093.ループ367
...
「...だあれ?」
幼い頃のアンは、まだ髪が肩くらいまでの長さで、今よりも毛先が跳ねていた。晴れた日でもお気に入りの黄色い長靴を履いたものだった。
誰かに呼ばれたような気がしてアンは振り向くが、そこには誰もいない。つむじ風がクルクルと廻るのみだ。
つむじ風はいつも側にあった。アンにとってはそういうものだったのだ。ずっとずっと、無かった日などないのだから、疑問に思う事も誰かに話す事もなかった。
ただ、空には太陽があり、雲があったりなかったりする。それと同じレベルで当たり前の事だったのだ。
「あ!そろそろお家に帰らなくっちゃ!お父さんもお母さんも皆心配しちゃう!」
幼いアンはポケットにギュッギュッと無理矢理木の実を詰め込んで駆け出した。
「おかえり、アン。」
家に帰ると祖父母が笑顔で迎えてくれる。両親がアンを抱きしめ、温かな食事を5人で囲んだ。
たわいもない話をして、祖母の美味しい紅茶を飲んで幸せに過ごす。
だが、父親の顔は闇に包まれ決して見ることはできず、最後には必ず国中が爆撃のような落雷と暴風雨に飲みこまれてゆく。
ーーーーーそんな夢からアンは目覚めることはなかった。
魔法など知らない、優しい祖父母に優しい両親。今のアンが望む全てがその夢の中にあった。それなのに最後には必ず悲劇が待っている。
その悪夢は、全く同じ内容で繰り返されーーーーー
367回目のループで、終演となる。
...
ジャスパーが特別に作った魔道具でアンを眠らせてから3日が経過した。
仮死状態とは言え、使うエネルギーを殆どなくしているだけの事だ。一秒ずつ着実に死に向かっていることに変わりはなかった。
やはり、あくまで延命措置である。
アンのぷっくりと桃のように優しい色味の艶やかな唇は、徐々に色味を失い水気が奪われていった。時折侍女がその渇いた唇に濡れた布を当ててやり、床擦れのできぬよう動かしてやった。
このままだと、もって2週間といったところだろうと白虎がグレイソンへ伝えた。相変わらずフウ・プウ・ブウはワンワンと泣くばかりだ。
国王とヘンリーは言葉にはせずとも、もはや万策尽きたという面持ちだった。いよいよ風の精霊達にポートマン夫妻を呼んでもらう事に決めた。
だが、そこに衛兵から伝令が入った。
元王国騎士団第一騎士団長のウィル及び"水の魔法使い"を名乗る青年が王宮へと訪れたとの事だった。
国王とはいえ水の魔法使いが来たとなれば、急ぎ謁見の間へと向かうしかない。国王は、何事かと額にかいた汗を拭いながら歩む。
すると、目の前にチャプが現れた。
「おっと!精霊様ですか!」
国王は突然の事につんのめりそうになった。精霊が見えていない衛兵は国王にぶつかるまいと更に焦る。
「王様、ヘンリー久しぶり〜!僕せっかちだからさ、直接こっちに来ちゃったよ。フウ達は泣いてばかりで話にならなくって。フウ達が泣いてると毎日雨ばかりにならないように調整が大変で、僕もいい加減疲れちゃったんだよね。
でさ、うちの愛しい子とウィルが来てるから、早いとこアンのとこ連れてってよ。」
チャプは言いたいことだけ伝えると、返事も待たずに消えてしまった。
これには国王も呆気に取られた。状況を理解したヘンリーは、国王に目配せだけするとチャプの後を追うように消える。
ヘンリーは火の魔法を使い、一歩で進める距離を何倍にもブーストし、着地の衝撃を減らし...その動作を驚くべき速さで繰り返す事で進んでいた。
周りからすると殆ど地面に対して水平に飛んでいるかのように見えるスピードで移動している。馬が全速力で駆ける速さとほとんど変わらないか、それ以上だった。
ウィル達のいる王宮の正門までは騎士が走っても5分かかる距離を、ヘンリーは2分もかからずに到達した。
涼しい顔で唐突に現れたヘンリーに、ノワールは驚いてウィルの影に隠れてしまった。
「お待たせした。その者が...?」
ヘンリーは直接ノワールの真上にいたチャプに声をかけた。
「そう、アンが救ってくれた僕の愛しい子だよ!」
チャプが自慢げにヘンリーへと話す。
チャプがヘンリーと会話をした事から、ノワールは目の前にいる人物こそが国内唯一の火の魔法使いヘンリーだと悟る。
「さっ!ウィルもノワールもさっさと行こう。」
ノワールがヘンリーに自己紹介もしないうちに、チャプは先にアンの眠る部屋へと向かってしまった。
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