を呑む。
「死ぬんじゃないか?」
「いや、普通に死ぬって」
少し面白がっている様に他の先輩が言って、全員笑う。
(結婚して……手を上げたら……)
屋敷は密室な上にワシリーは婿入りするのだ。使用人は皆イヴァンカの味方だ。変な方向に首の曲がったワシリーの葬式があったとしても、落馬事故だとイヴァンカが言えば皆が口裏を合わせる。
そう思った瞬間、イヴァンカが時計台の方を見上げた。単に時間を見ただけだったが……ワシリーは目が合ったと思った。
「あ……あぁ」
軽やかに舞いながら、イヴァンカは次々と騎士科や魔法科の生徒を倒していく。あちらは様々な防具や武器を持っているのに、防御力のなさそうな平民さながらの服のまま、拳と蹴りで。
鎧はひしゃげ、剣は折れ、手加減されているとおぼしき騎士科や魔法科の生徒も身体強化はしているはずなのに、蹴りで訓練場の石壁に激突して気絶している。
次々にパーティを壊滅させていくのを見ていたワシリーは、顔色がどんどん悪くなり、ブルブルと震えた後で泡を吹いて気絶した。




