【十】天野とみく
「結様!?」
「おっと」
頭を踏み台にされた雪緒が結の行動に驚きながら背中から倒れそうになった処を、隣に居た天野が自身の腕を伸ばして、その背中を支える。
「星兄様ーっ!」
と同時に、星と駆けて来た二十代前半ぐらいの男が、両手で頬を押さえて山に向かって叫んでいた。
「星兄様に何を…っ…!!」
そして、星をぶっ飛ばした張本人の結を睨み付けるが、ぼとりと芝が敷き詰められた地面に落ちた結は、ふーふーと鼻息が荒くて、今にも飛び掛からん勢いだったので、その男はごくりと喉を鳴らした後。
「ボク、星兄様を回収して来ますっ!!」
そう叫び、脱兎の如く、その場から逃げ出した。
「あっ、月兎様!?」
「頼んだ、月坊!」
星と比べれば短いが、同じように馬の尻尾にした髪を揺らして遠ざかる背中に、雪緒と天野の声が被った。
走りさる男の名は月兎。
星の義理の弟だ。
そして、結が混乱し、昂った原因であり理由である、星と同様の人の姿をした妖である。
妖の特徴である血の様な紅い眼を持たないが、れっきとした妖なのである。
「ちょいと、なんだいなんだい!? 雪緒君が来たんじゃないのかい!? 何なのさ、この騒ぎは!」
(マ゙ダ、イ゙ル゙ッ゙!?)
その月兎と入れ替わる様に、屋敷から一人の女性が走って来ていて、結の混乱は天元突破してしまった。
つまり。
「あ〜れ~っ!!」
「みくちゃぁ――――――――んっ!!」
「みくちゃん様ーっ!!」
結にとどめを刺したと言えなくもない、みくちゃんと呼ばれた、淡い桃色の作務衣を着た女性も、宙を舞ったのだった。
◇
「申し訳ございませんでした!」
「ゴメ゙ナ゙!」
雪緒と結が土下座をしている場所は、絶賛家主不在中(結が星を山へ飛ばしたので)の杜川家だ。
そこの一室、二十畳程もある茶の間の真ん中には、卓上型の囲炉裏がどどんと設置してあり、梁から吊るされた棒の先は鉤状になっており、そこには大きな鉄鍋が掛けられていた。中身は、星が山で狩った猪の汁との事だ。
因みに頭を下げながらも、結はそれをちらちらと気にしていた。
「アタイなら大丈夫だから、気にしないでおくれよ!」
「ああ。星坊と違って山までは行かなかったしな。あ、みくちゃんは俺の嫁さんな! 惚れるなよ!」
頭を下げる二人に、みくは目立たない胸をばんっと叩いて笑い、天野はそんなみくの頭を撫でて白い歯を見せた。
「そうそう。ウチの人に担がれる事なんて滅多に無いから嬉しかったよ〜。いつもは、アタイがウチの人を担ぐからね。ありがとうね!」
「ア゙イ゙ガト゚?」
滅多に無い経験だとにこにこと笑うみくに、結が首を傾げる。
飛ばされたのに、何故怒らないのだろう? と。
因みに、みくが自分より大きい天野を担ぐと云う処はスルーである。
「いえ、本当に申し訳ございませんでした。まさか、結様がこれ程までに驚くとは…」
「いいって、いいって! 星坊達が戻って来るまで、軽く話をするか!」
「そうさね、知らなきゃ驚くし、星も月兎も怒りゃあしないって! 元気があって良いじゃないか! 結も伊達巻きが好きなんだろう? たくさん焼いてあるから、それをツマミに話そうじゃないか。今、持ってくるよ」
申し訳ないと頭を下げる雪緒に、天野とその伴侶のみくは、笑いながら怒涛の勢いでそれを流した。
「ほら、お食べよ」
そして、みくがコトリと囲炉裏の縁に置いた皿に盛られた物を見て、見覚えのあるそれに結が声を上げた。
「ア゙ッ゙!」
みょ〜んと身体を伸ばす結に、雪緒がくすりと微笑む。
「伊達巻きです。みくちゃん様の得意料理なのですよ。僕が初めて結様にお声がけした時に、結様が食べていた物です」
「ア゙! ア゙アッ゙!!」
そうだ。
そうだったと結は思い出した。
ぽかぽかで居心地は良いけど、また石を投げられたら痛いから、姿を消してこっそりとつまみ食いをしていた日々の事を。
最初は高い処にあったのに、何時の間にか低い処に食べ物が置かれる様になった事を。
この茶色くて黄色い物が物凄く美味しくて、夢中になって食べていたら、雪緒に見つかった事を。
雪緒がいっぱい話し掛けてくれたから、話せる様になった事を。
「ほら、遠慮は無しだよ!」
「ア゙」
言うが早いか、みくが畳の上でみょ〜んと身体を伸ばす結を抱き上げ、囲炉裏の縁へと乗せた。
目の前にある大量の伊達巻きに、結は目を輝かせる。
「…コ゚レ゙、ト゚ク゚ベツ゚ノ゙、ト゚ク゚ベヅ…」
この伊達巻きが、自分と雪緒を結び付けてくれたのだ。
だから、これは本当に特別で大切で忘れてはいけない物なのだ。
これは、とてもぽかぽかとするのだ。
「ん?」
それを作ってくれたみくを見上げて、結は目をかまぼこの形にして笑う。
「ア゙イ゙ガト゚、ミ゙ク゚チャ゙。ブツガッ゙デ、ゴメナ゙。イ゙ダダキマ゙ス」
「んん〜っ!!」
みくが自分の頬を両手で押さえて身悶える様に、天野が苦笑する。
雪緒だけでなく、結も人たらしだと。




